| (3)「相互理解·相互信頼」 7 }3 w9 F! P* C. `5 H; c
 + M9 g4 y' V) V; s/ d$ B& y 最後の第三の柱は、「相互理解·相互信頼」です。
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 - R6 ~( x# W" v$ B 近い国同士であるからこそ、互いに何故相手は自分のことをよく分かってくれないのか、という苛立ちが生じがちです。互いを如何に理解すべきか、という基本的な認識が揺らいでいるようにも見えます。極めて短期間に大きな発展を遂げた中国に対して、日本側では、どのようにお付き合いすべきか心の準備ができていない面があります。一方、中国側でも、日本が、国際社会においてより大きな政治的役割を求めていることに対して、複雑な感情があるように見受けられます。' d; n, p2 W% z5 `6 k6 U
 
 * d1 R* v! S/ P- P  }4 G' ~ 私たちは、改めて相互理解を深める努力が必要です。これは誰もが分かっていることですが、実践するとなると、なかなか容易なことではありません。相互理解を進めるには、まずは彼我の間の活発な交流が必要です。そして真の相互理解があってこそ、初めて相互信頼を打ち立てることができます。私は、3つの交流、すなわち、1)青少年交流、2)知的交流、3)安全保障分野での交流、これらを強化していくことが、対話·理解·信頼という好循環を生み出す最善策であると考えています。
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 : v5 t* L9 D( V5 ~/ q! b( J0 A 特に大切な交流の一つに、昨年から日中間で始まった大規模な青少年交流事業があります。皆さんのような若い方々こそ未来の希望です。明日の日中関係を作るのは皆さんです。政治も経済も当然重要ですが、将来にわたり安定した日中関係を築いていくためには、今後50年、100年先といった長期的観点に立って、互いに理解を深め、互いの違いを尊重し、共に学び合っていく「人」を日中双方に育てることが大切です。そして「十年樹木、百年樹人」といわれるように人を育てるには息の長い努力が必要です。5 f& P9 c& J" s8 y& U* g5 W
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 中国から日本に来た高校生たちは、皆口々に「想像していた日本と違う」、「新しい日本を発見した」と言って帰国していきます。自分の目で見、耳で聞き、体感することで、それまでの先入観や偏見が消え、日本に対する理解が深まったことは間違いありません。8 a, v; t5 i1 [" [1 K! Y5 O. m. N( G
 
 . A! T: s: Z1 m1 e+ i これは、中国を訪問した日本の高校生にとっても同じことでしょう。ある日本の高校生の男の子は、中国におけるホームステイ先のホストファミリーとの思い出をこう語っています。3 u9 O. H: |3 S: C5 t6 t8 z
 
 / A9 m5 a: U# Q/ `  Q/ { 「とても楽しかったホームステイと学校交流を通して、中国の高校生も日本の高校生も同じだなあと思いました。とっても優しく、とっても賑やかで、この人たちが大人になって僕たちが大人になった頃、本当の意味での『世界平和』が訪れるのだと思います。このような機会を与えて下さった方々に、心から感謝したいです。」6 ~3 R6 ?) c1 @2 j% }
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 日中間で知的交流を進めていくことも大切です。日中の若手研究者同士が、日中関係だけでなく、幅広く国際情勢について議論することは大いに意義のあることです。世界がどう動いているか、時代はどう変わりつつあるかを敏感に感じ取り、日中関係を方向付けていくという視点が大切です。日中が協力し、国際的視野に立った有識者を育成し、地域や国際社会の諸課題解決のために、共に貢献する人材を輩出していけば、日中両国は世界に誇り得るパートナーになれると信じています。
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 * ?' \+ x1 {1 k* j4 l7 i( o" r そのためにも、冒頭で申し上げたとおり、私は、明日の中国を支える皆さんにもっと日本を知って欲しい、日本について学んで欲しい。そのため、中国における高等教育の拠点との交流を進めていきたいと思います。まずは、本日講演の機会をいただいた、ここ北京大学における対日交流強化のためのささやかなプランを提案したいと思います。この「北京大学における福田プラン」、ささやかではありますが、具体的には次の3つの内容を考えています。
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 / f- M- w9 t( K# z 一つ目は、シンポジウムの実施です。今後2年間、国連改革、第三国援助、 PKO活動、環境·エネルギーといったグローバルな課題をテーマとして、北京大学研究者を日本に招聘し、シンポジウムを実施していきたいと考えています。二つ目は、来年、北京大学の皆さんの中から100名を、また付属高校から50名を日本にお呼びし、研修を実施します。最後の三つ目は、日本研究センターにおける、集中講義支援を継続していきます。こうした対日交流強化のための「北京大学における福田プラン」を通じて、皆さんの中から一人でも多くの人が日本研究の道に進まれることを、心から期待しています。) c: A  R6 E& A
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 安全保障分野の交流について言えば、先日初めての中国艦艇の日本訪問が実現したことは、日中両国にとって画期的な出来事であり、嬉しく思います。 2008年は日本の防衛大臣、海上自衛隊の艦艇が中国を訪れる番です。安全保障は国家存立の根幹であり、両国の国民感情にも直結する問題です。透明性を高めることを通じ、相互不信の芽を摘み、信頼醸成を育くむことが求められます。そのためには、安全保障や防衛の分野で、日中の交流や対話を一層活発化させていく必要があります。双方の防衛関係者が相手国の有識者、民間人とも接する機会を設け幅広い相互理解を促進することが重要であり、日中双方がその努力を行うことにつき首脳会談でも一致したところです。2 A, Z: H: A  e3 n) ^% c
 6.アジアと世界の良き未来を創造するために!
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 - Y- q" \9 ?- |( q" r, j 以上、日中両国の「戦略的互恵関係」の三つの柱についてお話しして参りましたが、総論として私は、日中関係を世界の潮流·大義に沿って方向付け、未来を創造していくという姿勢が大切だと思っています。日中両国が国際社会に責任を持つ大国として、世界の大局を見据え、世界の期待に応えながら、「互恵協力」及び「国際貢献」に努めるならば、互いの立場の違いを乗り越え、「相互理解·相互信頼」を築くことは可能であり、そうすることで、アジアと世界の良き未来を共に創造していける、創造的パートナーたり得ると確信します。創造的な仕事を日中両国が共同で行うことにより、世界中から頼りにされる関係を築き上げていく、そう考えると、大きな希望が湧き起こりませんか?違いをあげつらうのではなく、共に同じ目標に向かって、世界のために手を携えていく、日中両国はそんな真の友人でありたいと、心から願っております。
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 % G  c6 y" K! O: T) G* V 私は、これまで皆さんにお話しながら、改めて私たち政治家が果たすべき役割の重さ、そして皆さんの目前に広がる無限の可能性をひしひしと感じています。これからも、日本と中国との関係は必ずしも平坦な道ばかりではないかもしれません。そのような時にこそ、私たち政治家は、双方で起こりがちな折々の感情的な言論に流されることなく、世界の潮流や大義に沿って、しっかりと日中関係を一歩、また一歩と、着実に前に進めていかなければならないと思います。アジアと世界の新しい未来を創造していく、その道筋を皆さんに残していくことが、私の政治家としての使命でもあると考えています。( U& B0 F  z+ I. X9 W  O
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 日中両国は、単に利益·利害だけで結びついている存在ではありません。日中両国は長い交流の歴史を持つ隣国であり、互いの文化や伝統を共有し、その中で互いに拠って立つ基盤を共有してきました。例えば、日本が近代国家の歩みを始めた「明治維新」という言葉にしても、そのルーツを中国の古典に求めることができます。また、本年、「文化·スポーツ交流年」を通じて繰り広げられた多くの交流活動が、双方の強い共感を生んだのも、両国に共通の基盤があるからではないでしょうか。
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 $ E3 s' p  P# { 人権、法治、民主主義といった普遍的価値を共に追求することも重要です。一方で、私は日中両国に深く埋め込まれた共通の基盤、価値に思いを致すことも大切だと考えます。こうした思いを胸に、また両国国民に日中関係の特別な関係を思い起こしてもらいたいとの気持ちを抱きつつ、私は今回、曲阜を訪れます。: @1 U6 q9 d6 T$ O- d" J1 ~9 T
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 中国の偉大な作家であり、この北京大学で教鞭をとった魯迅は、かつて日本に留学し、そこで藤野先生をはじめとする多くの日本人と出会いました。このような出会いは、その後の中国の変化に大きな影響を与えたに違いありません。ちょうど、日中の高校生交流により、多くの若者が数え切れないほどの収穫を得たようにです。魯迅は、その作品『故郷』の中で、次のように書いています。( l7 B& R& m3 r, q7 [1 s
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 「思うに希望とは地上の道のようなものである、もともと地上には道はない、歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」
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 S4 \! x: D" l- k; {8 T; i' E 皆さん、共に歩き、共に道を造り、共に私たちの未来を創り上げていこうではありませんか。
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 - Z3 G* a, g; N$ t ありがとうございました。
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