おのおのの国民が自らの思想、感情の習慣についていっていることにことごとく依存するということは、できないことである。どの国の文筆家も、彼ら自身のことを説明しようと努めてきた。しかしそれは容易なことでない。ある国民がそれを通して生活を眺めるレンズは、ほかの国民が用いるレンズと異なっている。われわれがものを見るときに必ずそれを通してする眼球を意識することは困難である。どの国も事新しくそんなことを問題にしない。そしてある国民にその国民に共通の人生観を与える、焦点(しょうてん)の合わせ方、遠近(パースペクティヴ)のとり方のコツがその国民には、神様から与えられたままの風景の配置というふうに思い込まれている。眼鏡の場合に、眼鏡をかけている当人(とうにん)がレンズの処方(しょほう)を知っているなどとは、最初からわれわれが期待しないように、われわれは国民が自らの世界観を分析することに期待をかけるわけには行かない。もし眼鏡のことについて知りたければ、われわれは眼医者(めいしゃ)を養成し、眼医者(めいしゃ)のところへ持って行きさえすれば、どんなレンズでもちゃんと処方を書いてくれると考える。きっとそのうちにわれわれは、社会科学者の仕事こそ、現代世界の諸国民について、この眼医者と同じ仕事を行うものである、ということを認めるようになるであろう。
, ]- b4 S$ z% I, W; K; Vこの仕事はある程度の精神の強靭(きょうじん)さと、ある程度の寛容(かんよう)さとをともに必要とする。この仕事は国際親善(しんぜん)を唱(とな)える人々が時には非難したであろうと思われるような、精神の強靭(きょうじん)さを必要とする。これらの「ひとつの世界」の主唱者(しゅしょうしゃ)たちは、世界の隅々の人々に、「東」と「西」、黒人(こくじん)と白人(はくじん)、キリスト教徒とマホメット教徒(きょうと)との差別はすべて皮相(ひそう)なものであって、全人類は本当は同じ心をもっているのだという信念を植えつけることに、その希望を賭けてきた。この見解は時には四海同胞(しかいどうほう)主義と呼ばれることもある。私にはどうして、四海同胞(しかいどうほう)を信じるからといって、生活の営み方について日本人は日本人特有の、アメリカ人はアメリカ人特有の、考えを持っているといってはならないのか、合点(がってん)がゆかない。時にはこういう心の柔和(にゅうわ)なひとびとは、みんな同一の陰画(かげが)から焼き付けたプリントのように一様(いちよう)な諸民族から成り立っている世界にならなければ、国際親善の教義(きょうぎ)は成り立たないと考えているかのように思われることがある。が他国民(たこくみん)を尊敬する条件としてそのような画一性(かくいつせい)を要求するのは、自分の妻や子供にそれを要求するのと同じように、あまりにも神経質すぎる。心の強靭な人々は差別が存在することに安(やす)んじる。彼らは差別を尊敬する。彼らの目標は差別があっても安全の確保されている世界、世界平和を脅(おびや)かすことなくしてアメリカが徹底的にアメリカ的でありえ、同じ条件でフランスはフランス、日本は日本でありうる世界である。外からの干渉によって、人生に対するこれらの態度(たいど)のどれかが成熟(せいじゅく)するのを禁止することは、自分では、差異が必ずしも世界の頭上(ずじょう)につるされたダモクレースの剣とは信じられない研究者にはまったくいわれのないことと思われる。彼はまた、そのような立場をとることによって、世界を現状のままに凍(こお)りつかせる手伝いをするのではないかと恐れる必要はない。文化的差異を助長(じょちょう)することは、固定した世界を意味しない。エリザベス時代の後にアン女王時代が来、ヴィクトリア時代が来たからといって、英国はけっしてその英国らしさを失わなかった。それは、英国人が自己を失わず、異なった時代に異なった標準と異なった国民的ムードを作り出したからに他ならない。
9 @4 ` p" Z- a- B3 c国民的差異の組織立った研究を行うためには、精神の強靭さとともに、ある程度の寛容さが必要である。宗教の比較研究が盛んに行われたのは、人々が自分自身、確固(かっこ)不動の信念を持っていたために、他人に対して著しく寛容でありえたときに限られている。彼らはあるいはエスイタ派、あるいはアラビア人学者、あるいは不信仰者であったかもしれないが、けっして狂熱的信者(きょうねつてきしんじゃ)ではなかった。文化の比較研究もまた、ひとびとが自分自身の生活様式を防衛(ぼうえい)することに汲々(きゅうきゅう)としていて、生活様式といえば、これが世界で唯一の解決法である、と信じているときには、到底栄(さか)えることはできない。そのような人々は、他の生活様式を知ることによって、自分自身の文化をいっそう深く愛するようになるということを、けっして悟らないであろう。彼らはせっかくの楽しい、そして自分を豊かにしてくれる経験をわざわざ拒否しているのである。彼らはあまりにも守勢的であって、他の国民に彼ら自身の特殊な解決法を採用することを要求する以外に採(と)るべき方策を持たない。もし彼らがアメリカ人ならば、われわれにお気に入りの信条を、世界中の国民が採用することを強要する。しかも他の諸国民がわれわれの生活様式を採用できるものでないことは、わかりきった事であって、それはわれわれが十進法(じっしんほう)の代わりに十二進法(じゅうにしんほう)で計算したり、東アフリカのある原住民のように、片足で立って休息(きゅうそく)したりすることを到底覚えることができないのと同じである。
$ S8 E! @3 v P! d) q3 \( Z- X9 Lさてこの本は、日本において予期されており、当然のこととみなされている習慣について述べたものである。日本人はどういう場合にひとからお辞儀(じぎ)されるものと期待し、どういう場合に期待できないか、どういうときに恥を感じるか、どういう時に当惑(とうわく)を感じるか、自分自身に対して何を要求するか、ということに関して述べた書物である。本書の中に述べられている事柄の理想的な典拠(てんきょ)を求めるとすれば、それはいわゆる「市井(しせい)の人」であろう。それは平凡(へいぼん)人(じん)であろう。もっともこのことは、この平凡人(へいぼんじん)が、みずから親しくいちいちの特殊な場合に身をおいたということを意味しない。それは誰でも、そういう場合にはそのとおりのことが行われる、ということを認めるであろうという意味である。このような研究の目標は、深く根を下ろしている思想と行動の態度を記述するところにある。たとえ本書がそこまで達していないとしても、ともかくこれが理想であった。6 C# M7 [6 x8 G/ p
このような研究では時期(じき)に、もうそれ以上いくら大勢の報告者を追加しても、少しも確実さを増やさないような点に到達する。たとえば、誰が誰に、いつお辞儀をするか、というようなことは、日本人全体の統計的研究を少しも必要としない。日本人がお辞儀をする一般に承認された慣習的な状況は、ほとんど誰でも報告することができる。そしてそれを他の二、三の報告によって確認すれば、もうその後は、百万人も日本人から同じ報告を受ける必要はない。
! ]9 \! }; f0 K4 ~: T日本がその生活様式をその上に築(きず)き上(あ)げているさまざまな過程を発(あば)き出(だ)そうとする研究者は、統計的に確認するよりもはるかに困難な仕事を課(か)せられている。彼に要求されている大きな仕事は、これらの公認の慣習や判断が、いかにして日本人がそれを通して生活を見るレンズになるか、を報告することである。彼は彼らの仮定が、彼らが人生を眺めるさいの焦点と遠近法とに、どんなふうに影響するか、を述べなければならない。彼はこのことを、人生をまるで異なった焦点で見ているアメリカ人にわからせるようにせねばならない。この分析の仕事において、権威のある法廷は、必ずしも「田中さん」、すなわち平凡普通の日本人であるとは限らない。なんとなれば、「田中さん」は彼の仮定を言葉に出して説明しないし、アメリカ人のために書かれた解釈は、確かに彼には、必要のないことまでくどくどと書き立てていると思われるだろうからである。- ]: |, n" Z, [+ B& ^7 R7 R
アメリカの社会研究は従来、文明国の文化が立脚している諸前提の研究を志(こころざ)さないものが理学者(りがくしゃ)は、世論(せろん)や行動の「分布(ぶんぷ)」にばかり気をとられている。そしてその常套(じょうとう)の研究技術は統計的方法である。彼らは膨大(ぼうだい)な調査資料、質問書や面接調査者の質問に対するおびただしい数の回答、心理学的測定などを統計的分析にかけ、そこからある要因(よういん)の独立性(どくりつせい)や相互依存関係(そうごいぞんかんけい)を引き出してこようとする。世論調査の領域においては、科学的に選択された標本(ひょうほん)人口を利用することによって全国的調査を行う有効な技術が、アメリカでは非常に完全な域に達している。これによって、ある公職の候補者(こうほしゃ)もしくはある政策を支持する人と反対とは、田舎の人か都会人か、低額(ていがく)所得者か高額(こうがく)所得者か、共和党(きょうわとう)か民主党(みんしゅとう)か、というふうに分類することもできる。普通選挙(せんきょ)が行われ、実際に国民の代表者によって法律が起案あれ実施されている国においても、このような調査結果は実際的な重要性を持っている。3 B6 R' i; ~6 x2 I3 I, ~: K" V
アメリカ人はアメリカ人の意見を投票によって調査し、かつその結果を理解することができる。しかしそれはその前に、あまりにもわかりきったことだから、誰も口に出す人はいないが、もうひとつの段階があればこそできることなのである。すなわち、アメリカ人はアメリカにおける生活の営み方を知っており、それを当然のこととして仮定しているのである。世論調査の結果は、すべにわれわれが知っている事柄について、さらに、それ以上の知識を与えるに過ぎない。他国を理解しようとするに当たっては、その国の人たちの習慣や家庭に関する質的研究を組織的に行った後に始めて、数量的調査を有効に利用することができるのである。慎重に標本(ひょうほん)を取ることによって、世論調査は、政府を支持する人と反対する人とが何名ずついるか、ということを発見することができる。がしかし、彼らが国家に関してどういう観念を抱いているか、ということがあらかじめわれわれにかかっていなければ、そういう調査によってわれわれはいったい何を学(まな)ぶことができるだろうか。彼らの国家観念についての知識を持っている場合に限って、われわれは、街頭(がいとう)において、もしくは議会において、諸党派(しょとうは)がいたい何を言い争っているのか、を知ることができるのである。一国民の政府に関して抱いている仮定は、政党の勢力を表示する数字よりも、はるかに一般的な、また恒久的(こうきゅうてき)な重要性を持っている。アメリカは、共和党も民主党も、政府のというものはやむをえない害悪(がいあく)ともいうべきものであり、個人の自由を制限するものと考えている。政府の官職に就(つ)くということも、戦時中は別だったかもしれないが、アメリカ人に対して、彼が民間事業においてそれに相当する職につく場合に得られるような社会的地位を与えない。国家に関するこのような見解は、日本人の見解とは雲泥(うんでい)の差であるし、多くのヨーロッパ諸国民の見解からも遠いものである。われわれがなによりもまずしらなければならないのは、まさにこの彼らの見解はどうかということである。彼らの見解はその風習(ふうしゅう)、成功した人々に対する彼らの批評(ひひょう)、自国の歴史に関する神話、祝祭日(しゅくさいじつ)の演説などの中に具体的に表現されている。そしてこれらの間接的表現(かんせつてきひょうげん)に基(もと)づいて研究することができる。ただしかし、それには組織的な研究が必要である。 |