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发表于 2008-2-19 15:25:45
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迟来的辞岁问候。
华南虎先生和简妮芙桑----新春快乐!
天声人語
2008年02月06日(水曜日)付
▼きのうの本紙川柳欄の〈雪国にごめん都の三センチ〉に、思わずにやりとした。わずかな雪で交通機関は乱れ、転倒者が続出する。作者は埼玉の人らしい。雪深い地のたくましさを思い、いささかの自嘲(じちょう)を込めて詠んだとお見受けした
与昨日本报川柳栏的“报以雪国几分歉,都会雪深三公分”这句川柳,我不由得哑然失笑。才因薄薄的一层雪,就造成交通运输混乱,跌倒者层出不穷。写这川柳的作者貌似琦玉人。从川柳中可以看出,作者忆起积雪深厚之地的艰难,于是溶入些许自嘲之意而咏叹出此川柳。
▼思えば、雨や風に対する受け止め方は、日本中、そう違いはない。10ミリの雨は、どこに降っても「10ミリ」だろう。5メートルの風もしかりである。しかし雪は、暖地なら数センチでニュースになる。片や豪雪地なら、この程度はチリが舞ったほどでしかあるまい
想起来,对风雨的理解方式,整个日本的各个地域,并无大异。10毫米的雨水,无论降在哪里,不都是10毫米么?时速30公里(秒速5米)的风也是如此。然而雪,与温暖的地域而言,却可成新闻。另一方面,与下暴雪的地域而言,这种程度的积雪不过是灰尘飞舞罢了。
▼江戸時代の越後人、鈴木牧之(ぼくし)の『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』には、雪の激しさと暮らしの労苦のさまが詳しい。〈されば暖国の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興のたのしみは夢にも知らず〉。雪を恐れ、そして畏(おそ)れる心情を、言葉を尽くして説いている
江户时代的越后人(注:日本地区的叫法,类似中国的关东,岭南等)鈴木牧之的《北越雪谱》一书中,详细的记载了风雪的强烈以及生活劳苦的光景。“如此说来,(深处寒地之人)做梦都未曾想过,如同暖地之人般观雪吟诗而享游兴之乐。”此话,极尽语言的描述出北国之人恐雪,畏雪的心情。
▼その雪を甘く見たのだろうか、冬の山から報道が相次いだ。長野のスキー場では、大学生2人が雪崩で亡くなった。広島ではスノーボーダー7人が吹雪の中で行方不明になった。こちらは幸い、全員無事に見つかった
莫非是轻视了这场雪?来自冬季山里的报道不绝于耳。在长野的滑雪场,2名大学生因雪崩而丧命。在广岛,SnowBoarder(滑雪)7人在风雪中行踪不明。所幸的是,这边7人全部安然无恙的被发现。
▼吹雪と雪崩は難儀の双璧(そうへき)だと、『北越雪譜』は言う。現代の管理されたゲレンデも変わりはない。まして一歩踏み出せば、豪雪に慣れ育った人々をも葬ってきた、ごまかしのない純白の世界である
《北越雪谱》将风雪和雪崩说成是“苦境双璧”。现代的在管理下的坡地滑雪场也无改变。这是一片毋庸置疑的纯白世界,一旦迈出一步,哪怕是习惯了在大雪中成长起来的人们,也会不断被葬送。
▼雪氷学の草分けだった中谷宇吉郎は、状況次第で様々に姿を変える雪を「天から送られる手紙」と呼んだ。それを悲しい手紙にしてしまってはなるまい。うっすら3センチの都会でも、白銀の招くスキー場でも、甘く見るのは禁物である。
曾为冰雪学先驱的谷宇吉郎先生,将因天气情况而不断变换模样的雪花说成是“来自天堂的信件”。其实也不至于将雪花认定为“悲伤的来信”。无论是在下着薄薄3公分积雪的都市,还是银装素裹的滑雪场,轻视雪花乃为大忌。 |
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