080113 埃德蒙•希拉里爵士去世
世界最高峰の頂上はやはり特別な場所なのだと、登山家の田部井淳子さんの話を聞いて思ったことがある。田部井さんは女性で初めてエベレストに登った。1979年に、それまでに登頂に成功した女性3人を招いた催しがあった。
听了登山家田部井淳子女士的话后,我曾想,世界最高峰的峰顶还真是个特别的所在。田部井淳子女士是登上额菲尔士峰(注:即珠穆朗玛峰)的女性第一人。1979年,曾举办过一个,有登过此峰的三名女性参加的节目。
「なぜエベレストをめざしたのか」。司会者の問いに、中国人女性は「国家と人民の名誉のため」と答えた。ポーランド人女性は「女性の勝利のために」と語ったそうだ。名誉や勝利に値したのは、ひとえに「世界最高」の形容詞ゆえだろう。
“为什么要攀登额菲尔士峰?”。针对主持人这样的问题,中国女性的回答是:“为了国家和人民的荣誉”。波兰女性回答道:“为了女性的胜利”。之所以得配“荣誉”或“胜利”,是全仗着“世界最高”这一形容词吧。
その場所に人類初の足跡をしるしたエドモンド・ヒラリー卿が、故郷のニュージーランドで亡くなった。登山がナショナリズムと結びついていた20世紀半ば、「大英帝国」の威信を背負っての初登頂だった。
首次在那里留下了人类足迹的埃德蒙•希拉里爵士,在他的故乡新西兰去世了。20世纪中期的那次带有民族主义色彩的人类首次登临,是背负着“大英帝国”的威望的。
養蜂を営む家に生まれた。登頂記『わがエヴェレスト』によれば、養蜂は、日々緊張しながらも、きっと豊作だと夢を抱いて、長い労働に耐える仕事だという。幼時から手伝った家業が、細心にして楽天家という、登山家向きの性格を養ったようである。
希拉里爵士出生在一个以养蜂为业的家庭。根据他的登山日记《我的额菲尔士峰》可知,养蜂虽然每天都很紧张,却是一分怀着必定丰收的梦想,值得长期劳作的工作。从小就参与之中的家业,造就了他谨慎而又乐观的,适合于当一名登山家的性格。
頂上アタックでは“二の矢”だった。1次隊が断念してめぐってきた機会をものにした。すべてを眼下に見ながら、多くの登山家を退けてきた世界最高峰が「気持ちよく円みを帯びた頂を持っていてくれた」ことに感謝したそうだ。
挑战顶峰实乃“第二支箭”。第一组放弃后,他抓住良机才取得了成功。据说,在俯瞰一切的同时,他曾感谢这个令多少登山家望而却步的世界最高峰“有着一个舒适的园型峰顶”。
ヒラリー卿が小さな十字架を置いて去った頂を、半世紀あまりで約3500人が踏んだ。とりわけ近年は大衆化が著しい。温暖化も進む。人為に痛めつけられるヒマラヤを、最後まで気に病んでいたという。
这个希拉里爵士留下了一个小十字架后离去的峰顶,在半个多世纪中已约有3500人踩踏过了。特别是近年来,大众化的趋势很明显。温室效应也是日益加剧。据说,他在临终之际还在为喜马拉雅将遭人为破坏而深感忧虑。 |