それは小さなみすぼらしいホテルで、僕らのほかには泊まり客の姿は殆ど見あたらなかった。僕がその一週間の滞在中にロビーで見掛けた客は二人か三人かそれくらいだったし、それだって泊まり客なのかどうかわかったものではない。でもフロントのボードに掛かった鍵がところどころ欠けていたから、僕らの他にも泊まり客はいたはずだと思う。それほど多くないにしても、少しくらいは。幾らなんでも仮にも大都市の一角にホテルの看板を掲げ、職業別電話帳にだってちゃんと番号が出ているのだ、まったく客が来ないということは常識的に考えてありえない。しかしもし僕らの他に客がいたとしても、彼らはおそろしく物静かでシャイな人々だったはずだ。僕らは彼らの姿を殆ど見掛けなかったし、その物音も聞かなかったし、気配も感じなかった。ボードの上の鍵の配置だけが毎日少しずつ変わった。彼らは息をひそめたぶん薄い影のように壁を這って廊下を行き来していたのだろう。ときどきかたかたかたかたというエレベーターの走行音が遠慮がちに響いたが、その音が止むと、沈黙は前よりかえって重くなったように感じられた。 3 u- @ F2 X; ?- o) x1 R6 w とにかく不思議なホテルだった。 D. v( v T& h) q7 Z$ U3 u. T それは僕に生物進化の行き止まりのようなものを連想させた。遺伝子的後退。間違えた方向に進んだまま後戻りできなくなった奇形生物。進化のベクトルが消滅して、歴史の薄明の中にあてもなく立ちすくんでいる孤児的生物。時の溺れ谷。それは誰のせいでもない。誰が悪いというわけでもないし、誰にそれが救えるというものでもない。まずだいいちに彼らはそこにホテルを作るべきではなかったのだ。あやまちはまずそこから始まっていた。第一歩から、全てが間違っていた。最初のボタンがかけ違えられ、それにあわせて全てが 致命的に混乱していた。混乱を正そうとする試みはあらたな細かいーー洗練されているとは言えない、ただ細かいだけだーー混乱を生み出した。そしてその結果、何もかもが少しずつ歪んで見えた。そこにある何かをじっと見ようとすると、ごく自然に首が何度か傾いてしまうのだ。そのような歪み。傾けるといってもほんの僅かの角度だから特に実害はないし、べつに不自然さを感じるほどでもないし、ずっとそこにいればそれに馴れてしまうのかもしれないが、やはりいささか気になる歪み(それにそんなものに馴れてしまったら、今度はまともな世界を見る時に首を傾けることにもなりかねない)。4 ^* B5 L& H3 f4 h( g
いるかホテルはそういうホテルだった。そしてそれがまともじゃないということはーーそのホテルが混乱に混乱を重ねた末に飽和点に達して、やがて遠からぬ将来に時の大渦にすっぽりと飲み込まれていくであろうことはーー誰が見たって一目瞭然だった。哀しげなホテルだった。十二月の雨に濡れた三本脚の撙郡い税Г筏菠坤盲俊¥猡沥恧蟀Г筏菠圣邾匹毪胜螭剖篱gには他にもいっぱいあるだろうが、いるかポテルはそういうのともまた少し違う。いるかホテルはもっと概念的に哀しげなのだ。だから余計に哀しい。, Q, s3 U0 _- @2 Y; l
言うまでもないことだとは思うけれど、そんなホテルをえらんでわざわざ泊まろうなどという人間は、何も知らずに間違えてやってくる客を除けば、そんなにはいない。