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【天声人語】2006年10月26日(木曜日)付
英国のジェーン・オースティンの小説で、若い女性が歴史について語る場面がある。「八分通りは作りごとなのでございましょうに、それがどうしてこうも退屈なのか、私は不思議に思うことがよくございます」。この言葉が、「歴史は現在と過去との対話だ」と述べたE・H・カーの著書『歴史とは何か』の扉に掲げられている(岩波新書・清水幾太郎訳)。
英国作家简奥斯汀的小说其中一幕描写了一个年轻女性讲到历史时说到:「分明有8成是杜撰出来的、可为什么这么枯燥呢?我经常会觉得不可思议。」
后又有爱德华.霍列特.卡尔在他所著『历史是什么』的扉页解释到这个词时说:「历史是现在和过去的对话」。(岩波新書・清水幾太郎訳)
退屈な作りごとにせよ、過去との対話にせよ、歴史を知ることは、現在を考え、未来を思うためには欠かせない。人生の必修科目の一つかもしれない。
不管历史是枯燥、亦或是与过去的对话、了解历史都是我们思考现在、展望未来时不可或缺的人生必修课之一。
日本の高校で、世界史が必修になったのは94年だった。日本史など他の科目との絡みで議論があったが、若いうちから世界史を学ぶのは大切なことではある。
日本从1994年开始、规定世界史为高中必修课。当时因为世界史与日本史等其他科目某些关联产生了一些讨论、但毕竟趁年轻时学习世界史有其充分的必要性。
その必修の世界史を教えていないのに教えたことにしたり、教えたことにして県教委にうその報告をしたりしていた高校があることが、相次いで明るみに出た。このままでは卒業出来ないと知った生徒たちの衝撃は大きかっただろう。
其间某些高中在没有教授世界史的情况下却向县教委谎称开了这门课程等类似现象被相继揭露出来。此时被告知因此不能毕业对学生们的打击之重不难想象。
問題の裏には、入試対策があるという。実際に受験する科目に絞って勉強したいとの気持ちが生徒の側に強いのは、分からなくはない。しかし、それを教える側までがやみくもに認めるのはおかしい。
据说发生这种问题的背后原因在于升学考试。学生们希望有目的性的只学有实际考试的的科目的心情也不难理解。但学校方面的认同行为也着实莽撞。
受験まで数カ月しかない。履修には50分授業が70回必要だという。受験に絡まない勉強を受験の間際にするのは、つらいかもしれない。しかし、やるしかない。学校も全力をあげて生徒たちを支援するほかはあるまい。学習指導要領の定めが妥当なのかどうかは、いずれ検討するとしても。
距升学考试还有屈指几个月。学完这门课程又需要有70堂每堂50分钟的课时。在就要考试之时学习与考试无关的东西或许很枯燥。却也别无他法。不论学校方面再怎么下力气研究学习和指导要领是否妥当、他们都只有全力支援学生们这一条路这点无法改变。 |
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