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本帖最后由 nomimi 于 2011-5-1 11:15 编辑
成長と連帯の旗を高く掲げよう
高举成长与团结的旗帜
2011/4/30
3月11日の東日本大震災で、日本の風景はがらりとかわった。戦後、われわれの祖父母や父母たちが営々として築きあげてきたものが、あっという間にこわされた。なおつづくフクシマへの対応で、日本の安全神話もあっけなく消しとんだ。
3月11日的东日本大地震让日本的景色完全改变。战后我们的祖父母及父执辈们一点一滴建造起来的东西在一瞬之间被破坏殆尽,尔后延续在福岛的善后上,一并抹煞了日本的安全神话。
いまを生きるわれわれにとって、3.11は戦前と戦後をわける8.15に相当する歴史的な転換点だ。現在を「ポスト戦後」ととらえ、新しい日本を創るきっかけにすることが求められているのではないだろうか。日本創生への道筋を考えてみたい。
对于幸存的我们来说3.11就相当于划分战前与战后的8.15历史性转化点。现在应视为「后战后」创造新日本的契机,思考日本重生之道。
オールジャパンで再生
日本举国重生再造
歴史をふりかえってみよう。1868年の明治維新から1945年の敗戦まで77年間におよんだ明治国家の目標とは、世界の列強に肩をならべることだった。富国強兵、殖産興業の旗のもと「坂の上の雲」をめざしてひたすら登っていった。
回顾历史,从1868年明治维新开始至1945年战败为止,延续了77年的明治国家的目标就是与世界列强并驾齐驱。在富国强兵、殖兴产业的旗号下,努力不懈地一心只想「坐上云霄」。
日清、日露、第1次大戦をへて、世界の一等国になる夢はかなえられた。ところが、そこから「坂の下の沼」に向けて真っ逆さまにころがりおちてゆき、8.15をむかえた。
然而,经过日清、日俄及第一次世界大战的洗礼,想成为世界第一等的国家梦碎了,也從此從云腾跌进「沼泽深渊」迎来了8.15。
戦後とは何だったのか。焼け跡闇市からぬけ出し、全国津々浦々まで、みんな等しく豊かになるのが国家の目標だった。
战后的目标又是什么呢? 就是脱离废墟暗市、成为家家户户、全民均富的国家。
軽武装で経済重視の政策により高度成長を達成、一億総中流といわれる社会が実現した。公共事業と補助金による中央から地方への所得再分配を通じ、みんなで豊かになる政治をおしすすめたのが自民党だった。
在轻武装、重视经济的政策导向下达成了经济的高成长,实现了一亿总中流的目标。自民党推行了以公共事业及中央补助地方的补助金,进行所得再分配,实现全民均富的政策。
ところが、米ソ冷戦構造がこわれ、経済がグローバル化していく中で、バブルが崩壊、「失われた10年」はいつのまにか「失われた20年」になってしまった。そして3.11をむかえた。1945年から66年目である。戦後にピリオドを打ち、新たな時代を切りひらくときだ。
然而,美苏冷战结构瓦解,经济在全球化当中泡沫化崩塌,「失去的10年」不知何时成了「失去的20年」,然后迎来了3.11。今年是1945年起算的第66年,是划下战后的句点开创新时代的元年。
被災地の復旧・復興にあたるのはもちろんだが、それにとどまらず、ここを新しい日本を築き上げていくチャンスと考えたい。増改築でなく、国の新築である。崩壊・破壊からの創造だ。新たな国家の目標は、日本再生となる。
当然,灾地的复兴重建自是不在话下,而与此同时也是将其扩大成为打造新日本的契机。新的国家目标是再生日本。不是增建改建,是国家的新建,是经过崩坏破坏过后的全新创造。
そのためには、経済の成長が欠かせない。エネルギー政策を転換し、成長にこだわらない考え方もある。はたして、それでいいのだろうか。いまさら昭和20年代や30年代の生活にはもどれない。
为此,经济的成长不可或缺。转换能源政策,不依赖经济成长的声浪也出现。然而在无法回头过昭和20年代或30年代的生活的现今,这是条可行之路吗?
1億2000万人の日本人がこの国で生活し、われわれの子や孫までが豊かで自由な国で生きていくためには、いま一度、成長の旗を高く掲げる必要があるだろう。大震災を踏まえた新たな成長戦略をおし進めなければならない。キーワードは成長である。
1亿2000万的日本人生活在这个国家里,要让我么的子孙在富饶自由的国度里繁延的话,现在有必要再度高举成长的旗帜吗?历经大地震后必须推动新的成长战略,其关键词是成长。
その場合、大事なことは国をあげてオールジャパンで取り組むことだ。古いことばでいえば、挙国一致である。政治が思惑優先で、駆け引きに明け暮れるのは、百害あって一利なしだ。与野党とも今回の大震災を国難というのなら、復旧・復興を急ぐため、これまでの政党の枠組みを超えた態勢をととのえるのは当たり前だろう。
此时,重要的是国家引领全民参与。套句老话就是举国一致。政治如为政党企图优先,整天讨价还价的话,是百害而无一利。如果执政党及在野党都认同这次的大地震是国难,得赶紧复原复兴的话,就应该跨越政党框架重整姿态来面对。
政治家は官僚をうまく使わなければならない。政治主導の考え方は間違っていなかったとしても、官僚を排除し、官の力を動員できなくなったのは、民主党政権の運営の失敗である。
政治家必須善用官僚。即便政治家主导政治的观念无误,但摒弃官僚导致官方无动员能力就是民主党执政的败笔。
公助だけには頼れない
无法光靠公助
オールジャパンの体制づくりに向け、大震災で高まってきた新たな機運がある。経済社会のプレーヤーとしての個人の意識の変化だ。キーワードは連帯である。
在创建全日本的体制上、大地震增加了新的机运。那就是做为参与经济社会一员之个人观念的转变。关键词是团结。
自分の責任で自分自身でする自助、回りや地域が協力する共助、公的な機関が支援する公助――。この3助のうち、今回、共助の精神がいかんなく発揮された。困ったときにはお互い助け合い、困難を乗り切ろうとする連帯の精神である。
个人责任自我完善之自助、周遭及社区等协助之共助、公共机关援助之公助――。此三助当中、这次、共助的精神发挥的淋漓尽致。也就是遇到困难时互相帮助、一起共度难关之团结精神的发挥。
これまで、明治国家からつづく社会意識の根っこにあるのは、お上と下々の感覚だ。横並びで、もたれ合い、自立する精神の希薄さでもある。だから何かあれば、すぐに公助を求めてきた。もちろん公助も必要だが、いつまでも官に頼ってばかりではいられない。共助は、これからさらに進む少子高齢化社会を乗りきる切り札になる可能性もひめている。
至此,从明治国家延续而来的社会意识型态的根基为上与下的从属关念,横向连结互助合作的自力精神薄弱,因此有突发状况时便立即寻求公助。当然,公助是必要的,但不能永久依靠。共助,或许是克服日渐严重的少子高龄化社会的潜在王牌。
明治も戦後も、国を開くきっかけとなったのは、外圧だった。こんどもまた、地震・津波という外からの入力である。内向きになるのではなく、世界の中の日本を改めて確認する必要がある。
无论是明治或是战后,国家走向开放的契机都是来自外部的压力。这次也是来自地震及海啸的外部压力。我们不可就此内缩,应重新认识日本在世界中的定位。
ここで新しい日本を創ることができなければ、開国・維新で日本の独立を守り、敗戦で国破れた中からこの国をよみがえらせてきた先人たちの労苦に報いることができないばかりか、次の世代へのバトンタッチもかなわないだろう。
此时我们如果不能造出新日本,不仅无以回报先人们在开国及维新中守住日本的独力,在战败的破国疆土中将国家复苏的辛劳,也愧对后代子孙难以交棒。 |
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