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[天声人语] 080501冈部伊都子

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发表于 2008-5-3 15:44:59 | 显示全部楼层 |阅读模式
080501冈部伊都子

幼いころから病弱だったゆえでもあろう。亡くなった随筆家の岡部伊都子さんが紡ぐ言葉には、「生かされている」という思いが息づいていた。感謝と表裏をなすように、弱いもの、時代に合わぬものへの、温かいまなざしがあった。

也许是因为她从小就体弱多病的缘故吧,已故随笔作家冈部伊都子女士所编织的文字中,散发着一中“受人照顾而活着”的思绪。与感谢互为表里的是,那种对弱者、为世俗所不容着的温暖关怀。

大阪の商家に生まれた。2歳で右耳の聴力を失う。女学校は結核で退学した。世を嫌って、「なんで私なんか産んだ」と母親を責めた。母親はそんな娘に、「あ、また死にたい顔したはりまんな」とおどけてみせたそうだ。岡部さんは笑って、泣いた。

她出生于大阪的商人之家。2岁时右耳失聪。后因结核病从女校退学。她曾因此而厌世,质问母亲“为什么要生我”。据说她母亲曾扮怪相逗她道:“哦,看你那样,又想寻死吧”。闻之,冈部破颜而笑,随即又潸然泪下。

長じると、婚約者を激戦の沖縄で亡くした。その人は、出征の寄せ書きに「勝つもまた悲し」と書くような青年だった。「この戦争は間違っている。天皇陛下のために死ぬのはいやだ」と言い残すのを、「私なら喜んで死ぬ」と突き放すように見送った。

长大成人后,未婚夫又在冲绳的激战中阵亡。她未婚夫在出征前的集体留言中写下了“胜亦可悲”的字样。临别时说,“这场战争是错误的。我可不愿为了天皇去送命”,对此,她却说“如果是我,我会慷慨赴死的”,冷冰冰地就分手了。


非戦の理想と言葉は、軍国乙女の理解を超えていた。激しく悔やんだのは、戦争が終わってからだ。自らに「加害の女」の烙印(らくいん)を押す。疼(うず)きとともに深めた思索を、130冊もの著書に刻んできた。

未婚夫的反战理想和话语,超出了一个军国少女的理解能力。战争结束后,她才感到追悔莫及,自己给自己烙上了“迫害者”的烙印。她将沉痛以及深邃的思索,倾注到了多达130册的著作之中。

京都のお宅を昔、真夏に訪ねたことがある。「夏やせに寒細(かんぼそ)り」の人生だと笑う腕は、きゃしゃだった。「でも弱いから、折れないのよ」。弱さをしなやかさに変えたのは、芯の強さだろう。

从前,我曾在一个盛夏,造访过她在京都的住宅。她嘲笑自己瘦弱的胳膊就像“夏瘦冬细”的人生。“可正因为瘦弱,却断不了啊”。化瘦弱为柔软的,是其芯之强韧吧。

昨夏刊行の『清(ちゅ)らに生きる』(藤原書店)に、婚約者への感謝がある。「(残してくれた)だいじなだいじな言葉がなかったら、わたしの生きてる意味はあらしません」。85歳で去った岡部さんの胸に灯(とも)りながら、婚約者の思いもまた、戦後を照らし続けた。

在去年夏天出版的《清澈生命》(藤原书店)中,她表达了对未婚夫的感谢。“如果没有他留下的那些至关重要的话语,我的便生命毫无意义”。未婚夫的思想在照亮85岁去世的冈部女士内心的同时,也照亮着战后时代。
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发表于 2010-9-19 21:18:56 | 显示全部楼层
补充日谚一则:

仕事幽霊飯弁慶、その癖夏痩せ寒細り、たまたま肥ゆれば腫れ病

しごとゆうれいめしべんけい、そのくせなつやせかんぼそり、たまたまこゆればはれやまい

仕事はろくにしないのに飯だけは山のように食べ、そのくせ夏も冬もやせっぽちで、たまに太ったなと思えば病気にかかっている。怠け者の大食多病をあざけるもの。
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