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「帰りなん、いざ。田園まさに荒れなんとす」。名高い詩句に心境を託して、当時の美濃部東京都知事が3選への不出馬を表明したのは1975年2月だった。ところが1カ月後、前言を翻して世間を驚かす
“归去来兮,田园将芜胡不归。”(出自陶渊明的《归去来兮》)1975年2月,当时的美浓部东京都知事借用此名句表达心境,表明不会谋求三连任。然而,一个月后,他又出尔反尔,令世人震惊不已。
▼都政をこの人物の手には渡せない、というのが理由だった。石原現都知事のことだ。このとき石原氏は敗れる。それから36年、都政を渡せる人物がいないと思ったか、今度は石原さんが4選に名乗りを上げた
当时美浓部参加竞选的理由是不能将都政托付于这种人。这种人就是指现任的石原都知事。当时石原氏竞选失败。那之后的36年,或许是找不到能够托付都政的人选,石原此次又参加竞选,谋求四连任。
▼3期目が「最後のご奉公」のはずだった。田園ならぬ田園調布のご自宅へ「帰りなんいざ」だろうと思われていたが、――石原氏が出馬表明した3月11日、小欄をここまで書いたところで大地が揺れた。日常は途切れ、それまでとは異なる時間が流れ始めた
三连任之际本应是他“最后供职”的时期。大家都以为这次大概他会“归去来兮”,回到非田园的田园调布的自家吧,--然而,石原表明要出马参加竞选的3月11日,我刚为专栏撰文写到这里,地震就发生了。日常生活发生断层,从此开始了截然不同的生活。
▼案の定、選挙は盛り上がりを欠いた。首都の知事選といえば、日本の選挙では米大統領選にも似た「民主主義の祭り」なのにである。告示後の川柳欄には〈どさくさで都知事が決まるような気が〉とあった
此次选举果然平淡无奇。说起首都的知事竞选,在日本竞选中那也是相当于竞选美国总统的“民主主义节”。发布告示后,川柳专栏刊载了这样一句话“总觉得都知事是一片混乱之中选出的”。
▼結果は、高齢も多選批判も、天罰発言への顰蹙(ひんしゅく)もかわして、石原氏があっさり勝ちを決めた。この非常時、有権者は新顔に賭ける踏ん切りがつかなかったかも知れない。国難という世の空気が強面(こわもて)を引き立て、かくて悠々と石原都政は続く
最终,高龄也好,多次连任的批判也罢,让人不快的天谴言论都未能阻挡石原的轻易获胜。也许是在这紧要关头,选民们无法下定决心将赌注押在新人上。国难当头这一世风衬托出了石原强硬的一面,于是石原都政可以轻松连任。
▼自民は御年78の石原さんをかつぎ、民主は独自候補を立てられなかった。1カ月前、地震がなければ小欄は両党の「人涸(が)れ」を突くつもりだった。この統一選、震災後を担う若い力が各地で羽ばたいていればいいが。
自民党拥戴78岁的石原,民主党未立独自候选人。1个月前,如果没有发生地震,本专栏本打算深入讨论两党的“人才枯竭”。此次统一竞选,如果肩负灾后重建重任的年轻力量能够活跃于各地该多好。 |
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