希望社会への提言(24)―「憲法25条」を再定義しよう
对理想社会的提议(24)-----再定义“宪法第25条”
・現代にふさわしい文化的な生活を追求する
追求符合现代社会的文化生活
・各党も国民も、希望社会の具体像を描こう
各党派与人民共同描绘理想社会的具体蓝图
「日本に来てみると人の目に希望があり、救われる思いがした」
“来到日本后看到人们眼中闪着希望之光,感觉他们被救赎了”
敗戦で灰燼(かいじん)に帰し、戦火に多くが倒れ、生き残った者はその日暮らしに追われていたころ。日本人の心に寄り添った英国の詩人がいた。
战败后的日本全部化为灰烬,很多人在战火中倒下,幸存者则过上了上述话语中描述的生活。那时,有一位英国诗人很能体会日本人的心情。
文化使節として47年に来日し、50年までに600回、英文学などの講義で各地を回ったエドマンド・ブランデン。彼の言葉だ。48年正月、荒垣秀雄の「天声人語」が伝えている。
他就是布伦登(Edmund Blunden:英国诗人评论家),47年作为文化使节来到日本,截至50年辗转各地共进行了600场关于英国文学等的演讲。上面的那句话就是他说的,在48年新年的天声人语里荒垣秀雄将这番话写了出来。
当時の日本には、晴れ渡る青空以外に何もなかった。だが同じ空でも、恐れていた敵機はもうない。空に平和が戻ったように、人の暮らしも、いまは苦しくとも明日は良くなる。
当时的日本除了万里晴空,其他一无所有。但在那片天空里,人们已看不到曾经惧怕的敌机。天空恢复了平静,人们也坚信即使现在辛苦以后生活也会变好。
人々の思いが、希望の光として瞳に宿ったのだろう。さあ、復興だ。そして、いつか豊かになろう。そう信じた時代が50年代、60年代と続く。
那时,人们的愿望化作希望之光在眼睛里闪耀着,并觉得百废待兴,以后会富足起来吧。那种坚定的信念持续到了50、60年代。
死にものぐるいで働いて、豊かになった。物は満ち足り、自家用車もマイホームも当たり前になった。
拼命工作后,人们的生活变得富裕了。物资丰富起来,私家车与私人住宅也已顺理成章。
しかし、表面的な繁栄とは裏腹に、人々は弱く孤独になった。頼りにしてきた会社も終身雇用してくれるか怪しい。家族のきずなはもろくなった。
但与表面繁荣反之,人们变得脆弱、孤独。怀疑赖以生存的公司是否会终身雇佣自己,家庭纽带不再牢固。
そして何よりも、希望が見えなくなった。目の前に立ちはだかる政府の膨大な借金と、急速な少子高齢化。忍び寄る経済力の衰え……。
更可怕的是,人们越来越看不到希望了。庞大的政府公债、急速恶化的少子高龄化问题挡在眼前,经济衰退已悄然而至。
未来に生きる子どもたちに、不安より希望を残したい。
我希望我们留给后代的是希望,而不是不安。
そこで思い起こすのは、あの敗戦後、私たちの先人がすべての国民に向けて、ある理想を掲げたことだ。
此时,我想起了战败后我们的先辈向全体国民许下的一个理想。
日本国憲法には、人間が人間らしく生きる権利をもつ、とした条文がある。第25条である。
日本宪法第25条中有这样的条款:每个人都有生活的基本权利。
1、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
1、全体国民都有维持健康的、有文化的、最低限度的生活的权利。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
2
国家必须在生活的一切方面,努力提高与充实社会福利、社会保障及公共卫生。
この規定は、連合国軍総司令部(GHQ)の憲法草案にはなかった。衆院の委員会で、森戸辰男議員(社会党)ら日本人により加えられたのだ。
这一规定在联合国军总司令部(GHQ)起草的宪法里是没有的,是在众议院委员会会议上,由森户辰男议员(社会党)等日本人加进去的。
当時、文化的水準に応ずる最低限度の生活について問われた森戸氏は「その国のその時の文化水準に応じた最低限度の生活という意味」と説明した。 一定の福祉水準を想定したものではなく、国全体の生活が向上すれば福祉も良くしていくとの考え方だ。
当时,被问到符合文化水平的最低限度的生活时,森户说“意思是符合该国当时文化水平的最低限度的生活”。这种想法不是假定某一福利水平,而是说国家整体的生活水平提高后福利也会变好。
25条は、とかく生活保護の水準確保について定めた条文として扱われてきた。しかし第2項から分かるように、じつは広く社会福祉を拡充することをめざしている。
第25条是规定确保各种生活保障水平的条款。但正如第2项所揭示的那样,它的目的实际上是为广泛地充实社会福利。
その精神が制度づくりに結実したのは、映画「三丁目の夕日」が舞台にした58年から59年ごろだったろう。この2年間に、最低賃金法、国民皆保険をめざす国民健康保険法改正、自営業者らを対象に加えた国民年金法が次々と日の目を見た。岸内閣の時だ。
在该条宪法精神的指引下,结出制度果实大约是在电影《三丁目的夕阳》时代背景下的58至59年吧。这两年正处于岸内阁时代,依次出台有最低工资法、旨在全民皆保险的国民健康保险法修正案、增加个体经营者为对象的国民年金法。
岸信介首相といえば、60年の安保改定や警察官職務執行法改正といった強硬路線で国論を二分した印象が強い。だが、追放すべき「三悪」に貧乏を加え、そのために経済政策と社会保障制度の拡充を進めた顔もあった。
说到岸信介首相,给人印象较深的是在60年重新制定日美安全保障条约、修订警察职务执行法等中走强硬路线,致使舆论对他评价褒贬不一。但他在要消除的“三恶”中加入了贫穷,因此也有推进充实经济政策和社会保障制度的一面。
三恶:杀生、盗窃、淫欲
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