| 为备战日语考研专业课写作我自己写了一篇作文,恳请各位日语专业的高人帮我修改指正,跪谢!! 8 s3 s) c) L4 ]  U
 * A1 o' t& x6 U/ s9 m                                                          科学と人間性
 % L) x- ]6 ^3 ~+ n- F: x; G$ |" ]# e1 b! c: t) [6 @
 要求:
 # d6 r4 W0 Q: B. P# u) E文体は自由であること。字数は八00字以上、二000字以内にすること。
 o3 r- s9 J9 K2 C
 5 `; }# |7 Y$ c' ^: r! q3 `6 _' G1 {# D' F# }( I- g: P; f8 s
 今の社会では科学がかなり進んでいる。航空、電子、機械、化学などのいろいろな科学技術のハイスピードの発展に伴い、われわれは一つの日進月歩の社会が見える。たとえば、中国の様子から見ると、ここ十数年以来、高速鉄道、リーニャーモーターカー、駅所テレビ、MP4などのハイテク製品もどんどん普及していて、このめまぐるしい変化は昔には考えられないほどとは過言ではない。年寄りの人たちも言っている。
 + |) h" @& G, L3 N5 m/ P( d- _  もっとも、科学の急速発展と同時に、人々の間はだんだん遠く、冷たくなるという傾きがある。例をあげると、今都会の高層マンションビルに住んでいる人たちは、お隣とのやり取りは明らかに少ない。その上、五年ぐらい同じマンションに住んでいる隣の部屋の人の名前も知らないことも珍しくない。それから、通勤バスや地下鉄の中ですりの犯行を目撃してもそのまま黙っている人もかなり多いだろう。一方、現代社会では、人と人の衝突は昔より起きやすいと感じる。利害関係を考え、お互いに攻撃、罵倒、けんかやその他の振る舞いをする例はますます多くなる。7 I. ]4 h; B4 I4 b( p
 「科学は発展しながら人間性は消えになる」というのは不思議な言い方のようだけど、残念ながらこれは恐らく現代社会の現状である。それを起こさせる理由は二つあると思う。一つ:科学技術の進歩につれて、人との接触チャンスは逆に少なくなった。なぜなら、携帯、テレビ、インタネットなどが発達した上、人々は面と向かって交流する必要が少なかったので、そんなチャンスも奪われた。接触しても、多くはビジネスや業務関係などの仕事上のためである。接触が少なくなるともちろん「人間性」はだんだんうすれている。二つ:発達した社会にいる人々は、かなり競争していて、会社の間、個人の間の張り合いはますます激しくなったので、毎日多忙の状態で「人間性」という問題を考える暇も余りなく、自分もようやく一つの機械になると感じる。
 3 r: o+ s8 g4 @  }- }6 {# a  私は人間性が少なくなるのは、科学の責任ではなく、人間自身の責任だと思う。科学技術は人間の創造したものだが、反対にそれが人間の主人になったらおかしい。もちろん、それで科学の進歩に歯止めをかけるつもりではありません。ただ、どんなにして科学を推進する同時に、心の底の人間性をわめき上げるのは一つの大きい課題である。中国の鄧小平はかつて「二手で掴み、二手とも硬く」という理論を提出したが、その「二手」で掴んでいるのはいわゆる「物質文明」と「精神文明」なのである。その二文明とも進展するのは「科学」のほんの宗旨とは考える。だから、正しい人間観の教育を重視しなければならない。これも、政府と教育界の重い責任である。
 |