早就想要 不思议工房 的台词,人说 声色狼 有,但是我进不去
没有办法,还是自己动手吧。
总算听写完了一部了,意外的花费了很长时间
应该错的不多吧?呵呵,自己觉得听的很用心
不过水平有限肯定有错误的,请各位大大指正啦
1.日常で起こる些細で不可思議な出来事。それが人の思考と行動に影響を与えていく過程と結末を知りたいとは思いませんか?この物語は、あなた自身の好奇心と願望に基づいて構成されています。ともすれば、見落としてしまいがちのいつもの風景の中に、あなたが不思議工房を見つけることができるように、お手伝いしましょう。
2.「お兄ちゃん、大好き!」六つ下の妹の口癖、幼いころからいつも僕の後ろについて離れない。気が付くと、袖口をしっかり握って離さない。ちょっと邪魔者扱いすると、もう見る見るうちに目に涙を溜めて、僕を睨む。そのくせ、僕の命令を待っているときの顔は、本当に生き生きして輝いていた。僕は悪ガキで、妹は子分だった。そんな彼女は、中学生になっても幼い時と何も変わらない。たった一つのことを除いては、妹は白血病で、余命半年と宣告された。小学六年生の時、両親が離婚した。父親はギャンブル好きで、家に金も入れず、あげくに女を作って家を出た。このとき、妹はまだ五歳だった。父は仕事を口実に、家にいることは少なかった。たまに帰ってきたと思ったら、泥酔状況でよく母に暴力を振るった。その光景を、僕は妹と震えながら見ていた。母がたまらず家の外に飛び出すと、今度は父は僕たちに襲い掛かった。父に殴りつけられても、妹には手を出させないと、歯を食いしばって耐えた。妹は「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼びながら、背中に隠れて泣いていた。いつしか父が眠ってしまうと、母が戻ってきて、三人で泣いた。そして、僕は泣きながら母に言った、「お母さん、何であんなやつはお父さんなの。」母は黙って泣いているばかりだった。そうなると、決まって妹が「お兄ちゃん、お母さんをいじめないで」と言った。僕はその言葉にまた泣いた。母は、父の代わりに生活費を稼いでいたから、やつれてきっていた。それは僕にも妹にも分かっていた。そして、まもなく、父は家を出て行った。
それから一年も経ったある日曜日、母が僕と妹を遊園地に連れて行ってくれた。父がいる時には叶わなかった親子三人水入れずの楽しい一時だった。僕が中学一年、妹が小学校に上がったばかりのごろだった。忘れもしない、空が青く澄み切っていて、日差しが肌に心地よい。五月晴れだった。身長が足りずにジェットコースターに乗れなくて駄々をこれる妹に、母がキャンディーを買ってあげた。それでも泣き止まない彼女を、僕は肩車し、周りを走り回った。「そーら、兄ちゃんジェットコースターだ。」妹はキャーと言って、必死に僕にしがみついた。それを見て、母が笑った。メリーゴーラウンドに妹と一緒に乗った。妹が前に、僕が後に、くるくる回る木馬の上で、彼女はきゃっきゃっと笑った。それを母は手を振りながら見ていた。コーヒーカップには三人で乗った。妹はここでもおおはしゃぎだったが、僕は少し酔ってしまった。カップを降りて少し休んでいると、妹は心配そうに僕に顔を覗き込み、黙って、手に持っているものを差し出した、妹が大好きなソフトクリーム。僕は焦った。「大丈夫だ、兄ちゃんは強いから、もう平気だ、さ、溶けないうちに早く食べるんだよ。」強がって力瘤を見せてやったら、彼女は安心した様子で、ソフトクリームにぱくつき、時々僕にもお裾分けしてくれた。その日の夕食は豪華だった。豪華と言っても、単に外食にしたにすぎないが、外で食べると言うことが僕たちにとっては、とても新鮮なことだった。本当に楽しい一日だった。母も、僕も、妹も、初めて味わう幸福な一時だった。その日の夜、自宅に帰ったところで、母は倒れ、帰らぬ人となった。
3.過労だった。もともと体の丈夫ではない母は、無理をし過ぎた。父の暴力に耐え、子を育って、家計を支えることに母の体は耐えられなかったのだ。葬式の日、眠ったような母を見て、妹が「お母さん、何時起きてくるのかなあ」と僕に尋ねた。僕は妹を抱きしめて、泣いた。釣られて妹も泣き始めた。僕たちは葬式の間中、泣き続けた。
その後、僕たちは親戚に預けられた。母は早くに両親をなくし、一人娘でもあったから、その遠い親戚に。初めて見る家、初めて見る顔、僕たちは歓迎されていないと言うことはすぐにも分かった。僕たちは狭い部屋を宛がわれ、食事も家族とは別という生活が始まった。慣れない環境に、妹は暗く沈むばかりで、夜になれば、決まって寝言で、お母さんのところに帰りたいようとうなされる。僕は何度もはっとして目覚め、その度に涙を流しながら、妹を抱きしめた。僕がしっかりしなければ。父親の代わりを、母親の代わりを、頑張って務めよう。そう思いながら、眠りに付く毎日だった。それでもまだ、最初はよかった。何時までもなつく様子もない兄弟におじおばは腹を立って、そのうち、食事も満足に与えられなくなった。お腹が空いたと泣く妹に、僕は自分の分を分け与えている毎日だった。あるとき、妹はお菓子を盗み食いしたと、折檻された。僕は猛烈に反抗した。「お菓子ぐらいいいじゃないか。」おばの返事は拳固だった。僕は殴り倒された上に、罵声を浴びせられた。「居候のくせに、おいてもらっているだけでもありがたく思え」と、僕は睨み返すのは精一杯だった。力で抵抗することはできる。しかし、それでは本当にここを追い出されてしまう。そうなれば、僕たちには行く場所がない。俯き、自分の震える拳を押さえつけるようにじっと見た。そうだ、中学校を出たら働こう、そうすれば、自分の力で生活できる。僕たちは晴れて、自由の身になれる。僕はそう決心し、歯を食いしばった。
それからの三年間は、気の遠くなるような長さだった。朝は妹を小学校に送ってから登校した。下校時間になれば妹を迎えに行く。妹が心配だったからだが、妹自身朝の分かれた時に泣き、僕が迎えに行く時まではいつも一人でぽつんと校庭にいた。僕の顔を見ると、満面の笑顔で、駆け寄ってくる。それ自体は僕にとってむしろ喜びだったし、励みでもあったが、困ったのはやはり食事だった。この地域では、小学校は給食だったが、中学校は弁当持参だったからだ。もちろん、おばが僕に弁当を持たせてくれるわけもない。毎日飢えを忍ぶために水をがぶ飲みした。朝夕に出るわずかな食事ではとても足りなかった。お金さえあれば。中学生で稼ぐ方法がないものか。考えた末、浮浪者が空き缶を集めたり、ゴミ箱から読み捨てられた雑誌を拾い集め、路上で売っているのを真似てみることにした。学校帰り、妹を連れて、空き缶や雑誌を拾い集めている姿は、母親が生きていったら、とても見せれらない姿だったが、僕は必死だった。「お兄ちゃん、これどうするの」と聞かれて、「これでお菓子が買えるからさ」と答えると、妹は本当にうれしそうだった。その笑顔だけが、僕の支えになっていた。ところが、始めて見たもののまったくうまくいかない。空き缶を業者に持っていても、「お前中学生だろう」と言われて金を払ってもらえない。路上で雑誌を売っていると、すぐさま補導された。警察所に迎えに来たおばに罵倒され、家に帰れば、おじに殴られた。晩飯は抜きだと言われた。悔しさと空腹で部屋で丸くなって泣いた。すると、妹が心配そうに近づいてきて、茶碗一杯の自分のご飯を差し出した。さっきから腹がぐうぐう鳴っている。妹にもばればれだ。しかし、それを受け取るわけには行かない。「大丈夫だ、兄ちゃんは腹が減ってるんじゃなくて、お腹の調子が悪いだけだ。しばらく寝てれば治る。」そういって、布団を被った。情けなくて、涙が出た。妹に知られたくなくて、こっそり泣いたつもりだったが、いつの間にか布団にもぐりこんだ妹も隣で泣いていた。
4.翌日、妹を学校に送り届けてからの昼休み、何気に見たかばんの中に紙袋があることに気が付いた。何だろうと思って開けて見ると、中からラップに包まれた、不格好なお握りが出てきた。二つ折の紙が添えられていて、それを開いたら、妹の字だった。「お兄ちゃん、これ食べて、元気出してね。」クレヨンで書いたへたくそな字だった。夕べ、妹は食事を取らずに、この情けない兄のために、生まれて始めて、弁当を作ってくれた。
僕はその弁当を手に、校舎の屋上に上がった。誰にも邪魔されたくなかった。一人で噛み締めたかった。空が青々として気持ちよかった。雲の形が妹の顔に見えて、思わず、涙を溢しそうになった。僕は制服の袖で顔を拭うと、一気にそれを口にほおばった。 具もない、のりもない、味のないお握りだったが、最高においしかった。食べながら、また涙がぽろぽろ落ちて、その塩加減が、微妙にお握りの味を引き立てた。
ラップに付いた米の一粒も逃がさないと食べていると、後から声がした。「おい、こいつ、泣きながらお握り食ってるぜ、馬鹿じゃないの。」その声に釣られて、爆笑する声も聞こえた。僕は最後の一粒を口に入れると、ゆっくりと立ち上がって、その声に向き直った。学年の不良グループがせせら笑うようにして立っていた。連中を見た瞬間、自分でも驚く言葉が口をついて出た。「もう一度言って見ろ」「あ」連中の顔色が変わった、と同時に、すでに囲まれていた。俺たちを笑うやつは許さない。妹の気持ちを、僕たちの絆を、第三者によって踏みにじられた怒りに、僕は全身を震わせた。「なんだ、てめー、偉そうに」一人が言い終わらないうちに、その顔面に拳を叩き込んだ。どうとのげけぞり倒れる様を見て、ほかの連中がいきり立った。「このやろう」何人かが叫びながら一斉に襲い掛かってきた。無我夢中で、自分がどう立ち回ったかも覚えていない。気が付くと、五六人が足元に倒れ、呻き声をあげている。僕は呆然とそれを見下ろしていた。これまで、積もり積もった怒りと悲しみが爆発したと言うことは自分でも理解できた。しかし、それよりも、この連中を叩きのめす力が自分にあったと言うことに僕自身も驚いた。その時、教師の怒鳴り声が聞こえた。「お前たち、そこで何をしている?」午後はずっと職員室にいた。そろそろ下校時刻が近づいていることが気になった。生活指導の教師が言った「お前の家の人間は、誰にも迎えこようとしないなあ。」それはそうだろう。前に警官に呼ばれたことでもうんざりしてるはずだ。学校に呼ばれたぐらいで、くるわけもない。「先生、俺、そろそろ妹を迎えに行かなきゃ・・・」生活指導はフーとため息をついて、ドアのほうを顎で指した。その先に視線を移すと、妹の姿があった。「あっ」妹は僕の顔を見るなり、顔はくしゃくしゃして走りよってきて、僕に抱きついて泣き出した。妹の肩越しに女性の姿が見えた。「事情は多少は分かっているつもりだ、向こうの先生に頼んで、連れてきてもらった。迎えがないと困ると思ったなあ。」生活指導の声を聞きながら、僕は妹を抱きしめ、嗚咽した。
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