nioumiya 发表于 2004-11-4 20:34:02

[连载]偶喜欢的文章

  信長の夢宿す幻の城
遠くから見れば、こんもりと木々に覆われた小さな山。だがふもとから見上げると、広い石段が真っすぐに伸び、そこだけは秋の日差しがふんだんに降り注いでいる。

 1581年(天正9年)に完成した安土城の天主(この城では天守閣をこう呼んだ)は、城主織田信長の没後まもなく焼け落ち、正確な姿はわからない。だが近年、佐々木譲『天下城』、山本兼一『火天の城』など、安土城を題材にした小説や研究書が相次いで出版され、小さなブームとなっている。3年しか存在しなかった城が、なぜ人の心を引きつけるのだろう。

 よく晴れた秋の週末。安土駅を降り、小さな駅前広場に面したレンタサイクル店で自転車を借りた。見晴らしのよい田畑の間を走り、10分ほどで城の正面に着く。

 入り口の脇は、ついたてに囲われた発掘現場。滋賀県が1989年から行っている発掘調査によって、城の詳しい構造が解明されてきた。大手道と呼ばれる広い石段も、この調査で修復されたものだ。


帽子にリュック姿の年配の夫婦や、幼い子供のいる家族連れが、次々と石段を登っていく。両側には石垣が積まれ、羽柴(後に豊臣)秀吉や前田利家ら重臣たちの屋敷跡とされる曲輪(くるわ)が、ひな壇のように続いている。

 緩やかだった石段は、登るにつれて傾斜がきつくなっていく。大手道の長さは188メートル。一般に、城への道は敵襲に備えて細く曲がりくねっている。これほど広い直線は、築城の定石にはない。

 そんな道を信長があえて作った理由は「この城に天皇を招くつもりだったから、と考えられています」と、滋賀県安土城郭調査研究所の近藤滋次長(59)は話す。まさに野望の城。

 長い石段を登り切り、巨大迷路のような石垣の間を右に左に歩いた末に、ぽっかりと広い場所に出た。天主跡だ。高さ1メートルあまりの石垣に囲われた地面に碁石のように整然と埋め込まれた石が、建物の礎石だ。

 石垣の上に立ってみる。琵琶湖の内湖である西の湖を望む、広々とした景色を楽しみながら、腰掛けてお弁当を広げている人も。今は水田が広がるこの一帯だが、安土城が建てられたころは三方が湖面だった。

 天主跡まで上って下りて1時間余り、手ごろなハイキングコースだ。大手道とは別に百々橋(どどばし)口道というコースもあり、こちらの途中にあるソウ見寺(そうけんじ)跡から見る琵琶湖の眺めも壮観だ。春には、山すその桜も美しい。



安土城の近くには、文化施設が立ち並ぶ。そのひとつ「信長の館」には、推測を交えて復元された安土城天主が展示されている。1992年のセビリア万博日本館に出展された建物で、地上6層に地下もあったといわれる天主の、5、6層部分。黄金に輝く最上層がまぶしい。隣接する県立安土城考古博物館や安土駅前の安土町城郭資料館にも、それぞれ復元模型が展示されている。

 「城そのものの復元や整備は、あくまで最小限にとどめています。復元図などを参考に、実際に城に上って信長のロマンを想像する、というのがいいんじゃないでしょうか」

 近藤次長の言葉を思い出しながら、振り返って安土城を仰いだ。信長が天下に号令すべく築いた城は、石垣と石段だけの姿になってもなお、往時の威容を思わせる風格を備えている。

 城を後にして、隣駅の近江八幡で、名物の赤こんにゃくや琵琶湖の淡水魚を用いた料理を楽しんだ。近江商人屋敷で名高いこの町は、信長が安土城下に集めた商人たちが、豊臣秀次の八幡開城に伴って移住したのが始まりだという。

 秀次も10年後には秀吉の不興を買って自害に追い込まれたが、町は残った。信長がもっと長く健在であれば、今は城下の名残もない安土が、こんな町になっていたのかも知れない。

 日本の歴史に異彩を放つ英雄が築いた夢の結晶。それが、わずか3年で消えてしまったからこそ、安土は人々の想像をかきたてる。(片山 一弘記者)

(2004年11月1日 読売新聞)

nioumiya 发表于 2004-11-4 20:43:38

じょうせき ぢやう― 0 【定石/定跡】


(1)囲碁・将棋で、ある局面において双方にとって最善とされる一定の打ち方・指し方。長年の研究によって確立されたもので、それに双方が従えばある局面の結果は互角になる場合が多い。〔囲碁では「定石」、将棋では「定跡」と書く〕
(2)物事を行う上で、一般に最善と考えられている方法・手順など。
「―どおりバントで走者を進める」
ぽっかり 3


(副)
(1)大きな口をあけるさま。
「うつろな目で―口をあけている」
(2)大きな割れ目や穴があいているさま。
「道路に大きな穴が―(と)あいている」
(3)軽く浮かんでいるさま。
「―(と)浮かんだ白い雲」
(4)あたたかいさま。
「―暖い室の空気に/うづまき(敏)」

やますそ 0 【山▼裾】
山のふもと。


ふきょう 0 【不興】


(名・形動)スル[文]ナリ
〔古くは「ぶきょう」。「無興」とも書いた〕
(1)興がわかないこと。しらけること。また、そのさま。
「お力の中座したるに―して/にごりえ(一葉)」
(2)機嫌の悪いこと。特に、親や目上の人の機嫌をそこねること。また、そのさま。
「―をかう」「―をこうむる」「余計な事を、と―な顔をして/婦系図(鏡花)」
(3)主君や親の勘気をこうむること。
「主従三世の契り絶え果て、永く―と宣へば/謡曲・巴」
[派生] ――げ(形動)

nioumiya 发表于 2004-11-7 19:15:31

こんもり 3


(副)スル
(1)木が生い茂っているさま。
「―した森」
(2)丸く盛り上がっているさま。
「―と土を盛る」

あづち 【安土】


滋賀県蒲生郡の町。琵琶湖東岸に臨む。織田信長が築城した安土城跡(特別史跡)がある。
てんしゅ 1 【天守/天主】


城の中心部に設けられた大櫓(おおやぐら)。戦時には物見台・司令塔、弓・鉄砲使用のための足場として、また平時には武器庫として用いた。織田信長が安土城に五層七重のものを造営して以後、多層大形のものが多く出現した。天守閣。

じょうしゅ じやう― 1 【城主】


(1)城の主。
(2)江戸時代、大名の格式の一。城をもった大名で国持・准国持に次ぐ。

ぼつご 1 0 【没後/▼歿後】


死んだあと。死後。


レンタサイクル 4


〔和 rent-a-cycle〕貸し自転車。〔レンタカー(rent-a-car)に倣って作られたことば〕

おだ-のぶなが 【織田信長】


(1534-1582) 戦国時代の武将。信秀の三男。1560年、今川義元を桶狭間(おけはざま)に破って勢威をつけ、以後諸群雄を攻め従え、73年将軍足利義昭を追放し室町幕府を滅亡させた。安土城を築いて全国統一に仱瓿訾埂K律绀胜芍惺赖臉赝蚱茐菠工胍环健①Q易の奨励、楽市・楽座の設置など革新的諸事業を断行したが、雄図半ばで明智光秀の急襲を受け、本能寺で自刃。

しが 【滋賀】


近畿地方北東部の内陸県。かつての近江(おうみ)国全域を占める。近江盆地を占め、中央に琵琶湖がある。東は伊吹山地・鈴鹿山脈、西は比良山地、北は野坂山地、南は信楽山地となる。県庁所在地、大津市。
〔古くは「志賀」とも書いた〕

みはらし 0 【見晴(ら)し】


(1)遠くの方まで広く見渡すこと。また、そのながめ。
「―がいい」「―がきく展望台」
(2)「見晴らし台」に同じ。

たはた 1 【田畑】


田と畑。でんぱた。

とよとみ-ひでよし 【豊臣秀吉】


(1536-1598) 安土桃山時代の武将。尾張中村の人。織田信長の足軽木下弥右衛門の子。幼名日吉丸。初名木下藤吉郎。のち羽柴秀吉。織田信長に仕え、軍功によって重用され、筑前守となる。本能寺の変後、明智光秀を討ち、四国・九州・関東・奥羽を征して1590年天下を統一。この間、85年関白、翌年豊臣姓を賜って太政大臣となり、91年関白を養子秀次に譲り太閤と称した。また、検地・刀狩りを実施、兵農の分離を徹底し、幕藩体制に至る基礎を築いた。文禄・慶長の役で朝鮮に出兵、戦果があがらないまま、伏見城で病没。
はしば 【羽柴】


姓氏の一。秀吉が豊臣姓を名仱毪蓼扦涡铡5び痖L秀と柴田勝家の姓の一字ずつを取ったもの。

まえだ-としいえ まへだとしいへ 【前田利家】


(1538-1599) 安土桃山時代の武将。加賀藩の祖。尾張の人。幼名、犬千代。幼少より織田信長に仕える。賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家についたが、のち豊臣秀吉と和を結び、金沢に封ぜられた。五大老の一人として秀頼を補佐したが、秀吉没後一年にして死んだ。

くるわ 0 【▽曲輪/▽郭/▼廓】


(1)城壁や堀、自然の崖や川などで仕切った城・館内の区画。
(2)周囲を囲いで限られ、遊女屋が集まっている地帯。遊郭。遊里。さと。


ひなだん 2 0 【▼雛壇】


(1)雛祭りに、雛人形や調度を飾る階段式の壇。[季]春。
(2)議場・会場などで、他よりも一段高くしつらえ、人が並べるようにした壇。特に、国会の本会議場における大臣席などの称。
(3)歌舞伎・舞踊で、長唄や浄瑠璃の演奏者の座る台。舞台後方に正面を向けて設けられ、緋毛氈(ひもうせん)を敷く。

おうごん わう― 0 【黄金】


(1)金(きん)。こがね。
「―の杯」
(2)金のように輝くもの。また、貴重で価値のあることのたとえ。
「輝く―の翼」「―の年」「―の脚」
(3)金銭。貨幣。
「―の山」
(4)大判金の俗称。
「―もござる筈だと大野言ひ/柳多留 19」

やかた 0 【屋形/▽館】


(1)貴人の住居。屋敷。
(2)大名。貴人。
「お―さま」「神戸三七殿をば美濃の―と定め/武家名目抄(称呼)」
(3)家の形をしたもの。仮屋。
「水ぐきの岡の―にいもとあれと/古今(大歌所)」
(4)屋根の形をしたもの。舟や牛車(ぎつしや)に設けた、家の形をした覆い。
「月のあかきに、―なき車のあひたる/枕草子 45」
→牛車
(5)「屋形船(やかたぶね)」の略。
「―にいいのが有るから行たりや/洒落本・辰巳之園」

おうみ あふみ 【近江/淡海】


〔「あわうみ(淡海)」の転。淡水のうみの意〕
(1)旧国名の一。滋賀県に相当。江州(ごうしゆう)。
(2)淡水湖。特に、琵琶湖。
「新治(にいばり)の鳥羽の―も秋風に白波立ちぬ/万葉 1757」
〔「近江」の表記は、「近つ淡海」の意で、浜名湖の「遠淡海(とおつおうみ)」に対して用いた〕
――泥棒(どろぼう)伊勢(いせ)乞食(こじき)
商才のある近江商人や倹約家の伊勢商人が江戸で成功していることを、江戸っ子がやっかみからののしっていった言葉。

たんすい-ぎょ 3 【淡水魚】


一生、あるいは一生の大半を淡水域にすむ魚。コイ・フナ・ドジョウ・タナゴなど。
とよとみ-ひでつぐ 【豊臣秀次】


(1568-1595) 安土桃山時代の武将。母は秀吉の姉日秀。賤(しず)ヶ岳の戦い、四国・小田原攻略で戦功をたて、91年秀吉の養子となった。のち関白。秀頼誕生によって高野山に追放、自害を命ぜられた。
はちまん 【八幡】


岐阜県中部、郡上(ぐじよう)郡の町。古来美濃と飛騨を結ぶ交通の要地で、近世は城下町。郡上踊り・郡上温泉などで知られる。


けんざい 0 【健在】


(名・形動)[文]ナリ
(1)丈夫に暮らしている・こと(さま)。
「父は―です」
(2)衰えることなく、もとのままの状態であるさま。
「横綱は相変わらず―だ」
やど・す 2 【宿す】


(動サ五[四])
(1)女性が胎内に子供をもつ。はらむ。
「子供を―・す」「種を―・す」
(2)とどまらせる。
「露を―・した葉」「昔の宿場町の面影を―・している」
(3)宿を貸す。
「旅人にこそあなれ。しばし―・さむかし/宇津保(俊蔭)」
(4)預けておく。

flyingwind 发表于 2004-11-8 11:58:43

经常关注!!收藏!

白河夜船 发表于 2004-11-8 17:23:54

谢谢楼主,不只学到很多东西,还了解了日本的历史。
楼主似乎很喜欢日本的历史,可以开个日本历史的系列讲座啊。
小小建议:)

nioumiya 发表于 2004-11-8 18:00:58

好啊,这次来一片简单的文章

スローライフとは?


       
 スローライフってなんでしょうか? ゆっくり暮らすこと? 電車にもバスにも仱椁胜危

nioumiya 发表于 2004-11-8 18:15:24

 ナマケモノとは人間のことではなく、中南米の動物である。体長40~80センチ。活動性に乏しく、四肢の先にある大きく強いつめで木の枝にぶらさがり、1本の木にしがみついたまま殆ど動かない。http://www2g.biglobe.ne.jp/~aviation/namakemono02.jpg

あんどん 0 【行▽灯】
〔唐音〕木や竹のわくに紙を貼り、中に油皿を入れて火をともす照明具。あんどう。

へいがい 0 【弊害】
他に害を及ぼす物事。害となる悪いこと。
「―を除く」「―を生ずる」

せつじつ 0 【切実】
(形動)[文]ナリ
(1)心に深く感じるさま。身にしみて感じるさま。
「人生の悲哀を―に感じる」
(2)直接かかわりがあって重要なさま。
「―な問題」「―に悩む」
(3)実情によく当てはまっているさま。きわめて適切なさま。
「―な表現」
[派生] ――さ(名)


エコロジカル 【ecological】


(1)生態学の。生態学上の。生態的な。
(2)環境保護を意識した。環境保護の。

サステイナブル 【sustainable】


持続可能であるようす。維持が可能であること。

白河夜船 发表于 2004-11-9 21:03:07

太感谢楼主了。看来你有小资倾向。一般喜欢慢节奏生活的人都蛮有情调的,至少我是这样认为的。希望继续。
顶!

白河夜船 发表于 2004-11-9 21:03:38

至于那张照片,楼主真是费心了,我也就不评论什么了。
无语中……………………

nioumiya 发表于 2004-11-12 00:31:12

I miss you….

50代半ばのオランダ人男性が出張で来日した時のことだ。4日間の滞在中、彼は毎日奥様に電話して、私に言った。I miss my wife… 

 私がこれまで出会った欧米の男性は、愛情表現が概してストレートだった。妻の写真を肌身離さず持ち歩き、職場の机にも飾る。I love my wife. と公言し、人前でキスをし、手を握る。どれも日常の光景だ。

 一方、日本人男性は、愛情を伝えることも、人前で褒めることもめったにしない。「綺麗な奥様ですね」と褒めても、「いや~全然。うちの奴、太ってるし」などと反対にけなしさえする。照れ隠しかもしれないが、奥様が可哀想だとは思わないのだろうか? 妻の写真も持ち歩かない。子供の写真は、Don’t you think she is so cute? と、嬉しそうに見せてくれるのに。

 私の夫が出張先から送ってくれるe-mailは、「ドイツは今暑い」「何時に到着予定」といった言葉ばかり。物足りない。しかし、彼にとっては立派な愛情表現らしい。「わざわざ口に出さなくても、気にかけていることがわかるからいいじゃないか」という。

 愛情の表現方法が違うのだ。「以心伝心」「謙遜は美徳」などの考え方が、昔から大事にされてきたからか。日本人は感情を表現するのが、あまり得意ではないように感じる。

 欧米人は、自分の気持ちを言葉で積極的に伝えようとする。Miss you.も、家族、恋人、友人等々、あらゆる人間関係で使われる定番の表現だ。状況に応じて異なった意味を持つ。小学生の姪は、久しく会っていないイギリス人の父親と兄にMissing you lots.と書いたe-メールを送り、「二人に会えなくてとっても寂しい」という気持ちを伝えた。冒頭のオランダ人は、I miss my wife.に「恋しい」「会いたい」という想いを込めた。I’ve missed you so much! と言って抱き合う夫婦や恋人の姿からは、大きな喜びが感じ取れる。

 グリーティングカードも、Miss you.を使った表現のオンパレードだ。 “I miss you with all my heart. I wish you were here. I am thinking of you.” 心から会いたい。あなたがここにいてくれたらどんなにいいのに。あなたのことを想っています。"Are you missing me, as much as I am missing you? 私があなたに会いたいのと同じくらい、あなたも私に会いたいと想ってくれてますか?“Just want to tell you I miss you each and every day.” 毎日毎日あなたに会いたいと想っているってことを伝えたくって。

 こんな素敵な表現をあまり聞かない日本でも、ストレートに褒めあえる夫婦関係はある。ファッションデザイナーのコシノジュンコさんの夫、鈴木弘之さんに以前お目にかかった。お話をして大ファンになった。「ジュンコさんは、すごい人なんだ」とニコニコする鈴木さんの姿に、心の広さと理想的な夫婦像を見た。

 著名人だから褒めやすいのだろう、と片付けてしまうのは簡単だ。でも普通のパートナー同士だって、褒めあったほうがいい。人前でパートナーが褒めてくれていたことを人づてに聞いたら、どんなに嬉しいことか! いい面を磨こうという気持ちも強まる。

 日本でも、男性と同じ立場で働く女性が増え、「言葉で伝える」欧米流の考え方に触れる機会も多くなっている。パートナーに対し、「もっと私の良さを認めて」と願う女性も増えている。日本人男性も、愛情を照れずに伝える努力をしないと、愛想をつかれかねない時代だ。

 女性も同じ。人間関係は、双方向の関係だから。もっとも私自身も、「とても会いたい」と日本語で言うのは抵抗がある。だからといって、アメリカで暮らした経験がない夫に、I miss you.と言っても想いは伝わらない。だから、心の中でつぶやくだけ。声に出すのは日本語。どんな日本語で? それは探し続けるしかない。それぞれが自分たちの愛情表現を探していけば、日本人の夫婦関係も変わっていくかもしれない。
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