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日语优秀作文鉴赏1

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发表于 2006-7-14 11:44:44 | 显示全部楼层 |阅读模式
                  朝顔の魅力
8 {! Y: C; Q/ _) s8 E6 O; M% e
: R+ d% V/ d- t/ oどこからみても何のへんてつもない小さな黒い朝顔の種。しかしこの種こそ私の宝物なのです。この宝物がやがて芽を出し成長していくと見事な花を咲かせます。その花が朝日にあたりダイヤモンドのように輝くのです。しばし夏の暑さを忘れ、自然と笑顔がこぼれ心にゆとりを持たせてくれるのです。今年も五月のはじめに種をまき、今ではつるも出て小さなつぼみもいくつかついています。どんな色の花を咲かせてくれるのか、今から楽しみに育ててます。
7 n' X7 V# U) K% ~( [/ Iその朝顔との出会いは小学校一年生のときでした。先生から育てるうえで、いくつか話しがありました。その中で、「毎日声をかけると、朝顔も喜んで、大きくなるよ。」と言われたのが特に心に残り、「今日も暑かったね。」などと話しかけながら水やりをしました。成長していく過程が楽しみで毎日見に行きました。そして、見事にピンクの花を咲かせたときには、何とも言えない喜びと嬉しさで感動したのを覚えています。夏休みには家に持ち帰り、毎日何個、花が咲くのかを観察しました。やがて秋には何十個も種が取れました。6 |/ Q0 Z% f6 S
それからというもの、私は家で採れた種を翌年まき、育ててまた次の年へと続け、もう六年が経ちました。毎年たくさんの種が取れるので、友達や近所の人、親せきにも配ったりしました。この六年間をふり返ると朝顔も濃いピンクの花から、うすいピンクやうす紫へと花の色も少しずつ変化してきました。私自身も朝顔を通していろいろな経験をしました。2 j. B9 ~6 S/ t" S/ Q
二年生のときには、一鉢に一粒か二粒ぐらいまくのが朝顔がよく育つのに、「たくさんまけば、花もたくさん咲くかもしれない。」と思い、一鉢に五、六粒まきました。結果は予想とはずれ、あまり成長せず花も小さく勢いがありませんでした。「よくばったらいけないなぁ。」とつくづく思ったものです。
8 o* F4 x) ~, O+ \% S- r四年生のときには、私が朝起きて見るといつも、咲いています。「朝顔は、いったい何時頃から咲きはじめるのだろうか。」と思い、夏休みの自由研究のテーマにしました。ねむい目をこすりながら午前三時頃から観察しました。四時半にはつぼみがふくらみはじめ、五時半頃にはほぼ満開になりました。少しずつ変化していく様子をまのあたりにし、新しい朝顔を発見した気分でした。" o  Y$ f9 Q6 s- s+ e
また、夏休みには毎年家族で旅行したりして、家を留守にすることもありました。そんなとき、バケツに水を入れ、その中に鉢ごといれ、水分不足にならないように気をつけました。
6 {6 r3 {; Y; j- V+ D9 K6 O* q) s今まで育ててきて一番心配したのは去年でした。種ができかかっていたときに台風が来て、全部倒れてしまいびっくりしました。葉もやぶれ、つるも途中で折れたりと、それは無残な姿でした。
8 n8 y! z1 `5 N& z5 f3 d2 r「わぁ、ひどかったねぇ。」
* U# z# S# q5 c& s& A. g& Aと言いながら、鉢を起こし手当てをしました。根がしっかりしていたので、どうにか元気を取り戻しなんとか種を取ることができました。すごい生命力に、こちらが何か元気をもらったようでした。( l- N  D7 H0 X1 Q+ c
この六年間、朝顔を育てて感じたことは、同じ種でも、芽の出方や育ち方に違いがあるのに気づきました。種をまいて一週間ぐらいで芽を出しどんどん成長していくものもあれば、もう出てこないのかとあきらめていた頃、一ヶ月以上も経過してから、ひょっこり芽を出すものなど様々です。成長の早い遅いはあっても、めざることはただひとつ。きれいな花を咲かせることなのです。
- J  i; T7 Z, u0 \3 k7 }人間も一人一人違ってあたり前。運動が得意な人もいれば、絵がうまい人、話が上手な人、それが不得意な人などさまざまです。いろんな人がいてこそ、自分にないものを他の人から吸収できるし、またそこから自分に広がりが出てくると思います。朝顔をながめながら、: S9 l+ I2 K) s7 v2 R, w! K) a3 S. x
「わぁ、きれいね。」
: t: K) O5 N, y「ほんとね。今日もたくさん咲いたねぇ」
0 y2 P6 m5 R) Y# c) b- e8 }と会話している私の家族の声を聞きながら、朝顔も満足しているのではないかと思います。
+ M: i& W3 l3 `$ ~人間にも朝顔にも共通するところがあるように思えます。きっと朝顔は花を咲かせるという夢をいだいて、ときには厳しい自然にも立ち向かいながら目標を達成しています。私も落ち込んだり悩んだりすることがあるかもしれませんが、自分の夢に一歩近づけるよう努力したいと思います。そして私の夢にも花が咲きますように。
6 L# W# k: d, R今朝も我が家の朝顔は、そよ風に体をなびかせています。
$ ~) Q9 x: e8 X. K+ t* z2 B( g4 N7 O9 g) i6 \6 V
                  
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 楼主| 发表于 2006-7-14 11:46:44 | 显示全部楼层
                        山との出会い
+ L) L* e6 r3 D6 j- F5 s+ t
  ]! ?0 g" c! \1 Zまるで、パレットに絵の具を落としたように、あざやかに彩る山の紅葉を見たことがありますか。一面真っ白な雪景色の中で、コバルトブルーにかがやくオオルリの美しさを知っていますか。山小屋の庭先で、宝石のように光るミドリシジミを、ひとりこっそり見つけたら、どんなに心がときめくと思いますか。8 {7 A% u4 J9 l2 G; z. S
初めて私が富山県の立山に登ったのは、小学三年生の秋でした。山岳写真家の私のおじさんに連れて行ってもらったのです。% B& [; q& K0 w! [4 N) r
『星に一番近い駅』と言われる立山の室堂は、標高二四五0mというものすごい高さにあります。そんな高さの世界では、私の知らないおどろくことばかりでした。そのながめは壮大で、周りの山々を見下ろすと、白いきりが海のように広がっていて山の頂だけが浮かんで見えました。何かとても不思議な感じはしていたのですが、きりだと思って見ていたものは、実は雲だったと知って本当にびっくりしました。まさか自分達の下に雲があるなんて。まして雲よりもっと高い所に自分が立っているなんて信じなれなかったのです。それから、山はすごく寒くて、水は凍るように冷たかったです。うっかり手袋を落としてしまった私は、おじさんに、
" U+ `# U0 }# W1 c# I/ u/ C『山での手袋は、自分の手と同じようなものなんだぞ。』
& x; Z- V4 d8 oと叱られました。そして本当に、冷たさで手がちぎれるように痛かったです。私はその時、ちょっぴり山のきびしさを知りました。
, f# j3 s, T# f4 j7 `立山の秋の紅葉は、その全てが絵ハガキのようでした。赤や黄やオレンジに色づいたナナカマドやカエデ、ダケカンバなどの葉っぱか、お花畑のように見えました。私は生まれて初めて、こんなきれいな紅葉を見たので、感動でむねがいっぱいになりました。そしてこの美しいを写真におさめて、もう一度みたいと思い、カメラを片手に、感じたものを取りながら歩きました。遠くの紅葉もすばらしいのですが、足もとに目をやると、そこにもきれいに色づく植物が木道の脇を飾っていました。私は、雨のしずくにしっとりとぬれた、赤く美しいチングルマのしげみの中に、黄色い葉をもつトリカブトを見つけました。その近くには、オヤマリンドウが、青むらさきの花をつけて、ひときわ美しい咲いていました。大自然の中では、人の命をうばうほどのおそろしい植物も、こんなに美しい花とともに共存しているのだと、おじさんに教えてもらいました。それを聞いたので、カメラでトリカブトを撮る手が少しふるえてしまいました。- R& `, d+ D) ~0 F! ^
「なんでこんなに低い木があるんだろう。このはっている木はなんだろう。」私は、その場に立って、しばらく考えこんでしまいました。するとおじさんが、
- g5 E8 M# H3 l; B% Z「これはね、ハイマツと言って、標高二○○○m以上にしか生えない松なんだよ。」
+ ]: V- \: J$ K+ l/ Kと教えてくれました。私は雪の重みにたえきれず、はってしまったのかなと思いましたが、本当は、強い風がふく高山では、上の方にのびることができず、はうことしかできなくなってしまったからだそうです。
5 Z1 q/ C% I( {0 |冬が近づくとなかなか見るのがむずかしい山の忍者“雷鳥”。きりの中、どうしても見たい!という思いで目をこらしていたその時、きせきが起こりました。私の目の前を一羽の雷鳥がバッと飛び立ったのです。もうびっくりして心ぞうが止まるぐらいドキっとしました。願いがかなったのです。そして雷鳥が飛び去ったあと、急にものすごい雨がザーっと音を立てて降ってきました。雷鳥が現われる時は、天気がくずれるというのは本当でした。いっしゅんの出来事でしたが、その光景を思い出すたび、私の心は今でもときめくのです。: G. g9 b" a* F: x# n! o, J
大自然の中には、さまざまな植物や動物に、やっと出会えた時、感動するのです。私は時々、山に行きたくてたまらなくなります。いつも心がわくわくすることを探しています。そして、どこにそれがあるかも知っています。だから、もし友達で心が傷ついたり、毎日が苦しくてなやんでいる人がいたら、「山に行こうよ。山には自分だけにしか見つけられない宝物がいっぱいあるんだよ。きっと探せるよ。自分が見つけたもの全てが宝物だから。」と、いうつもりです。
! X- H- i( s3 h山と出会えて、本当に良かったです。
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 楼主| 发表于 2006-7-14 11:48:37 | 显示全部楼层
我将每天上传一篇日语优秀作文,希望同大家一起分享一起学习
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 楼主| 发表于 2006-7-14 21:53:49 | 显示全部楼层

+ ?9 a# O3 k' f5 L/ Z1 s% f% {0 N7 s4 s' F
人が、橋を作ったのはいつなのだろう?7 j+ J' E6 R. w3 c! c
人は、橋を作る時何を思うのだろう?9 d0 X- Z* C5 ]5 ?7 s8 d
そして、自分が初めて橋を渡ったのは、いつの事だったろう?
  }  i- x! Q4 Q幼稚園?0 f0 `+ E0 _& o9 Z7 E
小学生?
/ @, T- k& C" `, e% V! Z( I# Iまだ、自我の無い赤子の時?# L. U  `+ p9 `5 P
あるいは、まだ母の体内にいる時に、さまざまな「橋」を渡っていたのかもしれない。「橋」、言葉にするとたった一文字の単語。だが、意識して思い起こしてみると、「橋」というものは自分の周りのさまざまな所に存在している。
0 ^4 a5 Z/ ?8 d: t# z  B川を越えるための「橋」はまさにその典型的な、しかし我々「人」にとって最も必要な「存在」だろう。普段何気なく車や自転車、あるいは徒歩かもしれないが、そこに「橋」がなければ我々は、そこを泳ぐか船を手に入れでもしなければ渡れないのだ。当たり前のだが、改めて考えてみると「橋」というものがいかに大きな存在であるかが自分の心の中にありますと浮かんでくる。
$ ~- u2 \1 r- z* r自分の「橋」の強く残る思い出は、幼い時に祖父と魚釣りに行く時に渡っていた「橋」である。子供心ながら、「早く釣りを初めたい」、「早く着かないかなぁ」などと、炎天下の中、曇り空の中、あるいは、良く晴れた青空の中、祖父と自転車を走らせたのを今でも鮮明に思い出せる。
3 w7 f% F5 D5 u今では、その「橋」は自転車で通ることはもちろん、車で通ることも滅多に無くなってしまった。祖父も昔のように、こんな手のかかる孫を連れて元気に「橋」を渡れる体力はもう無いだろうと思う。いつか、祖父とも別れの時が来るだろう。しかし、思い出は残る。それが自分にとって幸せな事となるか辛い事となるかは今は分からない。
% Y$ G' _0 g! K" Sただ、「橋」という存在によって、自分の中では「確か」な「思い出」を、「橋」のおかげで形成する事ができた。
- y& J0 M: t2 V& F& O人は、いずれ死ぬ。
. I3 \0 L( a) P: U5 a; vモノは、いずれ壊れる。
  b0 j: e" b+ H記憶は、いずれ衰える。* ?) Z& ^( X8 A4 \; }* U6 P/ N9 t0 }
しかし、「思い出」は自分の中では不変の物であると思いたい。自分の中でいつまでも覚えていたい。
# s; H8 w" h8 ?4 l人から見れば当たり前の事があり、自分でもありきたりだとは十二分に承知しているが、誰だって「橋」に対して誰もが何かしらの「思い」を持っているはずだ。
; Z4 i. k( T- n8 I; ?; M1 \自分の、「橋」に対しての「思い」とは、『道だけではなく、人の心と心を繫ぐもの』だと思いました。
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 楼主| 发表于 2006-7-14 21:58:30 | 显示全部楼层
5 K# m5 J6 f  @! K7 B) d

, i; o, N7 c8 N8 L「秋きぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる」――そう、秋はそっと忍び寄って、不意に肩をたたく友に似ている。長い夏休みが終わり、何かとあわただしい一時期がすぎた頃のある日、街を歩いていて、頭の上で街路樹の葉がサラサラと鳴る音に、ふと心ひかれることがある。それは明るく、軽やかで、楽しい呟きとも、語りかけとも聞かれる。それを聞いたとき、私は「ああ、秋がきたのだな」と思う。. K" ~8 A0 x( A( r" V2 [
その頃、気が付いてみると、空はどこまでも青く、とほうもなく高いところに絹糸のような雲が浮いている。空気は澄み切って、さわやかで、一年中で一番よい季節であり、人々は、争うようにしてスポーツや行楽に出かける。
# T5 w/ v" q0 B2 ~6 U7 l4 k+ R9 P, m 秋が進むと、すずかけやポプラなど街路樹が黄色くなり、風に吹かれて散る。散った葉が道路の片隅に吹き溜まりを作る。お茶目な少女が、わざとその吹き溜まりを蹴散らしてゆく。枯れ葉は少女の足元でカサカサと乾いた音を立てる。
8 ^, g8 l& n! w7 [ さらに秋が深まると満山紅葉。散った紅葉が黒ずんだ古池の水面に浮かんで、友禅模様を織り成す。若い女性がそれを見て「まあ、きれい!」と、感にたえた声を発するのであるが、その美しさは実に見事だ。- c8 ~$ H) u/ O% C+ v
夜は虫の声がしげくなる。「秋深くなりにけらしさきりぎりす、床のあたりに声きこゆなり」――。しかしその声は、残り少なとなった秋を惜しむ自然のエレジー(哀歌)としか聞かれない。( }! j1 j6 g$ U1 P* N2 H
夜はまた月が美しい。「明月や池めぐりて夜もすがら」と、美しい月に浮かれ出す人もあれば、「月見ればちぢに心もくだかれる、わが身一つの秋にはあらねども」と、センチメンタルな心境になる人もある。秋は人をさびしく、わびしく哀しい気持ちにもさせるが、それは美しい月のせいではなかろうか。/ P) l: l  J- A  a9 O+ D9 r, c, S3 E
しかし、ともし火のもと、心静かに書をひもとくには、もっともよい季節である。気候もよい、精神も落ち着く。秋はまさに読書の好季節である。清涼の秋!スポーツに勉強に、この秋を有効に過ごしたいものだ。 
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 楼主| 发表于 2006-7-14 22:00:00 | 显示全部楼层
( A, W( _8 ]' W1 p3 |! |6 z' {: W! y

& _1 h3 m1 ?  Q( E) ^ある朝、起き抜けに外へ出てみると、空気はしめりけを帯びて生あたたかく、遠くの山は朝もやの中でかすんで見える。そういう自然にふれたとき、私は「ああ、春はきたのだな」と思う。そこにはもはや、灰色の冬の姿はない、まぎれもなく自然は春である。2 \  G" x  q6 E  c
やがて小川のがぬるみ、つくしが芽を出し、すみれが、かわいい姿を見せる。そして小鳥たちの楽しげな歌声が聞かれ、田園を菜の花やれんげが、黄に赤に美しい色どるようになれば、春はもうたけなわといってよい。空に明るい太陽が輝き、人々はぽかぽかと暖かいその光に包まれ、和やかな気分になり、幸福感に浸る。若い人たちは、明るい色の服を着て街にあふれ、野山に遊び、春を楽しもうとする。春はうれしい季節である。
) Z& j1 @. r$ Xだが、春は何といっても花見であろう。そのころともなれば、花の名所は人出でにぎわい、春何番かの風が砂ぼこりを巻き上げるのも気にせず、人々は春に魅せられたように、花の下で飲み、歌い、踊るのである。夜桜の美しさはまた格別である。ぼんぼりの光に照らし出された桜の花の、なんとなまめかしく、美しいことか。空におぼろ月が出ていて、生あたたかい夜の空気が、そっと頬をなぜれば、私たちはいつしか夢見心地になる。そんなときである、行きかう女性がみな美人にみえるのは。& S4 z/ |& G" G# y+ r) m
しかし花の盛りは、そう長くはない。風もないのに桜の花がバラバラと散り始めれば、春はもう老いたのである。大かたの花が散った枝に、赤茶けたガクだけが残っているのは、いかにも味けない。そして散った花びらは、地上の泥にまみれ、人に踏まれて無残な姿になるのであるが、人々は世事に追われて、もはや花の運命をかえりみようとはしない。ただ春雨が、地上の花びらをいとおしむように、音もなく静かに降るのみである。春の女神の涙のように。
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 楼主| 发表于 2006-7-14 22:02:27 | 显示全部楼层

かけがえのない水

私は、この作文を書くにあたって、「水とは一体何のだろうか?」と改めて考えてみることにしました。
3 X- e$ B0 F+ a$ z6 Z  I/ k まず始めに、ふだん何気に使っている水ですが、私達はいったいどこでどの位の水を使っているでしょう。私達の生活の中で一番を使うのは炊事と洗濯です。家庭で使う水の半分以上にもなるそうです。その次に多いのがトイレとお風呂です。その他にも歯みがきや、草花への水やり、洗車などがあげられます。水道の蛇口をひねるだけで簡単に水は出てきます。そのため、ついむだに使っているような気がします。そこで、私は実際に蛇口から出る一分間の水の量を計る実験をしてみました。まず、水道の下に一リットルの牛乳バックを置き、蛇口を開けます。そして牛乳バックが満杯になるまで何秒かかるか測定します。結果は一リットルの容器が九秒でいっぱいになりました。これをもとに一分間の水の量を計算すると約七リットルの水が流れ出すことが分かりました。私はこの結果に驚きました。自分でも、少しぐらいだから…という気持ちで、多くの水をむだにしていたことを実感しました。
1 V# a2 i5 B, D2 R! E# `# o" q また、日本人の生活使用量について調べたところ、一日一人あたり、三二四リットルもの水を使っているそうです。そして年間五十億立方メートルもの水を消費してしまうのです。この数値には、本当に驚きました。一人一人が心がけることで、多くの水の節約ができるはずです。
' ]" P0 \$ j2 d: ~# Z" |& X(そこで私は、家で自分でも出来る節水について考えてみました)% g0 T' M0 f! C7 W/ \: R6 W$ C
一つ目は歯みがきの時です。水を出すのは口をゆすぐ時だけにします。二つ目はお皿洗いの時です。三つ目は洗濯です。汚れ物が少量しかないときは、ある程度たまってからにします。四つ目はお風呂です。残ったお湯は流してしまわないで、洗濯やそうじの水として再利用できます。このように家庭の中でもいろいろな工夫をしてみることによって、貴重な水をできるだけ大切に使うことができるのです。  J( ]1 d4 t7 j3 n$ [* z! [/ i
最後に、私達が使っている水はどこから来るのでしょうか?地下水はカルキ臭くなく、とてもおいしい水です。その水は、地上四十メートルも下からくみ上げています。その水は、どこからしみ込んできた水なのでしょうか?4 q4 B' k- R8 J$ y  q
そこで調べてみると、海や川、水田、植物の葉などから水分が蒸発し、空気中に出た水分は、やがて雲となり、雨や雪となって地上に降ってきます。地上に降った雨や雪は川や湖に流れていき、また地面の土の間や岩の割れ目を通って地上にしんとうして行く雨水もあります。その水は長い年月をかけて地上の水脈にたどりつき、地下水になりました。地球上の水は九七パーセントが海水で淡水はわずか三パーセントしかありません。その中でも私達が利用できる淡水は、なんと地球全体でも〇.八パーセントだけなのです。私は淡水がとても貴重だということを知りました。; O( ]: F8 }# I
水は地球全体の人々にとって貴重なものです。そのため、できるだけ大切に使わなければならないと思います。人類にとって水は『命の源』であり、また生きていくために欠かせないかけがえのないものなのです。
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 楼主| 发表于 2006-7-14 22:04:13 | 显示全部楼层

輝く水

僕の家の近くには、小さな川が流れている。幼い頃、その川は僕たちの遊び場だった。川には橋がかかっていて、橋の下はわりに水深がある。よく近所の友達と橋から川へ飛び込んで遊んだものだ。川の中には小さな魚やかに、ダニシなど生き物がたくさんいて、僕たちの遊び相手だった。水はとても澄んでいて輝いていた。
  p  o4 p3 e# O6 N: a  J/ Q 中学校二年生の夏、部活動が休みになったその日、子供の頃のことを思い出して僕は久しぶりに川に行ってみた。連日部活動ある中学校では、休日は貴重だ。あのきらきらした思い出に僕は胸を躍(おど)らせていた。' a. K% u3 t1 ]' m5 @( K
川に行ってみて僕はがっかりした。川をのぞいても魚一匹も見えないし、草のかたまりが流れ込んでいて、川の流れが止まっている。そこに洗剤の泡がたまっていて、水は澄んでいるところか、よどんで濁っていた。僕はその場に立ちつくしてしまった。入りたくなかったが、気になって川に下りてみた。よく見ると、ダニシが川のふちにたくさんいた。僕はびっくりした。こんなに洗剤の泡が浮いていてよどんでいる川に、生き物がいるなんて信じられなかった。僕は少し嬉しくなった。ダニシが生きているのだから、草をのけ、水を流してやれば、昔のように魚やカニも、戻ってくるのではないだろうか。7 S& u" G+ w" i( ^' Y0 i
僕はこの川を蘇らせると決意して、次の日曜日、いつもより早く起きて、一生懸命川のそうじをした。流れをとめていた草をのけると川の水はずいぶんきれいになった。僕はこれで川は生き返るだろうと、安心して帰った。. D% v% j8 `( H5 n# X
夕方、気の早い僕は川に魚が戻ってきたか確かめに行った。僕はまたがっかりした。魚がいなかった。草はもうながれこんでいなかったが、泡がまだ流れている。悔しくてたまらなかった。腹を立てながらその泡の流れをたどっていった川から溝(どぶ)へ、そしてその溝をさらにたどっていく。
' A, ^8 [& j; h5 T4 \ 泡を流しているのは、僕の家だった。川に流れこんでいた泡は僕の家のものだった。ものすごく情けなかった。きれいな川を汚していたのは僕の家だったのだ。
" x# Z' i; s6 T! @( c6 Y1 N その夜、僕は母に相談してみた。
8 P/ }5 N% i( P; }& u: j「今日、川に行ったらうちの洗剤の泡が流れよったけえ、できるだけ洗剤の量を減らしてもらえんかね。昔と全然違う川になってしまうたんよ。魚もカニもおらんようになったんよ。」
9 D8 t1 x& D! Z* s4 E- j5 ^母は少し困ったような顔をしていたが、
+ p; R$ b7 e# C$ G4 R# Z# @7 x「わかった。できるだけね。」8 ?' v" z% u# U9 V; t9 ^% R0 y# d
と言ってくれた。それから僕の家では、川のことを考えて生活するようになった。3 E# C: L, r  s2 f# z" I
毎日僕は学校の登下校(とうげこう)の時に川をのぞいて様子を観察した。; p$ ?& c8 \$ `  K  ?  H
しばらくたって、川に下りてみると、泡は全くといっていいほど浮いていなかった。でもさほど大きな変化はなさそうに見える。少し暗い気持ちで水の中でのぞいてみると、小さな小さな魚が数匹泳いでいた。
3 t* h6 y: h, {9 Y9 t! ^! V「オオオオオー!」
  x, U: b: S0 n' u3 r+ e- M% K僕は思わず大きな声を出して驚いた。ものすごく嬉しかった。とても小さな川だけれど、泡が立ってよどんでいた川が、努力で魚が住めるぐらいにきれいになった。% q  n+ n& n5 @; H5 F5 z# |' H
今、年々水質汚染などの環境問題が深刻化している。しかしそれは、人間が使いたいだけ使って、環境のことなんて何も考えていないからだ。/ V) r. f* ?$ h- L6 j
僕はみんなに「水」について考え、知ってもらいたいと思う。少しの努力で輝く水が帰ってくること、輝く水が小さな生き物を育てること、小さな命は僕たち人間の輝く命をつないでことを。おかげさまで生きていることをもう一度肝に銘じて、僕は生活で使う水の一滴まで大切にしていきたいと思う。
; e1 o" j; s. X
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 楼主| 发表于 2006-7-14 22:05:30 | 显示全部楼层
/ m4 S8 t# R2 f/ r! a+ o: Q8 ~
5 }6 I+ m! v& h" L0 F
花は見る人の目を楽しませるだけでなく、こころを清めてくれる。だから昔から花は、しきりに歌をよまれ、詩につくられてきた。花を愛する心は、美しいを愛する心である。美しさを愛する心はけがれのない心を愛することである。かつて暴力学校といわれた東京のある学校では、先生は花だんを作り、生徒に花をうえることを教えたところ、生徒の気風がガラリと変わって、今では模範校の一つに数えられているという。花を愛するものには悪人はない。美しい花をながめていると、心の中のわだかまりは消え、いつしか月のようにすんだ心境になる。玄関や床の間に生けられた一輪の花が、見る人の心をどんなになごやかにすることか。人々が花を愛し、花を育て、日本中が花でうずまったら、どんなに美しいことだろう。そうなってこそ、はじめて平和国家日本が誕生するのである。
4 Y$ j/ Y* `  ~: h% z6 o2 u8 ^0 w1 y( P% H) F
7 D  X. g, }1 F$ h
               私の好きな花+ `6 N9 T# m" R3 B" h
4 |% V& }. C# c
私はつばきの花が好きです。つばきの花の、気どらないところがよいと思います。バラは着かざった都会婦人のようで親しめません。バラはだから花嫁の純白のドレスをかざるにはよいかも知れませんが、日焼けした村娘の髪をかざるのはつばきにかぎります。伊豆大島のアンコが紺がすりをきりりと着て、髪に赤いつばきの花をさしているポスターを見たときなど、いかにも美しいと思います。つがきは都会の花とはいえません。それは静かな、いなかの農家の庭にさくのにふさわしい花でありましょう。
; j3 K  B1 A! |5 O$ Y. {ほかほかと温かい小春びよりの日、眠くなるような水車のゴトン、ゴトンという音を聞きながら赤くさいたつばきの花を見ていると、ついうっとりと夢見ごこちになります。そんなとき「つらつらつばき、寒つばき…..」の詩が思い出されて、一そうつばきが好きになる私です。
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 楼主| 发表于 2006-7-14 22:06:05 | 显示全部楼层
ぶどう
# ]- N1 y3 T! ^  c2 {5 y
6 m9 G& z1 U6 U( j2 J長い夏が終り、すず風がたちはじめるころ、まず私たちの目にふれるのが、ぶどうである。大きなつぶのぶどうが出ると、「おや、もうそんなに大きくなっていたのか」と驚かされる。そのころ、ぶどうとともに、秋の味覚を代表するカキは、まだ十分に熱していない。だから、ぶどうは秋の先ぶれのくだものである。
+ q& E& {+ C% I, N/ k/ U一つ、つまんで口へ入れる。ぶつっとつぶすと、甘すっぱい味が口の中に広がる。その味を味わいながら、「もう秋だ」と、しみじみ思う。ぶどうの味はさわやかで、身も心もすみわたる秋の季節には、いかにもふさわしい。また一つ、つまむ。そして、「勝沼や馬子もぶどうを食いながら」という句を思い出す。秋の峠をチャラン、チャランと馬の鈴を鳴らしながら、馬子は行く。空は晴れ、高い高いところに一片の白い雲。南方はるかに、雪をいただいた富士の姿――そういう背景があってこそ、馬子のたべるぶどうも生きてくるのである。ぶどうは、やはり秋を代表するくだものである。6 g6 P( Y- w6 k- f- e; }" t3 j8 ~2 b

$ c# S7 u4 P2 u4 c& p7 H6 j! Q4 D8 z1 d, w& r
                    泉
: T: _5 X* D, c4 |  V
- U# k" A; Q) D- B1 F山で働く父の仕事を手伝いに行ったとき、ぼくは帰りには、そこの泉のところで一休みすることにしている。暑い日は水を手ですくって飲む。ふちの石にかがんで手をさしのべると、汗ばんだぼくの顔が鏡のように写った。水は手の切れるように冷たく、たいていは人かげもなく、いつも静かだった。
$ D- t1 u, O2 S: k' E" Xあるとき、リュックをせおって若い男女が泉のほとりで休んでいた。女の方が突然、足を水の中へ入れ「おお、つめたい!」、黄色い声をあげた。ちょうど通りかかったぼくは思わず大声で「やめて下さい。それはみんなが飲む水です。」といった。若い女はぼくの方をみて「ふん」といって立ち去った。ぼくはむしょうに腹がたった。$ o% v1 I8 g, z- E/ g9 l
それから間もない日のこと。山路を降りてきて、ぼくは「あっ」と驚いた。泉のふちの石の上に、ピカピカ光るま新しいひしゃくが置いてあるではないか。それを見て「世の中には悪い人ばかりはいないのだな」と、つくづく思った。こんどは非常にうれしかった。
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 楼主| 发表于 2006-7-14 22:07:45 | 显示全部楼层
川からのプレゼント+ ?/ h+ K3 O- a* q
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私にはよく行くプールがあります。そのブールは、河川プールです。夏の間、川をせき止めてつくられる自然のブールです。私たちはみんなこのプールが、毎日のように泳ぎに行きます。この川は、フナやハヤ、ドンコ、ドジョウ、そしてアユまでいる、とってもきれいな川です。' [$ k1 V9 J# }) E8 k
そしてこの川がもっとすごいのは、オヤニラミがいることです。オヤニラミは白と黒の熱帯魚のような魚です。初めてこの魚を見つけたとき、私はすごく感動しました。なぜならその魚は体の色が変わるからです。私はこの不思議な魚のことが知りたくて、その日、図鑑で調べてみました。するとすごいことが書いてありました。なんとそのオヤニラミは、水の澄んでいるきれいな川にしか生息しない珍しい魚だったのです。私はまた感動しました。そして私はこの川が大好きになりました。
0 y$ g4 K5 Y6 i3 u1 N1 V' K& }次の日川に行くと、遊びにきたらしい親子連れを見つけました。この町では見かけない人たちです。ホタルで有名な私の町には、自然を求めて遠くからよく人々が訪れて来ます。お母さんらしい人が「この町の人?この川はきれいだね。」と声をかけてくれました。やっぱりこの川はだれが見てもきれいなのです。なにしろオヤニラミがいるくらいなのですから。私は気分よくなりました。5 J% Q' a6 R, f8 s! h6 w
しかしそれはつかの間のことでした。その後、その家族はバーベキューをして、ゴミを散らかして帰っていったのです。ジュースの残りを川に流し、土手にビニール袋を捨てて。私は、頭にきました。たったさっき、この川をきれいと言ったじゃないか。この川をきれいだと思う人なら、ゴミを持ち帰るのがあたりまえではないのか。私はそのゴミを拾って帰りました。
' ^6 v8 c" ]4 T' [! }' p0 _7 K家に帰るとき、私は悲しさと悔しさでむしょうに腹を立てていました。あの人たちがゴミを捨てているとき、
8 ]- g) V+ y3 o( U; c「そこに捨ててはいけません。」' \3 r3 S, m: _, `
そう言えばよかったのです。でも私にはそれが言えませんでした。私は自分の町の、オヤニラミが生息する美しい川を、守ることができなかったのです。
% A5 T7 D& A+ q! M7 ]7 ^- e次の日、川は何事もなかったように流れ、魚が泳いでいました。オヤニラミも他の魚も元気でした。私はすごくほっとしました。川は何もかも受け止めて、流れてくれるような気がしました。けれど、河原や土手に目をやると、昨日はなかった花火のカスと空き缶が落ちています。私がどんなにがっかりしたかは言うまでもありません。1 F+ q- K* a5 F  o- N6 y! A! m9 v" F
私はその日もゴミを拾い、川に入りました。岩のそばで、動く石を見つけました。それは両手に毛のようなもじゃもじゃの藻をつけた二十センチもあるカニでした。家に帰ってその話を父にすると「それはもくずガニっていうんよ。おいしいカニなんよ。」と教えてくれました。
4 e+ c& x$ Q3 i" Z次の日、私は綱を手に、三十分も格闘して、五匹のもくずガ二をつかまえました。もくずガ二は海のカニでは味わえないおいしさで、家族でそのおいしさや昨日からのできごとを話しながらいただきました。
3 ?4 [! s& F+ g$ `6 i8 P私は川からたくさんのプレゼントをもらっています。人と川はこうして一緒に生きて生きていかねばならない、と私は思います。川を守っていけば、川は自然の恵みを私たちに与えてくれます。昔からこんなふうに自然と人間は生きてきたのだと思います。
6 f- q& ?. \& r豊田町の自然を求める人たちに、私はマナーを守ってほしいです。豊田を訪れた人たちが、豊田の美しい自然の中で、自然と一緒に生きることを考えてくれたら、うれしいです。
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 楼主| 发表于 2006-7-14 22:08:02 | 显示全部楼层
水からの知らせ
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5 e" F8 e6 H7 U2 c先週末、父が職場の友人から、真っ白なザリガニの子を四匹もらって帰った。父は、昔熱帯魚を飼っていた水そうを引っぱり出し、家の近くを流れる島田川の水や小石を一緒にとりに行き、アクアリウムを作った。その中に四匹のザリガニの子を入れた。ザリガニはなんでも食べられるけれど、水質の悪化には弱く、フルアクアリウムといって、水そうには水をいっぱい入れるのだ。本来は、水の中で魚と同じようにエラで呼吸しているから、陸地など必要なく、水の管理さえきちんとしていれば何度も脱皮をして、大きくなっていくのだと父が言っていた。水の中の、わずか二~三センチのザリガニの子をみていて、私はあらためて水と私達を含めた、地球上の生き物の生命について考えさせられた。4 M, T8 W  I! J0 \5 _! }( k
地球が誕生して、四十六億年といわれる。そして、この地球上に生命が海の中から誕生して、今日までいろいろな生き物がくらしてきている。
" r' F: R3 g3 e; T" sたとえ大陸の奥の砂漠であっても、空気中のほんのわずかな水蒸気が冷えた水滴を上手に集めて、水分をとっている昆虫の姿をテレビで見たことがある。池や湖の一滴の水中にも、さまざまなプランクトンの姿が見られることも、理科の学習などで知った。( Q# X' R7 r& Q3 S/ w
私達の体は、七十パーセント以上がみずだそうだ。ごはんは食べなくても、数週間は生きて行ける。しかし、水がなくては一週間も生きていけないと聞いたことがある。
9 u4 s, n" b7 x) S; d6 n) @' Kこのように、水は生命にとって欠くことのできないものである。しかし、日常生活で、いつも大切に思っているわけではないのだ。つまり、ムダに水道から流したり、ゴミを川の中に投げいれたりのが、私達人間なのだ。, U5 Z1 b" m6 D! B
何ヶ月か前、美弥の工場かた有害な物質が川に流れ出て、魚が死んだだけでなく、下流の地域の人たちは、数日間その水を使うことも、飲むこともできずに、給水をうけていたニュースを思い出した。また昔、川の上流の工場から、カドミウムという毒や水銀や、ヒ素という毒が川に流れこみ、その水を飲んだり、魚を食べた人たちが、重い体の障害を受けたり、死んでしまったことがあったそうだ。2 x7 @4 O8 S: ?! [( G* T
地球上の水は、雲―雨や雪―川―海―雲というふうに循環している。そのサイクルの中に、私達人間や、多くの生き物たちがいるのだ。その中に毒を入れれば、それはまわりまわって、人間や多くの生き物に害をあたえることになる。
# G$ D0 K3 N5 J$ i* s) |( |* H地球は、水の惑星と呼ばれている。宇宙から見た地球は、まっ黒な中で、青く光っている。この地球上で生きている私たちは、その大部分をしめている水の大切さを、もう一度考え直し、大切にしていかなければならないと思う。" I6 d" f0 {4 O2 |
昔はたくさんいたザリガニも、農薬のせいで、今日はほとんど姿をけしているそうだ。そんな私たちの身近な所の川の中の生き物の姿が、私たちに水の大切さを訴え、考えさせるのだと思う。そして、水の大切さと、水によって生かされている私たちの生命について、いつも頭の中にきざみこんでいかなければいけないと思う。' R# ~$ u, M9 m; z$ K4 ^3 T/ o( B  e
水は時に災害をもたらし、私たちを苦しめることもある。しかし、それは、自然の中で生きているのだから、仕方のないことである。しかし、その中で生きている私たちは、その自然も、自然の中の生き物も、もっと大切にしていかなければいけないと思う。
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发表于 2006-7-16 05:17:18 | 显示全部楼层
哇 这么多呀
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发表于 2006-7-16 05:17:47 | 显示全部楼层
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发表于 2006-7-16 05:18:07 | 显示全部楼层
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