真心诚意
祈る思い
l 指導者には何ものかに祈るというほどの真剣な思いが必要である
江戸時代、いわゆる寛政の改革を行った松平定信(まつだいらさだのぶ)は、老中(ろうじゅう)に就任した翌年の正月二日吉祥院(きっしょういん)の歓喜天(かんきてん)に次のような趣旨の願文(がんもん)を納めたという。
「今年は米の出回りがよく、高値にならず、庶民が難儀をせずに穏やかに暮らせるよう、私はもちろん、妻子の一命にもかけて必死に心願(こころねが)いします。もしこの心願いが筋違いで、庶民が困窮(こんきゅう)するというのであれば、いまのうちに私が死ぬようにお願いします」
さらに彼は、日々七、八度東照宮(とうしょうぐう)を念(ねん)じてこの重責(じゅうせき)を全(まっと)うできるよう祈ったと、自分の伝記に書いているという。定信の前のいわゆる田沼時代には、天災と放漫財政、賄賂政治が重なり、綱紀(こうき)も乱れ、物価も上がるという状態になっていた。彼はこれを正す為に、政治の抜本的改革を行うべく心に期(き)するわけだが、それについては、このように身命を賭して神仏に祈るというほどの、きわめて強い決意を持って臨んだのである。その結果、いわば時の勢いとして一定信の力をもってしてはいかんともしがたい面はあったものの、一面非常な成果も上がり、徳川後期に一つ光輝(こうき)をそえることになったのである。
自ら何もせずして、ただ神仏にご利益を願うというようなことは、人間として取るべき態度ではないと思う。また、そんな都合の良い利益というものはあり得ないだろう。
しかし、人間が殆どに真剣に何かに取り組み、ぜひともこれを成功させたい、成功させねばならないと思うとき、そこにおのずと何ものかに祈るというような気持ちが湧き起こってくるのではないだろうか。それは神仏に祈念するというかたちを取る場合もあろうし、自分なりにそれに準ずるものを設定して願うということもあると思う。そういうことは、一つの真剣さのあらわれであり、またそのことによって自らの決意を高めるというからも、大いにあっていい事だと思う。
まして、指導者の場合は、それが単に自分個人の為でなく、定信の場合のように、天下万民の為、多くの人々の幸せの為の祈りであり、それはまことに尊(とうと)いことであるというよう。
指導者は何事にもほんとうに真剣に当たることが大切である。その際に、祈るほどの思いになっているかどうか、一度自問自答(じもんじとう)してみることも必要ではないかと思うのである。
真心诚意
l 领导者必须有作祈祷一般的真心诚意
江户时代,推行作宽政改革的松平定信,在他就任老中第二年的正月初二,在吉祥院对欢喜天作了如下的祈祷。
“今年米市兴隆,米价适中,小民衣食无忧安居乐业,我赌上身家性命,诚心祝愿。如果我的祝愿不得灵验而招至小民困苦,我宁可当下身亡。”
他在自传里也写道:为了能担当重任,他每天都要去东照宫祈祷七、八次。在定信之前的田沼时代,天灾之外再加上财政混乱、政治腐败,搞得纲纪糜烂、物价飞涨。为了拨乱反正他有心对政治作根本性的改革,对此,他是以赌上身家性命求告神佛的强烈意志来实施的。其结果,虽然有时势使然非他一人所能力挽狂澜之处,却也因其功绩而为德川幕府的后期添上了光彩的一笔。
自己无所事事,一味向神佛祈求好处,自然不是一个人应有的人生态度。并且,也不可能有这种一相情愿的好事吧。
但人们在认真地去从事某一件事,并且想做成功,不成功不行时,总是自然而然地会产生一种要向什么去作一番祷告的心情。祈求神佛,或者向自己所尊崇的别的什么作祈祷。这是一种真心的表露,同时也能藉此坚定自己的信念,实在是一件大好事。
何况,作为领导者不是仅为一己私利,而是要像定信那样为天下万民、为众人的幸福而祈祷,更是难能可贵。
领导者贵在以真心面对任何事情。处事之际,难道不需要扪心自问一下,自己是否具备了作祈祷一般的真心诚意了吗?
注:
1) 松平定信——(1758~1829)江户后期的幕府老中。田安宗武之子。奥州白河的藩主。任老中后力行宽政改革。擅长和歌、绘画,有《花月双纸》、《宇下人言》、《集古十种》等编著。隐居后自号乐翁。——日本《广辞苑》
2) 京都吉祥院
3) 欢喜天——象头人身的护法神。原为印度神话中的魔王,后被引入佛教。有单身和双身之分,双身像多为男女神像合抱姿势。又称:大圣欢喜自在天、圣天。
4) 老中——江户幕府官职名。也称年寄、奉行、宿老等。直属将军统辖政务的最高职官。负责处理有关朝廷、公卿、门迹事物,处置大名事物及其诉讼,签发奉书,管理幕领代官和幕府岁出入,指挥全国性工程,主持寺社和外交事物,及领地分配等。定员四、五人,一般有2.5万石以上谱代大名担任。实行轮流负责制,每月由一人支持,他人协助。1867年10月幕府“大政奉还”,废其职。——《日本史辞典》
5) 东照宫——祭祀德川家康的神社。
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