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もう命日は過ぎたけれど、8月は明治を代表する落語家の三遊亭円朝が亡くなった月だと聞いて、東京の谷中(やなか)にある墓所を訪ねてみた。「三遊亭円朝無舌(むぜつ)居士」の文字が山岡鉄舟の筆で刻まれている
听闻8月是明治时期具有代表性的落语家三游亭元朝去世的月份,虽然已经过了忌日,但还是前往位于东京谷中的墓园探访一下。在他的墓碑上刻着山冈铁舟的题字“三游亭元朝无舌居士”。
▼円朝は生前から「無舌居士」と号し、〈閻王(えんおう)に舌を抜かれて是(これ)からは心のままにうそも云(い)はるる〉などと歌を詠んでいた。近世以来の話芸を集大成した才人に似つかわしく、思わずニヤリとさせる墓碑である
元朝生前号“无舌居士”,他曾经唱过 “被阎王拔掉了舌头,这样就可以为所欲为的说心里话了。”实在是与这位近代以来集曲艺艺术之大成的才子非常相符的评价啊,就连墓碑上的题字都让人看了忍俊不禁。
▼ところで墓碑といえば、まずは「〇〇家之墓」が刻字の定番だ。だが、近ごろは変化が兆しているらしい。ユニークな「自分流」が人気だと、先日の記事が伝えていた。定番に代わって、「愛」「和」「永遠」「やすらぎ」といった文字が大書されているそうだ
另外,说起墓碑,一般来说都会在正面刻上“某某家之墓”。不过,最近似乎这种习俗发生了一些变化。之前的记事中也提到过,独特的“自我流”开始受人欢迎。取代原先“某某家之墓”的字样,现在上面刻着诸如“爱”“和”“永远”“安乐”等内容。
▼そして、故人の名や命日は側面や裏側に控えめに彫るのだという。注文主の望む文字を書家が書くサービスを始めた業者は、「潜在需要は多いはず」と踏む。専門家によれば、家という概念の希薄化や、個人を尊重する傾向が自由な文字の背景にあるようだ
而且,在墓碑的侧面和背面都工整的刻着死者的姓名和忌日。那些按照客人要求提供在墓碑上刻字服务的从业者们也开始考虑到客人“应该有很多潜在的需要”。据专门从事碑文刻字的人说,现在家庭的概念日益淡薄,尊重个人意愿选择喜欢的文字做题字的人越来越多。
▼岩本素白の残した一節を思い出す。早大で文学を講じた人で、名文の随筆で知られた。信州へ疎開して迎えた終戦の年の秋、鬱々(うつうつ)とした気分で散歩をするうち、野辺に一群れの墓を見つける
想到岩本素白留下的一段文章。是我从早稻田大学讲授文学的人那里,作为名文的随笔而听说的。在信州之战结束的那年秋天,素白心情沉重的散步的时候,看到野外的一片墓地。
▼南に向かい、遠い山を眺めているような墓石の一つに「秋山微笑居士」と彫ってあった。素白はすっかり良い気分になり、足取りも軽く宿へ帰ったそうだ(「野の墓」)。故人を記憶する文字が様々な感慨に生者を誘う。そんな墓に遭うのも、楽しからずやである。
面向南方似乎在眺望着远山的墓碑之中,有一个的上面刻着“秋山微笑居士”的字样。看到这里素白的心情一下子好转了起来,然后脚步轻快的返回家里了(《野之墓》)。那些纪念死者的文字以各种各样的感慨吸引着生者。能够见到这样的墓碑,也是一件愉快的事吧。 |
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