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楼主 |
发表于 2004-12-10 21:42:45
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荒木由美子さん - 7 -- b6 {) B7 B( O8 l0 J0 ^
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誰かのために生きる1 @( o) D+ \0 N, d5 G
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◆人にはみな役割がある $ B$ {6 m, A) X; I
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義母(タレントの湯原昌幸さんの母、吉(よし)のさん)が亡くなって1年以上たつのに、今でもふとした拍子に「あ、病院に行かなくちゃ」と思います。毎日、お線香上げているのに、義母がまだ生きているように思うのです。
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4 a! m8 T9 E9 s7 I. h 私は16歳で上京して、芸能界に入りました。だから、実の親と暮らしたのは16年間です。
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ところが、義母とは大人になってから20年間をともにしました。2人の気持ちを育て上げてきた20年でした。 6 T& ^7 F- p0 E: D
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その間には、子育てもありました。介護も子育ても20年できっちり終わりました。
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終わってみたら、自分自身には何も残っていない。その時は一生懸命だったけれど、すべては誰かのためにしたことです。女の人生ってそういうところがあるんじゃないですか。
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- \- t, |5 S( u4 [5 S l9 S 義母が亡くなってしばらくは虚脱状態で、意味もなく泣いていました。見かねた夫が「もっと自由に、やりたいことをやっていいよ」「表に出たほうがいいよ」と芸能界復帰を後押ししてくれました。
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テレビで介護の話をさせていただくこともあります。介護で苦しんでいる方の相談を受けることもあります。 7 \) o9 b+ q# y- M: e# W* C( Q
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そこで、私なりにアドバイスを考えました。 2 \' s3 x2 e7 |4 F
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まずは「腹をくくる」ということ。介護というのは、頑張らないわけにはいかないのです。やり遂げると覚悟を決めるしかない。私の場合、結婚して芸能界を引退した時に覚悟はできていました。 ( [% u9 w' t' @3 r/ @) P0 w
, |6 d; G, i! A2 h0 [ z6 R3 m 「持ち続けるプライドと、捨てるプライドを分ける」こと。どんなにつらくても女性としてのプライドを捨てず、「私は負けない」と自分に言いきかせる。 7 f. t7 q. h- F
- @6 k. T9 x# e6 I" n. T* d* N でも、意地っ張りのようなプライドは捨てましょう。介護の専門機関に相談に行くこと、誰かに助けてもらうことを恥とは思わないで。
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「誰かのために生きる」こと。人にはみな役割がある。家族の犠牲になっているとは思わないようにしましょう。 ; Z8 v' F% `7 X$ {
# Z; d% j: F- }! W- Y) ~ 私は妻として、嫁として、母として、いい点数をとろうと必死に頑張りました。でも、そのテストは終わり。義母の入院で行けなかった新婚旅行に、これから行こうかと思っています。(タレント)6 S; [( H0 R; K
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荒木由美子さんの話は今回で終わります。
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(2004年7月19日 読売新聞 無断転載禁止) |
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