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1運命のゴビ砂漠
果てしなく続く、ゴビ砂漠。滑らかな曲線。風に舞う砂塵。砂の表情は美しい。しかし、砂は狂暴な牙を持つ。町を飲み込む(吞噬)砂嵐。家や田畑を砂が覆い尽くす。砂漠化が進む中国。毎年、百万人が暮らしの場を奪われていた。立ち上がったのは95の日本人だった。砂漠に百万本のポプラを植え、森に返る前代未聞のプロジェクト。「夢に駆けよ。」5000人の日本人が続いた。バブルにて疲れた社長が駆けつけた。窓際(被冷落)のサラリーマンも勝負に出た。しかし,想像を絶する世界が待っていた。砂は70度。灼熱の太陽が照りつけた。掘れば崩れる蟻地獄。困難を乗り越え、育てたポプラ。そこに突然の洪水を襲った。
不毛の大地 襲うの砂嵐 95歳の執念 日本人砂漠に挑む 心の闇 窓際族 天命はどこにある 悪魔の傷 謎の死 非情の洪水 絶望 やればできる、やらなければできない 育てポプラよ
女:よ、素敵ですね。御伽噺(おとぎばなし)みたい。
男:ねえ、砂漠はねえ、自然環境の厳しさはらくだを見てわかれるんです。このこぶ(驼峰)はね、食べるものは少ないために、脂肪をここで蓄えるんですね。
女:この顔にも砂漠に生き抜く工夫があるんですね。
男:まつげが長いです。耳の中に毛が生えている。この砂嵐で、砂を入るのを防ぐのね。それから、鼻の穴を自由に窄めることもできる。それだけね、ラクダの体を進化させ、しまうほど砂漠の自然環境というのが厳しいんです。
女:はい。プロジェクトX挑戦者たち。今日は中国ゴビ砂漠の緑化にたちあがった国際プロジェクトの物語です。中国では毎年、実に、東京都一つ分が砂漠化しています。そこにポプラ百万本を植えようと挑んだ人々のプロジェクトです。
男:挑戦したのは95歳の日本人の男性と5000人のボランティアの方々です。参加した人それぞれ人生を変えるほどの厳しい戦いになりました。
昭和47年(1972年)国交が回復した中国からパンダがやってきた。全国で熱狂的なパンダブームが沸き起こった。そのころ、ひっそりと暮らす男がいた。遠山正瑛。当時65歳。鳥取大学を退官したばかりだった。長い老後の生き方を考えあぐねていった。どうしても行ってみたい場所があった。国交が結ばれた中国だった。中国は国土の砂漠化に苦しんでいた。毎年、東京一つ分の土地が砂漠になっていた。遠山は鳥取砂丘で戦ってきた男だった。終戦直後、そこは作物の育たない不毛の土地だった。水をかけても、砂が吸い尽くし、嫁殺しといわれていた。遠山は山梨の貧しい寺の生まれ、園芸学の学者として食糧難を救いたかった。もろ肌脱い(はだぬい)で、砂丘に立った。毎日重い水受けを担ぎ、通った。県や農林所の役人は笑った。砂丘で農業ができれば、太陽が西から昇る。砂地での農業のやり方を必ず見つけてみせる。その姿に学生たちが手伝い始めた。農家も集まり、教えを求めた。遠山はスプリンクラー(旋转式灌溉设备)を日本初めて導入、ラッキョウ(韭菜)、長薯、大根、砂地を畑に変え、遠山は砂丘の父と呼ばれた。「苦しんでも、やらなきゃいけないと言う目標があるんだ。物事やってみにゃ、わからんだ。やらずにおいて考えるだけだめなんです。」
1984年、77歳になった遠山は中国に向かった。各地で砂漠化が進んでいった。町を砂嵐が襲っていた。太陽を隠し、田畑を埋めた。鳥取とは比べ物にならなかった。毎年百万人が暮らしの場を奪われているとした。武者震い(激动,兴奋)がした。「ようし、これならやりがいがあると一生の仕事にもなる。目標のない人生は闇だ。ただ生きてるだけ。」遠山には秘策があった。クズの種。成長の早いクズを植え、砂の移動を食い止める。中国の研究者の協力を得、二日がかりで、クズの苗3000本を植えた。「クズよ芽を出せ,大きくなれ。」しかし、苗は翌朝、すべて消えていた。放牧の飢えた羊の仕業(しわざ)だった。草がだめなら,木だ。乾燥地に強いポプラを百万本植える途方もない計画を立てた。挑戦の舞台はゴビ砂漠の一角クブチ砂漠、四国ほどの大きさだった。鳥取砂丘で戦った若き日を思った。「やればできる、やらなきゃできない。」91年2月、有志が集い、東京に事務局を開設、全国から植林ボランティアを募集した。気軽に参加できるよう八日間のツアーとした。予想を超えて60人の応募があった。
福島県郡山市、造園会社の社長、塩田修二。忙しい毎日に疲れ、息抜きのつもりで応募した。「砂漠に木を植えようとみたいだね。新鮮だよね。まあ、とにかく,あのう、一遍見てこようぜって。」会社員、主婦、学生さまざまなメンバーが集まった。現地まで50時間の旅。砂漠が近づくにつれ、みな観光気分ではしゃいでいった(欢闹)。遠山は黙り込んでいた。クブチ砂漠に到着。砂漠がとてつもなく広かった。突然砂塵が渦巻いた。こんなところに植えるのか。みんな言葉を失った。そのとき遠山が声を発した。「5年間で百万本の木を植える。裸の大地に緑の服を着せよう。」塩田は唖然とした。「あ、後ずさりするような、そんなふうな気持ちだったね。ほんとに自分たちがねえ、こういうふうなところをあのう植林するのかと」この旅が塩田たちメンバーの人生を変える戦いになるとはまだ誰も気づいていなかった。
女:ここがゴビ砂漠です。世界で三番目に広い砂漠になります。この中の一角に四国ほどの面積のクブチ砂漠がありまして、ここに百万本のポプラの苗を植えようという計画なんです。
男:ちょっとこの砂を見てください。これ、砂漠の砂です。
女:きめが細かいんですよね。こんな見たいにさらさらさらってしていますね。
男:って砂漠、風が吹くとすぐこの砂嵐になるんです。
女:はい
男:日本に来る黄砂。
女:はい。
男:これが飛べるんですよ。ええ、はるばると。
女:ってそこに植えたのは厳しい環境でも育つと言うポプラの苗なんですね。苗の時はこんなに小さいですが、三四年で、たた三四年で、こんなに大きく育ちます。
男:ひろく大地に根を張るもんですから、水分を吸収しやすい。
女:はい。
男:そうですね。それに成長早いですね。
女:さて、植林を始めるメンバーたちの前に、砂漠の厳しい自然が立ちはだかります。
広大の砂漠で植林が始まった。日差しから身を隠す場所はなかった。砂は70度に焼けていた。観光気分は吹き飛んだ(飞到九霄云外)。掘っても掘っても崩れ落ち、腕がしびれた。まるで、あり地獄だった。砂嵐が起こり、みな顔中を覆った。とんでもないものを見つけた。人の骨だった。かつて、日本軍が攻め込み、戦闘があった現場と知った。気がつくと地元の人が訝しげに(可疑的)見ていた。作業の手が止まった。そのとき、遠山が号令を走った。「おい、はじめ、はじめはじめ。」遠山はこのとき84歳。自らスコップ(铁铲)を振るった。その姿を見つめる男がいた。造園会社社長の塩田だった。塩田は植木職人から身を起こした。バブルの時代が塩田をやり手の社長に変えた。次々とできるゴルフ場に木を植え、芝生を張った。面白いように設けが転がり込んだ。もっと働けと社員を怒鳴り、鬼社長といわれた。一日17時間働き、夜は酒。ついに体を壊した。気分転換のつもりできた砂漠だった。老いてなお、先頭に立つ遠山を見て、眠っていた職人の血が目覚めた。みんなに声をかけ、植え方を教えて回った。
砂に埋まったバスを汗を流して仲間と押した。砂漠の中で自分がちっぽけ(小的,不起眼的)な存在に思えた。「ほんとにあのう、砂丘のねあのう、こんなところにひっくりがえして、あのう満天の星を見る、本当だよ。スーってこんな気持ちがねえ、吸い込まれるように」2000本のポプラを植えて、塩田の八日間の旅は終わった。日本に戻った塩田に家族は目を見張った。鬼社長が恵比須顔になっていた。「ストレスなんかなくなってしまって、元気になってくるんですね。好きなことしてると、丈夫になるもんだね」
クブチ砂漠。遠山はポプラの苗を見つめていた。ボランティア植えた木が1年間でわずか8000本。このままでは目標まで100年かかる。ある日,枯れたポプラを見つけた。不思議な傷跡が次々と見つかった。誰がやった。激怒(げきど)した。放牧のヤギに仕業だった。大切な木をなぜ食わせるのか。飼い主の中国人の家に乗り込んだ。泥作りの家だった。現れた男が言った。木を見ていても、飯は食えない。遠山は思案した。この地の人にも植林の大切さをわかってほしい。手伝ってもらえれば、森作りのスピードも上がる。
[ 本帖最后由 caycay 于 2008-1-15 21:57 编辑 ] |