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发表于 2006-8-11 21:21:44
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「夏のあらゆる星座が、われわれにいどみかかるようにして出ている」。司馬遼太郎さんはモンゴルで、満天の星に押しひしがれるような体験をした。「うかつに物を言えば星にとどいて声が星からはね返ってきそうなほどに天が近かった」(街道をゆく・モンゴル紀行)。
夏夜,所有的星星都出来了,仿佛在向人们发出挑战。天是那么近,似乎若不小心说了什么,声音会传到星星那里,再反弹回来”。司马辽太郎曾经在蒙古看过满天逼人而来的星星。(走过街道•蒙古纪行)
大草原を渡る風、空に浮かぶ雲、果てしない大地。詩人ナツァクドルジがうたう。「広く大いなる荒野原/南のかたをさき守る砂丘の海原/これぞわが生れしふるさと/モンゴルの美しきくに」(田中克彦『草原と革命』晶文社)。
吹过大草原的风、在空中飘浮的云、无边无际的大地。诗人纳察格道尔济写道,“辽阔广袤的大草原/ 如沙丘绵延的海洋 守护着南疆 /美丽的蒙古/生我养我的故乡” (田中克彦『草原と革命』晶文社)
チンギス・ハンがモンゴル帝国を創設して今年で800年になる。帝国はアジアから欧州にまで版図を広げた。そのころ西に遠征したと思われる兵士が、白樺(しらかば)の樹皮に書き残した望郷の詩がある。「今やときぞ、我とびたたん/我は呼びかく/我が母に、何にもましていとしき母に……今こそ我、故郷に帰らん」
成吉思汗建立蒙古帝国到现在已有800年了。蒙古帝国将版图从亚洲扩张到欧洲。大概是那时的西征士兵吧,在白桦树树皮上留下了思念故乡的诗句。“此时此刻,我想飞/我呼唤/呼唤我的母亲 我最最亲爱的母亲……此时此刻,我,要想故乡”
同じ13世紀、チンギス・ハンの孫フビライは鎌倉時代の日本に遠征軍を送る。文永・弘安の役で、いずれも失敗した。望郷の念を抱きつつ倒れた兵士もあっただろう。
同样是在13世纪,成吉思汗的孙子忽必烈将远征军派到了时值镰仓时代的日本。文永•弘安战役都以蒙古军失败而告终。一定也有不少元兵怀着对故乡的思念而客死他乡吧。
この元寇の後、北条時宗は鎌倉に円覚寺を開創した。蒙古襲来による死者を、敵味方の区別なく弔うことが建立の一因だという。
元寇入侵后,北条时宗在镰仓建造了园觉寺。据说建造这个寺庙是为了悼念因蒙古军入侵而死亡的人们,不分敌我。
今日、小泉首相がモンゴルに飛び立つ。星空の下で、元寇の時代にも思いをはせてもらいたい。自、他国を問わない弔い方は、現代の追悼のあり方にも示唆を与える。誰であれ、いやしくも一国を代表する人物なら、他国の戦没者の思いにも目を向けるべきだろう。
今天,小泉首相将飞往蒙古。希望他在星空下回忆一下这段历史。哀悼死者不分本国、外国,这对现在也有一定的现实意义。不管是谁,既然是一国之代表,就也该关心一下别国的阵亡者吧。
[ 本帖最后由 t_hikari 于 2006-8-11 13:24 编辑 ] |
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