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【天声人語】2006年10月09日(月曜日)付
明治の末年、夏目漱石の門下生の集まりに、青い目の和服姿の若者がいた。ロシアの大富豪の御曹司で、セルゲイ・エリセーエフという。
明治末年、夏目漱石的门生中有一位穿和服的蓝眼睛年轻人。他便是俄罗斯大富豪的公子Sergei Eliseev。
寄席に通い、芭蕉を卒論に東京帝大を卒業するほど日本語が達者だった。ある時、漱石の作品を翻訳していて、疑問がわいた。「庭へ出た」と「庭に出た」とどう違うのですかと質問すると、文豪も答えに窮してしまった。
这位Sergei Eliseev日语十分了得。他甚至经常出入曲艺场、从东京帝大毕业时毕业论文以芭蕉为题。曾有一时、他在翻译漱石的作品时产生了疑问。当他提出「庭へ出た」和「庭に出た」有什么不同的问题时、大文豪也不知如何做答。
ロシアに帰国すると、サンクトペテルブルク大学の日本語教師となった。講読テキストに漱石の『門』を使い、師を驚かせている(倉田保雄『エリセーエフの生涯—日本学の始祖』、中公新書)。
归国后他担任了俄罗斯サンクトペテルブルク的日语教师。讲读读本选用了漱石的『門』。这让他的老师十分吃惊。(倉田保雄『エリセーエフの生涯—日本学の始祖』、中公新書)。
エリセーエフが教鞭(きょうべん)を執ったサンクトペテルブルク大学東洋語学部が、今年度の国際交流基金の日本語教育賞を受賞した。多くの日本語教師や日本研究者を育てたことが評価された。
Eliseev执教的サンクトペテルブルク大学东方语学院获得了今年国际交流基金的日语教育奖。该学院因培养了众多日语教师和日本研究者而受到好评。
授賞式のために来日したビクトル・ルイービン日本語学科長によると、エリセーエフ以来、エキゾチックな東洋の国へのあこがれが日本語学習の動機だったが、最近は日本の科学技術や漫画、アニメなど多様な関心が若者をひきつけているそうだ。ただし、旧世代に属する学科長は「私は、漫画は嫌いです」と顔をしかめていた。
该院的日语系学科长ビクトル・ルイービン为参加颁奖礼而来到了日本。据他说、在Eliseev之后、最初学习日语的动机是因为崇尚东方国家的异国情调。但最近、出于对日本的科学技术、漫画和动画等的兴趣使许多年轻人被吸引而来。但属于旧时代的学科长却皱眉表示「我不喜欢漫画」。
過去100年、ロシア社会は動乱にもまれ続けた。その中で日本研究を続けることは大変なことだったろう。エリセーエフ本人も結局、ロシア革命後に西側に亡命している。米国時代の教え子の一人が後に駐日大使を務めたライシャワーだ。エリセーエフは、1975年にパリで病没した。漱石の60回忌にあたる年だった。
过去100年中、俄罗斯社会一直处于动乱之中。在那样的环境下坚持日本研究一定不是件易事。Eliseev本人也在俄罗斯革命后亡命于西方。他在美国时代曾教授过的一个学生正是之后的驻日大使赖世和。1975年Eliseev病逝于巴黎。那年正是漱石逝世60周年忌。 |
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