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東京の蒲田と言えば、日本の高度成長を支えた町工場の集まる地域だ。かつては浅草ノリの産地でもあった。庶民的な土地柄で知られる。
同窓会に見る濃密だった時代
そんな街の小学校の卒業生が、今年も7日に同窓会を開いた。すし屋さんもいれば大工の棟梁(とうりょう)もいる。遠方から30年ぶりに参加した人も。「麦の芽会」と名前も付いた大田区立北糀谷(こうじや)小学校6年3組の同窓会だ。
1960年の卒業以来、毎年、成人の日の時期に開き続けて48回目。しかも、1年から3年までの担任、飯野美智子さん(78)と、4年から6年までの担任、山路峯男さん(77)が、毎回出席と聞いて驚く。元児童も、大半が今年のうちに還暦を迎える世代である。
出席者の1人、大津由紀雄さん(58)の父も、かつて鉄工所を経営し、大企業と確かな技術で取引があった。自身も、5年ほど前まで蒲田に住んでいた。
そんな大津さんが、楽しそうに昔話を披露する。
「山路先生は、私が立教中学を受験するとき、『いても立ってもいられない』と自宅まで勉強を教えに来てくださったんです」
「飯野先生のお子さんを、うちの母が預かっていたこともあったんですよ」
大津家が特別だったわけではないだろう。そこに見えるのは、教師と保護者の関係の濃さである。
「狭い地縁社会だから、大半は入学前から、『あの子はこんな子』とわかっている。気取りようがない」。そんな地域社会のなせる技でもあったのだろう。
大津さんはいま慶大言語文化研究所の教授として、小学校への英語導入問題で発言の機会も多い。山路先生が卒業時、大津さんのために書いたメッセージに「特に英語に力を入れてゆくこと」とある。そんなメッセージを大津さんはいまも大切に持っている。
大津さんの話を聞くうちに、かつて勤務した福島県で、教師から聞いた話を思い出した。昔の教師は家庭訪問のたびにごちそうになり、断ると「うちの酒は飲めないのか」と怒られたものだというのだ。そんな地域が、以前はそれほど珍しくなかったのではないか。
今では、都会と田舎の別なく、教師と保護者の関係が希薄になったと言われる。「家の中をのぞかれたくない」といった個人主義的事情から、教師の家庭訪問もできない地域が増えた。
いじめなど、学校が抱える様々な問題の多くが、学校と家庭や地域との関係が変わってしまったことに起因するとも言われる。
関係を作り直すのは容易ではない。ただ、年の初めは、同窓会などで昔を振り返る機会が多いだけに、振り返るだけでなく、いまの社会に何が欠けていて、どうすればいいのかを考える機会にしたい。 |
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