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[其他翻译] 学《书谱》学日语(22)

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发表于 2019-10-27 09:22:29 | 显示全部楼层 |阅读模式
孙过庭《书谱》原文、汉译文、日译文(22)

【原文】
代传羲之《与子敬笔势论》十章,文鄙理疏,意乖言拙,详其旨趣,殊非右军。且右军位重才高,调清词雅,声尘未泯,翰牍仍存。观夫致一书,陈一事,造次之际,稽古斯在;岂有贻谋令嗣,道叶义方,章则顿亏,一至于此!又云与张伯英同学,斯乃更彰虚诞。若指汉末伯英,时代全不相接;必有晋人同号,史传何其寂寥!非训非经,宜从弃择。

【汉译文】
社会流传的王羲之《与子敬笔势论》十章,文辞鄙陋,论理粗疏;立意乖戾,语言拙劣,详察它的旨趣,绝非王羲之的作品。且羲之德高望重,才气横溢,文章格调清新,词藻优雅,声誉依然高尚,翰牍仍存于世。看他写一封信,谈一件事,即使仓促之间,还是注重古训。岂会在传授家教于子孙时,在传道合乎规范的过程中,章法顿失,一至如此地步!又说,他与张芝是同学,这就更加荒诞无稽了。若指的是东汉末期的张芝,时代完全不符;那必定另有同名的东晋人,可史传上为何毫无记载。此书既非书法规范,又非经典著作,应当予以抛弃。

【日译文】
世に王羲之が子の献之に与えた『筆勢論十章』というものがあるが、文章に品が無く、理論も空疎で、意味は通せず表現は稚拙である。その内容から考えて王羲之の著作とは考えられない。それに王義之は地位は重く才能は高く、風格はすがすがしく、措辞は文雅であり、その名声は廃たれておらず、書簡の筆跡もまだ残っている。その王羲之の手紙の書き方、事柄の述べ方を見てみると、あわただしく書いたときでも、稽古による骨格がある。その彼が子供に書に教えを書きのこすのに、道理は規範に添いながら、文章がこれほどちぐはぐと言うことがあろうか。たまこの筆跡論の中に「王羲之は張伯英(張芝)と一緒に学んだ」とあるが、これこそこの著作がでたらめであることを示すであろう。もし張伯英が後漢の張芝を指すとしたら、東晋の王羲之と時代的に全く合わず、また東晋時代に張伯英という人がいたとしたら、どうして歴史書にその名が見えないのであろう。これは手本とすべき経典の書ではないのであり、捨て去るべきなのである。
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