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日本の城

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发表于 2006-4-1 19:27:41 | 显示全部楼层 |阅读模式
  名古屋城
別名     金鯱城
所在地    名古屋市申区本丸
築城年代   慶長十四年(1609)
築城者    徳川家康
主要城主   徳川氏
城郭様式   平城
最終石高   徳川氏六十一万石九千石

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名古屋は古く那古野と呼ばれ、室町時代には足利幕府の管領、斯波氏の領地で
あった。応仁の乱で斯波氏の勢力が衰えると、験河守護の今川義元が侵入し、柳
丸を築いて弟の今川氏豊を城主とした。柳丸はのち織田信秀が奪い、その子信長
を城主とし、那古野城と称した。天文二年(1553)信長が清洲城に移るとし
ばらくののち廃城となった。
慶長十二年(1607)徳川義直が清洲城に四十二万石で入封したが、城地が
狭く、水攻に弱いことから、新しく那古野を城地に選ぴ、慶長十四年から西国の
大名二十諸侯に助役を命じ築城工事をはじめた。廃城になっていた那古野城の少
し西に東西百八十二メートルのほぼ正方形の本丸を置き、その外掘に空堀の内堀
をめぐらせ、その東南に二の丸、西北に御深井丸、その南に西の丸、その南に三
の丸があった。本丸の西北に石台を築きその上に五層六階の大天守と二層の小天
守を橋台で結んだ。築城工事が完成したのは慶長十七年でそののち尾張徳川氏は
六十一万九千石を世襲し明治に至った。
城地は国の侍別史蹟、重要文化財の櫓、西北隅櫓(三層)、西南隅櫓(二層)
東南隅櫓(二層)の三基、表二の門が残り、復興の大小天守、大手門などがある。
郭跡も、本丸、二の丸、御深井丸、西の丸などとこれを囲む石塁、堀が現存し
ている。
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 楼主| 发表于 2006-4-1 19:49:39 | 显示全部楼层
犬山城
犬山城天守閣
別名      白帝城
所在地     犬山市犬山
築城年代    天文六年(1537)
築城者     織田信康
主要城主    織田氏・成瀬氏
城郭様式    平山城
最終石高    成瀬氏三万五千石

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犬山城は文明元年(1469)室町幕府管領、斯波義郷の家臣、織田広近が
築いた。初め木曽川に沿った台地にあったが五代信康のとき断崖の丘上に本丸
を移築した。信康の子信清のとき織田信長に攻められ落城した。その後、池田
信輝、野田信房と城主を代え、天正十年(1582)信長の死後、織田信雄の
属城となり、城代が置かれた。
文禄四年(1595)石川光吉が入ると城を改修し、天守を造った。しかし
光吉は関ケ原の戦いで西軍に属したため、犬山城は東軍に攻略された。慶長六
年(1601)松平忠吉が清洲城に入ると犬山城はその属城となり、小笠原吉
次が城代として入った。慶長十二年(1607)家康の十男義直が清洲に入封
するとその家臣、平岩親吉が犬山城に入った。元和四年(1618)には尾張
徳川藩の家老格であった成瀬正成が三万五千石で入封し明治に至った。
犬山城天守は旧天守を残す十二ケ所の内の一つであり、三・六メートルの天
守台石垣の上に三層四階、地下一階、戦国時代の古風な様式となっている。城
地は木曽川に面する標高八十メートルの三方断崖の丘上に本丸を置き、南に杉
の丸、縦の丸、梅の丸、松の丸と階段伏に郭が連なり、さらに三の丸と外方に
惣構えがあった。

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 楼主| 发表于 2006-4-1 19:51:19 | 显示全部楼层
松阪城

别名    四五日城
所在地   松阪市殿町
築城年代  天正十六年(1588)
築城者   蒲生氏郷
主要城主  蒲生氏
城郭様式  平山城
最終石高  松阪領分六万石

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元亀年間、潮長政が砦を築いたのが始まりだといわれる。天正十六年秀吉よ
り松阪十二万三干石に封ぜられた蒲生氏郷が、松ケ島城を廃城、新しい城地を四
五日の森に選び松阪城を築き、本丸を置いた。二の丸、三の丸を設け、本丸には三
層の天守が建てられ、二の丸には御殿、丘麓の三の丸には重臣の屋敷、土塁、堀
をめぐらせ、外郭に侍屋敷、その外倒に町屋という城下町の構成であった。
天正十八年(1590)小田原の北条征伐ののち、氏郷は軍功によって陸奥の
守護四十二万石となり,さらに翌十九年、九十二万石に加増され、会津若松城を
築いた。松阪には服部一忠、次いで古田重勝が城主となったが、元和五年(16
19)徳川家康はその第八子頼宣を和歌山に封じると松阪を紀州領とした。松阪

には二の丸に陣屋を置き、松阪領六万石を伊勢奉行の支配とし、明治に至った。
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 楼主| 发表于 2006-4-1 19:54:25 | 显示全部楼层
松江城(近世・平山城)
普請上手と言われた堀尾吉晴が築城した名城。小高い丘を城地として周囲に内堀をめぐらした典型的な平山城で、市内には外堀もほとんど残る。高さ30m、五層六階の天守は、桃山風の望楼式複合天守で、武骨で実戦本位の造りである。

また、本丸塁上には乾櫓・鉄砲櫓など六基が上がり、一段低い南側は二の丸として壮大な御殿と月見櫓・太鼓櫓など五基が上がった(一部復元済み)という。

大きく綺麗な天守閣がもてはやされる中で、物足りないという方もいるかもしれない。ただこの城は本来古風で、無骨なはずの城の姿を総構えとして堪能できる非常に貴重な遺構なのである。
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 楼主| 发表于 2006-4-2 08:59:26 | 显示全部楼层
岡山城
おかやまじょう  
別名 :烏城
種別 :平山城
旧国名 :備前
築城年 :天文元年
築城者 :金光直家
遺構 :復元天守閣、櫓、石垣
所在地 :岡山県岡山市丸の内 
撮影日 :平成5年9月6日
岡山城の築城期は定かではない。金光宗高を謀殺して得た宇喜多直家は天正元年(1573)に大改修を行っている。直家の後を継いだ秀家は豊臣秀吉に重用され、天正十八年(1590)に城の拡張工事に着手する。現在の岡山城の原型を作った。関ヶ原の戦いで秀家が敗れ、小早川秀秋が城主になると主要支城が廃され、その櫓や門などの建造物がここに移された。
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 楼主| 发表于 2006-4-2 09:02:34 | 显示全部楼层
備中松山城
びっちゅうまつやまじょう

現存天守閣    
   
別名 :高梁城
種別 :山城
旧国名 :備中
築城年 :仁治元年
築城者 :秋庭重信
遺構 :天守閣、櫓、石垣
所在地 :岡山県高梁市内山下 
撮影日 :平成7年12月31日
承久の乱での戦功により入部した秋庭重信が、仁治元年(1240)に築いた高梁城が始まりとされる。秋葉氏五代ののち守護職となった高橋宗康は、城を小松山まで拡張し、城名を松山城と改めた。応仁の乱以後、この城をめぐる争いは、関ヶ原の戦いの後に幕府直轄領になるまで繰り返され、めまぐるしく城主が代わっている。
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