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自学的日语,试着翻译了一篇文章,请大家找找错误,指点一下,谢谢。
原文:
日本人の祖先はどこから来たのでしょうか。はっきりしているのは、日本が大陸から分離する前に日本列島地域に住んでいた人たちは、大陸の住人だったことです。その多くが北方系、或いは南方系のモンゴロイドであることは明らかで、日本語がアルタイ系言語(モンゴル語、満州語、朝鮮語など)に属することはよく知られています。蝦夷地(=北海道)にはアイヌ民族も住んでいましたが、その系統については定説はありません。
やがて気候が温暖になると、日本列島には針葉樹林や大型動物にかわって落葉広葉樹林や中小動物が増え、人々は土器や弓矢や磨製石器を使うようになりました。この土器は縄目の文様を特徴とすることから縄文土器と呼ばれ、その生活文化を縄文文化と言います。縄文人は竪穴住居に住み、主に狩猟や漁労、木の実の採集によって生活していました。この時代は約1万3000年前から前400年ごろまで続きますが、縄文中期には、雑穀や陸稲、豆などを栽培するなど、原始的な農耕を行う地域が生まれています。
紀元前5世紀末になると、中国大陸からの影響を受けて、縄文文化にかわる新しい文化が九州地方に生まれました。この文化は褐色で薄手の弥生土器を伴うことから弥生文化と呼ばれますが、青銅器や鉄器などの金属器を使用し、水稲農耕を行い、村落生活を営んでいます。これらを伝えたのは朝鮮半島から渡ってきた人たちで、この水稲農耕は半世紀経つか経たないうちに東北地方にまで広がりました。この弥生時代を通して、半島からの渡来人と縄文人との混血が進み、現在の日本人の祖先となるのですが、この弥生時代は小国乱立と戦乱の時代でした。その混乱を収束させたのが、4世紀中頃に成立した日本最初の統一政権である大和朝廷です。この大和の大王が、後に天皇と呼ばれるようになります。
当時の日本は中国から「倭」と呼ばれていました。中国の史書「後漢書」や「魏志倭人伝」には、「倭国は紀元前後には100余国に分かれていたが、長い倭国大乱を経て、3世紀ごろには卑弥呼を女王とし、約30の小国が従う邪馬台国が生まれた。」と記されています。また、「魏志倭人伝」には「男はみな入れ墨をする。女子は髪を束ねて、布の中央に穴をあけ、そこから頭を出して着ている。気候は温暖で、年中生野菜を食べ、裸足で生活している。人は手づかみで食べ、酒好きで、100歳や80~90歳くらいまで長生きする人が多い。」とも書いてあります。確かに、生野菜を食べる、酒好き、長生きなど、現代日本人にも通じますね。
ちなみに、国家統一を実現した大和朝廷の時代になると、日本人は「倭」という言葉を嫌い、同音の「和」という漢字をあてるようになります。これが「和語」「和食」などでなじみの「和」の起源です。
一方、北の蝦夷地に住むアイヌ民族は倭人のことを「シャモ」(「隣人を意味する語)と呼びました。その名前のとおり、倭人とアイヌ民族は、縄文以来、お互いに隣人として平和的な交易関係を結んでいました。しかし、15世紀になると、倭人のアイヌの地・北海道への侵攻が強まりました。この倭人の侵略に対してアイヌ民族は何度も蜂起し、大きな戦いを繰り広げましたが、最終的には敗北し、江戸時代には松前藩の支配下に置かれました。そして明治以降は、アイヌ民族を「旧土人」と蔑視する明治政府の強圧的な同化政策が行われたため、アイヌ固有の慣習・文化はほとんど途絶え、現在では民族の人口も2万7000~8000人へと大幅に減ってしまったのです。
译文
日本人的祖先是从哪里来的呢?已经清楚的是,在日本和大陆分离之前,在日本列岛地区居住的人们是大陆的居民。他们大多数是北方系或南方系的蒙古人种,这一点已明确了,日语属阿尔泰语系(蒙古语、满语、朝鲜语等)也广为人知。而一直在虾夷地区居住的阿依努民族,有关他们的血统还没有定论。
在气候变暖不久,日本列岛上落叶阔叶林和中小型动物增多,取代了针叶林和大型动物,人们开始使用陶器、弓箭和磨制石器了。这些陶器的特征是有绳结的图案,所以被叫做“绳文”陶器,其所对应的生活文化就叫做绳文文化。绳文居住在竖穴中,主要以打猎、捕鱼和采集果实为生。此时代的持续时间为公元前1万3000年到前400年左右。在绳文中期,有了杂粮、旱稻、豆子等的栽种,产生了原始的农业耕种区。
到公元前5世纪末,受到来自中国大陆的影响,在九州地区产生了新的文化,代替了绳文文化。新文化带来了褐色的、薄的弥生陶器,因此被称作弥生文化。期间人们使用青铜器、铁器等金属工具,种植水稻,进行村落生活。传授这些的是从朝鲜半岛来的人们,而水稻种植在不到半年的时间就推广到了东北地区。在整个弥生时代,从朝鲜来的移民和绳文人互相结合,发展下去就是现在日本人的祖先。在弥生时代,众多国家相互乱战,结束这种局面的是4世纪中期成立的日本第一个统一的政权,大和王朝。大和王朝的国王,再后来被称为天皇。
当是的日本,备中国称为“倭”,中国的史书《后汉书》和《魏志倭人传》中有记载“公元前后,倭国分为百多个国家,倭国经过长期混乱,在3世纪左右由卑弥呼女王成立了邪马台王国大约有30个国家臣服于它。”另外《魏志倭人传》还记载“男人都纹有刺青,女人束发,在布的中央开一洞,由头套入,作衣服穿。气候温暖,人们常年吃生蔬菜,光着脚生活。人们用手抓饭吃,喜欢喝酒,很多人长寿,活到百岁或八九十岁左右。”确实如此,吃生蔬菜、好酒、长寿等在现代的日本人中也很普遍。
话说,到了实现了国家统一的大和王朝时,日本人不喜欢“倭”这个词,就换成了同音的“和”,这就是大家所熟知的“和语”、“和食”的“和”的起源。另外,在北方虾夷地区居住的阿依努人民称倭人为“邻居”。如同名字一样,自升温时代以来,倭人和阿依努人作为邻居结成了和平的贸易关系。但是,到15世纪,倭人向阿依努的领地、北海道强行进攻,对于倭人的侵略,阿依努人民多次起义,展开了大规模的战斗。最终,阿依努民族战败,在江户时代归于松前藩管辖。然后,明治时期,阿依努被当做“旧土人”受到蔑视,由于明治政府强制实行的同化政策,阿依努原有的习惯、文化已基本失传,现在阿依努的人口也大幅下降到2万7、8千了。 |
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