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その悲報に、「シェー」が小さく出た。ギャグ漫画の神様、赤塚不二夫さんが72歳で亡くなった。ひょっとして、ご本人は「これでいいのだ!」であろうか。ここ10年、大病が重なり覚悟はしていたが、赤塚ギャグで育った世代としては万感の「シェー!」で送るしかない
初听到哪个讣报的时候,不由得低声叫出一句“啥”。搞笑漫画之神,赤冢不二夫去世,享年72岁。不过他本人说不定会认为“这样就好!”吧。虽然最近10年赤冢先生一直重病缠身,大家早有了心理准备,但作为看着赤冢搞笑漫画长大的这代人来说,面对这一事实只能百感交集的说出一声“啥”。
▼最初の衝撃は「おそ松くん」だった。おフランス好きのイヤミ、おでんのチビ太、デカパンやハタ坊。ところ構わず出てくるおかしな脇役と、めちゃくちゃな展開に笑い転げた
最初带给我们冲击的是《おそ松くん》。其中喜欢法国的イヤミ,喜欢杂烩的チビ太,デカパン和ハタ坊。这些不分场合地点随时出场的搞笑配角们,给我们带来了无限的乐趣。
▼読み切りで売れ始めた赤塚さんに、「少年サンデー」が4週連載を注文したのは1962(昭和37)年。「どうせ4回じゃないか、思いっきり暴れて終わってやろうじゃないか」(自伝『これでいいのだ』)。この勢いに悪ガキたちは打ちのめされ、「おそ松くん」は連載5年を超す出世作となる
由于大家看过赤冢的漫画都开始喜欢起来,于是《少年SUNDAY》于1962(昭和37)年邀请他做一个四周的连载。“反正有四回,就给他来一个闹闹腾腾的结局吧!”(自传《这样就好!》)。可结果大家都被这故事中的坏小子们吸引了,《おそ松くん》成为了他连载超过5年的成名作。
▼それまでの漫画がのんびりした落語調なら、急テンポのドタバタ映画。ページを繰るたび、理屈抜きの笑いが飛び出した。そんな赤塚さんの世界は、論理や常識で動く世の中が一方にどんと構えていてこそ、輝いたように思う
如果说之前那些搞笑漫画都是悠哉游哉的单口相声风格,那么赤冢漫画就是闹腾腾的无厘头电影风格了。每当你翻开书页的时候,都会没来由的大笑起来。赤冢先生的搞笑世界,站在天平上逻辑和常识的对立一面保持着世间的平衡,所以才越发显示出耀眼的光芒。
▼スピード感あふれるナンセンスは、60~70年代の日本の元気にも共鳴した。いま匹敵する才能がいても、漫画以上に不条理な現実に埋もれるか、よどんだ空気に浮いてしまうのではないか
满溢着速度感的无厘头,正好与60~70年代的日本社会的活力产生了共鸣。而现在就算拥有能够与赤冢先生相匹敌的才能,大概也只有埋没在这比漫画还无厘头的现实之中,或者浮华在已经淤塞了的空气之上了吧。
▼映画監督の伊丹十三さんが赤塚さんのすごいところとして、「世の中の方が彼のマンガに似てくるもんネ」と核心に触れたのは33年前だ。壊れっぷりに拍車がかかる社会を残し、昭和を「線」で笑わせた鬼才が旅立った。
电影导演伊丹十三先生在33年前谈到赤冢先生的过人之处时指出“在他的漫画之中可以看到世间的所有人生百态”。留下了这正在加速毁灭的社会,使用“线条”给昭和带来欢乐的鬼才踏上了他人生的另一条征途。 |
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