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发表于 2008-2-4 22:30:08
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天声人語
2008年02月04日(月曜日)付
きのう、近所の桜並木は雪に包まれた。枝にまで積もり、予定されていた花芽の観察会が流れた。地元の樹木医、石井誠治さんによると、昨夏の日射のお陰で芽はよくついているようだ。見上げれば確かに、春の卵がいくつも冬空に震えていた
昨日,附近的樱花街道树是一片银装素裹.连枝头都积着雪花,于是前期预定的“花芽观摩会”就化为泡影。从当地的“树木医生”石井誠治口中得知,多亏去年夏季的日照,树上似乎结了不少花芽。抬头望去,的确如此,些许新春的生命正在冬日的天空中颤颤地摇曳。
▼週末の散歩で通った梅林では、もう何本か咲いていた。薄紅の花に寄り、ほのかな和の香りに深呼吸する。根元の土を霜柱たちが持ち上げていた。冬の大地から、春が伸びる
周末散步时穿过了一片梅树林,见到几棵梅树已经开出花来。走到那淡红的梅花跟前,深深的呼吸着那淡雅的“暗香”。梅树下的霜柱(注:日本独有的一种小草)也带起了树根边的松土---春天,正从冬眠的大地上开始苏醒起来。
▼きょうは立春。今年も名ばかりの節目になりそうだが、ここからの冷え込みは字面も音も弱々しい余寒(よかん)となる。寒寒寒(カンカンカン)という乾いた一本調子に、遠からず暖(ダン)の音が混じり始めるのだろう
今日是立春。虽说今年的立春也是有名无实的时令,然而此后的“肃杀寒气“,无论在字面,还是声音,都即将变成弱弱的余寒。“寒~~寒~~寒~”的这种干巴巴的单一调子里,不久将开始介入“暖”的音符罢。
▼〈立春の光啄ばむ雀(すずめ)かな〉中島伊智子。陽光も新たに昼の勢いが増せば、暮らしの随所に色が戻ってくる。それが近年、春の接近に紛れて不穏な色がちらつくようになった。スギ花粉である
“立春薰阳照,犹闻雀啄声”--中島伊智子。一旦春光再次呈现白昼渐长之势,春色将回到周边的所到之处。相比而言,近年,随着春天的临近,却也闪烁着让人心神不安的色调。那是水杉的花粉。
▼強風にうねるスギ林は、薄黄の煙幕を街へと送る。雄々しき生命の営みも、花粉に泣く身には敵の出撃風景でしかない。ただ、物言わぬ樹木の代理人として石井さんいわく。「きれいな環境に慣らされた体が、取るに足らない異物にも反応するようになったのです。都市化や排ガスも怪しい。木だけの責任ではありません」
被强风吹肆的杉树林,送给城市淡黄的烟霭。雄伟的生命的活动,对于对花粉过敏的身体来说,只能是敌人出击的景象。然而作为那些默默无言的树木的代言人,石井誠治说道:“原因是因为人们长期适应了清净的环境,脆肉得连对微不足道的异物都会起排斥反映。还有城市化和汽车尾气也很让人难受,但这不只是树木的责任”
▼前年夏の天候が大切なのはスギの雄花も同じで、東京の花粉は去年の倍と聞く。「カン」と「ダン」の間の不協和音。音源ばかりを責めてもせんないが、後れをとれば梅も桜も台無しとなる。寒寒寒のリズムが続くうちに、目鼻の防備を固めたい。
据说去年夏天的气候对樱花来说很重要,对杉树的雄花也是一样的,东京的花粉是去年的一倍。或许有人抱怨这是“寒~”和“暖~”之间的不和谐音符。但是一味的指责“音源”也于事无补,再不“亡羊补牢”的话,梅花和樱花也将不复存了。在“寒~~寒~~寒~”的旋律仍在持续的期间,大家做好眼鼻的防护罢。
[ 本帖最后由 jannyhany 于 2008-2-4 22:36 编辑 ] |
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