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[天声人语] 天声人语(8,10)

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发表于 2006-8-10 17:53:42 | 显示全部楼层 |阅读模式
「夏のあらゆる星座が、われわれにいどみかかるようにして出ている」。司馬遼太郎さんはモンゴルで、満天の星に押しひしがれるような体験をした。「うかつに物を言えば星にとどいて声が星からはね返ってきそうなほどに天が近かった」(街道をゆく・モンゴル紀行)。
        “夏日的满天繁星,像挑衅一般逼近了我们。”司马辽太郎在蒙古经历过被满天星辰逼得喘不过气的体验。“天空离我们那样近,仿佛随便说句什么话声音都会传到星星那,然后再反弹回来一般。”(漫行街道·蒙古纪行)

大草原を渡る風、空に浮かぶ雲、果てしない大地。詩人ナツァクドルジがうたう。「広く大いなる荒野原/南のかたをさき守る砂丘の海原/これぞわが生れしふるさと/モンゴルの美しきくに」(田中克彦『草原と革命』晶文社)。
        穿越大草原的轻风,蓝天中飘逸的白云,广袤无际的大地。诗人ナツァクドルジ吟唱道:“广阔无垠的荒野/守护南部砂丘的海洋/这儿正是我的家乡/蒙古,这个美丽的国家”(田中克彦《草原与革命》晶文社)

チンギス・ハンがモンゴル帝国を創設して今年で800年になる。帝国はアジアから欧州にまで版図を広げた。そのころ西に遠征したと思われる兵士が、白樺(しらかば)の樹皮に書き残した望郷の詩がある。「今やときぞ、我とびたたん/我は呼びかく/我が母に、何にもましていとしき母に……今こそ我、故郷に帰らん」
        成吉思汗创立蒙古帝国至今已有800年历史。当时帝国版图从亚洲扩展到了欧洲。据说那时西征的士兵在白桦树皮上写下了思乡诗。“如今正是返回故里的好时机/我向母亲/向我那最最亲爱的母亲呼唤……/如今,我将回乡”

同じ13世紀、チンギス・ハンの孫フビライは鎌倉時代の日本に遠征軍を送る。文永・弘安の役で、いずれも失敗した。望郷の念を抱きつつ倒れた兵士もあっただろう。
        同在13世纪,成吉思汗之孙忽必烈于镰仓时代远征日本。文永、弘安之役中,蒙古军大败。定有不少士兵带着思乡之情战死他乡罢。

この元寇の後、北条時宗は鎌倉に円覚寺を開創した。蒙古襲来による死者を、敵味方の区別なく弔うことが建立の一因だという。
        元寇来袭之后,北条时完在镰仓创立了圆觉寺。据说建立该寺的一个原因是为了祭奠蒙古袭击中敌我双方的死者。

 今日、小泉首相がモンゴルに飛び立つ。星空の下で、元寇の時代にも思いをはせてもらいたい。自、他国を問わない弔い方は、現代の追悼のあり方にも示唆を与える。誰であれ、いやしくも一国を代表する人物なら、他国の戦没者の思いにも目を向けるべきだろう。
        今天,小泉首相将飞往蒙古。希望他也能在星空下缅怀一下元寇的时代。不区别自己国家和他国的祭奠方法对现代的追悼方式也带来了很大启发。无论是谁,既然代表了整个国家,就应该有义务关注一下其它国家的阵亡者。
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发表于 2006-8-10 18:28:30 | 显示全部楼层
 「夏のあらゆる星座が、われわれにいどみかかるようにして出ている」。司馬遼太郎さんはモンゴルで、満天の星に押しひしがれるような体験をした。「うかつに物を言えば星にとどいて声が星からはね返ってきそうなほどに天が近かった」(街道をゆく・モンゴル紀行)。
  “夏日夜空的群星,似乎要向人类挑战似的,如此迫近。”司马辽太郎在蒙古看到满天低悬的星辰,产生了这种感受。他在《走过街道・蒙古纪行》中写道:“无意间的私语传向夜空,似乎立刻就被群星反射回来。天空竟离我们这么近。”

 大草原を渡る風、空に浮かぶ雲、果てしない大地。詩人ナツァクドルジがうたう。「広く大いなる荒野原/南のかたをさき守る砂丘の海原/これぞわが生れしふるさと/モンゴルの美しきくに」(田中克彦『草原と革命』晶文社)。
  拂过茫茫草原的野风,天空中漂浮的流云,还有那辽阔无垠的大地。置身其中,诗人D. Natsagdorj吟诗道:“宽广辽阔的荒野草原/守卫南边的沙丘之海/那是我出生的故乡/那是美丽的蒙古”。( 田中克彦《草原和革命》晶文社)

 チンギス・ハンがモンゴル帝国を創設して今年で800年になる。帝国はアジアから欧州にまで版図を広げた。そのころ西に遠征したと思われる兵士が、白樺(しらかば)の樹皮に書き残した望郷の詩がある。「今やときぞ、我とびたたん/我は呼びかく/我が母に、何にもましていとしき母に……今こそ我、故郷に帰らん」
  从成吉思汗统一蒙古开创帝国,迄今已800年。帝国将版图从亚洲扩展到欧洲。那时远征西方的士兵在白桦树皮上写下了望乡的诗歌,“此时,我多想展翅高飞,我多想呼喊,向我的母亲,向着我最最亲爱的母亲……我这就回家乡。”

 同じ13世紀、チンギス・ハンの孫フビライは鎌倉時代の日本に遠征軍を送る。文永・弘安の役で、いずれも失敗した。望郷の念を抱きつつ倒れた兵士もあっただろう。
  同一时代的13世纪,成吉思汗的孙子忽必烈向处于镰仓时代的日本派遣了远征军。在文永、弘安之战中,蒙古军败北。想必也有士兵们带着思乡之情倒在了异国的土地上。

 この元寇の後、北条時宗は鎌倉に円覚寺を開創した。蒙古襲来による死者を、敵味方の区別なく弔うことが建立の一因だという。
  元寇平定后,北条时宗在镰仓建造了圆觉寺。建造此寺的原因之一就是为了祭奠在蒙古远侵日本中敌我双方死者。

 今日、小泉首相がモンゴルに飛び立つ。星空の下で、元寇の時代にも思いをはせてもらいたい。自、他国を問わない弔い方は、現代の追悼のあり方にも示唆を与える。誰であれ、いやしくも一国を代表する人物なら、他国の戦没者の思いにも目を向けるべきだろう。
  今天,小泉首相飞往蒙古。星空下,希望他也缅怀一下遥远的元寇时代。那种不分本国、外国的祭奠方法启发着我们现代人的追悼方式。无论是谁,只要是代表着一个国家,都有义务关注他国的牺牲者吧。

[ 本帖最后由 露小荷 于 2006-8-10 13:25 编辑 ]
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发表于 2006-8-10 18:36:05 | 显示全部楼层
红色句子是不确定的地方,我翻译带古文的句子或诗都很逊。
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发表于 2006-8-10 19:40:57 | 显示全部楼层
「広く大いなる荒野原/南のかたをさき守る砂丘の海原/これぞわが生れしふるさと/モンゴルの美しきくに」
广阔无垠的荒原/守护南部的沙丘海洋/这里正是我的家乡/蒙古,这美丽的国度

同じ13世紀、チンギス・ハンの孫フビライは鎌倉時代の日本に遠征軍を送る。文永・弘安の役で、いずれも失敗した。望郷の念を抱きつつ倒れた兵士もあっただろう。
同在13世纪,成吉思汗之孙忽必烈于远征镰仓时代之日本。在文永、弘安之役中,蒙古军均大败。定有不少士兵怀着思乡之情战死他乡罢。

蒙古襲来による死者を、敵味方の区別なく弔うことが建立の一因だという。
据说建寺的原因之一就是为了祭奠蒙古来袭中敌我双方的死者。
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发表于 2006-8-10 20:40:47 | 显示全部楼层
「夏のあらゆる星座が、われわれにいどみかかるようにして出ている」。司馬遼太郎さんはモンゴルで、満天の星に押しひしがれるような体験をした。「うかつに物を言えば星にとどいて声が星からはね返ってきそうなほどに天が近かった」(街道をゆく・モンゴル紀行)。

“夏天的满天星宿,都相似在挑衅我们似的露出了脸”。司马遼太郎在蒙古,体验了被满天的星宿压迫的喘不过起来的感觉。“天离我们非常的近,似乎一不小心说了句话,声音传到了星星又从星星那里反弹了回来”(走在街上*蒙古游记)  

大草原を渡る風、空に浮かぶ雲、果てしない大地。詩人ナツァクドルジがうたう。「広く大いなる荒野原/南のかたをさき守る砂丘の海原/これぞわが生れしふるさと/モンゴルの美しきくに」(田中克彦『草原と革命』晶文社)。

吹过大草原的风,漂浮在天空的云,漫无边际的大地。诗人ナツァクドルジ吟唱道:“宽广无际的荒草原/保护着南方的沙丘海洋/这正是生我养我的故乡/蒙古这个美丽的国家”(田中克彦『草原和革命』晶文社) 

チンギス・ハンがモンゴル帝国を創設して今年で800年になる。帝国はアジアから欧州にまで版図を広げた。そのころ西に遠征したと思われる兵士が、白樺(しらかば)の樹皮に書き残した望郷の詩がある。「今やときぞ、我とびたたん/我は呼びかく/我が母に、何にもましていとしき母に……今こそ我、故郷に帰らん」

成吉思汗创立蒙古帝国至今已有800年。帝国的版图从亚洲一直延伸到欧洲。那时远征的士兵在白桦树的树皮上写下了思乡的诗句。“此时,我想飞/我在呼喊/向着我的母亲,比什么都可爱的母亲。。。。此时的我,想要回到故乡” 

同じ13世紀、チンギス・ハンの孫フビライは鎌倉時代の日本に遠征軍を送る。文永・弘安の役で、いずれも失敗した。望郷の念を抱きつつ倒れた兵士もあっただろう。

同样在13世纪,成吉思汗的孙子忽必烈向镰仓时代的日本派出了远征军。文永・弘安那一战,失败了。定会有士兵怀着思乡之情倒下吧。 

この元寇の後、北条時宗は鎌倉に円覚寺を開創した。蒙古襲来による死者を、敵味方の区別なく弔うことが建立の一因だという。在元寇之后,北条时宗在镰仓开创了丹觉寺。据说创立此寺的一个原因是为了祭奠因蒙古来袭所死亡的人们不分敌我。 今日、小泉首相がモンゴルに飛び立つ。星空の下で、元寇の時代にも思いをはせてもらいたい。自、他国を問わない弔い方は、現代の追悼のあり方にも示唆を与える。誰であれ、いやしくも一国を代表する人物なら、他国の戦没者の思いにも目を向けるべきだろう。

今天,小泉首相飞去了蒙古。在星空下,希望他回忆下元寇时代。那种不问自方还是他方的祭奠方法,会给现代的追悼的方法有所启示。无论是谁,假如是代表一个国家的人物的话,也应该关注下他国的阵亡者的想法。
-----今天第一次自己翻译了一把,还真是挺难的。希望各位前辈多指教。

[ 本帖最后由 why911 于 2006-8-10 12:43 编辑 ]
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发表于 2006-8-11 01:39:13 | 显示全部楼层
帰らん是回不了故乡的意思吧
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发表于 2006-8-11 21:21:44 | 显示全部楼层
「夏のあらゆる星座が、われわれにいどみかかるようにして出ている」。司馬遼太郎さんはモンゴルで、満天の星に押しひしがれるような体験をした。「うかつに物を言えば星にとどいて声が星からはね返ってきそうなほどに天が近かった」(街道をゆく・モンゴル紀行)。

  夏夜,所有的星星都出来了,仿佛在向人们发出挑战。天是那么近,似乎若不小心说了什么,声音会传到星星那里,再反弹回来”。司马辽太郎曾经在蒙古看过满天逼人而来的星星。(走过街道•蒙古纪行)  

大草原を渡る風、空に浮かぶ雲、果てしない大地。詩人ナツァクドルジがうたう。「広く大いなる荒野原/南のかたをさき守る砂丘の海原/これぞわが生れしふるさと/モンゴルの美しきくに」(田中克彦『草原と革命』晶文社)。

吹过大草原的风、在空中飘浮的云、无边无际的大地。诗人纳察格道尔济写道,“辽阔广袤的大草原/ 如沙丘绵延的海洋 守护着南疆 /美丽的蒙古/生我养我的故乡” (田中克彦『草原と革命』晶文社)
 
チンギス・ハンがモンゴル帝国を創設して今年で800年になる。帝国はアジアから欧州にまで版図を広げた。そのころ西に遠征したと思われる兵士が、白樺(しらかば)の樹皮に書き残した望郷の詩がある。「今やときぞ、我とびたたん/我は呼びかく/我が母に、何にもましていとしき母に……今こそ我、故郷に帰らん」

成吉思汗建立蒙古帝国到现在已有800年了。蒙古帝国将版图从亚洲扩张到欧洲。大概是那时的西征士兵吧,在白桦树树皮上留下了思念故乡的诗句。“此时此刻,我想飞/我呼唤/呼唤我的母亲 我最最亲爱的母亲……此时此刻,我,要想故乡” 

同じ13世紀、チンギス・ハンの孫フビライは鎌倉時代の日本に遠征軍を送る。文永・弘安の役で、いずれも失敗した。望郷の念を抱きつつ倒れた兵士もあっただろう。

同样是在13世纪,成吉思汗的孙子忽必烈将远征军派到了时值镰仓时代的日本。文永•弘安战役都以蒙古军失败而告终。一定也有不少元兵怀着对故乡的思念而客死他乡吧。
 
この元寇の後、北条時宗は鎌倉に円覚寺を開創した。蒙古襲来による死者を、敵味方の区別なく弔うことが建立の一因だという。
元寇入侵后,北条时宗在镰仓建造了园觉寺。据说建造这个寺庙是为了悼念因蒙古军入侵而死亡的人们,不分敌我。
 
今日、小泉首相がモンゴルに飛び立つ。星空の下で、元寇の時代にも思いをはせてもらいたい。自、他国を問わない弔い方は、現代の追悼のあり方にも示唆を与える。誰であれ、いやしくも一国を代表する人物なら、他国の戦没者の思いにも目を向けるべきだろう。

今天,小泉首相将飞往蒙古。希望他在星空下回忆一下这段历史。哀悼死者不分本国、外国,这对现在也有一定的现实意义。不管是谁,既然是一国之代表,就也该关心一下别国的阵亡者吧。

[ 本帖最后由 t_hikari 于 2006-8-11 13:24 编辑 ]
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