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自然 季節 行事 春
花哀れ
花守り「進藤市長殿」と宛書して「花あわれ せめては あと二旬 ついの開花をゆるし給え」
道路拡幅工事で伐採寸前だった桜の古木に、その色紙が結ばれていた。福岡市南区内でもう十五年前の春先のこと。通称桧原(ひばる)桜八本の助命嘆願については、当時広く伝えられたから、ご存知の方も多いだろう。長く読み人知らずだった歌の作者はのちに、福岡シティ銀行広報顧問、土居善胤(どい・よしたね)さんと分かる。その土井さんが「花かげの花守りたち」と題した一文を雑誌「暮らしの手帳」最新号に書いている。あの時花哀れの歌に続いて、地元の人々から花惜しむ歌の色紙や短冊が次々と桜の木に寄せられた。その中の一首、「桜花(はな)惜しむ大和心のうるわしやとわに匂わん花の心は」、進藤一馬市長当時の返歌だった。道路拡幅計画は一部変更された。桜は生き残り、新たに若桜二本が植えられた。市長勇退した進藤さんが七年前に八十八歳でなくなられた後、お二人の歌問答を彫った碑もできた。無言のうちに互いの意思が一致することを「黙契」という。土井さんは花哀れの黙契が紡ぎ出した歳月と振り返り、「あまた あまた 恩寵うけし 花の宴」と結んでいる。今ひばる桜も綻び始めたという。
99年3月27日
アッツ桜
年々、春の草生ず。春は桜だけではない。野山の淡い緑の中で菜の花の黄、レンゲの赤、葱坊主の白。天然の配色に、心が浮き立つ季節だ。
大都会にも春のおこぼれを。東京・大手町のオフィス街に、きのう何軒かの花屋さんが出ていた。歩道を埋めた花々の中で、一際かれんな濃いピンクの花弁がビル風に揺れていて、「アッツ桜」とあった。
アリューシャン列島の小島アッツ。あの戦争下、日本軍守備隊の将兵に短い夏を告げたのは、内地の桜草に似た小さな花だった。兵たちは、「アッツ桜」と呼び、帽子をさし、あるいは押し花にして故国をしのんだという。
昭和十八年(千九百四十三年)五月の玉砕の悲劇から四十数年、歩道の「アッツ桜」は、しかし、あの兵たちの花ではなかった。学名ロードヒポキシス。ヒガンバナ科。南アフリカ原産と聞いて驚いた。
かなり以前から園芸農家が栽培をはじめ、次第に人気が出てきたという。なぜ「アッツ桜」と呼ぶのか、農家でもわからなかったが、よく似た異国の花に、アッツの悲劇を重ね合わせて思ったのだろう。
アッツの花はやはり桜草の仲間か。やがて花開く埼玉・田島ヶ原の自生地は有名だが、北海道・大雪山では、雪解けの花畑をエゾコザクラがピンクに染める。
「わが国は草も桜を咲きにけり」 一茶
89年4月8日
カタクリ
奥羽山脈の懐に抱かれた岩手県沢内村にも、遅い春が訪れた。二メートル近く積もった雪が「今週、やっと消えました」と、村役場の職員の電話の声も弾む。
山野の雪解けを待ちかねたように、カタクリが芽を出す。雪が残る北斜面ではまだこれからだが、日当たりのいい南斜面では、紅紫の花がほころび始めたそうだ。
好天の日に、花弁を天空にめくり上げて咲く。この風情は「純情可憐な乙女が裸身のままでいるような」と、村に住む随筆家、高橋喜平さんが書いている。
「スプリング・エフェメラル」と言う言葉がある。訳して「はかない春の命」。春先のほんの一時、姿を現すギフチョウの仲間たちや、カタクリなど早春の草花を言う。
確かに、はかなくも、美しい。ブナなど広葉樹林帯に多く生息するカタクリは、落葉した林の中にも暖かい日が差し込む春、一切に芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶ。一年間のうちで地上に姿を見せているのは、そのわずか二ヶ月あまりだけだ。
沢内村のカタクリは五月の連休あたりが見ごろ、村では観察会や俳句会など様々な催しを予定している。やがて新緑の季節となって、木々が葉を広げるころ、早春の乙女たちは、また地下の長い眠りに入る。
95年4月22日
红色的部分听不清,可能是错的,请高手或有书的朋友指正。
只听了一段,剩余部分会逐步推出 |
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