▼歌舞伎役者のように虚空をにらんで、緒形拳さんは静かに息を引き取ったそうだ。臨終に立ち会った津川雅彦さんは、その時を「おれもあんな死に方をしたいと思うほど格好いい最期だった」とまとめた
据说绪形拳先生(临终时)如歌舞伎演员一般凝望着虚无的天空,安静地走。临终在场的津川雅彦先生在事后总结当时的情形时说:“他的离世是如此的完美,我死的时候希望也能如他一样”。
▼危篤と聞いて病院に駆けつけると、71歳の名優は一度ベッドに座り直したという。ひとしきり仕事の話をし、「治ったらウナギ食いに行こうな。白焼きをな」。この誘い、津川さんの激励ではなく、緒形さんの言葉というから驚く。淡いユーモアがにじむ、骨太の幕である
(津川先生说)当得知他病危匆匆赶到医院后,这位71岁的名演员一度从床上坐起。谈了一会工作上的事情后,说: “等病好之后一起去吃鳗鱼吧,吃干烤的那种”。而令人吃惊的是,这样的邀请,并不是津川雅彦的(对绪形先生的)激励词,而是绪形先生说的话。(话语中)渗透着一种淡淡的幽默感,这真是一场铁骨铮铮的谢幕。
▼照れ、愁い、狂気。どれも一流だったが、影をまとうほど輝きは増した。「楢山節考」で背負われ、山に捨てられる老母を演じた坂本スミ子さんは「演技でこなさず、役になりきるすごみを感じた。心では今も親子のままです」と語る
害羞、忧愁、疯狂。无论那种(演技)都堪称一流,且如影随形般地增添着他的光芒。在《楢山节考》中扮演被(绪形先生)背负着将要丢弃于山野的母亲一角的坂本须美子女士说:“我感觉他并不是运用演技,而是彻底将自己变成戏中角色,真是令人佩服。在心底里直到现在还觉得和他有着如母子一般的真挚感情。”
▼肝臓がんのことは、家族限りとしていた。遺作のテレビドラマ「風のガーデン」の撮影では、玄米食で半年の長丁場を耐えた。倉本聰さんの脚本は命を正面から描く。訪問医役の緒形さんには死を語る台詞(せりふ)も多い。万感を込めたであろう仕事を結び、制作発表の5日後に逝った
知道他身患肝癌一事的仅限其家人。在其遗作的电视连续剧《风之花园》的拍摄过程中,他以玄米为食,半年来一直忍受着病痛的煎熬。仓本聪的剧本正面描写了生命(的意义)。绪形先生所扮演的访问医生一角,(在剧中)述说死亡的台词有很多。完成了融入其无限真情实感的工作,在电视剧制作发表5天后逝世了。
▼あったかい味の書をたしなんだ。絵手紙を交わした東京都狛江市の小池邦夫さん(67)のもとには、「でくのぼう」と朱書きした賀状がある。別の一葉には「牛はのろのろとあるく」
(绪形先生)嗜爱饱含温情的书信。在(与绪形先生)互通书信的东京都狛江市小池邦夫先生(67岁)的手中,有一张(绪形先生)用朱笔的写着“笨蛋”的贺卡,另外的一张上写的是“牛慢吞吞地走着”。
▼そんな墨跡の通り、武骨に、ゆっくりと大きく、役者道を全うした。坂本さんの感慨に寄り添えば、演じた役のすべてが本物の緒形拳である。最後はあの白髪で、優しげな背中で、秋の夕景の一部になりきった。
就如这的字迹一样,(绪形先生)自如地、缓慢地,大大方方的,走完了他的演艺之路。贴近坂本女士的说法,他所扮演的全部角色就是真正的绪形拳本身。最后,那白发苍苍的优雅的背影,融化变成了秋日晚景的一部分。
[ 本帖最后由 新米 于 2008-10-10 11:38 编辑 ] |