这篇文章是半年前写在自己的blog里的,当时用的是日语,这段日子,看了一些朋友的译文,想起了Blog里的这段话,或许有些朋友还不能完全正确理解日语的内容,就将它再用中文写了一遍,贴了出来,以来也好骗些点击,而来或许会有些帮助。
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8 x* x3 u1 {, B就翻译而言,为了更准确地表达原意,在脑子里理解原文的意思比理解单词的译法更为重要。需要做到在理解原文整体内容后,将其抛弃,然后用自己的语言将整个文章的含义重新组合。
6 c, q$ T! M5 z一般翻译者最容易犯的错误就是,将原文的句子,一句不误地,一字不拉地翻过去。8 r, Z! ^9 U o& F
从这个意义上来讲,国语(语文)的基础能力就举足轻重了。因为如果不具备良好的文章构成的分析能力,就无法理解原文真正的含义所在,很多的文章里就会存在太多意义模棱两可的内容。
M( B) J! j/ l9 N* K* k$ i. \要具备这种能力,锻炼的方法就是读大量的文章了,其次,不是去翻译原文,而是要写心得体会(敢想文)。当然,与别人讨论也是一个方法。然而,讨论本身往往会演变成一种争执,特别是在网络上的讨论最终变成
' J/ {( G0 {, k一场口水大战的憾事屡见不鲜。因此诸位需得做好了思想准备在去与人讨论方好。- M/ o2 d# j) W" M
请回想一下婴孩是怎么学说话的(如果哪位因为脑子太笨,已经忘了自己是怎么学的说话的话,请向我学习,去观察一下自己的孩子,或者是别人的孩子是怎么学说话的)。
' J( q. c2 _, O4 p2 S1 v 婴儿不学语法,因为学不了。但是几乎所有的婴儿在进入幼儿期就学会说话了,到了2,3岁上,那可真是够罗嗦的了。. ] p. P. D* t5 B5 L
对!(他们学习的方法)就是鹦鹉学舌,记住单词的发音,然后不断重复而已。
" k7 _0 j) I8 f$ I! T 我们成人有着幼儿所无法向背的理解能力,所以我们学语言,不单纯是鹦鹉学舌,而是用理解能力这个武器来掌握文法和用推理去加速学习的速度了。
5 \" }- o, k( W( D 但是有太多的人过于依赖了理解能力,从而忽视甚至忘记了文法是用来记住一门语言的工具而不是目的这个事实,学习的目的变成了为了学习文法而拼命地去及文法,迷失彷徨在文法的森林中,真可谓是本末颠倒了。- Z. i8 D; |) @2 ^ }" D+ _/ w. B1 a! |
. ]0 z/ |9 g) j! V% ?' I原文(http://coffeejp.com/blog/index.php/147553/viewspace-27417.html)9 a8 {: G3 y1 o! l
翻訳に置きましては、より正確にするため、
. {5 t% b1 i6 d- bまず文書の意味を頭の中出理解することが第一、
1 C& I2 x7 B" a' S理解した後は、原文を捨てることで、自分の言葉で訳そうとする言語で内容を組み立て直す事。
$ i# c. I" g# P2 J/ }- Q一番失敗するのは、原文の言葉を一つずつ忠実に訳そうとするやり方だ。
! u! Q- Q/ A) \& n& I7 j6 @そういう意味では、国語〔語文)の基礎力が重要になります。なぜなら、文書の構成分析をしなければ意味がはっきりしないものは多々あるからだ。
$ ~0 d2 W3 T9 cそのためのトレーニングはたくさんの作文を読むこと、そして翻訳ではなく、感想文を書くことだと思う。もちろん、他人と論議することも方法の一つである。しかし、論議することは往々して喧嘩に繋がる、特にこのネット上での論議は後味の悪い不毛な罵り合戦に辿り着く場合は多々ある。そうなったときの心構えも必要になるけどね。
; [4 N0 p, j+ J# j4 g3 y( Y赤ちゃんが言葉を覚えるのを思い出してください。
/ {$ P7 _, ]$ @(頭が悪くて、赤ちゃんの時の事を思い出せない方は、私がそうであるように、自分の子供を観察するか、他人の子供を観察するかにして、体験するといい)3 d( \7 b2 c. \3 D$ p
赤ちゃんは文法の勉強はしない、出来ないからだ、しかし、大体の赤ちゃんが幼児になる頃には話せるようになる。3歳にでもなったら、日に日に五月蝿くなるます。
) m9 b7 m! P& V) D* p! Sそう!単語を覚え、それを繰り返す使う事である。) Z1 Y" B) S' D9 T2 g/ x: r
我々大人には赤ちゃんより優れた理解力がある、そのため、単純な鸚鵡返しではなく、理解力を武器に文法や推理によってより早く言語を覚えようとする。
. `" i, p: l8 o/ L, S$ Qしかし、多くの人はそれを過信したことによって、言葉を覚えるための文法である事を忘れ、単に文法を覚えるために一生懸命に文法の勉強をしている。挙句の果てに文法の森に迷い、彷徨うことになってしまう。 |