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发表于 2011-6-27 23:30:24
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本帖最后由 moriyuyu 于 2011-6-27 23:31 编辑
趁着今天还没过,狗尾续貂一把。哈哈。
人间净土平泉町的佛缘
いつもの散歩道を狭く感じたのは、左右からせり出す草垣のせいだった。ひと雨ごとに緑が深まり、ガサゴソと葉を広げ、つるを伸ばす。この時期、植物にみなぎる生命力は怖いほどだ。
道路两旁草丛纷纷挤向路面,让人感觉平日里散步的路径狭窄了许多。每一场雨后,杂草就愈发地深绿,草叶伸展,枝蔓横生。这个时期,植物内在饱满的生命力着实让人敬畏。〈夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡〉 の句も、新暦なら今ごろだという。芭蕉は草いきれの高台に立ち、ここ平泉で非業の死を遂げた源義経ら、500年前の武人たちに涙する。「おくのほそ道」の佳境である。
“当年将士埋骨处,夏草年年复又生”的诗句,据说就是大约作于历史上的今天。当时,芭蕉站在荒草密布暑气蒸腾的高台,追思在平泉战死的源义经及其部下们,不禁潸然泪下。平泉正是《奥州小路》作品中的一处文学胜境。岩手県平泉町の中尊寺や毛越(もうつう)寺が、小笠原諸島に続いてユネスコの世界遺産に登録された。平安末期、奥州藤原氏3代が砂金の財力で築いた地方政権。辺境差別に抗し、戦乱に散った万物の霊を慰める「この世の極楽浄土」を志すも、本州統一に燃える源頼朝に滅ぼされる。義経との縁が仇(あだ)となった。
岩手县平泉町的中尊寺和毛越寺,继小笠原诸岛之后登上了世界教科文组织的世界文化遗产名录。平安末期,奥州藤原氏以三代淘金积累下的财力在平泉建立了地方政权,修建寺庙旨在树一方 “人间净土”,安抚那些反抗边境歧视,在战乱中殒命的万物生灵。可惜藤原政权被一心统一本州的源赖朝推翻,“人世极乐”的宏愿同时也就破灭了。源义经与源赖朝因此结下仇怨。
「夏草や」を芭蕉の随一とする研究者は多い。その一人、ドナルド・キーン氏(89)はかつて、平泉について「浄土の印象が強い。あの世が要らない」と、盛岡でのシンポで語っている。
认为《夏草句》是芭蕉的巅峰之作的研究者人数众多,其中有一位就是唐纳德金(89岁)。他曾经在盛冈研讨会上做发表,认为平泉 “净土意识浓厚,就是人间极乐,无需再寻找所谓的来世”。氏によれば、アンコールワットや敦煌など、名だたる仏教遺跡には辺境に佇(たたず)むものが少なくない。平泉の違いは、忘れ去られた期間がない、一度も死んでいないことだという。俳聖が〈五月雨の降り残してや光堂(ひかりどう)〉 と詠んだ金色堂は、時の風雪に耐えて輝く。
他认为,世界闻名的佛教遗迹,诸如莫高窟和敦煌,扎根边境的不在少数。而平泉的不同之处在于,它从来没有被人遗忘,也从来没有消亡过。正如俳圣吟咏的“人世年年五月雨,容貌依旧金色堂”一般,久经风霜,却屹立不倒,熠熠生辉。東北が未曽有の災害 に遭い、惨状を見たキーン氏が日本国籍の取得と永住を決めたその年、北の浄土は世界の宝になった。仏縁という言葉がふとよぎる。悠久を生きる平泉にいま一度、鎮魂と再生が託された。
今年,东北地区发生了大地震,唐纳德目睹当地的人间惨剧,决定申请加入日本国籍,获得永久居住权。也就在今年,北方的平泉净土成为了世界的文化瑰宝。写到此,笔者脑海中突然闪现出了“佛缘”一词。此时此刻,永生的平泉净土,又再次成为了人们安抚亡灵和期待重生的象征与寄托。
注釈:
1,夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
《出典》奥の細道・平泉 《作者》芭蕉(バショウ)
《訳》:今見れば夏草が生い茂るばかりだが、ここは昔、義経(ヨシツネ)ら武人たちが功名を夢みて奮戦した跡である。そんな功名も一場の夢と消えて、ただ夏草が無心に茂っている。
《参考》:目の前の現実の世界と、過去の世界とをだぶらせ、人生の流転と自然の恒久とを見事に対比させている。
,2,五月雨の降り残してや光堂
《出典》奥の細道・平泉 《作者》芭蕉(バショウ)
《訳》:年々降り続いて、すべての物を朽ちさせてきた五月雨も、この光堂だけは降り残したのだろうか、その名のごとく数百年を経た今も光り輝いているよ。
《語句解説》
光堂=平泉中尊寺の金色堂。
《参考》:五月雨は眼前の実景ととってもよいが、「五月雨や年々降りて五百たび」の初案を考えれば、五百年間という歴史性をもあわせ持っている。いわば実景と芭蕉の空想裡(リ)の景色が二重映しになっている。時間の浸食に耐える光堂の姿が、直前に描かれた高館の廃墟のさまと対照的である。,
3, 2011年3月11日発生の東日本大震災。
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