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[好书推荐] 山田風太郎忍法帖3 伊賀忍法帖

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发表于 2008-4-11 12:35:43 | 显示全部楼层 |阅读模式
 目 次
 
  戦国のメフィストフェレス
 淫石
 伊賀めおと雛
 忍法僧
 無惨流れ星
 死霊告知
 一匹狼
 行者頭巾
 壊れ|甕《がめ》
 大仏炎上
 臈たき人
 |漁火《いさりび》
 月は東に日は西に
 鐘が鳴るなり法隆寺
 大仏供養
 女郎蜘蛛
 かくれ傘
 茶
 火の鳥
 柳生城楚歌
 果心火描図
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:36:03 | 显示全部楼层
    戦国のメフィストフェレス


     【一】

 |生国《しょうごく》も知れぬ。生年も不明である。本名をなんといったかもわからない。
 戦国時代に、|果《か》|心《しん》|居《こ》|士《じ》という人物があった。ただ南都の住人ということで、よく奈良|元《がん》|興《ごう》|寺《じ》の五重の塔の頂上に腰うちかけ、扇をつかいながら四方を眺望している姿を見たものがあるという。――|幻術師《げんじゅつし》である。
 彼の幻術について、「|玉《たま》|箒《ほう》|木《き》」という一書に、こんな話をのせている。
 ある日、果心居士が猿沢の池のほとりを通りかかると、数人の知人に逢って、幻術を見せてくれるようにたのまれた。そこで居士は、水際の|篠《しの》の葉をとって、池の水面にまきちらすと、篠の葉はことごとく魚となって銀鱗をひらめかしながら泳ぎはじめたという。
 またある夜、南都の某家で酒宴をひらいたが、客の中に居士と懇意のものがあって、居士の幻術についていろいろと話してきかせた。それによると、彼は、瓜の種をまいて一息か二息するあいだに蔓をのばし、花を咲かせ、瓜をならせ、これを「生花の術」と称しているという。また、おのれのからだをみずから|手《しゅ》|刃《じん》してばらばらに解体し、あとでつなぎ合わせて|甦《よみがえ》るが、これを「|屠《と》|人《じん》|戮《りく》|馬《ば》の術」と称しているという。――すると、べつのひとりの客が、疑わしげな表情で、まさか左様なことがこの世にあろうとは思われぬ。もしまことならば、いちど見たいものだといった。それで話した客はうなずいて、ご覧にならぬうちはだれでもそう仰せられる。さいわい、居士は今宵このちかくの家に来ていられるはずだからぜひここに迎えて|御《ぎょ》|見《けん》に入れようといった。
 やがて、呼びにいったその客につれられて、果心居士がやって来た。そして、しずかに座になおって、話は承った、おなぐさみにご所望にお応えしようといった。
 さきの懐疑論者がすすみ出て、拙者は小知偏見のもので、まだ怪異不可思議のことを見たことがない、ねがわくはいま拙者の上に異変を起こして見られよといった。
 果心居士はうすく笑って、|御《ご》|辺《へん》がご存じないからとて、世に神変のあることを疑いたもうな、といいながら、座にあった|楊《よう》|枝《じ》をとって、その男の歯を右から左へすうと撫でると、たちまちその歯はのこらずフラフラと浮き出し、いまにもぬけ落ちんばかりになった。男は仰天して悲鳴をあげると、居士は、これでおわかりか、といって、ふたたび楊枝でその歯を左から右へすうと撫でた。すると、浮いていた歯はヒシヒシとかたまって、もとのようになった。
 一座のものはあっけにとられてこれを見ていたが、またひとりすすみ出て、これはおもしろい、さらば、いっそのこと、もう少し凄味のある幻術を見せてたまわれ、と所望した。居士は、お安い御用、とうなずいて、なにやら口の中で呪文をとなえながら、手にしていた扇で奥の方をさしまねいた。
 すると、|屏風《びょうぶ》の向こうからひとすじの水がヒタヒタとながれてきたかと思うと、あっというまに川のようになり、天井から壁から滝のごとく水がふりそそぎはじめ、座敷じゅうの諸道具が浮き出した。人びとは総立ちになって逃げ出そうとしたが、奔流はその足をさらい、みるみる背丈よりも増して、その渦しぶきの中にみな|喪《そう》|神《しん》した。
 呼ばれて気がつくと、座敷には水がない。諸道具はそのままで、どこにも濡れたあとがない。そして果心居士の姿も、すでにそこになかったという。
 また、「|醍《だい》|醐《ご》|随《ずい》|筆《ひつ》」という書に、次のような話がのっている。
 果心居士は、|松永弾正久秀《まつながだんじょうひさひで》と親交があった。ある月明の夜、弾正がたわむれに、わしはいくどか戦場を往来して、敵と白刃をまじえたこともあるが、べつに恐ろしいと思ったことがない。御辺、わしを恐れさすことができるか、と居士にきいた。
 居士は、それでは|近習《きんじゅう》を遠ざけ、灯を消したまえといった。その通りにした。しばらく閑座していたのち、居士はしずかに身を起こして、広縁の方へあゆみ出した。いままで明るかった月光がいつしか|昏《くら》くなっているのに弾正が気がついたとき、庭には小雨さえそぼ降り出した。と、その陰暗たる広縁に、だれか|朦《もう》|朧《ろう》と座っているものがある。居士かと眼をすえてみると、髪をおすべらかしにした|蒼《あお》|白《じろ》い顔をしたひとりの|女《にょ》|人《にん》のようだ。だれか、ときくと、ほそぼそとした声で、お久しゅうござります、弾正どの、今宵はひとりそこにおわして、いかにもつれづれにおさびしげに見えまする、そこへ参って、抱いていただきとう存じまするが、おいやでござりましょうか、といった。さしあげたその顔が、前に死んだ何人めかの妻であることを知ると、あまりの|凄《すさま》じさに、さすがの弾正も立ちあがり、壁に背をつけて、果心居士|止《や》めよ、とのどをしぼった。
 ――と、暗い庭の雨がしだいに消え、みるみる明るく月光がさしてきて、そこの広縁に|寂然《じゃくねん》と笑んで座っている果心居士の姿が浮かび上がってきたという。
 また、「|虚実雑談集《きょじつざつだんしゅう》」という書に、これに似た話がある。
 あるとき太閤が果心居士を召して、なんぞ不思議の術を見せよ、といった。果心居士が、かしこまった、というと同時に、白昼はたちまち薄暮となり闇夜となった。
 藤吉郎どの、と呼ぶものがあるので、ふりかえった太閤はぎょっとした。それはまさしく彼が藤吉郎時代にちぎって、その後捨てた女であった。その女がそこにあらわれて、めんめんとかきくどく。その|怨《えん》|言《げん》のなかに、女は、そのころのみじめな彼の生活を思い出させ、また立身のための|悪《あく》|辣《らつ》といっていい彼のかけひきをあばいた。
 太閤のうめきに、女はかき消え、夜は昼にもどり、果心居士の笑顔があらわれたが、太閤の顔色はもとにもどらなかった。おのれのもっとも痛みとする秘密を、まざまざと知っているものがあるという不快のためであった。突如として彼は侍臣を呼び、寄ってたかって果心居士をとらえさせた。そして|四条磧《しじょうがわら》で|磔《はりつけ》にかけることを命じた。
 四条磧で、刑吏が槍をつかんですすみ出たとき、磔にかけられた果心居士のからだはみるみる小さくなって、縄からぬけ出した。あっと立ちすくんだ刑吏たちの眼から|忽《こつ》|然《ねん》として居士の姿が消え、ただ一匹の鼠が磔柱の上へかけのぼるのが見えた。このとき空に羽ばたきの音が起こり、一羽の|鳶《とび》が舞い下りるとみるまに、鳶はその鼠を脚につかんで、雲のかなたへ飛び去ってしまったという。――
 これを「虚実雑談集」の著者は、鳶の出現が果心居士にとっての意外事であったものとし、果心居士の最期と解釈しているが、しかし右のような|端《たん》|倪《げい》すべからざる幻術を行なう人間が、大空から鳶くらい呼ばないという法はない。彼は鳶に身を託して逃げ去ったとかんがえた方がつじつまが合う。――ともあれ、この事件を最後に、果心居士の消息は、それ以来ふっと日本から絶えてしまった。
 さて、右のような数々の記述から、この奇怪な人物の性格を想像するのに、ひとつ思いあたることがある。
 それは、この大幻法者が、なかなか人がわるく、皮肉屋で、そして途方もないいたずら好きな人間であったらしいということである。
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:36:29 | 显示全部楼层
    【二】

 |永《えい》|禄《ろく》五年春のことである。
 |千宗易《せんのそうえき》は|大和《やまとの》|国《くに》|信《し》|貴《ぎ》|山《さん》にある松永弾正久秀の居城を訪れた。
 永禄五年といえば、|桶《おけ》|狭《はざ》|間《ま》のたたかいから二年後のことで、信長は東海の一豪族として|美《み》|濃《の》の斎藤|龍《たつ》|興《おき》などと悪戦苦闘している時代で、まだ上洛にはほど遠く、世は|刈《かり》|菰《ごも》とみだれた戦国のまッただなかだ。
 宗易はこのとし四十一であったが、堺の豪商、いわゆる|納屋衆《なやしゅう》としてよりも、茶道の大宗匠としてすでに名がきこえていた。
 彼が信貴山城を訪れたのは、こんど弾正が城内に作った茶室びらきに招かれたのだが、同時に、以前から弾正の|垂《すい》|涎《ぜん》おくあたわなかった|平《ひら》|蜘蛛《ぐ も》の茶釜を贈るためもあった。むろんそのために、弾正の手から数十人の護衛兵が堺に派遣され宗易とこの名器をまもって信貴山に迎えたのである。
 一行が到着したのは、城の天守閣に春の|朧月《おぼろづき》がのぼりかかっている時刻であった。出迎えた家来が、ただいま殿には、天守の|高《こう》|欄《らん》にて|賓客《まろうど》と月見の宴を張られておるが、平蜘蛛の釜は一刻も早う見たいと仰せられるゆえ、そちらにお越し願えまいか、といった。宗易は、小姓にみちびかれて、天守閣に上っていった。
 彼はいままで何度かこの城に招かれて来たことがある。げんにこんどの数寄屋も、設計は彼の手になったくらいである。しかし、いくど来ても、この城の天守閣からの眺めは絶景だと思う。標高千五百尺の山の東側の中腹に築かれた城は、その昔、聖徳太子が創立された信貴山|歓《かん》|喜《ぎ》|院《いん》|朝護孫《ちょうごそん》|子《し》|寺《じ》の跡だというが、|金《こん》|剛《ごう》、二上、|葛城《かつらぎ》などの山々を|指《し》|呼《こ》のあいだにし、大和平野を一望のもとにして、聖徳太子がご覧になるにふさわしい平和な風景だ。
 そこに松永弾正が城を築いた。数年前のことだ。いまの時点においては、まず天下第一の実力者たる人間の居城である。しかしまだ王城鎮護の象徴とはいえず、年にいくたびか、弾正は|羅《ら》|刹《せつ》のごとく大軍をひきいて出陣してゆく。城そのものにも血痕がまだらにしみついているようだ。眺望は美しいが、城は美しいとはいえない。城主が恐ろしいほどのしわん坊で、串柿の串はすてずに壁下地につかい、酒樽の樽もすてずに塀板とするといったふうだから、城はむしろ荒々しい、もの凄じい印象をあたえる。
 その半面、築城術にかけては天才的ともいえるわけで、とくに天守閣というのは、日本はじまって以来、この松永弾正の独創だ。――そして、くりかえしていうが、そこからの風光は壮大であった。その高欄から見下ろせば、いま上ってきた信貴山の桜が、なるほど月光に地上の雲のようになびいているだろう。
「――はて賓客とはだれであろう」
 宗易はくびをかしげながら、天守閣に上り、その高欄へみちびかれた。
 弾正は、いかにも客と酒宴をひらいていた。客は九人あった。弾正は宗易に、まず相対している二人の客を紹介した。
「宗易、存じておるか。これはおなじ大和国|柳生《やぎゅう》の|庄《しょう》のあるじ、新左衛門じゃ」
 柳生新左衛門は敬意にみちた微笑をうかべて目礼した。三十五、六の|沈《ちん》|毅《き》な風貌をした武士だが、宗易は知らない。
「こちらは、奈良の住人、果心居士」
「――ほ」
 宗易は思わず息をのんで、その客を見まもった。
「お名前だけは承っておりまするが」
「いちど、お逢いしたいと思うておった」
 と、果心居士も笑顔でうなずいた。
 |鶯茶《うぐいすちゃ》の道服をきた老人だ。髪を総髪にしている。鶴のように痩せて、顔は恐ろしくながい。その口の両はしに、どじょうみたいな|髭《ひげ》が二本タラリと垂れている。相当な老齢だということはわかるが、髪は漆黒だし、いったい幾歳くらいの人物か、見当がつかない。
「あれは、わしの弟子ども」
 と、居士は壁の方にならんだ七つの影にあごをしゃくった。それはことごとく墨染めの衣をまとった|僧形《そうぎょう》であったが、ふしぎなことに頭はこれまたことごとく山伏のような総髪であった。
「もと、|根《ね》|来《ごろ》|寺《じ》におったものどもでな」
 と、居士はいった。
 紀州根来寺といえば、|精《せい》|悍《かん》無比の僧兵を擁しているので有名な寺だから、おそらく僧兵あがりであろう。――宗易の名をきいても、これはべつになんの感動もないふうで、わずかに目礼しただけで、平然として侍女たちの酌を受けて|大《たい》|杯《はい》をかたむけている。中に、一匹の黒猫をひざに抱いて、子どもにあたえるように魚を食わせているやつもあった。
「ともあれ、釜を見せよ」
 と弾正はせいた。
 宗易が、持参した平蜘蛛の釜を出して見せると、
「おう、名器じゃ」
 まず果心居士が長嘆のうめきをもらした。
 それは、そうだろう。その平蜘蛛の釜は堺にある、宗易の蔵に充満しているおびただしい茶道具の中でも一、二の名器だ。ほんとうをいうと、宗易はこれを弾正に贈るのが、骨の一本をとられるほどの哀しみであった。それを、思いきって献上する決心をしたのは、弾正のいまの勢威と|餓《が》|狼《ろう》のような物欲を見てとって観念したためもあるが、しかしそれだけならば、なお抵抗する剛毅さを、この大茶人は持っている。ただそれ以外に、この|奸《かん》|雄《ゆう》ともいうべき大名に、一脈奇怪な芸術鑑賞力のあることを感得して、その点だけにこの|稀《き》|代《たい》の名器平蜘蛛の釜を託する気になったものであった。
 しばらく、茶談にときがすぎた。宗易はこの果心居士が実に茶道の妙境に|悟入《ごにゅう》した人物であることを知って、いつしか彼が謎の幻術師であることも忘れていたほどであった。
 それを思い出したのは、居士がふいに沈黙して、じっとじぶんを|凝視《ぎょうし》していることに気がついたときである。
「どうかなされたか」
「――しばらく、うごかれな」
 と果心居士がいった。凍りつくような声で、やがてまたいった。
「宗易どのの星」
 宗易はふりむいた。うしろに満天にむらがる蜜蜂に似た春の星座があった。
「わたしの星?」
「いま、あなたの星を占うた」
 果心居士は、なぜかひどく興奮しているようであった。
「ほう、星占い、なんと出ました」
「申してよろしいか」
「ぜひ、ききたい」
「あなたなら、驚かれまい。あなたのお命は、あと三十年で燃えつきる。その星に剣気がある――」
「わたしに剣気? それはおかしい。わたしは一介の茶人です。それにしても、ほう、わたしはまだ三十年も生きますか」
「三十年後に命終わる人をそこに置いて、いまわしには、三十年後の星座が見える」
 果心居士の眼は、もはや宗易を見ていなかった。深い無限の夜空に|妖《あや》しいばかりの|瞳《どう》|光《こう》をそそいでうわごとのようにいった。
「一、二年はちがうかもしれぬ。しかし、そのころ、宗匠を覆うおなじ大きな星の剣気が、海をわたって|大《だい》|明《みん》を襲う……。それがなにびとか、まだわしには知れぬ」
「居士、なにをぶつぶつと、わからぬことを申しておるのじゃ?」
 と、弾正がいった。
 果心居士はわれにかえった。しかし、弾正を見た眼には、依然としていま星座を観じていたときと同じ妖光があった。
「ところで、殿、先刻お話の右京太夫さまのことでござるがな」
 なぜか弾正は、宗易をちらとみて大いに狼狽した。果心居士はいさいかまわずいった。
「あのおん方を、殿のものとする法がござる」
「なに、その法とは?」
 弾正はせきこんだ。その一瞬に、宗易の存在も忘れたようだ。――宗易は、右京太夫とは、弾正の主君|三《み》|好《よし》|長《なが》|慶《よし》の子|義《よし》|興《おき》の妻で、絶世の美姫としてきこえた女人の名であることを知っていた。
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:37:07 | 显示全部楼层
     【三】

 いわゆる|叛《はん》|骨《こつ》を蔵するものは、それだけ権力に敏感なものである。千宗易は、大権力者を浮雲のごとくはかなく、むなしいものに見る一方で、動物的な嗅覚で時代の支配者をかぎつけ、ちかづくぬけめなさをも持っていた。堺商人としてのしたたかな才覚であろう。――それで、松永弾正にもこうしてちかづいているが、ほんとうのところは、この人物があまり好きでない。
 もっとも、この世に、この人物を好くやつはあまりなかろう。
 彼は素性も知れぬ出身だが、もと商人だったという噂もある。それが、いつのまにか|阿《あ》|波《わ》の豪族三好家にとり入って、家老にまで成りあがった。――|足《あし》|利《かが》が将軍の虚名のみを擁して、実権が|管《かん》|領《れい》細川に移ってからすでに年久しく、さらにその権勢は細川の被官三好氏に移った。そして、その当主三好長慶もこのごろ病みがちであって、いまやこの松永弾正が近畿一帯、すなわち天下の|覇《は》|者《しゃ》となっている。
 商人あがりという風評にもかかわらず、彼のいくさぶりは|獰《どう》|猛《もう》であった。彼が兵法にも一見識をもっていたことは、日本城郭史に一新紀元を劃する天守閣を創造したことでも知れる。そして彼の獰猛さは、戦争そのものより、戦争のあとでいよいよ発揮された。その掠奪ぶりは|羅《ら》|刹《せつ》のごとく残忍であった。当時の|伴《ば》|天《て》|連《れん》の評語にも、「その性、酷悪、|奸《かん》|譎《けつ》にして強欲なり」とある。
 物欲ばかりでなく、女に対する欲望も強烈で、変質的だ。
 彼が|帷帳《いちょう》を下ろし、そのなかで数人の侍女と|淫《いん》|戯《ぎ》をほしいままにしながら、ことあれば家来を召して、帳外に顔だけ出して指図したという行状は有名である。傍若無人というより、人をくっているといった方が至当であろう。しかも、このように野卑厚顔なところがあるかと思うと、一方で美に対して凄味をおびた感性がある。それは天守閣の創案者であったことにあらわれているが、その孫に有名な|連《れん》|歌《が》|師《し》松永貞徳が出ていることでも、彼の血のなかに一種の奇怪な芸術家が|棲《す》んでいたことがわかる。
 ――宗易は、のちに信長という人間を知ったが、信長と弾正にぶきみなほどの共通点をおぼえることがしばしばであった。ただ信長にはみずから伴天連に「天の魔王」とうそぶくようなすばらしい|気《き》|稟《ひん》があったが、弾正はまさに地底から這いあがった魔将としかいいようのない男であった。
「居士よ、右京太夫さまをわがものにする法とは?」
 いま、彼は眼に炎をもやし、うすむらさきの唇をなめていう。――蟹のような悪相だが、その皮膚は、五十三という年を思わせぬほどあぶらぎっている。
 かたわらできく千宗易や柳生新左衛門という武士を意識しているともみえないのは、もちまえの傍若無人さや、あるいは恐れを知らぬ実権者としての自信からだろうが、またその女人に対する渇望のはげしさを物語るものであろう。
 それでも、いった。
「かりにも、主君のご子息の|御《み》|台《だい》であるぞ」
「それは、おわかりか」
 果心居士はうすく笑った。弾正は顔をしかめていう。
「しかも、義興さまは、お若いが、ひとすじ縄ではゆかぬお方じゃ。いまおれは、あのお方と争うことを好まぬ」
 その妻を望む相談をもちかけながら、虫のいいことをいう。
「と申して、先刻もいったように、あの右京太夫さま恋しさに、このまま|鬱《うつ》|々《うつ》日を過ごせば、おれは悩乱してこの高欄から飛び下りるかもしれぬ」
「――この七|天《てん》|狗《ぐ》をお貸し申そう。お使いなされ」
「七天狗」
 弾正は、酒をのんでいる七つの僧形をかえりみて、軽蔑したように唇をまげた。
「この戦国の世だ、平生でも数百数千の兵が守護しておる三好家に、わずかこの七人の坊主どもが、いかにすればとて」
「|風《ふう》|天《てん》|坊《ぼう》」
 と、果心居士がまたあごをしゃくった。呼ばれて、いちばん左手の法師が身を起こした。左手に金剛杖をもっている。ヒョロリと背がたかいが、|鞭《むち》のようにしなやかな体躯だ。
「諸賢に、鎌がえしの忍法を見せい」
 果心が命ずるよりはやく、その法師の右の袖から、銀の|閃《せん》|光《こう》が虚空にたばしった。
 彼はなにかを高欄から一直線に空中に投げた。――それはブーンと大気を|灼《や》き切るような音響を発し、銀の糸をひいてはるか彼方へ消えたとみえたが、たちまちうなりをあげて舞いもどってきて、彼の手中におさまった。
「……おおっ」
 うめきをあげたのは、柳生新左衛門という武士である。彼の眼はかっとむき出されて、風天坊の手ににぎられた一ふりの鎌を見ていた。
「……縄でもござるのか」
「なにも、ない」
 と、果心居士は笑った。
「めざすものに、|中《あた》らなければ、また舞いもどる」
 ――オーストラリアの原住民の独創的な狩猟用の武器で、ブーメランというものがある。これを投げつけると、それは鋭いカーブをえがいて廻転しつつ飛んでいって|獲《え》|物《もの》を|斃《たお》し、命中しなければまた手もとにかえってくるという、三尺ほどのふしぎな棍棒だ。それを知るはずのないものの眼には――いや、たとえ知っていても、おのれの視覚を疑わずにはいられない恐るべき鎌であった。
「風天坊、鎌に鎖のついておらぬ|証《あか》しを|御《ぎょ》|見《けん》に入れよ」
「はっ」
 それは応答というより、|凄《すさま》じい気合であった。同時に風天坊は、金剛杖をかいこんだまま、ながいからだを鎌みたいに折りまげて、高欄を蹴った。
「――ああっ」
 侍女たちが、たまぎるような悲鳴をあげた。弾正も宗易もわれしらず立ちあがっていた。
 風天坊は、高欄から底なしとみえる大空へ飛び出したのである。その墨染めの衣が|蝙蝠《こうもり》のつばさのようにひるがえった。――しかも、彼は下界に落ちない!
「忍法枯葉がえし!」
 |怪鳥《けちょう》のような絶叫が虚空からまだ消えぬうち、この人間ブーメランは高欄にふたたびもどって、どんと音たかく金剛杖をついて仁王立ちになっていた。
「……ううむ」
 柳生新左衛門はまたうめいた。
「柳生どの柳生どの」
 からかうように、果心居士が声をかけた。
「貴公、柳生の庄で日夜剣法にご精進ときくが、どうじゃ、この|鴉《からす》天狗を相手にして勝つ自信がおありか」
「……いいや、とうてい」
 と、柳生新左衛門は鉛色の顔色で長嘆した。
 弾正がおよび腰になっていた。
「果心。……その七人の法師、いずれもいまの術を使うのか」
「いや、わしが仕込んだ術はそれぞれちがう。――ただ、弾正さまのおんためにお貸し申しあげる道具が、そこらの大道に売っておるしろものとはちがう、という証しにご覧に入れたまで。これ以上、ご披露には及びますまい」
「そ、その七人をみなおれに貸してくれるかや」
「いま申した通りでござる。……ただし、この七人、右京太夫さまをさらうことには使いますまい」
「――では?」
「いかに恋慕したとて、いや恋慕した女人であればこそ、むりにさらって|手《て》|籠《ごめ》にするは果心の趣味でござらぬよ」
 そういって、この年もわからぬ老幻術師は、どじょうひげをなでて、きゅっと口をすぼめて笑った。
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:37:25 | 显示全部楼层
    淫石


     【一】

「弾正さま」
 と、果心居士がいう。
「あなたさまの女人へのご執心ぶりはかねがね承っておりますが、噂によれば、茶道具へのご執心とちっとも変わられぬそうな。欲しがりなさるときは童子のように理も非もなく、あきれば|微《み》|塵《じん》にうちこわす。――女人は、道具ではござらぬぞ」
「果心、その方の説教だけはつとめてきくことにしておるが、おれはまだ茶道具をこわしたことはないぞ」
「では、こわすのは女人だけか、それでは道具以下のおあしらいじゃ。そもそも……」
「わかった、わかった」
 弾正は、手をふった。むらとひたいに不快の針が刻まれかけたが、すぐに消えて、閉口の表情になった。この人物に対して、これほど、ずけずけとものをいう人間はほかにあるまいが、それでも弾正がおさえているのは、彼を自制させるなにかが、この老人にはあるとみえる。
「その方のいう通りじゃ。いかにも、いやがる女をむりに手籠にいたしとうはない。少なくとも、あの右京太夫さまだけは、しんそこからおれになびかせたい。それどころか、もしこの城にお越し下さるなれば、おれは香を|焚《た》いて|礼《らい》|拝《はい》したい――」
 千宗易は、松永弾正が女に対してこのようなせりふを吐くのを、いままできいたことがない。蟹のような悪相には、このときむしろ|鬼《き》|気《き》をすらおぼえたが――むかいあってならんだ七羽の鴉天狗は、ニヤリと白い歯を見せた。
「しかしながら、あのお方は、無体なことをしかければ、舌をかんでお果てなさるかもしれぬ、そこでおれは苦慮しておるのじゃ」
 弾正は、七人の僧の失笑などに気がつかない。――ただ、悪夢からはっと現実にもどった|体《てい》で、
「いや、そんなことより、まず右京太夫さまを手に入れることじゃ。そこの七人、人間業とも思えぬ術を持っておるというに――それをおれに使わせぬという。が、果心、ならばおれに、なぜいまのわざを見せた?」
「右京太夫さまをさらうことには使いますまい。しかし、お貸し申そうとはいっております」
「それに使わずして、なんに使う」
「ほかの女をさらうに使います」
「ほかの女? ほかの女は要らぬ。また右京太夫さま以外の女なら、その方の手を借りるまでもない」
「右京太夫さまのお心を手に入れるためにほかの女をさらうのでござる」
「――果心」
 弾正は眼をすえ、おし殺したような声でいった。
「話をきこう」
 果心居士は、淡々としていい出した。
「いまも申した通り、この七人の根来僧の術は、それぞれちがいます。ただみなひとしく持っておる術は――女を犯した際」
「ふむ」
「事後、その女人をして愛液を流さしめることでござる」
「愛液を」
「当人も、とめてとまらぬ流出は、まずそこの大杯を満たすくらいつづき申す」
「……女は、どうなる」
「そのあいだの快美恍惚のため、十人に五人は息絶えまする。生き残ったものも、まず狂人廃人同様と相成ります」
 茫然としてきいていた松永弾正は、ふいにこのとき不安げな表情となった。そのような術を体得した一党を貸されては、なにが起こるかわからない、とあらためて恐慌をきたしたとみえる。
「――それで?」
「その愛液を、もっとも素性正しき釜にて煮つめるのでござる。むろん、大杯一杯の愛液も、煮つめれば、まず耳かきの半分くらいの白い|滓《かす》となりまするがの」
 弾正の眼は、ふたたび好奇にひかり出した。
「これにまた新しい女の愛液を加えて煮つめます。くりかえし、くりかえしておるうちに、最初の滓を核として、次にこれが重なり、大きくなり、やがて|白《はく》|雲《うん》|母《も》の剥離の一片のようなものと相成る」
「ううむ。……」
「これを|淫《いん》|石《せき》と申す」
「淫石」
「女がたまきわる命のかぎりにもらした愛液の精でござるゆえ。……またもう一つ、この淫石をかいて茶を煮るときは、これを|喫《きっ》した女人は、最初に眼の合うた男に対して本心を失い、一匹の淫獣と化し果てまするゆえ」
 松永弾正は、うめき声すらたてず、黙りこんでしまった。ようやく果心居士のいおうとしていることが、推察されてきたようだ。
 居士がいま「右京太夫さまのお心を手に入れるために」といった意味が、宗易にもはじめて|腑《ふ》におちた。この幻術師は、右京太夫さまのお心をとろかす魔の茶の製法を教えているのだ。
 女人の愛液の結晶――淫石。
 そんなものが世にあり得るか、ふつうならもとより信じがたいが、ほんの先刻、彼の弟子僧の「枯葉がえし」と称する、まさに散った枯葉がふたたび枝にかえるような超絶の術を見たあとでは、この幻術師がいかなる奇想天外なことを口にしても一笑に付することができないような気がする。――それだけに、きいていて、いっそう吐き気をもよおしそうな気味悪さがある。
 ――と、気がつくと、例の柳生新左衛門という武士も、じっと腕組みをして弾正と果心との問答をきいているふうだが、その眼に名状しがたい不快の色がある。うながしたら、席を蹴たてて立つのではないか、と宗易には思われた。しかし、宗易は耐えた。ここの城主に対する遠慮以外に、嫌悪感以上の好奇心に彼はとらえられたのだ。|寂《せき》|寞《ばく》たる|佗《わび》の一大|乾《けん》|坤《こん》を創造したこの大宗匠には、一方で、清濁あわせのむ、そんなしたたかなところがあった。
「淫石の作りよう――またその効用については、これでおわかりと存ずるが」
 果心居士はつづけた。
「これには二つの条件がござる」
「なんだ」
「第一にその愛液を流す女、この世のいかなる女にても間に合うというわけには参らぬ。元来、それほどの愛液をながす濃情の女人、またもとより美女でのうては、天狗どもの気にいらぬ。それは、このものどもの選ぶにまかせられたい」
 それから、顔をむけていった。
「|羅《ら》|刹《せつ》|坊《ぼう》。|金《こん》|剛《ごう》|坊《ぼう》。……ここにござる女衆のなかに気にいったものがあるか」
 七人ならんだ根来僧のなかで、こんどは右端の二人が、ジロリと見まわした。――そこに出て、酌をしていた十人あまりの侍女をである。
「されば」
 羅刹坊は、黒ずんだ厚い唇をなめて、あごをしゃくった。
「まず、二人ばかり、――あれと、あの女人、金剛坊、どうじゃ?」
「その通り」
 金剛坊と呼ばれた僧はうなずいた。その眼は、はや異様な妖光をはなって、名指されたふたりのきわだって美しい侍女を、そのまま金縛りにしてしまったようだ。
「|椿《つばき》と|千《ち》|鳥《どり》か」
 弾正の顔に動揺がわたったところをみると、あるいはその二人は、彼の寵愛する女であったかもしれない。――弾正は、せきこんでいった。
「果心、もう一つは?」
「第二には――その茶を煮る釜が」
 はじめて宗易の背に冷気がはしった。果心の眼が、平蜘蛛の釜にそそがれているのに気がついたからだ。果心はいった。
「安ものでは、まじりけのない淫石ができぬ。天下の名器であればあるほど、望ましい。……」
 さすがの宗易も、われを忘れて立ちあがっていた。それ以上、この老幻術師の|大《だい》|破《は》|倫《りん》の言葉をききたくなかったからだ。
 骨の一片をぬきとるような思いで持って来た平蜘蛛の釜で、女人の愛液を煮る! あまりのことに、頭が悩乱し、しばらく彼は大きく胸を起伏させていたが、やっといった。
「弾正さま、わたしは一刻も早うお茶屋を拝見いたしとうござる」
「拙者も、しばらくこの座をご遠慮申しあげたい。――いささか酔いすごしたようでござれば」
 柳生新左衛門も身を起こした。
「お待ちあれ」
 果心は顔をあげていった。両人の心を見すかしたように、くぼんだ眼が、いたずらッぽく笑っている。
「ただいま、この二人の美女を借りて、その愛液を流すところをご覧に入れる」
「なに――いまここで?」
 弾正もぎょっとしたようだ、果心の笑う声が返った。
「一日も早う、右京太夫さまが欲しゅうはござらぬか」
「拙者は、左様なものを見とうはござらぬ」
 ついに柳生新左衛門は憤然たる声をはなって、
「宗易どの、参ろう」
 と、あるき出した。弾正はウロウロして小姓をかえりみて、
「ゆくか、おれもすぐゆくほどに。これ、松風の間に待たせておけ」
 と命じただけで、べつに制止もしなかったのは、果心とその弟子がこれから展開して見せようという光景を、なお宗易と新左衛門に見とどけろとは、さすがにいいかねたものとみえる。
「ははん、おいやか。惜しいがやむを得まい。――さるにても、ちょっと柳生どのに見せたいものがあるな。羅刹坊、金剛坊」
 果心は呼んだ。
「そのふたりの女人の足を見せい」
 二羽の鴉天狗が飛び立った。先刻から気死したように立ちすくんでいた椿、千鳥という侍女は、紅雀みたいにむずと手をつかまれた。とみるまに――足を見せいと命じられたにちがいないが、あっというまにふたりとも、その裾を腹までまくりあげられたのである。
「両人の脚に、どこか相違するところはないか」
 朧月の下に、|象《ぞう》|牙《げ》のようにひかる四本の足に、果心居士は、無遠慮な凝視をそそいだ。
「お、ある、ある。倖せなことにある。――こちらの女人のふとももに、花弁のような|痣《あざ》がある」
 そして、あまりのことに茫然としてふりかえって口をあけている宗易と新左衛門を見あげて、老幻術師は|梟《ふくろう》みたいに笑ったのである。
「柳生どの、よっくこのことをおぼえておかれよ。では、また後刻」
 小姓にみちびかれて、宗易と新左衛門は去った。
 あと見送って、小首をかたむけて、果心はつぶやいた。
「弾正さま、大丈夫でござるかな」
「なにが」
「あの両人、叛骨がござるぞ」
「それは承知だ。それのあるくらいのやつでなければ、使い甲斐がないし、おもしろうもない」
 弾正は、はじめて彼らしく、剛腹に一笑した。なるほど、そういえばこの松永弾正という人物が、叛骨の|化《け》|身《しん》のような男だ。
「その平蜘蛛の釜はの、かねてから三好家でも所望されておった名器じゃ。それをおれの方へ持ってきたというのは、宗易がいかに眼のある男かということよ。また柳生は、この大和にあって|猫額大《びょうがくだい》の地のあるじ、おれの心に|叛《そむ》けば、ただ一もみにもみつぶされることは、とくと承知しておるはず。さればこそ、おれに臣礼をとり、おれが呼べば、あのように参向いたす。両人、阿呆でなければ弾正を裏切るおそれはないわ」
「いや、老婆心より申したまで。――念のため、先刻風天坊のわざを以て|仰天《ぎょうてん》させ、またいま、そのふたりの女人を以て、さらに胆を冷やしておきますれば、まず以て、左様なおそれはござるまい。ふおっ、ふおっ、ふおっ」
 果心居士は梟みたいにまた笑って、女をとらえたふたりの弟子僧をうながした。
「では、かかれ」
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:37:45 | 显示全部楼层
     【二】

 宗易が設計した茶亭ではないが、一層下のその松風の間も、やはり茶室になっていた。しかし、むろん茶をたてるどころではない。
 宗易と柳生新左衛門は、そこに苦汁をのんだような顔で対座していた。
 天下の名器を、あのようなたわけたことに使われるという|恥辱《ちじょく》もある。それをすら耐えていなければならぬくやしさもある――どうやら、理由がちがうにせよ、新左衛門の方も、恐ろしい気力でおのれをおさえつけている気配だ。
 とにかく宗易は口をきろうと思ったが、なにをいっていいのかわからない。この柳生という武士の正体が、まだはっきりとつかめていないからだ。柳生の庄という地名は以前にもきいたことがある。どうやらそこの城主らしいが、|大《おお》|袈《げ》|裟《さ》に城主といってよいのかどうか疑問に思われるほどの山の中の一小国ではないか。むろん、いまは松永弾正の支配下にあるだろう。弾正|麾《き》|下《か》の一部将ともいうべき人物に、めったな口はきかれない。
 ――すると、
「宗易どの、辛抱なされよ」
 と向こうの方から声をかけてきた。自分をおさえきったとみえて、眼が笑っている。
「いまのところは、辛抱せねば、首があぶない。――しかし、天道は」
 そこまでいって、口をとじた。宗易が、座敷の外に小姓の座っている唐紙の方をちらっと見やって、眼で制したからだ。
 しかし、そこでふたりの口がほぐれた。
 新左衛門がいう。――柳生家は平安の昔より、柳生谷の一豪族であったが、藤原、平家、源氏、北条と世が移るにしたがってあるいはこれにつき、あるいはあれにつき、ときには本領を失い、また帰り、つぶさに小国の悲運をなめつつ、生きながらえて来た。ちかくは、じぶんがまだ少年時の天文十三年、大和の豪族筒井氏のためにいちどは亡国の難におち入ったのを、二年前、ようやく松永弾正に属してこれを回復したものである。――
 こういうことを、淡々としていった。しかし、先刻から気がついていたことだが、この新左衛門という男には、そんな興亡の|辛《しん》|酸《さん》をなめてきた小城主らしい卑屈な|翳《かげ》が|毫《ごう》もない。堂々とし、むしろ不敵な|面魂《つらだましい》すらほの見えて、ただ体験からきた思慮が、それに沈毅の相を加えている。
 そう見ながら、宗易はまったくべつの想念に悩まされていた。それはさっきからきこえてくる階上からのある声であった。
 この座敷を、松風の間というそうな。しかし、――|嫋々《じょうじょう》とながれてくるのは、松風ならで、むせび泣くような女の声だ。ひとりではない。たしかにふたりの女ののどをあえがす旋律がもつれあい、からまりあって、宗易の|耳《じ》|朶《だ》をかきむしる。
「あなたはお茶をなされまするか」
 強いて、それに耳をふさいで、宗易はきいた。
「いや、拙者は剣しか知らぬ男です。茶はやらぬではないが、まったく野人の手すさび、宗易どのの前では、赤面いたす。それどころか、宗易どののご高名はつとに承っておるところ、これをご縁に、どうかご指南をたまわりたい」
 階上の女の声は、次第に凄壮のひびきをおびてきた。高欄で、なにが行なわれているのか。――先刻の果心の言葉を思い出すまでもなく、想像するだけで、血が逆流するようだ。
「ほう、剣しか知らぬと仰せられる。武人として当然のお言葉ですが――しかし、あなたさまは、失礼ながら茶道の方でもなかなかのご境地に達せられたお方のようにお見受けいたします。それは、剣の方から至られたのか。――」
「とんでもない」
 柳生新左衛門はくびを大きくふった。彼とても、あの声は耳にしているであろうに顔色もかえない。
 彼は、こんなことを話し出した。こんど松永どのに呼ばれたのは別の用だが、じぶんがこの信貴山城にくるには、ひとつのたのしみがある。それは、|上泉伊勢守信綱《かみいずみいせのかみのぶつな》さまに再会できるのではないかという期待である。――
「おお、上泉伊勢守さま」
 宗易はさけんだ。彼はまだいちども逢ったことはないが、ずいぶん以前から、諸国を漂泊しているこの一代の剣聖の名はきいている。二年ほど前、京の将軍の上覧を受け、「上泉兵法、古今比類なし」という感状をたまわったという噂も、そのころ耳にしていた。
 いま、柳生新左衛門のいうところによると、そのとき伊勢守は、この信貴山城にもやってきた。たまたま居合わせた新左衛門が、武者ぶるいしてこれに試合を挑んだ。
 伊勢守はまず門弟の|匹《ひき》|田《た》|小《こ》|伯《はく》を立ち合わせた。小伯は新左衛門の構えをみて、「それでは悪うござる」というや、ハタと打った。「いま一度」と新左衛門がさけんで構えると、「それも悪うござる」と、まるで新左衛門の木刀がないかのように打ちこんだ。三度立ち合って、彼は三度打たれた。
 それでも強情我慢の彼が、あえて伊勢守自身に試合を所望すると、
「では、その太刀、取り申すぞ」
 と、いうや否や、彼は|嬰児《あかご》のごとく信綱に木刀を奪い去られたという。
 しかし、伊勢守は新左衛門の太刀すじに見どころがあると称し、ただその剛強をたしなめて、
「浮かまざる兵法ゆえに石舟の
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くちぬ浮き名やすえに残さむ」
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 という一首をあたえ、また二、三年後、ふたたびこの信貴山城にかえってくるつもりだから、そのとき相まみえて、新左衛門の工夫によっては、一国一人の|新陰流印可状《しんかげりゅういんかじょう》を相伝すべしと約して、|飄然《ひょうぜん》と去ったというのであった。
 この話をしているうちに、柳生新左衛門の眼はキラキラと光芒をはなちはじめ、彼がこの信貴山城に縛られているのは、柳生の庄を安泰に保たんがための|臥《が》|薪《しん》の心もさることながら、それよりその剣聖との再会を期するためではないかと、宗易には思われたほどであった。
「|爾《じ》|来《らい》、それがし、愚鈍なりに鍛錬をかさね、伊勢守さまにお目にかかる日をたのしみに――それを生きておるただ一つのよりどころとすら存じておったに――世は広い。先刻のあの根来僧のわざ、まことに恐るべし」
 ふいに彼は長嘆した。
「あのように邪心にみちた幻術、それすら――拙者には、あれを破る工夫がつかぬ」
 階上の声は、いまや獣のほえるようなものに変わっていた。しかも、たしかに女の声にまぎれもない。――ついに、がばと新左衛門は片ひざを浮かし、一刀をつかんだ。
「ええ。もはやがまんがならぬ」
 冷静にみえて、彼もきいていたのだ。いや、きこえぬはずはない。それにしても、ほんの、いま、「辛抱されよ、辛抱せねば、首があぶない」とひとに忠告した当人が、まなじりを決して起とうとする袖を、宗易はとらえた。
「柳生さま、あの鴉天狗にはかなわぬと、いま申されたばかりではありませぬか」
「しかし、あのような無惨なふるまいを見すごしては」
「石の舟、石の舟」
 と、宗易は息せききっていった。石の舟のごとく、沈んで耐えよといったのだ。
「あれは、われらとは無縁の――|修《しゅ》|羅《ら》の世界のできごとと思いなされ。そもそも果心居士は、人間ではござらぬ」
「あの老幻術師、噂にきいてはおったが、逢えたのははじめて、宗易どの、いったいなにものであろう?」
「――少なくとも、日本の人間ではござらぬ」
「なに?」
 柳生新左衛門が愕然として見下ろすと、宗易はその袖からはなした腕をこまぬいて、眼をすえていた。
「わたくしも、あの老人の素性を知らぬことは同様でござります。が、先刻より、あの果心の言葉をきいているうち、申しておることの凄じさは別として、なにやら心にかかるものが二つござった。その一つが、あの|語《ご》|韻《いん》――あれは、堺に渡来する唐人の語韻と、どうやら似通うものがございます」
「果心居士は唐人であると?」
「これは、推量でござる。それに、もう一つ――これはいまだにわかりませぬが、果心が突如として、淫石などといい出したその機縁」
「おお、そういえば、果心は、あのとき――」
「この宗易を満天の星影に浮かして占い、三十年後の星座が見えるとさけんで、なにやらいたくおどろいたようすにござりました」
 そのとき、ふいに階上の声がやんだ。そして、かえって耳がいたいほどの静寂がおちた。
 名状しがたい恐怖にうたれて、さっき新左衛門をとめたはずの宗易が、ぎょっとして立ちあがった。こんどはその袖を新左衛門がとらえた。
「見まい、聞くまい」
 彼は、眼をとじて、沈痛なうめきをもらした。
「それよりも、唐人の――唐人の疑いある果心が、なにゆえあのようなことを松永どのに、吹きこんだものであろう。かんがえよう。あのとき果心は――三十年後の星座、そのころ宗匠を覆うおなじ星の剣気が、海をわたって、大明を襲う――とか、申したな。宗易どの、おちついてかんがえよう」
 しかし、宗易には返答できぬことだ。彼は、もはや一刻もはやくこの城から逃げ出したかった。
「ことと次第では、新左衛門、死力をふりしぼってあの幻術師を成敗せねばならぬ」
「およしなされ、柳生さま、あれは魔天の化け物でござる」
 ――静寂の中にかすかな音がひびいた。ピタピタと、だれかが階段を下りて、廊下をあるいてくる。ふいに、座敷の外で、小姓のただならぬさけびがきこえた。
 柳生新左衛門は一刀をつかんで飛び立っていって、いっきに唐紙をひきあけた。
 そこにふたりの女がフラリと立っていた。かっと眼をむいている小姓を尻目に、ふたりの女は漂うように座敷に入ってきた。いずれも一糸まとわぬ、全裸の姿だ。
 髪はみだれて、まっしろな肩と乳房にねばりつき、あきらかに狂人のうつろな眼をしていたが、まぎれもなく、さっきの椿、千鳥という侍女だと見て、――あとずさりしながら、まじまじとそのからだを凝視していた宗易が、ふいに「お!」と、のどに鉄丸でもつまったような声をたてた。
「柳生さま!」
「なんだ」
「あ、足を見られい。――痣が、べつの女に移っております!」
 いかにも、先刻、たしかに椿という侍女のふとももにあった花弁に似た痣はきれいに消え、代りに同じ痣が、千鳥のふとももに浮かんで見える。
「それが、どうした?」
 と、いいかけて、柳生新左衛門も息をのんだ。それは、ふたりの侍女の|絖《ぬめ》のような胴に、赤い絹糸を巻いたような一条のすじを見出したからだ。
「ふおっ、ふおっ、ふおっ、気がつかれたか」
 突然、廊下で、哄笑というにはあまりにも陰にこもった笑い声がきこえた。果心居士がそっくりかえって立っていた。
「おなぐさみまでにもう一つべつの術をご覧に入れた、――両人、胴から上下をとりかえたのじゃよ。ふおっ。ふおっ。ふおっ」
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:38:18 | 显示全部楼层
    伊賀めおと雛


     【一】

 ――その翌日、早々に信貴山城を去った千宗易は、その後に起こったことを知らない。
 いや、それから三十年のあいだに――天地に吹きすさんだ戦乱の嵐の中に、三好家の滅亡や、右京太夫の運命や、松永弾正の末路や、柳生新左衛門の変転など――宗易はその耳にきいたし、まざまざとその眼に見たものがあるが、それはばらばらであり、きれぎれであって、このときの果心居士という怪幻術師の投じた一石からひろがった波の全貌は知らぬ。
 それまでは、乱世にはかかる|梟雄《きょうゆう》も天下の支配者となり得るか、と判断して、あえてちかづいた宗易であったが、このときから「――所詮、その器にあらず」と見て、松永弾正から巧みに身をはなしたからである。
 しかし、もって生まれた本性は、鉄片が磁石に吸い寄せられるように、彼を信長へ、さらに秀吉へちかづけた。そして彼を破滅の運命に追いこんだ。
 千宗易――のちあらためて千利休が秀吉の|忌《き》|諱《い》にふれ、堺で切腹を命じられたのは天正十九年二月のことである。死の日の夜明前、端座黙想していた彼は、ふいにある声が耳によみがえるのをきいた。
「――あなたのお命は、あと三十年で燃えつきる。その星に剣気がある」
 利休は蒼ざめた。そのとし天正十九年が、永禄五年からまさに三十年目であることに気がついたのだ。
「――三十年後に命終わる人を置いて、三十年後の星座が見える」
 梟のような笑い声がまじった。
「――そのころ、宗匠を覆うおなじ星の剣気が、海をわたって大明を襲う。……」
 利休の耳には、もうひとつの――これは現実のもの恐ろしい音響がきこえていた。それは堺の港で船大工たちが、おびただしい征明の船を造るのに夜を徹しているひびきであった。
 あの老幻術師の星占いは|中《あた》った、と利休は心中にうめいた。そして、あのとき、果心は唐人ではないか? とじぶんが疑ったことを率然として思い出したのである。
 やはり、果心居士は唐人であったのだ。では、彼はなんのために松永弾正にちかづいたのか。おそらく弾正が乱世の雄であると見たのみならず、弾正が生きているかぎり乱世がつづくと見たのではないか。果心は三十年後の星座を変えようとした。大明を襲う日本の統一者の出現を恐れた。そのために松永弾正という破倫の魔王に活を入れる必要がある。彼の最も欲しがっているものは、たとえ天上の|珠《たま》であろうと投げあたえてやる必要がある。……かくて、淫石製造の秘法が伝授されたのだ。
 利休はこう解いた。そして、あのころから、ふっと果心居士の噂が絶えていることを思い出した。彼は海の彼方へ去ったのか。それとも、当時すでに相当の老人にみえたから、もうこの世を去ったのか。――いや、あの化け物は、そうあっさりとは死ぬまい。日本のどこかにまだいるのかもしれない。おお、いまきこえた梟のような声は幻聴ではなく、ほんものの果心の笑い声ではなかったか?
 利休は、ぎょっとして茶室の中を見まわしたが、明り窓には、彼の眼には最後のものとなる暁のひかりが、蒼白くさしかかっているだけであった。……
 千利休のこの推定がはたして中っていたかどうか、作者は知らない。それにしても、いろいろといぶかしい点がある。三十年後に死ぬべき運命の人間を媒体として、背後の星座で、三十年後の地上の相を占う。この星占いはまずあり得るものとして、豊太閤が征明の|役《えき》を起こしたのは、利休の死の翌年、文禄元年のことで、一年のちがいがある。しかし、ここまでの長期予報ともなると、それくらいの誤差は容認すべきかもしれない。
 また、それほどの予言の怪力をもっているなら、なぜ信長や秀吉の出現そのものをとどめ得なかったのか。いや、ひょッとすると、本能寺へ鞭をあげた|明《あけ》|智《ち》|光《みつ》|秀《ひで》の背後に果心の梟のような笑い声がきこえたかもしれないが、それでは果心が|恬《てん》|然《ぜん》として秀吉に会って、女の亡霊を出してからかい、磔にかけられかかったというこの物語の|冒《ぼう》|頭《とう》に紹介した「虚実雑談集」の記述はどう解釈するのか。
 そもそも虚実雑談集という名の通り、これは虚実おりまぜた|稗《はい》|史《し》のたぐいだから、まともに信をおくにはあたらないが、もし事実なら、それは利休死後のことで、かつ、さすがの幻術師も|虹《にじ》のような豊太閤の|壮《そう》|図《と》のまえには敵しがたく、あきらめて、せめてものことに|嘲弄《ちょうろう》の一矢をむくいたものであろう。
 なににせよ、この果心居士という人物は、徹頭徹尾謎である。その生国、年齢、本名も謎だが、行状そのものに|端《たん》|倪《げい》すべからざるものがある。その奇怪な行状記に、一脈ながれているのは相当皮肉ないたずら精神だ。――あるいは、彼は、日本史上にあらわれたメフィストフェレスであったかもしれない。
 ともあれ、千利休は知らない。――永禄五年春、大和国信貴山城で、この戦国のメフィストフェレスが投じた一石、その名も妖しき「淫石」からひろがっていった壮絶無惨の血の波の輪を。
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:38:36 | 显示全部楼层
     【二】

「……向こうに見えるのが、柳生の庄だ」
 と、若者は指をあげた。
「そこを過ぎると、やがて月ケ瀬。もう一ト月も早うかえってきたら、山をうずめる梅の絶景が見られたろうが。……」
「伊賀は?」
 と、若い女がきいた。
「伊賀国は、月ケ瀬からほんの一ト足。もっとも|鍔《つば》|隠《がく》れの谷へは、まだだいぶあるが」
 奈良から五里ちかく来たであろう。伊賀へゆく街道――いわゆる伊賀路を、もつれ合う二匹の蝶みたいにあるいてゆく一組の男女があった。
 二匹の蝶のように――といったが、たしかにふたりの歩き方はおかしい。街道に人影がみえないと、ふたりは蟹みたいに横に歩くのだが、それが、歩くというより、ながれるように早い。かと思うと、ふいに|草鞋《わらじ》に|膠《にかわ》でもくっついているように重い足どりとなる。そんなときは、どちらかが深い思案顔だ。
 この歩行の変化は、絶えず見張っている人間でもないかぎりだれしも気がつかないがときにふたりが路傍の草に腰を下ろして休んでいるとき、その前を通りかかった旅人は、たいてい瞳を吸いつけられてしまう。
 |風《ふう》|体《てい》も異様だ。男はよもぎみたいな頭をして、きもの、たっつけ袴もぼろぼろだが、刀をさしているところをみると、これでも武士――郷士か|素《す》|牢《ろう》|人《にん》とでもいうべき姿だが、通りかかったものが女なら、思わず吐息をもらしてしまう。
 バサと垂れさがった髪の下の瞳は、女にとって酔うような精悍な光芒を|燦《さん》とはなって、それにもかかわらず頬の線は少年みたいに純潔で、ういういしい。もっとも、年も|二十《はたち》をわずかに出たくらいのところであろう。一言でいえば、青春美の結晶だ。
 女は、これまた塗りの|剥《は》げた|市《いち》|女《め》|笠《がさ》をかぶり、きているものも風雨に洗い|晒《さ》らされたようだが、その顔を一目みた男なら、これは口の中でうめいてしまう。
 夢のように優雅な眉に比して、唇は野性と肉感にぬれている。そんな身なりなのに、身のこなしにふしぎな|妖《よう》|艶《えん》さがただよっているのだ。ただし、これは男より一つか二つ年上かもしれない。
「伊賀へゆくのは、やはりわたしは恐ろしゅうございます」
 と女がいった。このとき、その足は鉛のように重くなっていた。
「そなたが恐ろしがることはない。こわいのは、おれの方だ。……さぞ、服部の|伯《お》|父《じ》|御《ご》に叱られるのだろう。叱られるだけではすむまいが。――」
 男も、ふとしょげかかったが、すぐに例の精悍な眼をあげて、
「それでも、おれは伊賀へ帰りたい。いや、帰らねばならぬ」
 そして、まっしろな歯を見せて、ひたと女の手をにぎりしめた。
「|篝火《かがりび》、いまさらなにをためらう。もとは遊女とて――遊女でありながら、一年吉野に籠って、むごたらしいまでの忍法の修行にたえたそなたではないか。もはやそなたも、鍔隠れの女として、だれに恥じることもない。その修行の話をきいただけで、鍔隠れの人々はみなおれたちをゆるし、そして|双《もろ》|手《て》をあげて迎えてくれるだろう」
 ――男は、|笛吹城太郎《ふえふきじょうたろう》という。
 伊賀に鍔隠れという谷がある。平家の|末《まつ》|裔《えい》にして代々伊賀の一豪族たる服部家の支配下にある忍者の部落だ。彼はそこに生まれた忍者であった。
 一年前、笛吹城太郎は、一族の首領服部半蔵に一つの用を命じられて堺へいった。そのとき彼はふと堺で名高い|傾《けい》|城《せい》町|乳《ち》|守《もり》の里に迷いこんで、そこで乳守第一とうたわれた遊女と相知ったのだ。
 ――女は、篝火という。
 天下の貴人、豪商、風流人をあつめる堺の港町で、それらをふくめあらゆる男性を悩殺した傾城と、野生の精のような山岳の子と、そのあいだにどんな妖しい火花がとびちったのか。――とにかく、篝火太夫と笛吹城太郎は、手に手をとって駆け落ちした。
 乳守の里から追手が出たが、ふたりはついに見つからなかった。見つからないのは当然、ふたりは吉野の里――人跡もまれな山中にひそんでいたのだ。
 たんに追手の眼をくらますためばかりではない。城太郎が篝火の手をひいて吉野の奥へかくれたのにはべつにわけがあった。彼は篝火をつれて、すましてノコノコと伊賀へかえるわけにはゆかないのだ。第一に彼は首領に命じられた用件を捨てている。第二は、彼は一族の意向もはからず、勝手に――こともあろうに、遊女をつれて逃げている。
 伊賀の忍者――とくに鍔隠れの谷の掟は鉄のように|勁《けい》|烈《れつ》なものであった。この掟には、一族のものすべてが血判をおして誓っている。これを「鍔隠れ連判」という。
 その掟の条々の中に――
「鍔隠れの者、他国他郡の者をひきいれ、自他の跡望む|輩《やから》これあらば、親子兄弟によらず一族同心成敗|仕《つかまつ》り候こと」
 という明文がある。他国者との自由結婚など、とんでもないことだ。
 けれど、恋の炎は、ふたりの前からあらゆるものを燃やしつくした。吉野の花、青嵐、紅葉、雪に彩られたふたりの愛のすがたはというと一幅の絵になるが、少なくとも世のつねの絵にはならぬほど、それはむしろ凄壮をきわめたものであった。
 女は、堺で、どんな男でも地獄におとすとうたわれたほどの嬌艶無双の篝火であった。男は、それまで童貞で、しかも、みずから知らずして、あらゆる女を狂わせるに足る魔力をもった若い忍者であった。むしろ、地獄におちたのは篝火の方であったろう。
 しかし、吉野の山中で、ふたりはただ恋におぼれ、愛欲に身をこがしていたばかりではない。笛吹城太郎は、篝火に忍法を指南した。――
 それは、いつの日か伊賀へ帰るための準備であった。彼は鍔隠れの谷を忘れてはいなかったのだ。彼女を一個の忍者にしたてあげたら、あるいは谷の一族も、篝火をけなげな花嫁として受け入れてくれるかもしれない。まだ子どもっぽいところのある城太郎のえがいた夢だ。
 それに、篝火が服従した。無惨ともいうべき修行に、象牙の箸と銀の椀しか持ったことのないこのたおやかな傾城が耐えぬいた。忍者の妻たらんとする一念以外の何物でもない。
 一年たって、吉野に花が咲いた。城太郎は伊賀へ帰ろうといい出した。篝火の忍法修行に満足したためではない。一族が受け入れてくれる確信があったわけではない。ただ、|童子《わらべ》のような、伊賀恋しさの望郷の炎に吹かれて思いたったのだ。
 ――そしていま、彼らは、吉野を下り、春たけなわの大和路を旅して、伊賀路をいそぎつつある。――
 いや、いそいでは来たのだが、現実に伊賀へちかづいてみると、ともすればふたりの足はためらう。
 無断|逐《ちく》|電《てん》の罪。自由結婚の罪。――鉄のような忍者一族の掟「鍔隠れ連判」。
 それを思って、笛吹城太郎のひたいに|惑《まど》いの翳がさせば、篝火の瞳にも恐れのさざなみがゆれる。
「城太郎どの」
 また、篝火がいった。
「わたしは心配でなりませぬ」
「なにを、いまさら」
「鍔隠れでは、ほんとうにわたしをあなたの妻としてゆるしてくれるでしょうか」
「どんなことをされても、ゆるしを請う。ゆるしてもらわずにはおかぬ」
「いいえ、わたしの忍者としての修行を」
 そして彼女は、ちらと街道の一方を見あげた。
 大和平野も、このあたりになると山が迫ってくる。もっとも、山というより、なだらかな丘陵の連続で、それに茶畑があり、ところどころ山桜が咲いている。|鄙《ひな》びてはいるが、雅味があり、気品がある風景であった。
「城太郎どの、おねがいです。もういちどここで指南して下さい」
「ここで?」
「伊賀へ入るまえに、もういちどわたしの教えられたことを、修練してみたいのです」
「その気はわかるが、もはや、ありのままの篝火を見てもらうしかあるまい」
「でも」
 篝火は、丘の一つを覆う大竹藪へ、|風鳥《ふうちょう》のように駆けのぼっていった。やむを得ず、城太郎もあとを追う。
 春光を|黄金《き ん》の|斑《ふ》のように浮動させている竹藪であった。その|端《はし》に篝火は立って、城太郎をふりかえって、にっと笑った。
 経歴のみならず、事実においてもあねさま女房で、ふだんは城太郎の方が甘えかげんのところがあるが、忍法修行のときだけは、立場が逆になって、世にもいじらしく、可憐なものに思う。――城太郎は思わず返そうとした笑いをおさえて、厳然たる眼になった。
 篝火は身がまえた。いや、その姿勢になんの異常もないのに、全身の肌が寒風に吹かれたようにそそけ立った。
「忍法、三日月剣」
 祈るがごとくつぶやいて、そのまま彼女は歩み出した。小暗いまでに密生した大竹藪の中へ。
 ふつうの人間なら、まっすぐに進むことはむろん、よけてもよけきれぬ竹林の中を篝火はスタスタと草原をゆくように歩む。ただ、風でも出たように、ザ、ザ、ザーッと上の方で竹藪がゆれはじめた。
 きっと眼をすえてすすむ篝火の両腕はダラリと垂れているかにみえるが、しかし注意して視線をそそぐと、そのふたつの|掌《て》はピンと外側に反ってしかも断続的にそれが魚鱗のようにひらめくのに気がついたであろう。すると、その前にある竹がわずかにかたむき、彼女の一方の足がヒョイとその竹を煙みたいに通りぬけるのだ。そのあとで、地上三尺あまりのところで、竹が輪切りになってストンと地におちる。そして上方の藪が、波みたいにさわぎはじめる。
 新月のように反った篝火の|繊《せん》|手《しゅ》のひらめくところ、竹はスッと切断される。もう一方の篝火の腕がそれをおしのける。三尺の高さに切り口をみせた竹の上を、彼女はまたいで通る。――事実の順序はこの通りだが、彼女の速度は常人と変わらないし、見ていると、まるで篝火の前の竹が、じぶんの方から身をよけて、この美女の|蓮《れん》|歩《ぽ》をよろこび迎えているかのようであった。
 忍法「三日月剣」――白魚に似た篝火の掌は、一瞬、鋭利な手刀と変じる。が、十数本の竹を切ったとき、淡い紅色の虹が、霧みたいに吹き散った。血だ。
「――よしっ」
 いまようやく、その背後で、切られた竹が左右からたおれかかり、交差しはじめた下を、むささびみたいに駆けぬけていった笛吹城太郎は、篝火に追いつくと、折れよとばかり抱きしめた。
「みごとだ。立派なものだ」
 抱きあげて、もどりながら、頬ずりする。篝火は笑いながら、傷ついたじぶんの掌を、城太郎の口へもってゆく。城太郎は、それをしゃぶって、血をぬぐいとってやる。
 そしてふたりは、血と火の匂いのする口づけをした。――それは、青い竹林を城太郎の足が出るまでつづいた。
 藪を出て、明るい陽光が顔にさしたとき、城太郎の胸の中で、篝火は眼をひらいた。
「城太郎どの」
 夢みるような声だ。
「伊賀へ帰って、もし――ほかの|女《おな》|子《ご》と祝言せよといわれたら、どうなさる」
「ば、ばか。そなた、そんなことをいままで考えていたのか」
「ね、答えて」
 城太郎の純潔で、しかも女を吸引する眼がかがやいた。
「返答は一つしかない。おれにとって、女は未来永劫、世界じゅうにそなたひとりしかない」
「お誓いなさるかえ?」
 篝火の眼もぬれたようなひかりをはなった。
「一生、笛吹城太郎は、篝火のほかに女を断つとお誓いなさるかえ?」
「誓う!」
 城太郎は大きくさけんで、ほがらかに笑った。
「おれと、そなたと連判しようか。鍔隠れ連判よりも|厳《おごそ》かな、めおと連判!」
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:38:53 | 显示全部楼层
     【三】

 春風に二匹の蝶が舞うように、笛吹城太郎と篝火は、また街道へ下りていった。――こんどは、足どりもかるい。
 ――と、柳生の庄へ入ろうとしたとき、ゆくてから奇妙な一団があらわれた。
 墨染めの衣をつけた七人の僧だが、その衣のあいだから腹巻きの鈍いひかりがこぼれ、大刀を帯しているものもあるし、|大《おお》|薙刀《なぎなた》をついているものもある。それから、なんのためか、たたんだ大きな傘を、ななめに背負っているやつもある。七人のうち五人までが|袈《け》|裟《さ》頭巾で|面《おもて》をつつんでいる。いうまでもなく僧兵だ。
 当時、比叡山や興福寺や東大寺などはむろんのこと、ちょっとした寺はいずれも僧兵を擁していたから、これはべつに珍しい姿ではないが、それにしてもこの七人は少々変わっている。袈裟頭巾をつけていないものが二人ばかりあったが、それが山伏のごとく総髪にしているのだ。のみならず、七人とも、なんとなく凄惨な、|凶《まが》|々《まが》しい、獣的な殺気を全身からはなっている。――
 彼らはちかづいて来た。城太郎と篝火は路傍にさけた。
 七人の異形な法師はどやどやと前を通りかかって――ふと、その一人がピタリと立ちどまった。一歩おいて、あとの六人も足をとめた。
 十四の眼が、篝火の顔に吸いつけられていた。
 それから、うなずき合った。ひとりの僧が、野ぶとい声でいった。
「そこの女、来う」
 ふたりがあっけにとられていると、ズカズカと寄って来て、篝火の手をとらえた。その腕を、城太郎がまたつかんで、
「なにをする」
「もらってゆく」
 残りの六人が、グルリととりかこんで、
「うぬはなんだ? 亭主か、弟か」
「なんにしても、手向かいせぬ方が身のためだぞ」
「それにしても、かような美女を身内に持っておるとは|冥加《みょうが》なやつ。いや、これがどれほどの宝かは、うぬにはわかるまい」
「淫石、淫石」
「この女ひとりで、一個の淫石が作れるほどの珍しい女」
 わけのわからない言葉を投げかわすと、のけぞるようにしてどっと笑った。笑いがやむと、また篝火を見た眼が、異様な炎に煮えたぎっている。
「おい、|空《くう》|摩《ま》|坊《ぼう》、さらってゆけ」
「よし来う」
 城太郎の手をふりはらい、篝火をひきずり寄せようとした法師の腕が、このとき、グキリと鳴った。
「あっ、|痛《つ》う」
 空摩坊は悲鳴をあげて、狂気のようにとびのいていた。その右腕が大きく空中に|弧《こ》をえがいたが、あきらかにそれは、関節を肩からはずされた意志のない旋回であった。
「――やっ?」
 六人の僧兵はぱっと輪をひらいて、眼をむいて城太郎をにらんだが、
「こやつ――浮浪の若僧のくせに妙なわざを」
「めんどうだ。斬ってしまえ」
 いっせいに薙刀をとりなおし、腰の|戒《かい》|刀《とう》をぬきつれた。
 城太郎はふりむいた。
「まるできちがい|鴉《からす》のようなやつらだ。みんな羽根をもいでやろうか」
 篝火はくびをふった。
「いいえ、要らぬことです。それよりも逃げましょう」
 城太郎は素直にうなずくと、篝火の手をとった。
「では、逃げるぞ!」
 さけぶと同時に、ふたりは大地を蹴った。とみるまに、その姿は二羽の風鳥のように七、八尺の高さを――僧兵たちの頭上をとびこえたのである。その刹那、虚空で|戞《かつ》|然《ぜん》たるひびきが発して、|氷柱《つらら》がくだけ散ったようであった。
「わっ」
 さすがの僧兵たちが、どっと砂けむりをあげて混乱した。頭上をとぶ姿めがけて、ふたりの僧兵が閃光のごとく大薙刀をなぎあげたが、その二本とも刃のつけねを斬りとばされたのである。僧兵たちが狼狽したのは、空中からふってくるおのれの武器をからくも避けるためであった。
 一刀をひっさげたまま地上にとびおりた笛吹城太郎は、篝火の手をひいて、あともふりかえらずに走った。
「待てっ」
 怒号して、黒い奔流みたいに僧兵たちは駆け出したが、たちまちたたらをふんでとびずさった。ぶつかり合って、ころんだやつもある。逃げてゆくふたりのうしろに、無数の黒い小さい|鉄《てつ》|金《かな》|具《ぐ》が散乱している。ねじくれた|釘《くぎ》を八方に突出させたマキビシという武器を、城太郎がばらまいていったのである。
「きゃつ、忍者だ!」
 総髪を逆立てたひとりが、歯をむき出して絶叫した。
「金剛坊、|天扇弓《てんせんきゅう》をとばせ!」
「おうっ」
 と袈裟頭巾のひとりがうなずいた。この僧兵は、衣をむすぶ帯のあいだに、無数の扇子をさしつらねていたが、それを両掌にわしづかみにすると、ビューッと空へ投げあげたのである。
 一つかみ五本、合わせて十本の扇子は、十本の黒い矢のように飛んでいって、逃げてゆく城太郎と篝火の前方で、いっせいにぱっとひらいた。
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:39:09 | 显示全部楼层
    忍法僧


     【一】

「あっ」
 空を見あげて、笛吹城太郎はさけんだ。
 ぱっとひらいた十本の扇の、その|要《かなめ》からは鋭い針が銀光をはなって――それが、ふたりのゆくてにいっせいに舞い落ちてきたのだ。
 いや、いっせいならまだいい。キリキリと旋舞しつつ矢のごとく落下してくるものがあるかと思うと、なおふたりのうごきを待つかのように空中に浮動しているものがある。
 たたらを踏んで立ちどまる空に、また鳥の羽ばたくような音をたてて、扇がひらいた。金剛坊がさらに腰の扇子を飛ばしたのだ。つづいて、第三の扇の花火が。――それでも、金剛坊のふとい腰をビッシリと巻いている扇の帯の半ばにすぎぬ。
 いまや大空に散った無数の扇の矢は、たたみ針のような凄じい長針を下へむけて、|驟雨《しゅうう》のようにふりそそぎつつあった。
 しかも、その速度の|緩《かん》|徐《じょ》は千差万別ながら、扇の回転によるものか、地におちたときの針の威力を見るがいい。それはいずれも、針も見えないほど、ぷすうっと土にふかくつき刺さってゆく。――
 ――たたたたと城太郎は|篝火《かがりび》の手をひいてもとの方へあとずさって、また棒立ちになった。おのれのまいたマキビシに道をふさがれたのだ。
「あはははははは」
「見たか、忍法天扇弓!」
「気づかなんだが、若僧、うぬも忍びの術の心得があるらしいの」
「伊賀か、甲賀か。――これはおもしろい!」
 マキビシの向こうで、法師たちはどっと笑った。その笑いのまだ消えぬうちに、――
「忍者ならば、ひとつこれを受けて見ろ!」
 ブーンと異様なひびきをあげて、閃光の水ぐるまが飛んで来て、城太郎を襲った。城太郎は、それを斬った。――いや、斬ったと思った。が、そのきっさきに一寸の距離をおいて、それは逆に向こうへはねかえっていって、法師の手ににぎられた一ふりの鎌となった。
「からかってみただけじゃ」
 ヒョロリとしたその法師はあざ笑った。
 ――風天坊だ。
「うぬのそッ首、かき斬ろうと思えば斬れる。しかし、せっかくの忍者――殺すに惜しい。生け捕りにしたい、いや、それよりもまず、その女をわたせ」
 立ちすくみ、笛吹城太郎は歯ぎしりした。眼は血ばしり、そのひたいからはあぶら汗がながれ出した。彼は、実に恐るべき一団に襲撃されたことをようやく知ったのだ。
 ――いったい、こやつら、なにものだ?
「城太郎どの」
 篝火が蒼白な顔で、思いつめた眼をあげた。
「とにかく、争いはやめなされ。手むかえば、殺されます」
「ううむ」
「わたしをわたせと申します。わたしがゆきましょう」
「な、なにを、ばかな」
「あの法師たち、なにものかもしれませぬ。なんのために、わたしをくれというのかもわかりませぬ。それをきいてやりましょう」
 篝火はゆきかけた。城太郎はあえいだ。
「篝火、しかし」
「かりにも、法師です。案ずることはありますまい」
 城太郎はふりかえった。おどろくべきことに、先刻空に投げあげられた扇の矢は、なおヒラヒラと舞いおちつつある。首をかえせば、七人の法師は一団となってじっとこちらを凝視しているが、あの扇を投げた法師はさらに新しい扇をつかんでいるし、鎌を投げた法師はふたたびその鎌をふりかぶっている。
 その方へ、篝火は、路上のマキビシをよけながら、はや四歩五歩進んでいる。城太郎は身もだえしてさけんだ。
「待て、篝火」
 篝火は、必死の眼で城太郎をにらんだ。
「生きて、伊賀へかえらねばなりませぬ」
 そして彼女は凄艶にほほえんだ。
「法師どのとて男。……わたしは|乳《ち》|守《もり》第一といわれた傾城でありますぞえ」
 おそらく彼女は、どのような無法者だろうと、相手が男である以上、なだめ、とろかす遊女としての|手《て》|練《れん》|手《て》|管《くだ》に自負をもっていたのであろう。いや、その自信を死に物狂いに呼び起こそうとしたのであろう。――しかし、この自負がどれほどあやまっていたか――この相手が、いま見た以上に、いかに恐るべき怪物であったかは、彼女がさらに五、六歩あゆんだときにわかった。
 本能的に恐怖にかられて、城太郎は追おうとした。
「篝火!」
 その一瞬、さっき鎌をなげた法師が空を飛んだ。片手に鎌をもち、黒衣を翼のようにひろげた姿が鷲みたいに舞い下りると、もう一方の腕で篝火を横抱きにした。とみるや、その足は地にもつかず、また羽ばたくようにもとの路上へ飛びかえったのである。
「女は、もらった!」
 とたんに、この三次元の力学を無視した魔僧は、
「むっ」
 と、うめいて、身をねじった。その足もとに、ぱっと血がしぶいた。
 空中をさらってゆかれながら、篝火が|懐《かい》|剣《けん》をひきぬいて、彼の|脇《わき》|腹《ばら》を刺そうとしたのだ。いまこの法師らを懐柔してみせるといったはずの篝火だが、突如として、こういう行動に出たのは、いまはこれまでと思いきったためか。それともあまりの破天のわざに狂乱したためか。
「こやつ――小癪なまねを」
 篝火の手くびをつかんだまま、風天坊はにらみつけた。骨もくだける痛みにのけぞりかえった篝火の顔に顔をおしつけるようにした法師の眼に、ぎらっと青い殺気の炎がもえた。――篝火の一刺しは、たんに脇腹をかすめたにすぎなかったらしい。
「ま、待てっ」
 絶叫して、城太郎はマキビシを踏んで走った。もとよりそれを避けることも、判断の外にある。
 このとき七人の僧は、城太郎や篝火から眼をそらして、顔を反対の方向へむけていた。
 西の――街道の彼方に、土けぶりとともに騎馬の一隊があらわれた。
「あれはなんだ」
「十数騎はおるな」
「厄介だ。――|水《すい》|呪《じゅ》|坊《ぼう》、片づけろ」
「心得た」
 電光のような会話がかわされると同時に、総髪の法師がまたふりむいて、殺到してくる笛吹城太郎めがけて、びゅっとなにやら投げつけた。
 それは、数個の赤いつぶてのように見えた。赤いつぶては、城太郎の眼前でぱっとひらいて、半紙大の紙となった。城太郎の一刀がきらめいて、それを切ったと思ったが、それは二つに折れて刀身にくるっと巻きついた。
「おおっ」
 その一刀が空をきるまに、別の数枚が風をはらんで、べたっと城太郎の顔や胸に|貼《は》りついた。
 城太郎はからだをくの字なりにした。一方の手で、顔に貼りついた奇怪な紙をむしりとろうとする。が、それは朱色の肉づきの面みたいに密着して、とりのぞくことはおろか、破れもしなかった。眼もみえず、息もつまり、城太郎はマキビシの中にふしまろんで苦悶した。
「生け捕ろうと思ったがそれもめんどう」
「女、あきらめろ」
 抱きすくめる腕から、身をもんで篝火はのがれようとした。
「あっ、城太郎どの! あのひとを殺さないで! わたしを殺して!」
「そうはならぬ。……|虚《こ》|空《くう》|坊《ぼう》、しまってしまえ」
 風天坊は、もう半町ばかりの距離にちかづいた騎馬の影を見ながら、あごをしゃくった。と、またべつの――背中に恐ろしく大きな傘をしょっていたのが、うなずくとその傘を肩ごしにぬきとって、ぱっとひらいた。
 直径七尺にちかい巨大な傘であった。それにくらべて、柄は極端にみじかい。――もうピクリともうごかない城太郎へ、狂乱したように身もだえしていた篝火は、日輪が地におちたようなまばゆさに思わずふりかえってそのまま眼がくらんでしまった。傘の内側が、凄じいかがやきを発している。――その中に、半裸となったじぶんの姿があった。
 鏡だ、と気がついたとき、その傘がフワと覆いかぶさってきて、彼女は失神した。
 失われたのは彼女の意識ばかりではない。――
「忍法かくれ傘!」
 笑うような声とともに、虚空坊はその傘をとじた。篝火の姿は、路上から消えていた――なんたる怪異、傘は篝火をとじこめたまま、ピタリともと通りの一本の長い筒となって、ヒョイと虚空坊の肩にかつがれてしまったのである。
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:39:28 | 显示全部楼层
     【二】

 騎馬の一隊は|蹄《ひづめ》を早めて疾駆して来た。
 七人の僧は屏風のように路をさえぎっていたから、手前の光景は見えなかったろうが、それでも彼らの挙動がただならぬものに見えたことはむろんだし、それに――現実に地上に散乱しているマキビシと、たおれている城太郎と、さらにその彼方に、いまやまったく落ちつくし、地に植えたようにつき刺さっている奇怪な扇と――この異常事に気づかぬもののあるはずがない。
 しかし、騎馬群の先頭に立った武士は、塗り笠の下で、一言も口をきかない。じろっと見下ろされて、かえって法師らの方が路をひらいた。
 十数騎は、そのまま通った。重厚な、山国の気につつまれた一団だ。|鉄《てっ》|蹄《てい》にマキビシを蹴ちらしてすすみ、そしてたおれている笛吹城太郎のそばで手綱をひいた。
 なんとなく、法師たちは間のわるい表情で、ソワソワと歩き出している。いま騎馬群がやってきた方角へ、十数歩遠ざかってから、
「なんだ、柳生ではないか」
「新左衛門であったな。いま、信貴山城から帰国してきたとみえる」
「われらを知らぬはずはないのに、|会釈《えしゃく》もしおらぬ」
「かえって、|破《は》|軍《ぐん》|坊《ぼう》など、ばかめ、こちらからペコリと頭をさげおったぞ」
「柳生といえば、弾正どのの一鞭で息の根もとまる小大名。――えっ、|業《ごう》|腹《はら》じゃ。ひきかえして、ひとつ胆をひしいでくれようか」
「待て待て、空摩坊と風天坊が傷ついてもおるし――柳生の庄はすぐそこだ。みずから求めて敵にまわすこともあるまい。きゃつら、なにをしておる?」
「死骸のまわりにたかっておる」
「いまさら、生きかえるものか」
「ええ、めんどうだ。ゆけゆけ」
 そのまま、妖雲のながれるように、街道を駆け去ってゆく。
 ――一町も駆けてから、虚空坊が、肩にかついでいた傘をとりなおして、ぱっとひらいた。と、おどろくべし、その傘の上に花たばをかけたように、半裸の篝火の失神した姿があらわれて、どどっとずり落ちて来た。
「――よいしょっ」
 ひとりがそれを受けとめ、小脇に抱きかかえ、その間、足なみもみださず、飛ぶがごとく西へ消えていった。

「――殿、奇怪なこともござる。これは面の皮を|剥《む》かれたものではござりませぬ」
 ひざまずいていた家来のひとりが、愕然として顔をあげた。
「と、申すと?」
「顔に、血にひたした薄紙様のものを貼りつけたものらしゅうござるわ」
 地に伏していて、いまあおむけに横たえられている人間の顔は、満面朱に塗りつぶされて、はじめまったく皮膚を全面ひんめくられたように見えた。
 ――ただ、それにしては眼も口もないのにいぶかしさをおぼえて、もういちどまじまじと見入っていた家来が、はじめて気がついたのである。
「なに、血にひたした薄紙?」
「このものの血かもしれませぬが――とにかく、恐ろしく血なまぐさい。――」
「とって見ろ」
 と、柳生新左衛門がいったのは、むしろ好奇心だ。たおれている人間の脈がとまっていることはたしかめられていたから、助けるつもりなら|無《む》|益《やく》のことであった。
 家来は、その朱色の紙を剥がすのにかかった。まるで糊か|膠《にかわ》で貼りつけたようだ。剥ぎとられた一片はまさに薄紙としか見えないのに、なんでつくったのか、絹地みたいな|強靭《きょうじん》さがあった。それに――戦国往来の武士のひとりとして、血の匂いは馴れているだろうに、途中でしばしばむせかえるほど甘ぐさい、妙な匂いが鼻孔をつく。
 手にとって、柳生新左衛門はくびをひねったが、わからない。
「不可思議の術を使うやつらとは存じておったが。――」
 と、つぶやいて、ふりかえった。もう街道に、七人の怪法師の影はない。
「それに、先刻ちらと遠眼ながら、たしかに女らしい影が見えたようであったが、近づいてみると、女などおらなんだの」
「拙者もそれを不審なことに存じておりました。しかし――この数日来、信貴山城にぞくぞくとさらわれてくる女人のことを思い合わせますると――」
 と、そばの家来がいったとき、地上で作業をつづけていたひとりが、ふいに、
「お!」
 と、さけんだ。
「殿。……このもの、心ノ臓がうちはじめたようでござる」
「ほう」
 新左衛門はのぞきこんだ。
「お、見ればまだ若い男。気丈者らしい、よい顔をしておる。もし女がさらわれたのがまことならば、姉か、女房か。――それにしてもこやつ先刻たしかに息絶えておったな」
「御意」
「さすが、忍者だな」
「忍者――このものも、忍者と仰せでござりますか」
「さればよ、あの化け物ども七人を相手に、かくもたたかった跡を見るがよい。ひょっとすると、伊賀者か、甲賀者ではないか」
「殿。しだいに甦って参ります。柳生の庄へつれかえってやりましょうか」
「……いや、待て」
 柳生新左衛門はしばしためらったのち、強い語気でいってくびをふった。
「そうすれば、松永家と伊賀一党との争いに、柳生がかかわり合い、深入りするおそれができてくる。それはまだ早い。柳生はまだ石の舟のごとく水にひそんでおらねばならぬ時世時節じゃ。それに、さらわれた女も信貴山城に入った上は、もはや魔神にささげられた|犠牲《に え》にひとしい。……無益じゃ、見すててゆこう」
 それから、いそいで家来に矢立てと紙を用意させた。
「ただ、こやつ――この|面魂《つらだましい》、この生命力、ましてや、伊賀者だ。甦ったあとで、なにを思い立つか知れぬ。いま松永弾正に刃むかうは、まさに鉄壁に卵を投げるようなもの。あきらめさせておこう」
 紙にスラスラとなにやら墨を走らせて、折りたたんで城太郎のふところに入れた。
「それでもなおかつ、こやつが何事かをなさんとする気があれば……それはこやつの勝手じゃ」
 そしてつかつかと鞍のそばにもどり、ヒラリと馬上に身を浮かせると、
「ゆけ」
 鞭をあげて、あともふりかえらず、柳生の庄の方へ駆け出した。つづく砂塵が、まだうごかぬ笛吹城太郎を覆った。

 笛吹城太郎は甦った。
 そして街道に人影もなく、ただ懐中に一枚の紙片のみが残されていることを知った。
「珠は、魔界の龍王の爪につかまれおわんぬ。もはや人力を以て奪い返すことあるべからず。とくに、|七《しち》|爪《そう》|牙《が》たるものは、幻術師果心居士直伝の|愛《まな》|弟《で》|子《し》たり。
 風天坊。
 空摩坊。
 虚空坊。
 羅刹坊。
 金剛坊。
 破軍坊。
 水呪坊。
 いずれも驚天の忍法者にして、これとたたかうは龍車にむかう|蟷《とう》|螂《ろう》の斧、ただ死あるのみと知るべし」
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:39:44 | 显示全部楼层
     【三】

 ――曾て[#電子文庫化時コメント 底本「曽て」]、侍女数人との|痴《ち》|戯《ぎ》を見せながら、はばかるところもなく家来を呼んで指図したというほど傍若無人な松永弾正だが、しかしこの数日、信貴山城にくりかえされている光景には、この世のものならぬ悪魔を見る思いであった。
 七人の法師は、毎日城を出ていっては、女をさらって来た。「……その愛液をながす女、この世のいかなる女にても間に合うというわけには参らぬ。元来、それほどの愛液をながす濃情の女人、またもとより美女でのうては、天狗どもの気にいらぬ。それは、このものどもの選ぶにまかせられたい」と果心はいったが、なるほど彼らがさらってくるのは、城下にこれほどの美女がいたのかと弾正が眼を見はるほどの女ばかりであった。
 彼女たちは、いずれも天守閣下の石でたたんだ一室に投げこまれた。――弾正がそれを命じたのだ。
 七人の根来僧の所業は、さしもの弾正が眼を覆い、耳をふさぎたいほどであった。はじめ弾正は、彼らのさらって来た女があまり美貌ぞろいなので、彼らにまずゆだねるのがもったいないような顔をしたが、
「まじりけのない淫石が、一日も早う欲しゅうはござらぬのか」
 と、冷嘲するようにいわれて、ひとまず手をひいた。淫石もさることながら、いかなることをするか、それを見たいという好奇心もあったのだ。
 さらって来た女の数も日によってまちまちなら、それを犯す彼らの数もまちまちであった。五人に六人かかることもあれば、三人に五人かかることもあった。あるいは一人に一人だけかかって、あとの六人はこれを腕こまぬいてただ見物していることもあった。
 最初のうちは、常人と変わらない。あまりにも白く、あまりにも細い女体を抱きしめ、おさえつけた法師のからだが、あまりにも黒く、節くれだって、且つ毛だらけなのが対照の妙をきわめていると見えるだけで、泣きさけびながら抵抗し、あるいは恐怖のあまり半失神状態にある女たちをとりあつかうのに、むしろ彼らのやさしさはうすきみわるいほどであった。
 八ツ手みたいな掌で、全裸に剥いた女の肌をなでさする。乳くびをいじりながら、耳たぶをかるくかんでなにやらささやく。やがて、大きな舌を出して、女のからだをなめはじめる。牛みたいに厚くて、ザラザラした舌だ。――これくらいのことは、弾正だってやることだが、ただこの時間が恐ろしくながい。しだいに女の皮膚があからみ、眼がぽっとうるんでくる。
 酒をのめば意志とは無関係に人は酔う。同じように、女は酒に酔ってきたようであった。はずむ息を吐くためにひらいた口を法師は唇と舌でふたをしてしまう。息もできず女は身もだえし、やおら呼吸がゆるされると、それは、笛のようなひびきをおびる。このころ、女はすでに犯されつつある――。
 法師の腰は、その巨大さに似げなく、まるで粘体みたいに柔軟であった。それは女の腰を波みたいに軽やかに|翻《ほん》|弄《ろう》した。それがどれほどの快美をあたえるのか、この段階ですぐにいくどかまた失神する女もあった。にもかかわらず、法師の腰は女をとらえて離さない。
 はじめ、眼をギラギラさせて見物していた弾正も、しだいに吐気をもよおしてくるほど、それはながい時間であった。しかしこのころから、法師らの所業は獣の愛撫と変わる。その鋼鉄に似た腰は、鞭のような音をたて、摩擦される女の腹はすりむけて、血をにじませた。
「ああーっ、ああーっ」
 女はさけんだ。痛苦の悲鳴とも、法悦の号泣ともつかぬ声であった。それでも、法師はゆるそうとはしない。
 折れよとばかり抱きしめたまま、ゴロゴロと床をころがりまわる。立ちあがって、歩く。はては空中にとびあがって、いっしょに床にころがりおちる。床にはバラバラになった毛が散り、血さえしぶいた。
 さすがの弾正が、いかに「淫石」の原料を採取するためとはいえ、ついに|辟《へき》|易《えき》してこの作業場を地底の石室に移したのは、このあまりにももの凄じい音響と光景にたまりかねたためだ。
 ――そのあいだの快美恍惚のために、十人に五人は息絶える。生き残ったものも、まず廃人同様となる、と果心はいったが、まさにその通りであった。ただそれがはたして快美恍惚のためであるか、どうかは大いに疑問だ。第一、法師たちは、はては完全に獣と化したかのごとく、女の舌をかみちぎり、乳くびをくいちぎり、四肢の骨さえへし折ってしまうことがあるからだ。
 ただ生き残った女が、廃人――まさに廃人にはちがいないが、ふつうの乱心状態ではなく、色情狂、肉欲の|餓《が》|鬼《き》ともいうべき生き物に堕ちるところをみると、果心の言葉が一脈の真実をつたえていないとはいえない。――
 さて、まるで獣人の|戯《たわむ》れか、あるいは虐殺といっていいこの作業において、法師たちがやはり一つの目的を忘れてはいないと思わせる光景が挿入された。
 それは作業の途中のこともあったし、事後のこともあったが、突如としてこの凶行者が、
「|女是畜生《にょぜちくしょう》、|発《ほつ》|菩《ぼ》|提《だい》|心《しん》!」
 と|吼《ほ》えて、とびずさる。
 すると、それから一息おいて、女のからだから、ビューッとほそい一条の液体が噴きあがる。――それははじめ、あきらかに血をまじえた液体であったが、一息おいた二回目には雨のように|透《す》きとおったものとなる。さらに一息おいた三回目には――このとき、一個の壺をもって走り出たべつの法師が、ピタリとその口でふたをして、しずくももらさずその愛液を受け入れるのであった。
 この間、彼らは別人のごとく厳粛な表情となっている。
 いったい、女にはすべてこれほどの愛液がたくわえられているものか、その道では|蘊《うん》|奥《のう》をきわめたつもりの弾正も、ただ|瞠《どう》|目《もく》するばかりであったが、しかしこの忍法僧らには、彼らだけが知っている秘伝と鉄則があるらしい。そういえば、女の数と、それを犯す彼らの数とのあいだにも、たんに肉欲の狂奔にゆだねることなく、ある可能性を見込んでの関連があるらしい。この女には、これだけの量の愛液が埋蔵されているとか、何人で掘って、はじめて噴出するとか。――
 そして、ある日、弾正のまえに、ひとりの女がひき出された。
 法師たちが笑っていった。
「殿、ご覧なされい、この女を。――この女には、一人以ていままでの女たちすべてにかなうほどの愛液がござりまするぞ」
 篝火であった。
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:40:04 | 显示全部楼层
    無惨流れ星


     【一】

 |篝火《かがりび》は全裸であった。
 丈なす黒髪は肩から、背、胸までみだれかかり、真っ白な肌のあちこちからは血さえにじんでいる。ほとんど立っているのが精いっぱいといったふうであった。――ここへつれ出されるまでの猛烈な抵抗のはての姿である。
 柳生の庄にちかい伊賀路で、奇怪な忍法僧の一団と死闘し、そのすえに、いったいどういう経路でここへ運ばれてきたかわからない。笛吹城太郎から忍法の手ほどきを受けたはずのじぶんが、ほとんど|嬰《えい》|児《じ》にちかいほど無抵抗であったことはたしかである。
 この城にさらわれてきて、はじめて失神からさめてのち、同じようにさらわれてきたほかの女から、ここが大和の信貴山城であることをきいた。天下に悪名たかい松永弾正の城だ。あの法師たちは、この魔王につかわれる|眷《けん》|属《ぞく》であったらしい。篝火は絶望を感じた。
 それでも、篝火が舌をかんで死ななかったのは、城太郎を想えばこそだ。
 城太郎は死んだ。奇怪な朱色の紙を顔に吹きつけられ、マキビシの中にふしまろんで苦悶していた城太郎の姿は、まだまざまざと網膜に残っている。「きゃつは、死んだ」。法師たちも、はっきりとそういった。九分九厘まで篝火はそう信じた。
 しかし、一厘、信じきれないところがあった。妻としてのたんなる望みばかりではなく、笛吹城太郎という野性児に、常人でない野獣めいた生命力のあることを、彼女は感得していたからだ。
 生きていて欲しい。生きているかもしれぬ。もしあのひとが生きているとするならば――彼女も生きたかった。どんなことがあっても、あのひとといっしょに伊賀へゆきたかった。こんなところで、わけもわからず死にたくはなかった。それは女として当然な、身もだえするほどの祈りであった。
 そして、もしどうしても死なねばならぬのなら――もはやじぶんは遊女ではない、伊賀の郷士笛吹城太郎の妻である。そのじぶんの貞操にもし危険がおよぶようなら、もとよりわたしは死ぬつもりでいる。もし死なねばならぬのなら――わたしがそうやって死んだことと、敵の正体とを、ひとこと城太郎に告げてから死にたかった。
 篝火がいままで生きていたのはこのためだ。――いま、しかし彼女は、眼前の魔王に、絶望的な、しかし異様な生命のひかりをはなった瞳を投げた。
「殿。……殿を例のところにご案内いたさず、こちらからここに参上つかまつったは、一刻も早うこの女をお見せいたしたく存じたからでござる」
 虚空坊がまたいった。例のところとは、ふだん女たちの愛液を採取する石室のことだ。
 ここは天守閣の上にある弾正の居室であった。このごろさしもの弾正も、法師たちの所業に辟易気味で、あまりそこにゆかないものだから、法師らの方で推参してきたものとみえるが、それにしても城のあるじがどっちかわからない、人もなげなるふるまいだ。弾正は、|漁火《いさりび》という第一の寵姫を擁して酒をのんでいたところであったから。
 松永弾正は、じいっと、篝火を見すえている。
「どうでござる。――美女でござろうが」
 鼻うごめかして空摩坊がいえば、風天坊もいう。
「そのうえ、たんにそこらのしゃッ|面《つら》が美しいだけの女ではない。いままでの女たちに匹敵する愛液を蔵する女」
「まことに天下にふたりとない女でござるわ」
 と、羅刹坊がいった。
「いざ、それがまことなることを御見に入れよう」
 あと四人の法師が、篝火をひきたてて歩き出そうとした。――
「――待て」
 と、弾正はさけんだ。
 そうさけんだきり、まだまじまじと篝火を見まもっている。決死の反抗の眼をむけている篝火が思わず視線をそらしたほど、それは異様な凝視であった。
「う、右京太夫さま」
 つぶやいて、フラフラと彼は立ちあがった。
「なに、右京太夫さま?」
「これが……」
 法師たちは妙な表情で、弾正から篝火に眼をうつしたが、すぐに、
「ははあ、それでは」
「この女が、右京太夫さまに似ておると仰せられるか」
「ちがう。ちがい申す。これは伊賀の忍者の女房。……どうやら、こやつも忍者のわざのはしくれくらいは心得ておるようす。|上臈《じょうろう》右京太夫さまなどとは、とんでもない」
 そして、水呪坊が、
「女、そこに寝ろ」
 と、大喝した。
「ま、待て」
 弾正はまたうめいて、泳ぐようにこちらに出てきた。
「その女、うぬらのままにはさせぬ」
「――殿。これは右京太夫さまではありませぬぞ」
「わかっておる。それでもよい。……とにかく、その女は、おれがもらった」
「なるほど。しかし、殿、殿のおん手並みでは恐れながら、こちらの望むだけの愛液はとれませぬが、それでもよろしいか」
「――それでよい。それでもかまわぬ」
 弾正はなお篝火に眼を吸いつけたまま、酔ったようにいった。
「ほう。……右京太夫さまとはあのような顔をした方か」
 うしろで、声がきこえた。寵姫漁火である。
 これももとより美しい。美しいが、淫美とも白痴美ともいっていい。――実はさっき風天坊が、「そこらのしゃッ面が美しいだけの女」とあてこすったのは、まさにこの漁火のことだ。もっとも彼らがほんとうにそうかんがえていて、そんな女に満足している弾正をあざ笑ったのか、それとも、彼らの凄じい肉欲の対象にはなっているのだが、いかになんでもこれには手がつけられないから、やっかんでいったのか、そこはわからない。――とにかく、いまのところは、弾正がもっとも|鍾愛《しょうあい》おかざる美女であった。
 その漁火が、|嫉《しっ》|妬《と》に顔をゆがめてさけび出した。
「いいえ、なりませぬ、殿。……右京太夫さまのことは、わたしももうあきらめました。そこまでご執心ならしかたがない、と存じておりました。けれど、右京太夫さまがお手に入るまでは、わたしのほかの女はみななぐさみだ、と仰せられたではありませぬかえ。お約束がちがいます。その女は、右京太夫さまではありませぬ。……これ、法師どの、いつものようにその女をとらえて、はやく料理しやい。死のうとかまわぬ。狂おうとかまわぬ。存分にさいなんでやりゃ。きょうは、わたしも検分しよう」
「うるさい。だまってきいておれば――」
 なお恍惚として篝火をながめていた弾正は、ふりむいて叱咤して、つかつかとこちらに寄ってきて、篝火の手をつかんだ。
「|喃《のう》、こちらへ参れ」
 おさえようとした金剛坊と破軍坊の腕を、珍しく無遠慮に弾正は、ピシリとはねのけた。
「うぬら、|僭上《せんじょう》であろうぞ。うぬらは果心よりもらい受けた。果心が受け取りにくるまでは、うぬらのあるじはこのおれだ。すざりおれ。きょうはこのまま、下がりおれ」
 松永弾正に、あのまがまがしい知恵と弟子をさずけた果心居士は、数日前に、いずこともなく飄然と信貴山城を去っていったのである。
 弾正はほとんど野獣の眼つきになって、篝火の手をつかんで、歩き出そうとした。――
「危ない!」
 突如、なにをみたか、金剛坊と破軍坊がふたたび躍りあがって篝火をとらえようとした。その勢いに思わず弾正が手をはなしたとたん、篝火は襲いかかってくるふたつの巨体の下をくぐりぬけて、トトトトと走り出した。
 ――あっというまもない。ふつうの女ではかんがえられない身のはやさである。とみるまに、篝火は向こうの障子をあけた。蒼い大空が見えた。
 そこは高欄であった。高欄の彼方は無限の空間であった。篝火の足はたたらをふんだ。
 が、背後から殺到してくる法師たちを見ると、彼女は高欄へとびあがり、床を蹴ってその空間に身をおどらせた。もはや、万事休す、と観念して、彼女はみずから死をえらんだのである。
「そうはさせぬ」
 真っ先の風天坊がそのあとを追って、空中に飛んだ。とみるや、またもみせる破天の忍法枯葉がえし、落ちゆく篝火を風にさらい、この魔僧風天坊は、フワと高欄に、はねもどってきたのである。むろん、篝火を横抱きにして。
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:40:42 | 显示全部楼层
     【二】

「どうでござる」
 風天坊が座敷にかえってきて、鼻うごめかした。
「殿。……いますておかば、殿の腕の蝶つがいをはずされるところでござりましたぞ。腕ならばよいが、|頸《くび》か腰の骨をもはずされかねぬ。この女をさらうとき、同行した伊賀者のために、空摩坊すら痛い目に逢い申した。この女はその男の女房らしい。ただものではござらぬ」
 そういったとたん、風天坊はいきなり横抱きにしていた篝火を放り出し、どうと片ひざをついた。そのふとももから、鮮血がほとばしった。
「や、やりおったな」
 投げ出された篝火は、白い鞭みたいにはね起きると、またたたみを蹴った。高欄の方には金剛坊と破軍坊がつっ立っていたから、逆の方向へ――あと四人の法師らの頭上を飛んだのである。さすがの法師らも、武器はおろか一糸まとわぬこの女が、どうして風天坊のふとももから血をほとばしらせたのかわからなかった。わからないが、そうとみるより、四方へ散って篝火の退路をふさいだのは電光よりも迅速であった。
 篝火は空で一回転して、立った。そこは大きな壁の前であった。
 さらにその前面に散った四人の法師は、いっせいに抜刀したが、顔見合わせてニヤリとした。
「思わずも、刀をぬいたが、大人気ないな」
「しかし、やりおる」
「が、窮鼠だ。もはや、のがしはせぬ」
「さて、いかにしてつかまえるかじゃ。……たのしみでもあるぞ」
「だれがかかる?」
 篝火は壁の下に立って、四本の戒刀をながめ、この問答をきいていた。白蝋のような無表情であった。
 彼女はのがれようとは思っていない。彼女は、さっきあけはなした障子からみえる蒼い大空に眼をあげる。祈るような眼であった。――それから、じぶんの右手をしずかに上へあげていった。白い指を、新月のようにピンとそらせて。
 篝火は口の中でなにやらつぶやいた。
「――あっ、いかん!」
 猛然と、殺到する法師らの耳に、すきとおるような声がきこえた。
「忍法三日月剣!」
 同時に、その|繊《せん》|手《しゅ》がみずからの頸を|薙《な》いだかと思うと、その首は黒髪と血しぶきの尾をひいてたたみにころがりおち、つづいて首のない白い胴がその血の中へ崩れおちた。
「…………」
 さすが人間ばなれのした法師らが、この凄惨な破局には眼を見張ったきり立ちすくんだ。先刻からの死闘に息をのんでいた松永弾正と漁火が、この犠牲者の壮絶きわまる自決になかば喪神しかかったのは当然である。
 一息か、二息。――
「いいや、そうはさせぬ」
 羅刹坊の歯ぎしりがきこえたかと思うと、突如として彼は|蝙蝠《こうもり》みたいに舞いもどり――その戒刀が横薙ぎに|一《いっ》|閃《せん》した。
 ばさ! という異様な音がして、またもそこに血けむりが立っている。もうひとつ、首がおちた。――なんと、そこに気死したように立っていた寵姫漁火の首が。
「……な、なにをいたす」
 松永弾正は仰天した。
「うぬは、気でも狂ったか!」
「狂いはいたさぬ。忍法|壊《こわ》れ|甕《がめ》をお見せいたす」
「なに、壊れ甕?」
「と、名づけてはおり申すが、実は壊れ甕をつなぐにひとしい荒業、それ、いつか千鳥、椿とやらいうお女中ふたり、その胴の上下を入れかえてつなぎ合わせた忍法」
 それから、羅刹坊は急にあわて出した。
「とはいえ、そこの女の首、じぶんの手をもって斬りおった。それがまるで刃物のように斬れたが、おれが斬ったものではないから、うまくゆくかどうか自信がない。いそげ、いそげ。えい、この殿はじゃまだ。細工がすむまで破軍坊、ちょっと隣までおはこびいたせ」
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 楼主| 发表于 2008-4-11 12:41:21 | 显示全部楼层
     【三】

 松永弾正は、あぶら汗をながしながら座っていた。
「まだか?」
「――いましばらく」
「両人とも生き返らぬのではないか?」
「――千鳥と椿のこと、お忘れではござりますまい」
「いかにも、おれは見たが」
 と、弾正はいって、吐き気をおさえるように口に手をあてた。そうはいったが、実は弾正は見ていない。あの夜、千鳥と椿を横たえ、胴を切断して上下をとりかえるという凄惨言語に絶する忍法が行なわれたとき、まさに彼はおなじ高欄にいたが、ふたりの被術者と戒刀をふるう羅刹坊のまわりを、六人の根来僧が黒い|屏風《びょうぶ》のようにとりまいて、その手伝いをしていたし、二匹の白い魚のような腹に刃があてられるところまで見て、弾正は顔をそむけてもとの座にもどってしまったからだ。
「しかし、あのときよりもひまがかかる」
「――それは、羅刹坊が申したごとく、伊賀の女はみずから首をはねたものでござるから」
「もし、死んだらどうする?」
「――どちらがでござる」
「漁火がじゃ。生きておるものの首をわざと切って、もしあのままに果てたら、うぬらただではおかぬぞ」
 破軍坊は、うすく笑った。
 その笑いも気づかぬふうで、弾正は隣室の方を、うなされたような眼つきでながめている。漁火のことをいったが、しかし、ほんとうのことをいうと、あの伊賀の女を失うのは、それ以上にたえられない気がする。
 しばらく、だまっていて、沈黙にたまりかねたようにまたいった。
「羅刹坊は、なにゆえあの伊賀の女の首を、おなじ女の胴につながなかったのじゃ。なぜ漁火の胴につごうとしたのじゃ」
「――さあて、とっさのことで、羅刹坊にきくひまもござらなんだ。うすうす察していることもありますが、ま、細工の首尾がうまくいってから、羅刹坊におききなされ」
「たとえ首尾よういったとして、千鳥と椿は、あれ以来、椿は色きちがい、千鳥は白痴、いずれも哀れな廃人となりおったぞ。伊賀の女、おれは所望はしたが、廃人となってはなすすべもない。ましてや漁火がさようなものとなり果てては。――」
「――いつも、あのようになるとはかぎりませぬ」
「どうなる」
「――あれは、千鳥、椿の愛液をしぼりつくしたあと、壊れ甕の術にとりかかりましたゆえ、両人ともあのようなことになったのでござる。このたびはそれ以前でござりますから、少なくとも一方は正気で生き返りましょう」
「どちらが」
「――おそらく生命力のつよい方が」
 いままで、さも面倒くさげにこたえていた破軍坊がふいにみずから興味につきうごかされたように、
「おそらく、あの伊賀の女の首をもった方が」
 と、くりかえした。弾正の眼がかがやいた。それをジロリと見あげて、
「しかし、殿、たとえそのようになったとしても、それはもはやもとの伊賀の女ではありませぬぞ」
「なんと?」
「いかにしても、両人の血はまじり合います。血がまじり合って、廃人でも狂人でもござらぬが、まったく別の気性をもった人間が生まれ申す」
「ううむ」
 この忍法僧らの驚天のわざにはしだいに馴れてきているはずの弾正にも、ことはますます意表に出て、ほとんど|端《たん》|倪《げい》をゆるさない。
 破軍坊はいった。
「いままで、壊れ甕の忍法をほどこした結果は、たいてい左様でござった。ただこのたび、伊賀の女が生きかえったとき――それがいかなる女になっておるか、ようなっておるか、悪うなっておるか、いまのところおれにも見当がつきませぬ」
 そのとき、襖がひらかれた。
 顔をあげて、弾正は眼をむいた。いまそれについて話をしていたことでありながら、それは身の毛をよだてずにはいられない光景であった。――ふたりの全裸の女がそこに立っていた。
 見よ、伊賀の女はよみがえった。漁火もまたよみがえった。みずから首をはね、また凶刃に首をはねられたふたりの女は、あれは夢魔の景でなかったかと思われるほど、なんのこともなく、いまじぶんの足で立っている。ただ現実のそのくびに、あるかなきかの絹のような赤い輪をとどめているほかは。
「できたか」
 と破軍坊すらうめくような声を出した。
「できた」
 ふたりの女のうしろから、羅刹坊の笑った顔があらわれた。そのむこうで、五人の法師が衣のはしで手をふき、顔をぬぐっているのは、あれは汗か、血か。
「さて、殿、いずれをお望みでござる」
 |茫《ぼう》|乎《こ》としていた弾正はわれにかえって、「篝火の首をもった女」一人のみに眼をそそいだ。
「――で、ござるか」
 と、羅刹坊はまた笑った。
「さようであろうと推量はしておった。しかし、殿、おことわりしておきますが、首はまさに伊賀の女でござるが、首から下は漁火さまでござりまするぞ」
「――よいわ」
 と、弾正はいって、それからぎょっとしたようにもう一方の「漁火の首」をもった女を見た。しかし、その女は仮面のように無表情であった。もともと白痴美ともいうべき容貌の持主であったが、うつろなその眼はたしかに正気ではない。――破軍坊のいったごとく、彼女は廃人となり果てたのだ。
「弾正さまとしてはさもあらん。首から下はちがう。首そのものも、まことの右京太夫さまではない。……それでも、ただ似ておるというだけでご満足なら、まことの右京太夫さまがお手に入るまで、それにて辛抱なされませ」
「いいや、わたしがそれでは辛抱できぬ」
 と、「篝火の首」がいった。
 その声は、しかし漁火の声であった。
 弾正はあたまが混乱した。漁火の声は陰々といった。
「わたしは漁火じゃ。根来衆、ようあの伊賀の女を殺してくれやった。いえ、伊賀の女と顔をかえてくれやった。わたしは顔を捨てるのはくやしいが、殿のお気に召すのが、この――右京太夫さまに似た顔とあればやむを得ぬ。わたしはその顔の女となった。まことの右京太夫さまがおいでになれば、わたしは身をひくというお約束を殿としたけれど、もはやその約束はすてる」
 七人の根来僧もぎょっとしたようすで、そういう「漁火」をながめている。これまた混乱した表情をしているところをみると、さっき破軍坊も自信のないつぶやきをもらした通り、壊れ甕の忍法の果てに、両人の血が、いかに混合し、いかに化合して、どんな魂をもつ女が生まれるか、そこまで計算はできなかったらしい。
「もはやわたしは殿からはなれぬ。弾正さまをはなさぬ」
 漁火はニンマリ笑った。
 眼は黒い炎のようにかがやいて弾正を見すえ、ぬれた唇は媚惑の花のように弾正に吐息をはきかけて、淫蕩、妖艶、邪悪の化身のような女がそこにいた。――しずかにちかづいて、弾正の胸にすがり、頬をピッタリとすりよせて、
「殿もまたこの顔をもつわたしなら、いよいよご満足のはず。――さ、殿、わたしを抱いて下さりませ。死ぬほど、わたしをよろこばせて下さりませ。……」
 と、甘美きわまる声でいったが、すぐ、こわい眼でふりむいて、
「鴉ども、そこの襖をしめや」
 と、いった。
 七人の法師は、めんくらってピシャリと間の襖をしめたが、おたがいに顔見合わせて、めずらしく胆をつぶしたようなため息をついた。
「おどろいたな」
「あんな女に生まれ変わるとは」
「あの女……ひょっとすると、おれたちの手にもおいかねるぞ」
「これでは、ほんものの右京太夫さまはもう要らぬではないか」
「いや、ほんものの右京太夫さまが、あれほどの女かどうか、疑わしいほどじゃ」
「あれですむなら、果心居士さまの当面のお望みもそれですむわけじゃが」
「しかし、やはりそれではすむまい。果心さまがまたおいでなさるまで、われわれはやはり淫石作りに精を出さねばならぬ」
 七人は、そこでまだ白い影のように立っている、「漁火の顔をもつ女」に眼をあつめた。
 隣室では、ふたりのあいだになにが起こったか、とろけるような女の|喘《あえ》ぎがながれ出し、やがてふいごみたいな弾正のうめきがそれにからみはじめた。
 七人は苦笑した。
「あの女は、しかし漁火のからだをもつ女」
「それで、弾正どののあの有頂天ぶりは……ちときのどくでもあるな」
「これこそ、伊賀の女のからだをもったやつ」
「さればこそ、ふたりの首と胴をとりかえたのじゃ」
 七人の毛むくじゃらの腕が、白蝋のような女の胴にからみついた。ひとりが肉欲にひきつったような声で、
「おい、だれか愛液を受ける壺を持って来う」
 と、いったが、十四本の腕は、どれもとっさに離れようとはしない。――
 それでも、その女はのがれようともせず、十四本の毛むくじゃらの腕の愛撫にまかせるのみか、しだいにくねり、血潮の色さえさしてきて、その獣的な愛撫に応えようとしはじめるのであった。
 女は、七人の法師に犯された。まだたたみにぬれ残っている自分の血潮の中で。

 愛液をしぼりつくされた「漁火の顔をもつ女」すなわち、白痴と化した「この篝火のからだをもつ女」が、信貴山城から姿を消していることが発見されたのは、その翌朝のことであった。
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