我先看了一点版头上的投票,长篇翻译貌似是大家最不喜欢的一项。
但是,我也只能厚着脸皮向大家请教了。这个文章我译了好几天时间,可是最后译出来还是觉得怪怪的,还是觉得生硬,语法错误也肯定不少。
身边也没有可讨论的人,所以,拜托大家了
民族と文化
アイヌ民族出身の民俗学者萱野茂さんは、長生きをした祖母にアイヌ語で育てられたせいもあって、この世帯としてはアイ語を自由に話す稀有の人である。あるとき萱野茂さんは、旭川市で開かれた中国物産展を見に行った。たまたま会場にいた中国人たちが何かで内輪もめとなり、中国語で口論になった。しばらくそれを見ていた萱野さんは、いっしょにいた仲間に嘆息しながら言ったという。--「おれたちもあんなふうにアイヌ語でケンかできたらどんなに幸せだべなあ。うらやましいなあ。」
この話を萱野さん自身から最近聞いたとき、わたしはしばらく黙り込んでしまった。間もなく中学校を卒業しようとする諸君に贈る言葉として、このときわたしが思ったことを少し書いてみたい。
かつてアラビア半島の奥地、サウジアラビアのサバクに、ベドウィン遊牧民の生活を取材するため住み込んだことがある。サバクの生活を切りあげて首都リヤド市に帰り、ホテルに泊まっていたとき、わたしの部屋は三一四号室だった。ある日のこと、受付で自分の番号をいってカギをもらい、部屋の前までいったとき、カギは別室(三一六号)のものであることに気づいた。受付に戻ってカギの番号を見せながら、「部屋に入れませんでしたよ」と、相手を責めないためのの心づかいで、わたしは微笑しながら言った。全く予期しなかった答えが返ってきた。--「あなたが間違った番号をいったのです。」
わたしが予期していたのは「や、これは失礼しました。」といひとことなのだ。このとき、もしわたしが初めてアラブと接したのだったら、「あるいは自分が違った番号を言ったのかもしれない。」と思っただろう。しかし既に彼らのものの考え方をサバクで学んでいたわたしは、「まさにベドウィン的だ。」と思っただけであった。ベドウィン的な考え方によれば、自分の失敗を認めることは無条件降伏を意味する。例えば皿洗いの仕事をしている人が百円のさらを割って、もし自分の過失を認めたら、相手がベドウィンなら弁償金を千円要求するかもしれない。だから皿を割ったアラブは言う。--「この皿は今日割れる運命にあった。おれの意識と関係ない。」
これが日本ならどうだろう。普通の日本人だったらこの場所直ちに言うにちがいない。--「まことにすみません。」丁寧な人はさらに、「わたしの責任です」などと追加するだろう。それが美徳なのだ。しかしこの美徳は、世界に通用する美徳ではない。まずアラブは正反対。インド人もアラブに近いだろう。フランス人だと「イタリアの皿ならもっと丈夫だ。」というようなことを言うだろう。
わたし自身の体験では狭すぎるので、多くの知人、友人または本から、このような「過失に対する反応」の例を採集した結果、どうも大変なことになった。世界の主な国で、皿洗いの人が皿を割って直ちに習性があるところは実は少ない。「わたしの責任です。」などとまでいってしまうおひとよしは、まずほとんどない。日本人とアラブとを正反対の両極とすると、ヨーロッパ諸国は真ん中よりもずっとアラブ寄りである。中国やベトナムもしかり。ただしヨーロッパでは、自分が弁償するほどの事件にはなりそうにもないささいなこと(体に触った、ゲップをした、など。)であるがぎり、「すみません」を日本人よりも軽く言う。この謝罪は、「謝罪」というよりむしろ一種の習慣だからこそ、社会をスムーズに動かす潤滑油として大切なのだ。
だが、日本人と確実に近い例をわたしはじっている。それは、かつて訪れたことのあるニューギニアのモニ族や北極地方のエスキモーである。モニ族は、わたしのノートをあやまって破損したときでも、カメラのレンズに土を付けたときでも、直ちに「アマカネ(すみません)。」といって恐縮した。そして、さまざまな国の歴史を比較検討してみると、おおざっぱにいってこんな傾向のあることがわかる。--「異民族の蹂躙による悲惨な体験をもった民族ほど、自分の過失を認めたがらない。」
日本人やエスキモーやモニ族は、異民族による蹂躙の恐ろしい体験を、一部を例外として、歴史上あまりたなかったようだ。
基本的なものの見方について考えると、ベドウィンの特徴、ひいてはアラブの特徴は、日本の特殊性よりもずっと普遍的なのだ。わたしたちの民族的性格は、アラブ諸国やヨーロッパや中国よりも、ニューギニアにより近いとさえおもわれる。探検歴の最も豊富な日本人の一人、中尾佐助教授にこの話をすると、教授は言った。--「日本こそ世界の最後の秘境かもしれないな。」
わたしがアラブア半島から帰国して間もなく見た新聞に、「もう泣き寝入りすまい」という投書が載っていた。交通事故で、自分が悪くないのに謝ったりしては大損だという体験談である。アラブがあれをよんだら、そのあまりにも日本的な現象に驚きあきれるだろう。
みんぞくが違うと、ものの考え方もこのように違う。それは日本とアラブと「どちらが良い(あるいは悪い)ということではなく、「違う」という事実が重要なのである。
普通わたしたちは、具体的にはどういう民族なのだろうか。どこの国にかぎらず、自分たちの民族的性格や特徴は案外知らないものだ。何かを知るということは、その「何か」を「他」から識別し、取り出すことでもある。まず「他」をしらなければ「何か」を識別することはできない。わたしたち自身を知るためには、他民族を知ることがその第一歩なのだ。地球上のさまざまな民族と接してみると、わたしたちがあたりまえと思っていることが他民族には全く通用しない例がよくある。そうした事実を知って初めて、わたしたちは自らを客観化し、知ることができるようになる。
簡単な例を挙げよう。わたしたちがコメと言うとき、それは煮る前のコメツブのことであって、食べるときのメシ(ゴハン)のことではない。しかし英語ではどちらもriceである。
もう少し複雑な例を挙げよう。魚のぶりは、日本語だとその成長段階に応じてシオワカナ、ツバス、ワカナ、はまち、メジロ、モンダイ、ブリ(明石地方の場所)とよび分かる。しかし英語ではすべてyellowtailだ。
もっと複雑な例として、ベドウィンによるラクダのよび方がある。日本語では「ラクダ」の一語だが、アラビア語ではその各成長段階はもちろん、「乗用」や「荷運び」のような用途別、さらに「妊娠したラクダ」「草を食っているラクダ」など、実に二百とおり近くもの単語に細分されている。エスキモーの場合は雪がそれにあたるだろう。「激しく吹きつける雪」「吹きだまりの雪」「地面を広く覆う雪」「飲料水用に溶かすための雪」といったさまざまな状態、用途に応じて、大変細かく命名されている。
なぜこのような違いができるのだろうか。それは例えばエスキモーにとっての雪の場合、日本人にとっての雪とは比べものにならぬほど生活と密接に結び付いているからである。エスキモーが生きてゆくためには、北極地方の風土を支配する雪への深い関心がなければならず、関心が深ければ深いほどその対象を表す言葉も豊富になる。アラビア語のラクダ、日本語のコメやビリも同様である。それは言葉だけではない。生活のための道具をはじめとして歌や絵にも反映する。さらには笑い方や歩き方のようなしぐさに至るまで影響するといえよう。例えば中国人と日本人とは顔形で区別がつかなくても、しぐさを見て判別できることもあるのである。
このようにみてくると、広い意味での文化(カルチュア)というもの、すならち言葉や道具や歌や絵などは、その民族の生活する風土と密接にかかわっていることがよく理解できよう。ものの考え方もまた文化の一つみるならば、民族によって違ってくるのも当然である。アラブの文化が川や森林の全くないサバクの風土と切り離すことができないであろうように、日本人の文化もまた、日本の風土と切り離して考えることできないだろう。
もちろん風土だけですべてを割り切ることはできない。文化は伝播する性格をもっている。例えば文字というものを人類が使い始めたのは、人類発生以来何百万年の歴史の中ではかなり最近のことで、それも中国やエジプド.メソポタミアといったごく一部の地域だった。日本の場合は中国から漢字が伝えられ、最初「万葉仮名」として日本語を書き表すための文字になった。漢字の伝来までは、地球上の他の多くの民族と同じように、日本にも文字という文化はなかった。
だが、文化は国境を越えるものの、伝わったあとでは変化する。同じ文字を例にとれば、万葉仮名はやがて平仮名や片仮名といった日本独自の記号に変わって定着した。黒人音楽(ジャズ)は、もともとはアフリカの音楽がアメリカに渡って発達、変化したものだが、アメリカからさらにヨーロッパへ伝わればヨーロッパ的ジャズに、日本へ伝われば日本的ジャズとして土着化するだろう。また土着化しなければそれは単に流行として過ぎ去り、本当の文化として根を下ろしたことにはならない。宗教も芸術も思想も、その民族固有の色彩が加えられて、結局は民族文化となってゆくのである。 |