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发表于 2004-3-4 23:00:00
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馬 鹿
バカという語は本来「愚かな」と意味であることは誰でも知っている。バカにつける薬はない、あいつはバカだ、バカの一つ覚え、という風に使われる。転じて「バカに暑い」といった場合は度が外れて暑いと言うことだろう。「このネジはバカになっている」というとは役立たないと言うことを意味している。[/COLOR]
ところで「バカ」と「あほ」とどう違うか。「バカ」を辞書で引くと愚かなこと、あほう、たわけとある。いっぽう「あほ」の方はやはり「愚かなさま」とある。けっきょくは同じことだが「馬鹿」と「阿呆」は同じ意味でも東京人と大阪人とではどうもニュアンスがあるようである。
大阪人は「あほ」といわれてもあまり腹は立てないが、「バカヤロウ」といわれると喧嘩になってしまう。東京人は平気で「バカ」というが「あほ」といわれるとお前は知能指数が低いと軽蔑されたとうけとってしまう。
さて「阿呆」という言葉は「阿房」とも書く。そのいわれは秦の始皇帝がバカでかい宮殿を建てた。宮殿の名を阿房宮というが、乱脈な財政ゆえに国ごと滅びてしまったと言う故事から、愚かで馬鹿なことをする人間を「阿呆」ということになった。
「馬鹿」の語源はサンスクリットの‘モ-ハ‘がその語源であるとする説が有力である。‘モ-ハ‘とは「事理に暗いこと」「愚痴」を意味する。‘モ-ハ‘を「莫訶」と音訳し、それが「莫迦」とも書き、そしてバカといわれるようになったという。バカを何故「馬鹿」と書くのであろうか。大漢和辞典で調べてみても「馬鹿」という語は見当たらない。要するに単なるあて字にすぎないということらしい。
人間は自らの愚かさを自覚することが必要である。「念仏者は愚者になりて往生す」とは法然上人の言葉であるが、それは自らが「バカ」になりきることであろう。
春立つや 愚の上にまた愚にかえる 一茶
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