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发表于 2003-11-30 23:00:00
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第五十一段
後嵯峨院が、亀山離宮の池に大井川の水をお引きになろうとして、大井の土地の人にお命じになって水車を作らせた。しかし、すこしも回らないで役に立たなかったので、今度は宇治の人々をお呼びになってつくらせた。この水車は思い通りに水を汲みいれた。
何でもその道を知ったものは尊いものである。
第五十二段
仁和寺にいたある僧が、年をとるまで石清水(いわしみず)に参拝しなかったのを残念に思って、あるとき思い立って、ただひとり徒歩で詣でた。極楽寺・高良(こうら)などに詣で、これだけだとおもって帰った。
さて、友達に会って「長年の思いをはたした。聞いていた以上に尊くあった。それにしても、参拝していた人が皆、山に登って行ったのは何だろう。行ってみたかったけど、神に参拝することが本意だったので、山までは見なかった。」と言った。
ちょっとしたことでも、先達はあってほしいものだ。
第五十三段
これも仁和寺の法師。童が法師になろうとする名残といって、各自遊ぶことがあったとき、酔ってうかれるあまり、かたわらの足鼎(あしがなえ)に頭を押し込んで舞い出でたので、座の人は皆たいへん面白がった。
しばらく舞った後、抜こうとしたが抜けなくなってしまった。酒宴も興ざめて、どうしようとうろうろしていた。いろいろしたが、首の周りは傷つき腫れ上がって息も詰まってきた。鼎を割ろうとしても容易に割れない。医者に連れていっても医者も手の施しようがない。
また仁和寺に帰って皆で悲しんでいたが、ある者が「耳や鼻が取れても命だけは助かるであろうから、力をいれて引きなさい。」というので、首もちぎれるほど引いた。すると、耳鼻がとれたが抜くことができた。
危く命は助かったが、長く病んでいた。
第五十四段
御室にすばらしくかわいい児(ちご)がいたので、誘い出して遊ぼうと企む法師たちがいた。芸達者なあそび法師などと相談して、しゃれた折詰をつくり箱に入れて都合の良いところに埋めて紅葉をかけておいた。
そして、児を誘い出して、さっきの箱を埋めた辺りに座って、数珠をすりあわせたり、印形を結んだりしたあと、紅葉をどけてみたが何も見つからない。場所が違ったかと思って、掘らない所もないくらい探し回ったが見つからなかった。
埋めていったのを人が見ていて、児を誘いに行った後、掘り出して持っていってしまったのだった。
法師たちは言葉もなくて、腹を立てて帰っていった。
あまりに面白くしようとすると、こうなるものだ。
第五十五段
家の作り方は、夏をむねとすると良い。冬はどんなところでも住める。暑いときに悪い住居は、耐え難い。
深い水は涼しげでない。浅くて流れているのが涼しい。
細かいものを見るのに、遣戸(やりど)は蔀の間よりあかるい。天井の高いのは冬寒く、灯かりがくらい。造りは用のない所をつくるのが、見た目もおもしろく、いろんな役に立ってよいと、人々が議論した。
第五十六段
長い間離れいて久しぶりに会った人が、その人に起こったことをいろいろ喋りつづけるのはいやなものだ。
良い人が話することは、大勢の中で一人に向かって言ったようなことでも、自然にみんなが聞くものだ。
良くない人は、大勢の中に身を仱瓿訾筏啤⒔褚姢皮い毪韦瑜Δ嗽挙工韦恰⒔孕ΔをXぐ。面白いことを言っても、さほど笑わないことと、おかしくもないことを言っても、よく笑うことで、品が測られるものだ。
容姿や学問のことを議論しているとき、自分のことをひきあいに出して言うのには閉口する。
第五十七段
人が語り出した歌物語で、歌が悪いと不本意である。少しでもその道を知っている人は、優れていると思っては語らない。だいたい、よく知らないことについて語るのは、聞きづらいものだ。
第五十八段
「求道心があるなら、何も住むところに関わることはあるまい。出家後も家にいて人と交際していても、来世の極楽往生を願うのに難しいことがあろうか。」という人は、来世の往生というものを知らない人である。心静かでなければ仏道の修行は為しがたいものである。
今の人は昔の人に器量がかなわないから、たまたま世の利欲をむさぼるかと思われるようなこともあるかも知れないが、仏道に入って世を捨てるような人は、望みがあるといっても権勢の人貪欲さとは違うのである。求めるものは容易で、すぐに足りてしまうのである。
人と生まれたのなら、何とかして俗世間を逃れるのが望ましい。
第五十九段
大事を思い立つような人は、避けにくく心にかかるようなことは、そのまま元から捨ててしまうべきである。でなければ避けられないことばかり起こってしまう。
近い火で逃げる人は、「ちょっと待った。」と言うだろうか。自分の身を助けるためには、恥も財産も捨てて逃げるものである。命は人を待っていてくれない。生死のことは火や水よりも早く、逃れられないものである。
第六十段
真佋氦耸⒂H僧都という高僧がいた。
この僧都は芋がしらというものが好きでたくさん食べた。仏典を講義する席でも食べながら経典を読んだ程だし、病気のときには、治療だといって部屋にこもって、一層たくさん食べてすべての病気を治したほどであった。
この僧都は、何事もすべて自分の勝手気侭で人に合わせるということをしなかったが、人々に嫌われずすべて大目に見られていた。人徳がちゃんと出来上がっていたからだろうか。
第六十一段
高貴な方の御産のとき甑を屋根から落とすということは、必ずすると決まっているわけではない。御胞衣がとどこおって下りないときのまじないである。
第六十二段
延政門院が幼少の頃、父の御嵯峨法皇の御所に参上する人に伝言として申し上げた歌
ふたつ文字 牛の角文字 直ぐな文字
ゆがみ文字とぞ 君は覚ゆる
第六十三段
後七日の御修法の導師を勤める僧が、警固の武士を集めることは、いつのころか修法中に盗人にあったところから、このように仰々しくなってしまった。
一年の吉凶はこの修法中の有様に見えるのだから、このような法会に武士を用いるのはおだやかでないことだ。
第六十四段
「五緒(いつつお)の簾をつけた牛車は仱肴摔紊矸证摔瑜毪猡韦扦胜⒓冶藦辘袱孔罡撙喂傥护诉_したら仱毪长趣摔胜盲皮い毪猡韦馈!工趣ⅳ敕饯訾护椁欷俊
第六十五段
近頃の冠は、昔よりずっと高くなった。
第六十六段
岡本関白殿が、花盛りの紅梅の枝に雉一つがいをそろえて差し出せと、御鷹飼役(おんたかがいやく)の下毛野武勝(しもつけののたけかつ)に命じた。
武勝は「花が咲いている枝に雉を取り付ける方法は知りません。またひとつの枝に二羽をつけることも存じません。」といったので、関白殿は「それならお前の思うとおりにつけて差し出せ。」といったので、花もない梅の枝に雉一羽をつけて差し上げた。
第六十七段
上加茂神社の末社の岩本社・橋本社の祭神は、在原業平・藤原実方(さねかた)である。人々がよく二神の祭神を取り違えまちがうので、ある年、参拝したとき、年とった神官に聞いてみると「実方が祀られたのは御手洗の川に姿がうつったところとされていますから、橋本はやはり流れが近いので実方でしょう。吉水和尚が、月をめで 花をながめし いにしへの やさしき人は ここにありはら と詠んだのは岩本の社のことと聞いています。」と礼儀正しくいったのは立派だと感じ入った。
第六十八段
筑紫国に何某という押領使というような役目の者がいた。大根をすべての病気に効くといって、毎朝二つずつ焼いて食べていた。
あるとき屋敷の中に人がいないときに敵がおそってきたとき、屋敷の中に武士が二人現れて、敵を追い払ってしまった。
不思議に思って、「日ごろ見ない方ですが、どういう方ですか。」ときくと「長年頼みにして毎朝召し上がっていた大根らでごさいます。」と言って消えてしまった。
第六十九段
書写山(しょしゃざん)の性空上人(しょうくうしょうにん)は六根が清浄な境地に達している人であった。
豆を煮ている音が「わしを煮てひどいめにあわせることよ。」と聞こえ、豆殻が焚かれる音は「おれが焼かれるのもやりきれないことだが、どうにもしようのないことだ。そんなに恨みなさるな。」と聞こえたそうだ。
第七十段
元応の宮中の清暑堂の御遊のとき、玄上はすでに紛失してしまっていたが、菊亭大臣(きくていのおとど)が牧馬という琵琶をひいたとき、弦をささえる琴柱をさぐって調べていたところ、ひとつ落ちてしまった。大臣は懐にそくひ(飯粒を押しつぶして練ってつくった糊)を持っていたので、それで取り付けた。神へのお供えがさしあげられているうちによく乾いて、事無きをえた。
どういう恨みがあったのか、見物していた衣をかぶった女性が、牧馬に近づいて柱をはずし、元のようにつけておいたということである。
第七十一段
名前を聞くと、顔つきは想像できる気がするが、会ってみると予想通りの顔つきの人はいないものだ。昔物語を聞いて、今の人の家の、どこそこあたりの事と思えるし、登場人物も、今の人の中に思い当たるのだか、誰でも、そう感じるものだろうか。
また、何かの拍子に、今、人の言った事や、目にした物や、心に思った事が、以前にあったような心地がするのは、私だけの事であろうか。
第七十二段
下品なもの。座っているあたりに道具が多いの。硯に筆が多いの。仏堂に仏像が多いの。前栽に石・草木が多いの。家の中に、子や孫が大勢いるの。人に会って口数が多いの。願文に善行が多く書いてあるの。
多くてもいいのは、文車の上の書物。ごみ捨て場のごみ。
第七十三段
世の中に語り伝えるのは、事実は面白くないからか、多くは皆、うその話である。人は物事を大きく言ってしまいやすいのに、まして、年月が過ぎ、場所も離れてしまうと、言いたいように語ったり、書いたりしてしまうと、それが事実になってしまう。なにか物事の上手な人の事とかは、その道に詳しくない人は、神業の様に言うけれど、その道に詳しい人は、あまり信用しない。見ると聞くとは、何でも違うものだ。
こんなことも省みず、口にまかせて言い散らすのは、やがて根拠の無い事とわかる。自分も本当の事とは思わないながらも、聞いたままの事を話すのは、その人のうそではない。真実らしく、所々ぼかして、それでいながら辻褄をあわせて語るうそは、恐ろしい。自分のことを良く言われている嘘(根拠の無い事)は、人は強く否定しない。みんなの面白がる嘘は、「それほどでもないがなあ」と思いながら、しようがなく聞いただけでも、証人にさえされて、事実の様になってしまう。
とにもかくにも、嘘の多い世の中である。普通の、珍しくない事を心得ていれば、万事間違いがない。世の人の言う事は、驚く事ばかり。良い人は不思議な事を語らない。
そうは言っても、仏神の霊験者の伝記の場合は、信じるべきでないということではない。だいたいは、頭から信用せず、しかし、疑って嘲るべきではない。(訳中で「うそ」としているところは、根拠のない話といったニュアンスだと思います。)
第七十四段
蟻のように集まって、東奔西走、身分の高い人、低い人、老いた人、若い人、行く所があり、帰る家があり、夜寝て、朝起きて、いったい一生懸命何をやっているのか。生を貪り、利益を求めて、止まることがない。
自身を養って何を期待するのか。ただ、老いと死である。それが、やってくるのは速く、そして、止まることがない。迷える人は、このことを恐れない。利益に溺れ、先の短いことを反省しないからである。愚かな人は、この、先の短いことを悲しむ。人生が永遠に続くことを願って、変化の理を知らないからである。
第七十五段
たいくつなのをつらく思う人は、どういう気持ちなのだろう。他に気がいかず、ただひとりあるのがよい。
世間にしたがえば、心が外の塵に惑わされやすい、人と交際すれば、言葉が人に聞いたものに流され、自分の気持ちでない。人とたわむれ、争い、恨んだり、喜んだり、落ち着くことがない。迷っている上に、酔って夢を見ているのだ。人は、みな忙しくて、このような調子である。
いまだに真の道を知らなくとも、世間を離れて心静かにしてこそ、しばらく楽しめるといえるだろう。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁をやめよ」と摩訶止観にもある。
第七十六段
はなやかな人のところに人々が大勢訪問する中に、聖法師が混じって取り次ぎを乞うてたたずんでいるのは、そんな事をしなくてもと思う。
法師は、人と疎遠なのがよかろう。
第七十七段
世の中のうわさ話などを知っているはずのない人がよく知っていて、人に話したり聞いたりしているのは納得がいかない。ことに片田舎にいる聖法師などが言い散らしているらしい。
第七十八段
いま風の珍しい事などを、言い広めてもてはやすことは、納得いかない。世間にいいふるされたことまでも知らない人は、好ましい。
はじめての人がいるときなど、自分達にはなじみ深い事柄や、物の名などを片言だけ言って、目を見合わせて笑いあうなどして、その事をよく知らない人に居心地悪くさせることは、世間慣れせず教養の低い人が必ずする事である。
第七十九段
何事も、立ち入らないようにするのがよい。優れた人は、知っている事でも、さほど知っているように言うだろうか。片田舎から出てきた人の方が、何でも心得ているかのように返事をする。すると、世間の方で恥ずかしい事もあるが、自分で立派だと思っている様子が愚かである。
よく知っている事には、必ずあまり話さず、聞かれない限りは、自分から話さないのがよい。
第八十段
誰もかれも、自分に縁遠い事ばかりを好んでいるようだ。法師ばかりでなく、上達部(かんだちめ)、殿上人にも武術を好む人が多い。
生きている間は、武勇を誇ってはいけない。武道というものは、人間の道にはずれ鳥か獣に近い行為で、武士の家柄でないのに好んでも無益な事だ。
第八十一段
屏風や障子などの絵でも文字でも、見苦しい筆づかいで書いてあるのは、その家の主人が下品に見える。古風のようで大げさでなく、出費も少なくて品質の上等なのがよいのである。
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