皆さんの元気を借りて、この間福州に行ってきた。思ったより、いい感じ。福建人どうのこうの、よく聞かされ戸惑っていたけれど、一風変わった感じを受け、従来の福建人への印象も変わろうとしてる。それはそうだ、噂は噂にすぎないからね。
上海で道を聞くのがどうも辛く感じてならない。9月のことだった。人民広場に近いある飲食店で昼食をとり、人民広場はどうやって行きますかと訪ねたところ、知るもんかとそっぽを向かれ「っは」と呆れた。店から「逃げ出し」、十字路で指揮をとる交通誘導員に恐る恐る道を尋ねたら、ゆっくりと腕を上げ、無言のままある方向に指差した。偉い彫像さまのように。もう少し詳しく聞こうと思ったら、もう目線から消えてしまったのだ。腹が立つ、たかが道を尋ねることだけなのに、、、腹いせに道の白衣天使「清掃係」につい大声で「人民広場はどこなんだ」と叫んだ。しばらくじろ見され、嫌なほど親切に教えてくれた。その時に限って、初めて道を教えてもらっただけで感激を覚えたのだ。おかしな話だけど、実に笑うに笑えない思いをしたもんだ。
勿論、私には知ってる。一概にみんながそうだと決めつけるのもよくないと思う。だけど、極力無意味な腹立つことも、常識以上に感動することも、避けたいもんだ。その日から、方向音痴の私は地図頼りの選択を余儀なくされたのだ。「迷惑をかけないように」と、不本意だけど思わざるを得ない。
それで日本での生活を思い出す。日本は「建前」の世界だとよく聞かされるけど、道を聞くだけで嫌な思いをすることはあまりないだろう。だったら、礼儀を重んじる伝統ある中国では、人と人との壁はいったい何なんだろう。人への思いやりはそんな些細なことに現われるもんじゃない、とでも言われそうな感じがする。じゃ、中国人の思いやりはどこにあるんだ。ただ目に見えない人間関係の渦に隠されているかもしれん。
人がどうであれ、私は決して人を無関心に扱わない。せめて道を聞かれるときの私は、知らなくても優しさを振舞う。人の手助けができないまでも、世間は冷たいと感じさせたくない。
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