咖啡日语论坛

 找回密码
 注~册
搜索
查看: 4919|回复: 5

关于"古事记"序言的翻译.....求助!!!

[复制链接]
发表于 2007-8-31 10:41:38 | 显示全部楼层 |阅读模式
谁能帮我翻译一下下面的这段话
要翻译成日本大白话...不要日语文言文...帮帮忙拉.

臣安万侣言。夫混元既凝,气象未效。无名无为,谁知其形。然乾坤初分,参神作造化之首;阴阳斯开,二灵为群品之祖。所以出入幽显,日月彰於洗目;浮沈海水,神只呈於涤身。故太素杳冥,因本教而识孕土产岛之时;元始绵邈,頼先圣而察生神立人之世。寔知悬镜吐珠,而百王相续;吃剑切蛇,以万神蕃息与。议安河而平天下,论小滨而清国土。是以番仁岐命,初降于高千岭;神倭天皇,经歴于秋津岛。化熊出川,天剑获於高仓;生尾遮径,大乌导於吉野。列儛攘贼,闻歌伏仇。即觉梦而敬神只,所以称贤后。望烟而抚黎元,於今传圣帝。定境开邦,制于近淡海;正姓撰氏,勒于远飞鸟。虽步骤各异,文质不同,莫不稽古以绳风猷於既颓,照今以补典教於欲绝。
曁飞鸟清原大宫御大八州天皇御世,潜龙体元,洊雷应期。开梦歌而相纂业,投夜水而知承基。然天时未臻,蝉蜕於南山;人事共给,虎步於东国。皇舆忽驾,浚渡山川,六师雷震,三军电逝。杖矛举威,猛士烟起,绛旗耀兵,凶徒瓦解。未移浃辰,气沴自清。乃放牛息马,恺悌归於华夏;卷旌戢戈,儛咏停於都邑。歳次大梁,月踵夹钟,清原大宫,升即天位。道轶轩后,德跨周王。握乾符而揔六合,得天统而包八荒。乘二气之正,斋五行之序,设神理以奖俗,敷英风以弘国。重加智海浩汗,潭探上古,心镜炜煌,明覩先代。
於是天皇诏之:“朕闻‘诸家之所赍帝纪及本辞,既违正实,多加虚伪。’当今之时不改其失,未经几年其旨欲灭。斯乃邦家之经纬,王化之鸿基焉。故惟撰录帝纪,讨核旧辞,削伪定实,欲流后叶。”时有舍人,姓稗田,名阿礼,年是廿八,为人聪明,度目诵口,拂耳勒心。即勅语阿礼,令诵习帝皇日继及先代旧辞。然运移世异,未行其事矣。
伏惟皇帝陛下,得一光宅,通三亭育。御紫宸而德被马蹄之所极,坐玄扈而化照船头之所逮。日浮重晖,云散非烟。连柯并穗之瑞,史不绝书;列烽重译之贡,府无空月。可谓名高文命,德冠天乙矣。
於焉,惜旧辞之误忤,正先纪之谬错,以和铜四年九月十八日,诏臣安万侣“撰录稗田阿礼所诵之勅语旧辞以献上”者,谨随诏旨,子细采摭。然上古之时,言意并朴,敷文构句,於字即难。已因训述者,词不逮心。全以音连者,事趣更长。是以今或一句之中,交用音训,或一事之内,全以训录。即辞理叵见,以注明,意况易解,更非注。亦於姓日下,谓玖沙诃;於名带字,谓多罗斯。如此之类,随本不改。大抵所记者,自天地开辟始,以讫于小治田御世。故天御中主神以下、日子波限建鹈草葺不合命以前,为上卷;神倭伊波礼毘古天皇以下、品陀御世以前,为中卷;大雀皇帝以下、小治田大宫以前,为下卷。并录三卷,谨以献上。臣安万侣,诚惶诚恐,顿首顿首。
回复

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2007-9-5 12:10:47 | 显示全部楼层
为什么没人理我阿..真的没有明白古代日语吗?????
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2007-9-8 05:37:34 | 显示全部楼层
ネット上で検索に引っかかったものを載せておきます。
「日本白話で」というご指定なのですが、どういう目的でそう言われるんでしょうか?(何かの劇にでも使いたいとか??)ここでは現代語訳の引用を載せておきますので、必要な程度まで適宜くだけた表現にしてみてください。
(訳の利用目的がわからないので引用だけになりますがご容赦ください。)

「週間古事記」
http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/furukotobumi/


古事記 上巻 并せて序
http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/furukotobumi/jyo1.html
臣安万侶(しんやすまろ)が申し上げます。そもそも、渾沌たる気が密集して、形と質は現われていなかった。天地元も万物の元も無かった。誰がその形を知っていただろうか。しかし、天地が初めて分れ、三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)高天原の主となり、陰陽が始まり、二霊(伊邪那岐、伊邪那美)や万物の祖となった。(伊邪那岐、伊邪那美は)黄泉国、葦原中国に出入りし、日(天照大御神)と月(月読神)は目を洗うことから現われ、海水に浮沈して、身をすすいで神々は現われた。此の世の始まりは、はっきりしていないが、この遠き神々の伝承によって国土を造り、島が産まれた時を知り、また此の世の始まりは、遥か遠い昔であるけれど、賢人によって神によって、人によって作られて来た世を知る事ができる。事実を知る、鏡を懸け(天の石屋戸)珠(たま)を吐いて、剣を折って(天照大御神と須佐之男の誓生み)、蛇(をろち)を切って、神々と人間が栄える様を。天の安河(やすのかは)で議論をして葦原中国を平定し、(出雲の伊佐那の)小浜で(大国主神と)論争し国を清めた。こうして、番仁岐(ほのににぎの)命は初めて高千穂の山に降(くだ)り、神倭天皇(かむやまとのすめらみこと)は秋津島(あきづしま、畿内)で長い時を過ごした。神が化身した熊が川から来て、天より下された剣を高倉下(たかくらじ、人名)に与え、尾のある人間(吉野の首の祖)が、道いっぱいに出て歓迎し、八咫烏が吉野に導いた。一同が揃って舞い踊り、歌の合図とともに賊を倒し従わせた。(崇神天皇は)夢で覚って、神々を敬った。それゆえ賢い天皇と言われる。(仁徳天皇は)炊煙を立てさせ、人民を慈しんだ。今に聖帝と伝えられる。(成務天皇は)国境を定め、国造や県主を定め、近い近江で天下を治められた。(允恭天皇は)姓(かばね)を正し、氏(うぢ)を再編成し、遠い飛鳥で天下を治められた。代々の政治に緩急、文質があり今と同じとは言えないが、古を省みて風教、道徳の既に廃れているところを正してきた、そして今の世でも絶えようとしている正しい人の道を補おうと思う。

http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/furukotobumi/jyo2.html
 飛鳥の清原(きよみはら)の大宮で大八州を治められている天皇(天武天皇)の御世に至り、即位する前にその資格を見につけ、活動するべき時期が到来した。夢の中で聞いた歌を解釈して、帝業を受け継ぐべき事を占い、夜半に伊賀の名張の横河に行き、帝業を受け継ぐべきことが解った。しかし、即位する時は未だ来ず、吉野に蝉のようにこっそり抜け出て、味方の軍勢も多くなり、東国に虎のように威風堂々を進まれた。天皇の御輿は行幸して、山川を越えて、天子の軍は雷のごとく振るまい、諸候の軍は稲妻のごとく進んだ。杖や矛は勢いを挙げ、猛士は土煙を挙げ、天子の赤い旗は武器を輝かし、凶徒(近江朝廷の軍)は瓦のように砕け散った。短時間の間に、悪気は自然と清まった。そしてすぐに戦争を止め、心楽しく安らかに都に帰り、旗を巻き矛を収めて、舞い歌い帝都に留まった。木星が昂の方角に宿る年(酉年)、月は夾鐘(けふしよう、二月)になり、清原の大宮で、天皇に即位された。道は黄帝に勝り、徳は周王を越えている。三種の神器を得て天地四方を統べ、天津日嗣を得て荒遠の地をも覆った。陰陽の正しい気に乗り、五行の秩序を整え、神道を施し良い風俗を勧め、優れた教化を布いて国に広めた。それだけでなく、その智は海のごとき広く、深く上古を研究し、鏡のような御心は明らかに輝き、はっきりと先代を見極めている。
 そして天皇は、「私は聞いた。諸家にもたらされている帝紀及び本辞は、既に真実と違っている、多く虚偽が加えられていると。今この時期に、その誤りを改めねば、数年を持たずに真実の歴史は滅びてしまうだろう。これは国家行政の根本であり、天皇徳化の基本である。ここに、帝紀を撰録し、旧辞を皆で調べ、偽りを削り真実を見定めて、後世に伝えたいと思う。」と言われた
 時に舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼、年は二十八。人となりは聰明で、一見しただけで、すぐ口ずさめ、一度聞いただけで、心に刻み付けて忘れない。そこで、阿礼に天皇の命令で帝皇日継(すめらみことのひつぎ)及び先代旧辞(さきつのよのふること)を読ませ記憶させた。しかし天皇の時勢が変っても、未だこの事は行なわれていない。

http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/furukotobumi/jyo3.html
 伏(ふ)して考えますに、皇帝陛下(元明天皇)は、帝位について徳が天下に満ち、三才(天地人)通じて民を育てられた。皇居に御して徳は馬の蹄の先までおよび、皇居に座して教科は船の先まで、徳化は遠く国々の隅々まで行き渡っています。日は出でて甚だしく輝き(瑞兆)、雲の煙りのように出でてはいるが、煙りではないようだ(瑞兆)。連理共穂の瑞兆も現れ、史官は絶えずそのような瑞兆を記して、数多くの烽火を灯さねばならないような、また多くの翻訳を必要とするような、遠くの国々からの朝貢が来て、倉庫が空である月はありません。名は夏の禹王よりも高く、徳は殷の湯王にも優ると言っても過言ではないでしょう。
 さてここで、旧辞の誤り間違っている所を惜しく思い、先紀の誤り間違っている所を正そうとして、和銅四年九月十八日をもって、臣安万侶に詔して、稗田阿礼(ひえだのあれ)の誦む所の天武天皇の勅語による旧辞を撰録して献上せよと言われたので、謹んで詔の通りに、細かく取り拾っていった。しかし上古の時ものであるので、語彙が素朴であったので、文章語句を書き表わすことは、漢字では困難である。既に字訓で書き表わしたものは、文意が古意と通じなくなっていて、字音で文を書き表わしたものは、文章が長たらしくなってしまう。そこで今、あるものは一句の中に、音訓を交えて用い、あるものは一言の中で全て訓を使って記していく。もう既に言葉の事理の通りにくくなっているものは、注釈を書いて事理を明らかにし、意味の解りやすいものは、更に注釈をつけることはしなかった。また姓について、日下(にちげ)を玖沙訶(くさか)と書き、名について帯(たい)の字を多羅斯(たらし)と書くようなものは、元のものに従って改めることはしなかった。だいたい書き記す所は、天地開闢から始めて、推古天皇の治世までである。天御中主神から日高日子波限建鵜葺草葺不合(なぎさたけうがやふきあへずの)命までを上巻(かみつまき)とし、神倭伊波礼毘古天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)から応神天皇の治世までを中巻(なかつまき)とし、仁徳天皇から推古天皇の治世までを下巻(しもつまき)としし、三巻を記して、謹んで献上します。臣安万侶、誠惶誠恐、頓首頓首。


…ふぅ~~ 長いなぁ~。
回复 支持 反对

使用道具 举报

头像被屏蔽
发表于 2007-9-9 11:32:55 | 显示全部楼层
提示: 作者被禁止或删除 内容自动屏蔽
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2007-9-24 20:27:13 | 显示全部楼层
原帖由 sterling 于 2007-9-8 05:37 发表
ネット上で検索に引っかかったものを載せておきます。
「日本白話で」というご指定なのですが、どういう目的でそう言われるんでしょうか?(何かの劇にでも使いたいとか??)ここでは現代語訳の引用を載せてお ...



啥也别说了..非常非常感谢中......
你在我心中的地位..现在在我心中..你的身后就在发出金色的光芒......
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2008-7-28 14:28:09 | 显示全部楼层
真的是日文古文吗?看起来像中文古文
回复 支持 反对

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 注~册

本版积分规则

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2024-3-29 20:46

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表