|

楼主 |
发表于 2008-8-31 17:35:32
|
显示全部楼层
③ 「Nの」の受身 : w8 A$ t4 g) D+ U& A8 q
以上は、受身の「Nが」になるものが、元の文で動詞の補語でしたが、そう 7 m3 p4 q. u1 k% _$ c8 T
でない受身文があります。一つは、元の文で動作の対象となる補語を「Nの」 - d$ K9 D) A/ u- q% W g$ L
の形で修飾している要素が、受身文の「Nが」になる型のもの。こう言うと何 / c. G, ~- c) e @
か複雑ですが、実際にはよくある文です。「持ち主の受身」と呼ばれることが % O7 H& u6 K3 n) {/ z
あります。「直接の受身」の対象と受身文の「Nが」がちょっとずれた感じで
: V5 O" K8 |5 j3 f3 s6 @1 [9 R& s! xす。
3 [7 `8 c+ R) V* W* P AがBのCをVする→BがAにCをV-される
9 i5 N0 p6 S9 @- K7 ] 誰かが私の足を踏んだ→私は誰かに足を踏まれた 2 L4 x7 t! p; X. [
彼はすりに財布をすられた。
2 S0 I0 v) e% j& X7 p 先生にレポートをほめられた。
( I, q$ J! I9 D! S, K k) `3 s 小学校の先生に息子をほめられた。 $ @: j* h% e% P, v6 Y( z
肩をたたかれて振り向くと、彼がいた。 ) P2 s* G1 ?- G' C, C
朝顔に釣瓶とられてもらい水 r$ [# g+ Z; {5 x
この中で「C」が体の部分の場合と、持ち物・作品(子どもは作品?)など ! ]4 P, H* c8 Z
の場合があります。 4 _- U/ a2 \! i% p" @
体の部分の場合は、「BのCを」をそのまま「BのCが」には持って来にく
/ M; {5 R! e% p7 Y( ?: @' N4 t' Cいという傾向があります。
- x% d5 u2 p# h3 H ? 彼の足が(は)誰かに踏まれた。
: ~( I: ~- ~( n }# A ? 私の肩が(は)たたかれた。(「私は肩をたたかれた」との違い) / ?7 Y- V, d% ^+ k( x% v
それに対して、持ち物などの場合はいくらかいいようです。 J0 \ g: [4 e# ] ~9 w V7 j
彼のかさは誰かに持って行かれ(てしまっ)た。
" S$ ^/ b4 J/ Q" y. o+ X7 S 私の息子が先生にほめられた。 ( J! J1 @8 _+ L! r) V
この「AがBのCを」を「BがAにCを」とする型の受身はよく使われるも
' ]6 L9 ^% W& P' ^のですが、日本語学習者にとっては使いにくいもののようです。上に述べたよ
! i* C# E: O! K6 x0 ?5 U1 a' N: ]うな「BのCが」にしてしまう誤りがよく見られます。 2 v" h" W S$ {# Y4 L+ K
この受身と次の「迷惑の受身」との違いは微妙なところがありますが、一応 ' T! I+ C; ~/ L/ T$ D
はこちらのほうが動作の影響が直接的であると言えます。
* F/ I4 U. M! `3 t8 b0 n④ 間接受身
. R9 R# r; k* c; e: a# V1 W% D4 x もう一つは、元の文には受身文の「Nが」が直接出ていないものです。むろ
9 s8 X! ? @. A' zん、元の文の内容と、その「Nが」とが何の関係もなければ受身文にはならな
6 K* v5 U. @: Q5 D: lいので、何らかの被害・影響を受ける立場にあります。そして、この受身文の
% D F. @1 T" a; F5 g, C4 G: c特徴は、必ず「迷惑」を受けることを表すことです。迷惑といっても、「殴ら
5 B- K Q% k8 K9 W) Eれる・殺される」のような直接的なものでなく、「はた迷惑」と言ったほうが
1 c; Y! F0 Z. j1 t$ Fいいものです。 3 E, p8 _; @+ x* A6 b6 X
A 子どもたちは、学校の帰りに雨に降られた。(雨が降る)
+ N4 i# y# j: H% \+ |/ V/ e 私はゆうべ赤ん坊に泣かれて眠れなかった。(赤ん坊が泣く) 9 h; f& P3 m( k/ F& @, I
そんなところに立っていられては迷惑です。(人が立っている)
8 t. a1 g0 A3 g0 a( p4 d, C 彼女は若くして夫に死なれ、幼い子どもたちを育てあげるのに苦労 * O6 [# u- J) b# ~, i; ?7 Y
した。(夫が死ぬ)
" t1 \% \- H6 ?/ _) n おい、動け。こんなとこでエンコされたら困るよ。(愛車が) . X* M- p( U* J: T! Z0 a2 a
B 弟にケーキを全部食べられてしまった。(弟がケーキを食べた) 2 `* @, f7 |. R! ]
電車で隣の人に窓を開けられ、風で髪がばさばさになってしまった。
4 V0 ]2 F3 i" d5 N9 i: k(隣の人が窓を開ける)
+ E6 {' V+ G: J4 j `5 B 家の前にマンションを建てられて、日があたらなくなった。 ' @3 {5 P/ u3 j9 m( p
野党にその点を問題にされると、ちょっと面倒だな。
7 u6 S7 U" V" _. F4 ~0 L6 L9 } 同僚にいい成績をあげられると、比較されて迷惑だ。
* `1 j' x( U- v6 m (同僚がいい成績をあげる:迷惑の受身) + _6 Y, P* y; V4 x3 l
(上司が私を同僚と比較する:直接の受身)
7 [! t; J! C9 U9 \# Y' v: x% r) M 日本語の受身の特徴としてよく言われる「自動詞の受身」もこの中に入りま 1 m% L- W1 l) v1 j: I
す。上のAの例がそうです。 " Q" k, I: r. `% b6 x& ~0 w: s. r
しかし、この文型は他動詞でも成り立ち、自動詞だけのことではありません。 5 ~) v4 Y$ }! v; S6 ^
Bは他動詞ですが、同じ迷惑の受身です。むしろ、自他を通じて持っている共 1 h- i2 x" t- _7 F' s8 L
通の特徴(受身文の「Nが」が元の文にないこと)が重要なのです。また、こ * w: R; }4 F- E* [' N+ j8 a( H
の受け身の「Nが」はほとんど「人」であることも大きな特徴です。「はた迷 : s0 A3 n1 T( D; R O
惑」というような感情を持つのは人間(と高等動物)だけだからです。ただし、
) }- ^/ x1 C7 k6 d7 U$ A1 M" eいわゆる「擬人化」された場合と、人間の集団である「組織」は人扱いです。 / k1 e9 Q! ] Z, P# I( N0 W$ I
これらの受身の多くは、「Nの」の受身と同じように、受身文の「Nが」の , F6 _# X5 _, ]
名詞を「Nの」の形で「元の文」に当てはめることができます。
+ z5 @1 U# c' K# A6 }: w* J, E 私の学校の帰り 私の赤ん坊
# v9 S+ O. x, p- X1 h 私の隣の人 私の家の前 & w0 n& c7 n# B0 g. S
けれども、「Nの」の受身とは、それらの「のN」の名詞が動詞の対象となっ
+ f7 A. I" O C( I1 f3 H$ Wていないという点が大きく違います。「直接」に動作を受けていないのです。
4 d# j- A* J; f( {% U/ J" } 微妙な例が「ケーキを食べられた」という例です。「私のケーキ」で、その 4 m3 ^7 Z4 n0 e* D" A
「ケーキ」は「食べる」の直接の対象になります。しかし、「ケーキを食べる」 # @, M% D2 L& ]
という行為は、「足を踏む・財布をとる・レポートをほめる」などのような、
% p m( W1 N& ~4 L& u; ^& N4 P他者に対する行為とは言えませんから、間接受身に入れておきます。
7 E$ H; c2 d6 n4 t7 ` また、元の文の「Nが」は「Nに」に必ずなり、それ以外の形にならないこ 9 a7 D. ]. `) e: Q
とも大きな特徴です。
+ _+ B8 H& G. \# s 悪徳地主に/×によって 家の前に高い塀を建てられた。(間接) 4 u4 H# A8 U* x2 Z: W' g5 S" U
cf.日が差さないように、悪徳地主によって/×に 高い塀が建て
! [& s {) b' I# [, V$ n% ~, o られた。(直接)
9 Z* Y2 K$ b4 q7 Y25.2.3 受身の使用条件 ; p6 ?0 K0 m- _9 n* |
さて、受身文はどんな時に使われるのかが次の問題です。動詞の「対象」と
1 }3 K/ q' X, m* g9 z9 cなっている名詞を「Nが」の位置に持ってくる、というのが受身文を使うねら
' u% S2 F1 A5 Jいなのですが、では、なぜ「Nが」の位置に持ってくるのか、という問いが生 9 {: K% Y2 P+ _+ W3 I7 T, z, u t
まれます。
/ U3 d8 z' b% R4 k# F まず、文脈の中で話題となっているものを「Nが」の位置に持ってくるため 6 f: ]6 h4 R! i0 N# C% X
に受身文を使う場合があります。 " T. W+ c5 T! N; o& L5 m
1 彼は手にけがをしている。犬にかまれたのだ。
0 E4 u( S @( ?; H& y 2 彼は手にけがをしている。犬がかんだのだ。
7 L* A( N* _, T! d) Y4 l どちらの文も可能ですが、1のように受身にすると、主題(彼)が一致して、
, [% N1 v7 |; g: ^/ @文のつながりが密接になります。(→「60.文のつながり」 : H9 L. l" Y. G& `9 }) O
同様に、複文の中で「Nが」の交替をさけることにも有効です。
# ?) M7 P8 Z9 s$ ~ 3 (彼が)大きな失敗をしたので、上司は彼を叱った。 ( n2 m, N/ A6 t! X1 V6 K" Z
彼は大きな失敗をしたので、(彼は)上司に叱られた。
! O& v4 X9 c, C+ M 4 ねずみは走って逃げたが、猫はついにねずみを捕まえた。
! G+ [( h2 H) S! [) g! E$ C5 O ねずみは走って逃げたが、ついに猫に捕まえられた。
- d: U& c) M1 _2 Q" F$ m1 ^, z) x( ` また、前にも述べたように、「誰が」ということを言いにくい場合に受身が
( d$ K. c; o7 y8 Z使われます。
7 S/ s0 @5 u/ T7 H5 Z2 J, T 5 ソウルでオリンピックが開かれた。
5 ~: J, \, ]8 f. fアメリカでは、たくさんの人が銃で殺されている。 8 r( w2 A- s! q+ b$ g9 T
[受身の「非用」]
( l: x! W j% s 受身でよく問題になるのは、受身を間違って使うこと(「誤用」)ももちろ
2 {1 O* d* K7 Lんですが、学習者がそもそも受身を使わない、使えないということがあります。
4 F9 a! n, R: I3 T1 E3 i* r8 U- J使ったほうがいい場面で使うことをさけてしまうことを「非用」と言います。 ; L u, D& ^9 |: A
上にあげた例で言うと、
9 N* a. p$ n0 H* {/ ~% [% T7 k 彼は大きな失敗をした。だから、上司が彼をしかった。
, x3 Q% J9 d% K& z9 T" F, x! Mのような言い方をしてしまうことです。間違いとは言えないのですが、自然な 1 R+ ^8 r5 ^/ C" y
言い方ではありません。受身の言い方を知らないか、あるいは受身を使うこと ; p3 x. {) d. [" \
に自信がないために、ついさけてしまうということもあるでしょう。
5 T0 j2 b3 S1 Y& q$ y* W受身という文型の特徴の一つとして、使わなくても何とかなることが多い、 . o2 I: |/ O1 T5 {
ということがあります。他の文型で言えるのです。 0 i8 W* e- C* a* i8 Z6 M- t; f
間接受身の場合は、いっそう「非用」が多いことが予想できます。前にあげ
& P0 h5 C( ]4 Q* y7 v/ C2 T9 l1 eた例は、 6 e7 F$ [8 P) P- p& n, x
赤ん坊が泣いたので眠れなかった。 2 h8 z6 O/ r) |' u, C# E
野党がその点を問題にすると、ちょっと面倒だな。 : m/ p+ m% C0 l$ u/ Z, F7 b: n' b
のように、受身にしなくても何ら問題がないからです。しかし、ここで迷惑の
2 U/ ]$ M; t( r受身を使うと、いかにもこなれた日本語らしくなるわけです。 7 r3 b' I @( N( g, x: j
[対象の主題化]
; \& H( D: N3 y: L, v/ U 受身を使わずにすませるための他の文型の一つに、対象の主題化があります。
$ s5 N, ~+ C2 o! p( R2 U" D/ L1 s受身というのは、ある動作・現象を、その主体の視点から表現するのではなく、 % ~, M8 G2 ~) r
「その動作・現象の影響を受ける側の視点から表現する」、ということが基本
& @9 A. F) |9 T; J# ~' k) tにある文型だ、ということを前に述べましたが、主題化も似たような働きがあ F: K5 p0 i; e6 o0 I: y) {
ります。
5 E6 E1 g: @. {, i 1a 二郎が太郎を殴った。 5 ]# T8 i3 ^ F5 y2 W3 r
b 太郎は二郎に殴られた。 1 J9 E8 z* i9 J
c 太郎は二郎が殴った。
V& q0 X8 j" { 2a A氏がこの論文を書いた。 # j8 G" u* L# U
b この論文はA氏によって書かれた。 $ a8 X6 G5 m3 ]
c この論文はA氏が書いた。 & U3 }% H5 E3 A3 \0 `+ ]! |! Q
3a 弟がケーキを食べた。
' j7 s& B* E* ~0 ?; [ S6 { b ケーキは弟に食べられた。
) b9 T8 _, }7 ?* O" q9 w# } _ c ケーキは弟が食べた。
( l6 F4 A5 X; t5 q 1の直接受身の場合は、視点を変えるという意味では受身のほうが自然です。 6 k8 b7 E. \ d! t* Q: E
cのような対象の主題化は、対比的な意味を帯びやすく、かえって動作者であ
% S8 Y, ~6 T! u# B* B- xる「二郎」を際だたせることになります。 " M3 N6 K3 z; {# \8 [9 `3 f
2bのような「モノが」の受身は、書きことばであるという文体的特徴が加 ; Q# R y `9 g, X1 C- s
わるほかは、cの主題化と同じような効果を持ちます。
" ^6 a1 ^% M( q6 b* H" S0 x: @+ r 3bの迷惑の受身は、話し手の受けた心理的な影響をはっきり示します。そ ) [8 U* h# C3 P& n7 v/ e
れに対して、cの主題化は、単に事実を述べているだけです。
& I$ H$ m0 j/ w1 s' @/ Q; u! Y[V-てある] 6 V8 A3 ]* b: f5 }
「V-てある」も受身との使い分けがあります。 6 l3 G8 w. @! _( _
机の上に花瓶が置いてある。 8 ?" V! ~; Z: H3 l" K9 u" }5 I+ j
机の上に花瓶が置かれている。 . _7 d5 l5 v. v% L3 W/ f. K
壁に「禁煙」と書いてある。
7 B# v5 b; S# { C6 I, U: i 壁に「禁煙」と書かれている。
+ p' Q* a; G" H/ g/ Q0 f どちらも動作者を暗示している点では同じですが、受身のほうがより強く示
$ h1 T5 S& o' i& Vします。 % Y3 X* `& X5 j
また、「V-られている」は進行中の意味にとれる場合が当然あります。 # o, e! v) B* E8 K. W
机の上に食器が並べてある。 0 b; |2 r% ^3 n7 P3 \$ h
(今)机の上に食器が並べられている。
" L" V0 P1 g) }& e1 ` 「V-てある」は、すでに並べ終わった状態しか示しませんが、「V-られ
6 N% ~9 k! @. \ている」のほうは、その最中であることも示せます。
6 m( S& S- s5 Q# ^$ o25.2.4 受身の分類 1 L: g1 o, }# C1 c6 j/ [
以上で受身の用法の話は終わりますが、最後に受身の種類の分類のことを少
1 p$ k& B$ _2 ]. ~; ]し述べておきましょう。
! h6 A1 I& n+ F# a 前に述べたように受身文を大きく①「直接受身」、②「「Nの」の受身」、 $ h: B- M3 L! k# C7 R
③「間接受身」に分けることは、比較的広く受けられているものですが、その " b. f, }; B _$ s( S
名称は色々です。(「受身」と「受動」はおなじものとしても) 4 }* m0 m. c, D: ^- a& U
①は「単純受身」とも呼ばれます。この中で「Bに」が 「Bが」になるも
8 j3 Q3 Q1 B F" `1 Tのを「間接対象の受身」と呼ぶ人があり、後の「間接受身」とまぎらわしくな
6 e2 _4 {& {' q# d1 a6 ?- S2 H9 b; Lります。 7 E1 q- _, p3 N' L. t
③は「迷惑の受身」「第三者の受身」などと呼ばれることも多いのですが、 2 _# p+ f! W0 o' D" h# n
そこでも述べたように、これを自動詞だけのことと誤解して、「自動詞の受身」 6 \8 B( p% Z2 V/ C4 \
と呼ぶこともあります。
! F- O5 o1 q+ G( m さて、問題は②の型の位置付けです。これ自体は、「所有者の受身」「持ち
& B. Z' {, Z7 @7 |主の受身」などと呼ばれます。それはいいのですが、これを③の型とまとめて、
3 K( F' q5 s! ^: f5 Y1 {( A: `広い意味で「間接受身」とする考え方と、①の型とまとめて「直接受身」とす
* O& N+ a; L: ]る考え方が対立しています。 6 ^! V( G) o- c$ }( g) k: o
その点だけを取り出して、図にすると次のようになります。 . x- d! ^1 \& r
Ⅰ Ⅱ 3 j) E1 ?, N$ c! u
直接受身──┬─① 単純受身──────直接受身
% K$ P# d: V- M1 w1 y └─② 持ち主の受身─┬──間接受身
0 d0 Y& i: Q5 R) T/ z 間接受身────③ 迷惑の受身──┘ 0 o; C( @5 s2 k! T: ]$ I8 ?$ F
Ⅰ案の考え方は、受ける影響の直接性(足を踏まれる痛みは「間接的」なも 9 I1 ^- J$ l- H0 t; F8 r# E: `
のではないでしょう)を重視したものです。それに対してⅡ案は、「Nが」に ) `7 C- e& M N
なる補語が元の文の動詞の「直接の補語」でないこと(補語にかかる「Nの」
1 G9 q( z) C* n/ A8 z; xだったり、そもそも文中になかったり)を重視しています。 ( {, y9 I9 |0 o. W; |1 ?( z
どちらがいいかは、まだ議論が続くでしょうが、Ⅰ案の利点は、Ⅰの「間接 + @2 I$ V6 G% X& Z
受身」は意味的に皆「好ましくないこと」になることです。持ち主の受身では、
4 G5 C1 q$ V- u1 m* i「レポートをほめられ」たりして、いい場合もありますから。間接受身は、好 8 \8 O5 r2 Z/ h/ I' F
ましくない、間接的な影響を受けることを表す文型だと言うことができます。 1 j* ?7 u- J/ \% \1 u& n
|
|