信心のない人でも、宗教に由来することばをそれと知らずに使っていることは多い。たとえば「どっこいしょ」は、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」がなまったものという。目、耳、鼻、舌、からだ、心の六根が清らかになることで、霊山に登るときなどに唱えられる。
即使是对宗教没有生出信心的人,也会在很多时候不知不觉地用上从宗教用语来的词句。比如日本人负重时常用的号子“道靠一宵”,就是从“六根清净”衍生出的。说的是将“眼耳鼻舌身意”的“六根”清净,在攀登灵山等时候梵唱。
僧侶で作家の玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんの近刊『さすらいの仏教語』に教えられた。「うろうろ」や「おっくう」などもそうだという。仏の教えが私たちの日常にいかに深く入り込んでいることかと驚く。
这是从僧人身份的作家玄侑宗久的近作《游荡的佛教词汇》中学来的。日语中表示没头绪乱走的和表示麻烦的词等,也是这样的佛教词汇。佛的教诲如此深地介入我们的日常生活,真令人吃惊。
宗教を名乗ってはいても社会がとうてい受け入れられない類いのものもある。オウム真理教による一連の事件の裁判が再開された。総選挙にも出ていた教団が実は狂信的な犯罪集団だった。その事実は私たちを呆然(ぼうぜん)とさせ、震撼(しんかん)させた。
也有借着宗教的名称却无法被接受的一类。对奥姆真理教相关事件的审判再次召开。在大选中也出现的教团,实质上就是狂热迷信的犯罪集团。那些事实让我们愕然震惊。
30歳前後の青年たちがなぜあのような凶行を繰り返したのか。すでに189人の判決が出ているのに、確たる答えは得られていない。彼らの信仰が絶やされたわけでもない。オウムから派生した教団は事件を知らない世代の信徒を増やしているという。
30岁上下的青年们为什么那般不断重复暴行?已经对189人做出了判决,却没有得到明确的答案。也没理由相信消除了他们的信仰。据说从奥姆派生出来的教团在不了解奥姆相关事件的年轻人里扩充了信徒。
居場所がない。まわりから承認されない。被告らを暴走させたかも知れない生きづらい思いは、今を生きる人の方が強まっている。20代の社会学者、古市憲寿(ふるいちのりとし)さんがそう指摘していた。であればオウムはまさに現在進行形の問題だ。
居无定所,不被周围的人认可,可能让被告们处于失控状态的生活艰辛的想法,让越来越多的人只活在当下。20多岁的社会学者古市宪寿如是批评:奥姆可能是正在发生的问题!
狂信の手前に思い込みがある。思い込みは若いときほど強いと、玄侑さんは説く。どっこいしょが口癖になったような年長世代が、若い世代のためにできることは何かと自問する。
狂热迷信的人有一种执念。玄侑宗久说执念在年轻时会更强。把“六根清净”当成口头禅的年长的人们应该自问为了年青一代都可以做些什么。 |