|
发表于 2006-8-16 20:52:24
|
显示全部楼层
1945年の、第二次大戦の終結に至る道のりをたどる。1月・米軍がフィリピンのルソン島に上陸、2月・連合軍が独の古都ドレスデンを空襲、3月・東京大空襲。4月・米軍が沖縄本島へ上陸、ムソリーニが殺されヒトラーが自殺する。
1945年,第二次世界大战走向终结。1月,美军登陆菲律宾吕宋岛;2月,盟军空袭德国古都德累斯顿;3月,东京大空袭。4月,美军登陆冲绳本岛,墨索理尼被处死,希特勒自杀。
5月・ドイツが無条件降伏、6月・天皇臨席の最高戦争指導会議で本土決戦の方針採択。7月・ポツダム宣言発表、鈴木貫太郎首相が宣言の「黙殺」を表明。8月・広島、長崎に原爆投下、ポツダム宣言受諾を決定。15日に天皇の「玉音放送」があり大戦が終わった。
5月,德国无条件投降;6月,天皇出席最高战争指导会议,通过本土决战的方针。7月,发表波茨坦公告,铃木贯太郎首相表明态度,对公告“不予理会”。8月,广岛、长崎被投下原子弹,日本决定接受波茨坦公告。15日,播放天皇诏书,二战结束。
ここに記したのは、大戦の後期の動きの、ほんの一部だけだ。他にも日本では多くの人々が空襲で命を奪われた。そしてアジアや世界には、終結に至るまでに犠牲になったおびただしい人たちがいた。
这里记述的仅仅是二战后期所发生的极少部分事件。其他还有,在日本,很多人被空袭夺去了生命。在亚洲,在世界各地,战争走向终结前,有无数人牺牲了生命。
日本の近隣国には、日本の侵略で町や村を戦場にされ、肉親を殺され、家を焼かれた人たちが今も暮らしている。時がたって心がしずまったとしても、忘れることはできないだろう。まして加害国の側が忘れたかのように振る舞うのは許せないはずだ。立場を逆にして考えてみれば分かることだ。
在日本的邻国,现在还有部分幸存者。因为日本的侵略,他们的街道、村庄变成了战场,他们的亲人被残杀,他们的房屋被烧毁。或许随着时间的流逝,心情会慢慢变得平静,然而这一段历史是绝不会忘却的。当然更不能容忍加害国好像已经忘掉历史的行径。站在对方的立场设身处地想一下,这种心情应该不难理解。
小泉首相が終戦の日に靖国神社を参拝した。相変わらず「心の問題」を持ち出した。自分の心は大事にしても、自国が被害を及ぼした国の人の心には思いが及ばないらしい。日本国民を代表する立場にあるはずなのに、狭量さが目につく。
小泉首相选择终战日参拜了靖国神社。依然老一套说辞,说什么“内心问题”。自己的内心是要重视的,而被自己国家伤害的别国人的心情好像就不用顾及了。身为一国之代表,胸襟何其狭隘。
この世には、100年たっても忘れられないことがある——。そのくらいの度量でことにあたるのを望むのは、無いものねだりなのだろうか。
在这个世界上,有些事情纵然过了千年万年都不可能忘却。只是要求这一点点的度量,难道也成了奢望?
[ 本帖最后由 t_hikari 于 2006-8-16 12:55 编辑 ] |
|