对政治和社会也常常发表意见的文学家中野好夫写过一篇名为《恶人礼赞》的随想。文章的开头就十分刺激人:“其实我最最厌恶的,就是好心和天真这两项。”
“他们以为仅凭动机是善意的这样一个理由就可以避免所有的责任了。”“(若加以责问),他们也总是结结巴巴地叙述其好心,絮絮叨叨地表白其天真。”接着他又写道:还有些莫名其妙的人物,已经年过半百了却依然标榜着自己的天真。文章虽旧,可读来不禁叫人联想起某个人来。
不问动机好坏,只看结果如何,或许这就叫做政治吧。光凭一句“出于好心”是过不了关的。鸠山首相自然不会不明白个中道理,可他身上总有股子“天真”劲儿。在普天间问题这场独角戏中,这位“莫名其妙的人物”已被赶下了舞台。
社民党已经退出了联合执政。福岛大臣遭罢免,辻元副大臣也辞了职。他们两人都是执掌行政而又壮志未酬。没成想,这两位坚持原则而落马之人的泪水,更凸显了鸠山先生的“变节”。因为人们大多是偏袒有原则的一方的。
“不够坚强就无法生存下去,不够善良就没资格生存下去”。这是硬派小说中的经典话语。或许也适用于政治家吧。但坚强不等于迟钝,善良也不应是优柔寡断的另一种表现。在这两方面,都可以给首相画上个不小的问号吧。
民主党内部已公然提出了首相下台的主张。没想到政治手法与自民党极为相似的民主党,连短命首相的下台也搞了山寨版,而问题是不论他们怎么折腾,国民们都一样甩不掉政治上的贫困啊。
原文:
政治や社会への発言も多かった文学者の中野好夫に「悪人礼賛」という随想がある。「由来ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情の二つにつきる」と、冒頭から刺激的だ。
「彼らはただその動機が善意であるというだけの理由で、一切の責任は解除されるものとでも考えているらしい」「(詰問すると)切々、咄々(とつとつ)としてその善意を語り、純情を披瀝(ひれき)する」。さらに、五十歳を超えてもその純情を売り物にしている不思議な人物もいる、と続く。古い一文ながら、だれかを思い起こさせる。
動機の善悪で結果が斟酌(しんしゃく)されないのが政治だろう。「よかれと思って」では収まらない。それを知らぬ鳩山首相でもあるまいに、どこか「甘え」が抜けきらない。普天間問題の独り相撲で、「不思議な人物」は土俵ぎわに追い込まれた。
社民党は政権を離脱した。福島大臣は罷免され、辻元副大臣も辞任した。ともに行政を率いて志半ばである。筋を通した2人が思い余って泣く姿は、図らずも鳩山さんの「変節」を際立たせた。人は大抵、理のある側に肩入れをする。
「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」はハードボイルド小説の名せりふだ。政治家にも当てはまるものがあろう。だがタフと鈍感は違うし、優しさが優柔不断の裏返しでは困る。首相についた疑問符は小さくない。
退陣要求は民主党内から公然と出ている。政治手法が自民に似てきた民主だが、短期の首相退陣まで焼き直しになるのか。どちらに転んでも、政治の貧困は国民にへばりつく。 |