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徒然草

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发表于 2003-11-30 23:00:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
徒 然 草



つれづれなるままに・・・。つれづれ草という題名は兼好法師の死後、歌人今川了俊によってつけられたと三条実枝の崑玉集(こんぎょくしゅう)という本に出ているそうです。本文は兼好本人が書いてまとめたものと見るのが定説だそうです。

 成立は1330年末から1331年秋にかけての兼好が48・9歳ころという説が最も有力ですが、序段から30段あたりまでは19年ほど前の執筆ではないかという説もあるそうです。

 上下2巻、序段と243段の文からなっています。その文体は、和文体・和漢混交文体・説話体が使い分けられているということです。

 作者は卜部兼好(うらべかねよし)。出家して兼好。生年1283ころで没年は不明(1351年以降まもなく?)

 このページは、文法全解 徒然草(旺文社)と、新編 日本古典文学全集 徒然草(小学館)をもとに作成して参ります。

序 段 から



序段



 つれづれなるままに、日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。





第一段



 さて、この世に生まれたら願うことが多い。

 天皇の御位は畏れ多いことである。

 摂政・関白のごようすはいうまでもないことだ。それ以外の貴族も舎人などをいただく身分の者はすばらしいと思う。

 それより低い身分のもので吡激鍪坤筏郡猡韦靡忸啢扦ⅳ毪韦锨椁堡胜い猡韦扦ⅳ搿I畟Hほどうらやましくないものはない。しかし一途に世を捨てた人は望ましい点もあることだろう。

 人は容姿が優れているのが望ましいが、生まれつきのものなのでしかたないが、心は賢くできるものだ。容姿が良くても学問がなくなると、家柄の低い人や容姿に劣る人にも圧倒されてしまう。

 身につけておきたいことは、本格的な学問の道、作文、和歌、管絃の道。また有職と公事で人の手本となることはすばらしいことだ。

 字がきれいで、美声で、下戸でないのが男性としてよいことだ。



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 楼主| 发表于 2003-11-30 23:00:00 | 显示全部楼层


第二段



 昔の聖天子の政治を忘れ、人民の嘆きや国の衰えるのもしらずに、華美にして威張っているのは思慮が足りないと見える。九条殿の遺誡にも「美麗をもとめてはいけない。」とあるし、順徳院が禁中のことを書いたものにも、「天皇のお召し物は、簡素なものがよいとする。」と書いてある。





第三段



 万事にすぐれていても、恋心を解さない男はものたりなくて、玉の杯の底がないもののような心地がするに違いない。





第四段



 後の世のことを心に持して忘れず、仏の道に疎くないのは奥ゆかしい。





第五段



 不幸にあって深い悲しみに沈んでいる人が、ひっそりと暮らしているようなふうでありたいものだ。

 顕基中納言(あきもとのちゅうなごん)が「配所の月を罪なくして見たい」といったというが、そう思う。





第六段



 我が身が高貴であってもそうでなくても子は無い方が良いだろう。

 前中書王(さきのちゅうしょおう)九条太政大臣花園左大臣も一族が絶えることを願ったし、染殿大臣(そめどののおとど)も世継の翁の物語に記した。聖徳太子も「子孫を絶えさせようと思う。」と言ったそうだ。





第七段



 ずっとこの世に住んでいられるのなら、もののあわれといったものもないであろう。この世は無常であるのがすばらしい。

 命あるもののなかで、人ほど長生きのものはない。かげろうは夕を待たずに死に、蝉は春秋を知らない。

 いつまでも物足りずに千年もすごしても、たった一夜の夢のような心地がするであろう。いつまでも住んでいられるわけではないこの世に、みにくい姿を迎えたところで何になろうか。命長ければ、辱多し。





第八段

 世の人の心を惑わすものに色情にまさるものはない。人の心は愚かなものだ。

 匂いなどは仮のものなのに、しばらく衣裳にたきこんだものであると知っていながら、、よい匂いには心がどきどきしてしまう。

 久米の仙人が、洗濯をしている女性のすねを見て神通力を失ったというが、そんなこともあるだろう。





第九段

 女性は髪の美しい人こそ人目をひきつけるようだ。

 人柄や気だては、何か言っている様子だけでもわかるものだ。

 愛執の道だけは根の深いものなので、自ら戒めて恐れも慎みもしなければならない。





第十段

 住まいの感じがいいのは、仮の宿とはいえ興味があることだ。

 身分が高く教養のある人が、ゆったりと古風な感じで住んでいるのは、実に奥ゆかしい。しかし、珍しい調度品をならべたり、前栽まで手を加えて作ってあるのはいただけない。すまいによって、心のほどは推測できる。

 後徳大寺大臣が、寝殿に鳶をとまらせまいと縄を張ったのを西行が見て、その後は参上しなかったと聞いたが、綾小路宮(あやのこうじのみや)の小坂殿の棟に、いつだったか縄をひいたことがあって、先ほどの例が思い出されたが、からすが池の蛙をとるのをみてかわいそうに思ってされたと人から聞き、それならばりっぱなことだと思った。

 徳大寺殿にも何か理由があったのだろうか。





第十一段

 陰暦十月ころ、栗栖野という所を通って、ある山里に訪ねていったことがありました。

 苔の生えた細道に、静かな庵がある。閼伽棚(あかだな)に菊や紅葉が折って置いてあるのは、人が住んでいるからなのだろう。

 しみじみ感じ入って見ていると、あちらの庭に実がたわわになった、大きな蜜柑の木があって、その周りをしっかり囲ってあったのが少し興ざめで、この木がなかったらなあと思った。





第十二段

 同じ気持ちの人としみじみと、興味のある事や世の中のことを話しするのは楽しいけれども、そんな人はなかなかいないので、あまり違ったことを言わないようにと話していると、ひとりでいるような気がする。

 概ね気のあう人と議論できると慰められるが、気のあわない人とは世間話をしている内はいいが、心の友とはずっと距離があるのはさびしいことだ。



第十三段

 一人で灯火のもとで読書するのは楽しい。文は、文選、白氏文集、老子、南華の篇。日本の博士が書いたのも古いものはよい。



第十四段

 和歌は面白い。 が、近頃のは言外に感じいるものが無い。歌の道は昔から変わらないという事もあるが、そうだろうか。同じ詞・歌枕も昔のものは同じではない。すなおで清く、興趣も深い。



第十五段

 どこでも旅をするのは気分がすっきりする。あちこち見て歩くのも楽しいし、都に手紙を送るのも楽しい。 寺社に人目をしのんでこもるのも楽しい。



第十六段

 神楽は優雅で趣が深い。楽器の音は笛・篳篥(ひちりき)がよい。いつでも聞きたいのは琵琶や和琴である。



第十七段

 山寺にひきこもって仏に仕えているときこそ、心も清まる心地がする。



第十八段

 人は、質素に贅沢せず欲深くしないのがよい。昔から賢い人が裕福なのは稀である。 唐土の許由(きよゆう)という人は、水も手ですくって飲んでいる風で事足りていたので、瓢箪さえもっていなかった。孫晨(そんしん)という人は冬でも藁一束で夜は寝て、朝にはこれをしまった。 唐土の人はこれに感心したから後世に伝えたが、こちらの人は伝えもしない。



第十九段

 折節の、移りかはるこそ、ものごとにあはれなれ。・・・ この段は春夏秋冬の趣きのある事を語っています。源氏物語・枕草子を意識したのでしょうか。ぜひ、原文をご覧ください。



第二十段

 何某とかいう世捨人が「俗世間には束縛される縁を持たない身だが、自然への名残だけが惜しまれる。」といったが、まったくそのとおりだと思う。



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 楼主| 发表于 2003-11-30 23:00:00 | 显示全部楼层
第二十一段

 すべての事は月を見てこそ慰められるものだ。 ある人が「月ほどに面白いものはない」といったら、「露のほうが趣がある」と言い合ったが、その時々で何でも趣が深いものであろう。 月・花・風・水、それぞれに結構なものだ。 第二十二段

 何事でも古い時代ばかりが慕わしい。当世のものは下品になっていくようだ。 手紙の言葉などは、昔の反古類に書いてあるものは立派なものだ。 日常の会話の言葉も情けないものになっていく。



第二十三段

 おとろえた末世とはいえ、皇居の神々しい有様は結構なものだ。



第二十四段

 斎王が野宮にいる有様は優美で趣のある極みと思える。 すべて神社は心ひかれる優雅なものだ。ことに趣のあるのは、伊勢、賀茂、春日、平野、住吉、三輪、貴布禰、吉田、大原野、松尾、梅宮の諸社である。



第二十五段

 無常な世に昔を語る、古い尊い場所の跡はなんとも儚いものだ。

 京極殿・法成寺。御堂殿(藤原道長)が立派に作ったが、正和年間に南門は焼け、金堂は倒壊したままである。無量寿院だけが残っている。行成大納言の額、兼行(源兼行)が書いた扉があざやかに見えるのはあわれである。法華堂などもまだあるが、いつまであるだろうか。

 何事も見る事ができない世まで、考えておくのは儚い事だ。





第二十六段

 人が心変わりして自分とは関係なくなってしまうのは、世の習いとはいえ悲しい事だ。

 堀川院(ほりかわのいん)の百首和歌の中に、こういう一首がある。

 むかし見し妹が墻根(かきね)は荒れにけり

     つばなまじりの菫(すみれ)のみして





第二十七段

 譲位の儀式が行われて、三種の神器をお譲りするときは心さびしいことである。

 花園上皇が位を退いた春、詠まれたそうだ。

     殿守のとものみやつこよそにして

          掃はぬ庭に花ぞ散りしく

 新帝の公務が忙しいのにまぎれて、院のところにくる人もなかったのがさびしそうだ。





第二十八段

 諒闇の年ほど感慨の深いことはないだろう。

 服喪の始め十三日間こもる宮中の仮屋は質素で、廷臣たちの装束などもいつもとちがっているのは特別厳粛に感じられる。







第二十九段

 静かに考えると、過ぎ去った昔が恋しいのみだ。

 人が寝静まってから昔の反古などを片づけていると、亡くなった人の字や絵などが出てきて、当時のことが偲ばれる。

故人の使っていた道具などが変わらず残っているのは悲しいことだ。







第三十段

 人の死ほど悲しいことはない。

 四十九日の間法要を営んでいるのは、気ぜわしくすぐ過ぎてしまう。自分の住処に帰ってからが、悲しく思うことが多い。

 故人はいずれ忘れられ、故人を知っている人もいなくなり、そのうちに墓も無くなってしまうのは、悲しいことだ。







第三十一段

 雪が降った朝、用があって人のもとへ手紙を送ったら、返事に「この雪のことを一言も書かずにいるような、ひねくれた人のいうことは聞けましょうか」と返事が来た。今は亡き人のことなので、こんなことも忘れられない。





第三十二段

 九月二十日のころ、ある人の誘いで夜明けまで月を見て歩いたことがあった。

その人は少し思い出したことがあって、ある家に入った。

その人は程好いころに出てきたが、その家の主人は出入り口を少し開けて、月を見ている様子であった。

このような優雅な振る舞いは平素の心がけによるものだろう。

その人はその後まもなく亡くなってしまったと聞いた。



第三十三段

 現在の内裏を造ったとき、有職の人々はどこにも欠点はないといったのに、玄輝門院(げんきもんいん)が見たところ、閑院の里内裏の櫛形の穴が違っているのを指摘されたのは、すばらしいことだ。





第三十四段

 甲香(かいこう)は、ほら貝のような形で、ほら貝より小さく、口のへんが細長く突き出ている貝のふたである。





第三十五段

 字の下手な人が文をどんどん書くのは良い。下手だからといって人に書かせるのはいやだ(良くない)。





第三十六段

 「長い間女性の家を訪ねないでいたら、女性の方から「下男がおりますか。一人貸してください。」と言ってよこした。思いかけなく、うれしいものだ。そういう気立てを持っている女性こそ好ましいものだ。」と、ある人が言っていたが、もっともなことだ。





第三十七段

 毎日親しくしている人が、何かの時にあらたまった様子に見えると、教養のある上品な人だと思える。あまりなじみの深くない人が、うちとけた話などをするもの、また、良い人だと思う。





第三十八段

 名誉や利益に使われて静かな時間もなく一生苦しむのは愚かなことだ。

財産が多いと身を守るのに事欠く。金は山に捨て、玉は淵に投げるべし。利に惑うのは愚かな人だ。 名を長く世に残すのは望ましい。位が高く身分が尊いということだけを、すぐれた人というべきであろうか。時勢で得た高い位もあるだろうし、賢人や聖人で自ら低い地位に降りた人も多い。ただ高い位を求めるのも愚かである。

 つらつら思えば、名誉を愛するのは人の評判を喜んでいるのだ。誉める人も、そしる人も世にとどまらず、伝え聞く人もまた、いなくなってしまう。こういう名誉を願うのも愚かなことだ。

 学んで知るのは本当の知ではない。可不可は一つのものでどちらを善というのか。まことの人は智もなく、徳もなく、功もなく、名もない。誰も知らない、誰も伝えない。もともと賢愚・得失の境にいないからである。

 すべての事はみな非なり。言うにたらず、願うにたらず。





第三十九段

 ある人が法然(ほうねん)上人に「念仏のときに眠くなって行を怠ることがあります。どのようにこの障害をとったらよいでしょうか。」と申し上げたところ、「目のさめているときに念仏しなさい。」と答えられた。なんとも尊いことだ。また「往生はできると思えばできる。できないとおもえばできない。」といわれた。これも尊いことだ。また、「疑いながらでも念仏すれば往生する。」ともいわれた。これもまた尊いことだ。





第四十段

 因幡国にいた何某入道とかいう者の娘が大変きれいで、多勢が求婚したが、この娘はただ栗だけを食べて、米の類を食べなかったので「こんな変わった者は、結婚すべきでない。」と、許さなかった。





第四十一段

 五月五日に賀茂神社の競馬を見物したときに、大勢の人出で馬場に寄れなかった。そんな時、向こうの楝(おうち)の木に登って木のまたで見物している法師がいた。木に取り付きながら居眠りをしていて落ちそうになること度々であった。これを見ていた人々は「あんな危ない枝の上で、安心して寝ている、ばかなことだ。」と笑ったりあきれたりしていた。私は心に浮かんだままに、「われらの生死の到来はたった今あるかもしれない。それを忘れて見物して暮らす。愚かであることは、まさっているものを。」と言った。前にいる人は「もっとも、そのとおりでした。」と場所を空けて呼び入れた。

 これくらいの道理は誰でも思い付くが、折りから思いがけなかったので胸にあたったのだろう。人は木石ではないので、時によっては物に感ずることがないこともない。





第四十二段

 唐橋中将(からはしのちゅうじょう)という人の子で、行雅(ぎょうが)僧都という人がいた。不思議な病気で死んでしまった。





第四十三段

 晩春のころ、のどかな空のもと賤しくない人の家があって、その何となく古い良い感じの邸の中に顔立ちのきれいな男が(二十歳くらいの)ゆったりした様子で書物を見ていた。





第四十四段

 粗末な竹で編んだ戸の中から、たいそう若い男が小さな童子を一人従えて、田の中の細道を歩いていく。歩きながら笛を見事に吹き興じている。

 行く先が知りたくてあとをついていくと、山のふもとの惣門のある家に入った。

 本堂には僧が集まっている。秋の半ばごろで夜寒の風にのってくる香のにおい。虫の音。遣り水の音。都の空より雲の行き来も早い気がして、月が晴れたり曇ったり定めがたい。





第四十五段

 従二位藤原公世の兄で、良覚僧正(りょうがくそうじょう)という人は、とてもおこりっぽい人だった。

 坊のかたわらに大きな槫文兢ⅳ盲郡韦侨恕─稀笜の木の僧正」と呼んだが、この名が気に入らないと、その木を切ってしまった。しかし、その根があったので今度は「きりくひの僧正」と呼ばれた。いよいよ腹を立てて、きりくひを掘り捨てたところ、その跡が大きな堀になったので、「堀池(ほりけ)の僧正」と呼ばれた。





第四十六段

 柳原の辺りに「強盗法院(ごうどうのほういん)」と呼ばれた僧がいた。たびたび強盗にあったので、この名をつけられたということだ。





第四十七段

 ある人が清水寺に参詣したとき、老いた尼さんと道連れになった。道中「くさめ くさめ」と言いながら行ったので「尼御前、なにをこのようにいっているのですか。」と尋ねたが返事もせず、言い止めもしなかった。たびたび尋ねられ、すこし腹を立てて「くしゃみをしたとき、こう、おまじないをしないと死ぬというので、比叡の山にいる養い君が今くしゃみをするかもしれないと思い、こう申しているのですよ。」といった。

 なかなか無い志であったことだ。





第四十八段

 光親卿(みつちかのきょう)が後鳥羽上皇の院の御所で行われた、最勝講の奉行の役をして仕えていたのを、御前に召して食事をさせた。光親卿は食べ終わった食器をのせた衝重(ついがさね)を、御簾の中に入れて退出した。女房たちが「まあきたない。誰に片づけろというのでしょう。」というと、上皇は「故実をわきまえたやりかたで、りっぱなことだ。」と繰り返し感心したとの事である。





第四十九段

 老年になってから仏道修行しようと待っていてはいけない。古い墓の多くは若いうちに亡くなった人のものである。「昔いた高僧は、人が来て用事をいうとき、「今、急ぐことがあって、もう朝夕に迫っている。」と耳をふさいで念仏をして、ついに往生を遂げた。」と禅林の十因にある。心戒という高僧は、あまりにこの世がかりそめであることを思い、静かに座っていることなく、常に落ち着かないで、ひざを立ててしゃがんでいたということだ。





第五十段

 応長の頃伊勢の国から、女が鬼になったのを誰かが連れて、京都にきたという事があって、そのころ二十日間ほど毎日、京・白川の人たちが鬼を見ようと出歩いた。

 「昨日は西園寺へ参上していた、今日は上皇の御所へ参上するだろう。今は、どこどこにいる。」などと言い合っていた。しかし、本当に見たという人もなく、うそだという人も無い。ただ、鬼のことばかり言っていた。

 そのころ、東山から安居院(あぐゐ)のあたりへいったところ、人々が「一条室町に鬼がいる。」とさわぎたてて走っていく。人をやって見させると、やっぱり鬼にあったものはいない。日が暮れるまでこんな大騒ぎをして、しまいには喧嘩が起こってあきれかえるということもあった。

 そのころ世間で二・三日間、人々が病気になるといったことがあったのを、あの鬼の話は、この病気のまえぶれであったという人もいた。



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 楼主| 发表于 2003-11-30 23:00:00 | 显示全部楼层


第五十一段

 後嵯峨院が、亀山離宮の池に大井川の水をお引きになろうとして、大井の土地の人にお命じになって水車を作らせた。しかし、すこしも回らないで役に立たなかったので、今度は宇治の人々をお呼びになってつくらせた。この水車は思い通りに水を汲みいれた。

 何でもその道を知ったものは尊いものである。





第五十二段

 仁和寺にいたある僧が、年をとるまで石清水(いわしみず)に参拝しなかったのを残念に思って、あるとき思い立って、ただひとり徒歩で詣でた。極楽寺・高良(こうら)などに詣で、これだけだとおもって帰った。

 さて、友達に会って「長年の思いをはたした。聞いていた以上に尊くあった。それにしても、参拝していた人が皆、山に登って行ったのは何だろう。行ってみたかったけど、神に参拝することが本意だったので、山までは見なかった。」と言った。

 ちょっとしたことでも、先達はあってほしいものだ。





第五十三段

 これも仁和寺の法師。童が法師になろうとする名残といって、各自遊ぶことがあったとき、酔ってうかれるあまり、かたわらの足鼎(あしがなえ)に頭を押し込んで舞い出でたので、座の人は皆たいへん面白がった。

 しばらく舞った後、抜こうとしたが抜けなくなってしまった。酒宴も興ざめて、どうしようとうろうろしていた。いろいろしたが、首の周りは傷つき腫れ上がって息も詰まってきた。鼎を割ろうとしても容易に割れない。医者に連れていっても医者も手の施しようがない。

 また仁和寺に帰って皆で悲しんでいたが、ある者が「耳や鼻が取れても命だけは助かるであろうから、力をいれて引きなさい。」というので、首もちぎれるほど引いた。すると、耳鼻がとれたが抜くことができた。

 危く命は助かったが、長く病んでいた。





第五十四段

 御室にすばらしくかわいい児(ちご)がいたので、誘い出して遊ぼうと企む法師たちがいた。芸達者なあそび法師などと相談して、しゃれた折詰をつくり箱に入れて都合の良いところに埋めて紅葉をかけておいた。

 そして、児を誘い出して、さっきの箱を埋めた辺りに座って、数珠をすりあわせたり、印形を結んだりしたあと、紅葉をどけてみたが何も見つからない。場所が違ったかと思って、掘らない所もないくらい探し回ったが見つからなかった。

 埋めていったのを人が見ていて、児を誘いに行った後、掘り出して持っていってしまったのだった。

 法師たちは言葉もなくて、腹を立てて帰っていった。

 あまりに面白くしようとすると、こうなるものだ。





第五十五段

 家の作り方は、夏をむねとすると良い。冬はどんなところでも住める。暑いときに悪い住居は、耐え難い。

 深い水は涼しげでない。浅くて流れているのが涼しい。

 細かいものを見るのに、遣戸(やりど)は蔀の間よりあかるい。天井の高いのは冬寒く、灯かりがくらい。造りは用のない所をつくるのが、見た目もおもしろく、いろんな役に立ってよいと、人々が議論した。





第五十六段

 長い間離れいて久しぶりに会った人が、その人に起こったことをいろいろ喋りつづけるのはいやなものだ。

 良い人が話することは、大勢の中で一人に向かって言ったようなことでも、自然にみんなが聞くものだ。

 良くない人は、大勢の中に身を仱瓿訾筏啤⒔褚姢皮い毪韦瑜Δ嗽挙工韦恰⒔孕ΔをXぐ。面白いことを言っても、さほど笑わないことと、おかしくもないことを言っても、よく笑うことで、品が測られるものだ。

 容姿や学問のことを議論しているとき、自分のことをひきあいに出して言うのには閉口する。





第五十七段

 人が語り出した歌物語で、歌が悪いと不本意である。少しでもその道を知っている人は、優れていると思っては語らない。だいたい、よく知らないことについて語るのは、聞きづらいものだ。





第五十八段

「求道心があるなら、何も住むところに関わることはあるまい。出家後も家にいて人と交際していても、来世の極楽往生を願うのに難しいことがあろうか。」という人は、来世の往生というものを知らない人である。心静かでなければ仏道の修行は為しがたいものである。

 今の人は昔の人に器量がかなわないから、たまたま世の利欲をむさぼるかと思われるようなこともあるかも知れないが、仏道に入って世を捨てるような人は、望みがあるといっても権勢の人貪欲さとは違うのである。求めるものは容易で、すぐに足りてしまうのである。

 人と生まれたのなら、何とかして俗世間を逃れるのが望ましい。





第五十九段

 大事を思い立つような人は、避けにくく心にかかるようなことは、そのまま元から捨ててしまうべきである。でなければ避けられないことばかり起こってしまう。

 近い火で逃げる人は、「ちょっと待った。」と言うだろうか。自分の身を助けるためには、恥も財産も捨てて逃げるものである。命は人を待っていてくれない。生死のことは火や水よりも早く、逃れられないものである。





第六十段

 真佋氦耸⒂H僧都という高僧がいた。

 この僧都は芋がしらというものが好きでたくさん食べた。仏典を講義する席でも食べながら経典を読んだ程だし、病気のときには、治療だといって部屋にこもって、一層たくさん食べてすべての病気を治したほどであった。

 この僧都は、何事もすべて自分の勝手気侭で人に合わせるということをしなかったが、人々に嫌われずすべて大目に見られていた。人徳がちゃんと出来上がっていたからだろうか。





第六十一段

 高貴な方の御産のとき甑を屋根から落とすということは、必ずすると決まっているわけではない。御胞衣がとどこおって下りないときのまじないである。





第六十二段

 延政門院が幼少の頃、父の御嵯峨法皇の御所に参上する人に伝言として申し上げた歌

 ふたつ文字 牛の角文字 直ぐな文字

       ゆがみ文字とぞ 君は覚ゆる





第六十三段

 後七日の御修法の導師を勤める僧が、警固の武士を集めることは、いつのころか修法中に盗人にあったところから、このように仰々しくなってしまった。

 一年の吉凶はこの修法中の有様に見えるのだから、このような法会に武士を用いるのはおだやかでないことだ。





第六十四段

 「五緒(いつつお)の簾をつけた牛車は仱肴摔紊矸证摔瑜毪猡韦扦胜⒓冶藦辘袱孔罡撙喂傥护诉_したら仱毪长趣摔胜盲皮い毪猡韦馈!工趣ⅳ敕饯訾护椁欷俊





第六十五段

 近頃の冠は、昔よりずっと高くなった。





第六十六段

 岡本関白殿が、花盛りの紅梅の枝に雉一つがいをそろえて差し出せと、御鷹飼役(おんたかがいやく)の下毛野武勝(しもつけののたけかつ)に命じた。

 武勝は「花が咲いている枝に雉を取り付ける方法は知りません。またひとつの枝に二羽をつけることも存じません。」といったので、関白殿は「それならお前の思うとおりにつけて差し出せ。」といったので、花もない梅の枝に雉一羽をつけて差し上げた。





第六十七段

 上加茂神社の末社の岩本社・橋本社の祭神は、在原業平・藤原実方(さねかた)である。人々がよく二神の祭神を取り違えまちがうので、ある年、参拝したとき、年とった神官に聞いてみると「実方が祀られたのは御手洗の川に姿がうつったところとされていますから、橋本はやはり流れが近いので実方でしょう。吉水和尚が、月をめで 花をながめし いにしへの やさしき人は ここにありはら と詠んだのは岩本の社のことと聞いています。」と礼儀正しくいったのは立派だと感じ入った。





第六十八段

 筑紫国に何某という押領使というような役目の者がいた。大根をすべての病気に効くといって、毎朝二つずつ焼いて食べていた。

 あるとき屋敷の中に人がいないときに敵がおそってきたとき、屋敷の中に武士が二人現れて、敵を追い払ってしまった。

 不思議に思って、「日ごろ見ない方ですが、どういう方ですか。」ときくと「長年頼みにして毎朝召し上がっていた大根らでごさいます。」と言って消えてしまった。





第六十九段

 書写山(しょしゃざん)の性空上人(しょうくうしょうにん)は六根が清浄な境地に達している人であった。

 豆を煮ている音が「わしを煮てひどいめにあわせることよ。」と聞こえ、豆殻が焚かれる音は「おれが焼かれるのもやりきれないことだが、どうにもしようのないことだ。そんなに恨みなさるな。」と聞こえたそうだ。





第七十段

 元応の宮中の清暑堂の御遊のとき、玄上はすでに紛失してしまっていたが、菊亭大臣(きくていのおとど)が牧馬という琵琶をひいたとき、弦をささえる琴柱をさぐって調べていたところ、ひとつ落ちてしまった。大臣は懐にそくひ(飯粒を押しつぶして練ってつくった糊)を持っていたので、それで取り付けた。神へのお供えがさしあげられているうちによく乾いて、事無きをえた。

 どういう恨みがあったのか、見物していた衣をかぶった女性が、牧馬に近づいて柱をはずし、元のようにつけておいたということである。





第七十一段

 名前を聞くと、顔つきは想像できる気がするが、会ってみると予想通りの顔つきの人はいないものだ。昔物語を聞いて、今の人の家の、どこそこあたりの事と思えるし、登場人物も、今の人の中に思い当たるのだか、誰でも、そう感じるものだろうか。

 また、何かの拍子に、今、人の言った事や、目にした物や、心に思った事が、以前にあったような心地がするのは、私だけの事であろうか。



第七十二段

 下品なもの。座っているあたりに道具が多いの。硯に筆が多いの。仏堂に仏像が多いの。前栽に石・草木が多いの。家の中に、子や孫が大勢いるの。人に会って口数が多いの。願文に善行が多く書いてあるの。

 多くてもいいのは、文車の上の書物。ごみ捨て場のごみ。



第七十三段

 世の中に語り伝えるのは、事実は面白くないからか、多くは皆、うその話である。人は物事を大きく言ってしまいやすいのに、まして、年月が過ぎ、場所も離れてしまうと、言いたいように語ったり、書いたりしてしまうと、それが事実になってしまう。なにか物事の上手な人の事とかは、その道に詳しくない人は、神業の様に言うけれど、その道に詳しい人は、あまり信用しない。見ると聞くとは、何でも違うものだ。

 こんなことも省みず、口にまかせて言い散らすのは、やがて根拠の無い事とわかる。自分も本当の事とは思わないながらも、聞いたままの事を話すのは、その人のうそではない。真実らしく、所々ぼかして、それでいながら辻褄をあわせて語るうそは、恐ろしい。自分のことを良く言われている嘘(根拠の無い事)は、人は強く否定しない。みんなの面白がる嘘は、「それほどでもないがなあ」と思いながら、しようがなく聞いただけでも、証人にさえされて、事実の様になってしまう。

 とにもかくにも、嘘の多い世の中である。普通の、珍しくない事を心得ていれば、万事間違いがない。世の人の言う事は、驚く事ばかり。良い人は不思議な事を語らない。

 そうは言っても、仏神の霊験者の伝記の場合は、信じるべきでないということではない。だいたいは、頭から信用せず、しかし、疑って嘲るべきではない。(訳中で「うそ」としているところは、根拠のない話といったニュアンスだと思います。)



第七十四段

 蟻のように集まって、東奔西走、身分の高い人、低い人、老いた人、若い人、行く所があり、帰る家があり、夜寝て、朝起きて、いったい一生懸命何をやっているのか。生を貪り、利益を求めて、止まることがない。

 自身を養って何を期待するのか。ただ、老いと死である。それが、やってくるのは速く、そして、止まることがない。迷える人は、このことを恐れない。利益に溺れ、先の短いことを反省しないからである。愚かな人は、この、先の短いことを悲しむ。人生が永遠に続くことを願って、変化の理を知らないからである。



第七十五段

 たいくつなのをつらく思う人は、どういう気持ちなのだろう。他に気がいかず、ただひとりあるのがよい。

 世間にしたがえば、心が外の塵に惑わされやすい、人と交際すれば、言葉が人に聞いたものに流され、自分の気持ちでない。人とたわむれ、争い、恨んだり、喜んだり、落ち着くことがない。迷っている上に、酔って夢を見ているのだ。人は、みな忙しくて、このような調子である。

 いまだに真の道を知らなくとも、世間を離れて心静かにしてこそ、しばらく楽しめるといえるだろう。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁をやめよ」と摩訶止観にもある。





第七十六段

 はなやかな人のところに人々が大勢訪問する中に、聖法師が混じって取り次ぎを乞うてたたずんでいるのは、そんな事をしなくてもと思う。

 法師は、人と疎遠なのがよかろう。





第七十七段

 世の中のうわさ話などを知っているはずのない人がよく知っていて、人に話したり聞いたりしているのは納得がいかない。ことに片田舎にいる聖法師などが言い散らしているらしい。





第七十八段

 いま風の珍しい事などを、言い広めてもてはやすことは、納得いかない。世間にいいふるされたことまでも知らない人は、好ましい。

 はじめての人がいるときなど、自分達にはなじみ深い事柄や、物の名などを片言だけ言って、目を見合わせて笑いあうなどして、その事をよく知らない人に居心地悪くさせることは、世間慣れせず教養の低い人が必ずする事である。



第七十九段

 何事も、立ち入らないようにするのがよい。優れた人は、知っている事でも、さほど知っているように言うだろうか。片田舎から出てきた人の方が、何でも心得ているかのように返事をする。すると、世間の方で恥ずかしい事もあるが、自分で立派だと思っている様子が愚かである。

 よく知っている事には、必ずあまり話さず、聞かれない限りは、自分から話さないのがよい。





第八十段

 誰もかれも、自分に縁遠い事ばかりを好んでいるようだ。法師ばかりでなく、上達部(かんだちめ)、殿上人にも武術を好む人が多い。

 生きている間は、武勇を誇ってはいけない。武道というものは、人間の道にはずれ鳥か獣に近い行為で、武士の家柄でないのに好んでも無益な事だ。





第八十一段

 屏風や障子などの絵でも文字でも、見苦しい筆づかいで書いてあるのは、その家の主人が下品に見える。古風のようで大げさでなく、出費も少なくて品質の上等なのがよいのである。











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发表于 2003-12-1 23:00:00 | 显示全部楼层
还有吗?
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发表于 2003-12-2 23:00:00 | 显示全部楼层
谢谢楼主!!呵呵

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发表于 2004-1-10 23:00:00 | 显示全部楼层
还有呢??????
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发表于 2005-12-20 16:52:47 | 显示全部楼层
有中文的译文吗?
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发表于 2005-12-26 09:15:02 | 显示全部楼层
我想要中文的译文,能提供一下吗?摆脱了!
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发表于 2005-12-26 12:51:20 | 显示全部楼层
还有呢?
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发表于 2005-12-29 22:07:13 | 显示全部楼层
请问徒然草的日语现代文哪里有得买?
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发表于 2006-4-18 18:12:35 | 显示全部楼层
中文的有吗?
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