咖啡日语论坛

 找回密码
 注~册
搜索
查看: 2158|回复: 3

[天声人语] 080206雪,能小看吗

[复制链接]
发表于 2008-2-6 23:58:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
080206雪,能小看吗

きのうの本紙川柳欄の〈雪国にごめん都の三センチ〉に、思わずにやりとした。わずかな雪で交通機関は乱れ、転倒者が続出する。作者は埼玉の人らしい。雪深い地のたくましさを思い、いささかの自嘲(じちょう)を込めて詠んだとお見受けした。

昨天本报的川柳栏所载的“愧对雪国的都市三公分”,不由地使人一笑。就那么一点点的积雪竟造成了交通混乱,不断地有人滑倒。作者似是埼玉县人。作品传达了作者相对于遥想雪国剽悍的些许自嘲。思えば、雨や風に対する受け止め方は、日本中、そう違いはない。10ミリの雨は、どこに降っても「10ミリ」だろう。5メートルの風もしかりである。しかし雪は、暖地なら数センチでニュースになる。片や豪雪地なら、この程度はチリが舞ったほどでしかあるまい。

  想来也是,对于雨或风的反应,在全日本都无甚差别。10毫米的雨,下在哪里都是“10毫米”。风速5米的风也是如此。可雪就不同了,在气候温暖的地方下几公分就成新闻了。而在另一些地方或多雪的地方,这种程度的雪只能算扬了点灰。
江戸時代の越後人、鈴木牧之(ぼくし)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』には、雪の激しさと暮らしの労苦のさまが詳しい。〈されば暖国の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興のたのしみは夢にも知らず〉。雪を恐れ、そして畏(おそ)れる心情を、言葉を尽くして説いている。

在江户时代的越后人,鈴木牧之所著的《北越雪谱》中,详细记录了雪之凶猛和生活的艰难。“做梦都想不到,能似暖国之人一般赏初雪而吟咏冶游”。将对雪的既恐惧又敬畏的心情表达得淋漓尽致。その雪を甘く見たのだろうか、冬の山から報道が相次いだ。長野のスキー場では、大学生2人が雪崩で亡くなった。広島ではスノーボーダー7人が吹雪の中で行方不明になった。こちらは幸い、全員無事に見つかった。

  或许是小看了风雪的缘故吧,来自冬日山野的报道不绝于缕。长野滑雪场,有2名大学生葬身于雪崩。广岛,7名滑雪板滑雪者在暴风雪中失踪。幸好这次后来被找到了,并且全都安然无恙。
吹雪と雪崩は難儀の双璧(そうへき)だと、『北越雪譜』は言う。現代の管理されたゲレンデも変わりはない。まして一歩踏み出せば、豪雪に慣れ育った人々をも葬ってきた、ごまかしのない純白の世界である。

《北越雪谱》里就说暴风雪和雪崩是雪难双凶。这对于现代化管理的滑雪场来说也依然如此。若出了此范围,则即便是在冰天雪地中长大的人也常常难逃厄运。雪野,真是个糊弄不得的白色世界。
雪氷学の草分けだった中谷宇吉郎は、状況次第で様々に姿を変える雪を「天から送られる手紙」と呼んだ。それを悲しい手紙にしてしまってはなるまい。うっすら3センチの都会でも、白銀の招くスキー場でも、甘く見るのは禁物である。  冰雪学的创始人中谷宇吉郎,将在不同情况下变换着身姿的雪,称做“上天寄来的信”。可不能将它变成了凶信恶报。无论是薄薄3公分的都市,还是银色世界的滑雪场,掉以轻心都是绝不允许的。

相关链接:

中谷宇吉郎「雪的科学馆」
雪是天上寄来的信•••这是中谷宇吉郎留下的名言。这位出生于片山津的科学家在世界上首次做出了人工雪。中谷宇吉郎博士多才多艺,还创作了许多随笔和电影作品。科学馆用映像和观察装置展示了博士多方面的业绩。建筑物和茶室是由矶崎新设计的,从这里眺望的白山非常美丽。还有人工制作钻石雪的装置。在这里可边玩边了解科学。

[ 本帖最后由 华南虎 于 2008-2-7 14:24 编辑 ]
回复

使用道具 举报

发表于 2008-2-7 00:07:04 | 显示全部楼层
哈哈   华南虎大哥  新春快乐
给您拜年了
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2008-2-19 15:25:45 | 显示全部楼层
迟来的辞岁问候。

华南虎先生和简妮芙桑----新春快乐!

天声人語
2008年02月06日(水曜日)付
▼きのうの本紙川柳欄の〈雪国にごめん都の三センチ〉に、思わずにやりとした。わずかな雪で交通機関は乱れ、転倒者が続出する。作者は埼玉の人らしい。雪深い地のたくましさを思い、いささかの自嘲(じちょう)を込めて詠んだとお見受けした
  
与昨日本报川柳栏的“报以雪国几分歉,都会雪深三公分”这句川柳,我不由得哑然失笑。才因薄薄的一层雪,就造成交通运输混乱,跌倒者层出不穷。写这川柳的作者貌似琦玉人。从川柳中可以看出,作者忆起积雪深厚之地的艰难,于是溶入些许自嘲之意而咏叹出此川柳。

▼思えば、雨や風に対する受け止め方は、日本中、そう違いはない。10ミリの雨は、どこに降っても「10ミリ」だろう。5メートルの風もしかりである。しかし雪は、暖地なら数センチでニュースになる。片や豪雪地なら、この程度はチリが舞ったほどでしかあるまい

想起来,对风雨的理解方式,整个日本的各个地域,并无大异。10毫米的雨水,无论降在哪里,不都是10毫米么?时速30公里(秒速5米)的风也是如此。然而雪,与温暖的地域而言,却可成新闻。另一方面,与下暴雪的地域而言,这种程度的积雪不过是灰尘飞舞罢了。

▼江戸時代の越後人、鈴木牧之(ぼくし)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』には、雪の激しさと暮らしの労苦のさまが詳しい。〈されば暖国の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興のたのしみは夢にも知らず〉。雪を恐れ、そして畏(おそ)れる心情を、言葉を尽くして説いている

江户时代的越后人(注:日本地区的叫法,类似中国的关东,岭南等)鈴木牧之的《北越雪谱》一书中,详细的记载了风雪的强烈以及生活劳苦的光景。“如此说来,(深处寒地之人)做梦都未曾想过,如同暖地之人般观雪吟诗而享游兴之乐。”此话,极尽语言的描述出北国之人恐雪,畏雪的心情。

▼その雪を甘く見たのだろうか、冬の山から報道が相次いだ。長野のスキー場では、大学生2人が雪崩で亡くなった。広島ではスノーボーダー7人が吹雪の中で行方不明になった。こちらは幸い、全員無事に見つかった

莫非是轻视了这场雪?来自冬季山里的报道不绝于耳。在长野的滑雪场,2名大学生因雪崩而丧命。在广岛,SnowBoarder(滑雪)7人在风雪中行踪不明。所幸的是,这边7人全部安然无恙的被发现。

▼吹雪と雪崩は難儀の双璧(そうへき)だと、『北越雪譜』は言う。現代の管理されたゲレンデも変わりはない。まして一歩踏み出せば、豪雪に慣れ育った人々をも葬ってきた、ごまかしのない純白の世界である

《北越雪谱》将风雪和雪崩说成是“苦境双璧”。现代的在管理下的坡地滑雪场也无改变。这是一片毋庸置疑的纯白世界,一旦迈出一步,哪怕是习惯了在大雪中成长起来的人们,也会不断被葬送。

▼雪氷学の草分けだった中谷宇吉郎は、状況次第で様々に姿を変える雪を「天から送られる手紙」と呼んだ。それを悲しい手紙にしてしまってはなるまい。うっすら3センチの都会でも、白銀の招くスキー場でも、甘く見るのは禁物である。

曾为冰雪学先驱的谷宇吉郎先生,将因天气情况而不断变换模样的雪花说成是“来自天堂的信件”。其实也不至于将雪花认定为“悲伤的来信”。无论是在下着薄薄3公分积雪的都市,还是银装素裹的滑雪场,轻视雪花乃为大忌。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2010-10-3 16:35:09 | 显示全部楼层
“ごまかしのない”似即“诚实无欺”的意思。

楼上二位不知缘何一个译为“糊弄不得”,一个译为“毋庸置疑”?

“ごまかしのない純白の世界”似可译为“诚实洁白(纯洁)的世界”。
回复 支持 反对

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 注~册

本版积分规则

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2025-6-23 21:09

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表