文法党の皆さんは中国語文法をすべて理解しているのだろうか
日本人の皆さんには文法を勉強してから言葉を話しはじめた人はいるのだろうか
ほとんどの人は「ママ」と「パパ」という言葉を最初に覚え、また母語に関しては文法よりも修辞しか習った経験がないはずだ。
文法は言語の論理性の起源だなんて、赤ちゃんが聞いたら泣くぞ
文法はただの理論、一種の習慣的なものだ。文法があるから話せるのではなく、コミュニケーションをより円滑で効率的にするためにつけた習慣から、後にまとめられたものを文法と呼んだに過ぎない。文法がわからないから話せない。それは勘違いだ。
文法は常に時代とともに変化し、継承されながら修正もまた加えられてきた。それが不変なものならまだしも、常に変化するものは論理性の基礎になり得るか。それともその論理性も常に変化しているのか?
文法は大事じゃないとは一言も言ってない。大事だけどすべてではない。特に文法を丸暗記するのは最悪なやり方だと僕は言いたかったのだ。何人の生徒も見てきたが、その結果、一生懸命に覚えて、正しいと思い込んでいたものをいざ「それ違うよ」と言われると、今までの努力が水の泡になって消えるだけではなく、自分の中の文法スキーマがこわれてしまう恐れもある。そうとなると直すには相当時間がかかる。
それより、ある環境で、あるものあるいは人にある働きかけをしたいとき、どの言葉で発信すればよいのか、これを覚えていく。この過程の中から、言語の構成要素はそれぞれ環境にどう影響するのか、またどう影響されるかを覚えていく。自然と文法の習得もこの過程の一部となり、覚えるという言葉より、身についてしまうのだろう。これこそ、言語のコミュニケーション道具と思考道具としての特徴を沿った勉強方である。
これは認知言語学のアフォーダンス理論の一部で、興味のある方は自分でググってください
ちなみに 僕は一級を持ってないしほしくもない。いままでアルバイトも面接も就職もそれで引っかかったことは一度もない。皆さんもチャレンジをしたいならせめて日本語検定一級に目標を設定したほうがいい。日本語能力試験やら、J-testやらにかける金と時間があったら、小説でも一冊買って読んだほうがずっとためになる。
ちなみに 彼女あるはなんか聞いたことような気がしたので 「彼女ある」 でググってみたら、「脳内彼女あるから大丈夫」という言葉にヒットした。たぶんオタクの皆さんの脳内に彼女あるから、お互いに 彼女ある?と聞きあっているのではないだろうか |