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发表于 2006-3-6 13:56:04
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葉山嘉樹
% l& X% s9 H) M9 f' w+ j3 M* B- B$ h 二
4 ~7 H0 _7 V. b6 k
. o8 B6 t7 I# B2 q) C4 f6 I9 s. O
8 Z5 U, ~+ f+ s8 K: l2 ? 雨が強くなつて来た。
; d$ x$ X8 o/ ?* _7 K 自分の持つてゐる釣竿は未だ見えた。が、餌箱の中の餌の「チラ」がもう見えなくなつた。釣針も見えなくなつた。ピクッとかかつたので糸を上げても、どこに魚がかかつてゐるのかも見えなくなつた。
9 @& Z2 x4 L' ]# u- j6 f1 l/ h もう、釣りも駄目になつた。1 _4 ~4 s0 ^2 k5 C
私は、「親子心中」をする人たちの、その直前の心理を考へてゐたことに気がついた。. ?& X( c' y, N2 t7 i
足の下には、日本の三大急流の一つが、セセラギ流れてゐた。減水してゐたので、豪宕たる感じはなかつた。が、それでも人間の十人や百人呑んだところで、慌てると云ふ風な河ではなかつた。
9 W8 T8 {, `& a9 {& _ 暗い中に流してゐたので、鉤が木工沈床の鉄筋か玉石の間か、流木かに引つかかつてとれなくなつた。/ W3 J: N% M+ n" e$ L0 q
首筋には雨が伝はつて来た。
+ @. [- l$ q& w" Q9 w9 _. \ 釣竿を寄せ、竿頭からテグスを掴むと、私は力まかせに引つ張つた。テグスは竿頭から三分の一位の処で切れたことが、手さぐりで分つた。
; F1 @. J# k, g9 a2 s9 b「サア、帰らうぜ」
; v7 U; @6 c; T と、私は子供たちに声をかけた。9 Y) q4 V3 _3 _# q6 }- N+ x% j% K
「帰るの、帰らうねえ」, i/ q; m" R3 x& P& _7 m+ u7 P
と、子供たちは下流から声を合せた。
" j2 H0 h) x3 K/ f9 q" t4 t4 A* |# j だんだん強く降つて来た雨で、私たちは濡れてゐた。体が寒く凍えて来た。私はカジカンだ手で竿を畳み、子供たちの方へ堤の上を歩いて行つた。
h) Y. v1 t& d; {" E# l 兄妹は五尺にも足らぬ胡桃の木の下に、二尺角位に乾し草の屋根を葺いて、その下に雫で背中を濡らしながら、木の幹を抱き、向き合つて跼んでゐた。
. [$ p5 N, z- c+ E* v& W「竿はどこへやつた?」
! n/ r3 ?9 \: `% t と、私が訊くと、( Z$ t! w' ?- C' V1 c* k
「ほら、そこにあるよ」
1 E$ v, @5 C2 C4 h" B と、上の子が出て来た。" U2 G$ o: A8 E, L
「ああ、分つた、分つた」
6 [2 d6 l- \" ?, o6 }( V3 z1 h6 M y 私は子供の竿を抜きにかかつたが、元の方の二本が固くて抜けなかつた。( z/ W2 H! m. t' X
「これは抜けないや、濡らしたから緊つちやつた。お前担いでおいでよ」 M/ P0 H/ f! |7 m" q' c4 l. C
「うん」' r9 T" d9 O; B8 Y5 @0 y$ E/ K
「ほら、こんなに釣れたよ」& z6 Y0 N6 T3 u& }
魚籠を解いて腰から外し、子等に持たせた。魚の形が割合に大きかつたので、数の割合ひに目方は重かつた。
9 D6 c+ T0 T+ g1 C- g, D5 h 暗い闇の中で、魚の腹が白く光つてゐた。3 f& X. E! N2 }9 D
「サア帰らう。寒かつたかい」
1 C) K1 c- j4 h& m 私は「腹が空つたらう」と云ひかけて口をつぐんだ。
: d! t" W8 G6 @「ちつとも濡れなかつたよ。お父さん兄さんが小屋を拵らへてくれたから。ねえ、兄さん」
) C# L7 M0 z3 w) {8 ]& [「いつ小屋を葺くことなんか覚えたんだい、お前は?」* O* ~: x" j$ n$ ~/ }; ~/ H l6 P
「戦争ごつこの時にやるからね、もつと大きなのを葺くんだよ。炭俵なんかでね」 G( W! R3 M% G. K
「さうかい。サア帰らう」
8 ?& V' y; }/ H' a" @# N 私たちは暗くなつた河の堤防を、下流に向つた。
$ k. F; B- {/ }( x6 U! O9 j! \ 男の子は先頭に立つた。女の児は私の後ろになつた。+ B- Q& N) @, m! s' [# Q
コンクリートの橋があつて、そこで県道に出て、そこから私たちの家まで、約一里あつた。橋の袂に小屋があつた。橋を作る時に拵らへたセメント置場か何かのバラックである。
5 V8 m- `- q ?1 k# {3 G+ L そこで上の子は、私たちを待つてゐた。
' f: V3 P% [' [) \ 私は下の子の来るのを、上の子とそこで黙つて待つてゐた。6 b" `+ I3 s) G5 f1 r0 z" ~/ |5 v
どう云ふものか、ふだんお喋舌りの子等がその夜は黙り込んでゐた。
8 ?+ p3 H4 O1 Y 無邪気な、詰らない疑問が飛び出して、私を煩さがらさなかつた。! S9 A' _: O; {1 q. [! U
――父ちゃんは考へるがいい。――
: H' h, j! a; e) O とでも、子等は思つてゐたのだらうか。$ P+ o/ F. y9 y c8 r8 X$ W
三人、一緒になつたので、
' c: g- F0 Z2 C" g6 l* d4 g" M「お前たちはお父さんの先きにお歩き」
$ X" t7 j. r1 Y- x さう云つて、私たちは県道を歩き始めた。
2 I5 W! r! F" ~5 Q8 c* p 県道は、電話線の埋設工事で掘り起されてあつた。いつも坦々たる道路なのに、その日は掘り起した泥と雨との為にぬかつてゐた。3 W6 V1 i0 I& X/ N
その悪路を子等は驚く程、足早に歩いた。
' D8 T( I0 ]# e, x D 暗闇の中で、私は子供たちの姿を見失つてしまつた。が、長い間、さうだ三十分位の間も、私は子等の先きに立つた姿を「見失つた」と云ふことに気がつかなかつた。% H+ b' a' c# W
長い間、帰り途の半分位の道程を、私は何を考へてゐたのだらう、と、子供の姿の見えないことに気のついた途端に、考へたが、その時には、もう私は、先きに歩いてゐる、見えない子供たちに声をかけてゐた。
0 C6 e1 Y& W8 N9 X# S; I, x「おうい! 余んまり速いぞう、お父さんは附いて歩けないぞ」- Y$ M; c1 z$ y; d8 q; E
道は林の坂道にかかつてゐた。9 l' `6 S# u" Y8 e8 c
両側の林の樹々には、葉のある樹々が多かつたので、雨が、そこまで来ると急にひどくなりでもしたやうに、音を立てた。$ b3 w2 L3 \$ U4 a- h; ]
その音にせき立てられて、子等の歩みも一層速くなつたんだらう。/ ` Y B; l5 l2 ?
が、私はノロくさく歩いた。子供たちに追ひつかうと試みたが、駄目な事が分つた。
( }; ^' w7 Z. t" [- \! Y 私の体にも、私の心にも、私の歩みを速めるだけの力が残つてゐなかつた。速めると云ふだけで無く、一口に言つて終へば生命力が残つてゐなかつた、と云つてもよかつた。
( x# N0 X( f: x# J R+ h9 Z x5 I p 嫌悪感、それが私の全体をひつ括んでゐた。それは自分の外に向つても、自分の内に向つても、粘り強い根を延ばしてゐた。
$ P3 N$ X7 K5 k, P3 G; a7 O/ W 今までも、嫌悪感と云ふものは幾度か、殆んど数へ切れない位に私の首を締めつけた。が、今度程、それが長く、その上小憩みなしに続いたことはなかつた。
1 E/ h- w, a# ], q$ t$ e- H 肉体の上の極度の疲労と、精神上の異常な打撃とが同時に起ると、「腰を抜かす」と云ふ現象が起ることがある。この状態が私を掴んでゐた。腰を抜かしながらも、私は子供たちを両手で捧げて、死の濁流へ呑まれないやうにしてゐたのである。" ^. |8 u# M, Z% V
戦場で多くの死傷者が出た。それを新聞紙上で見てゐるうちに、私は、私の死をも考へるやうになつた。身に引きくらべて考へるのである。それが私の習慣になつた。死のあらゆる場合を考へ続けることが習慣になると、私の生活は生命へよりも、死の方へ近づいて行つた。! z ]: g9 j( @; E
生命への嫌悪感!
$ e# `3 Y1 @* K8 @2 f' _8 F いや、この言葉は嘘だ! が、何かしら、生きて行くのに大骨を折ると云ふことに、熱意を欠いたとでも云ふのであらうか。これは私にとつては生れて最初の現象である。
& P0 d& f$ Q6 Z5 }2 b$ g7 D1 C, H 自殺を思つたことも幾度かあつた。それを企てたと自分で思ひ込んだこともあつた。9 {2 u. E* W$ h0 s
が、これ程、怖れなく、と云ふよりも生への執着を抛棄して、死の方へ引つ張られるやうにズルズルと考へ込んで、あらゆる生への努力を、六ヶ月間も打つ棄つてしまつたことは初めてであつた。 |
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