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泉鏡花~高野聖

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发表于 2004-10-29 15:37:34 | 显示全部楼层 |阅读模式
  高野聖
泉鏡花



     一   

「参郑à丹螭埭Γ┍静烤幾耄à丐螭丹螅─蔚貒恧颏蓼坷R開(くりひら)いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触(さわ)るさえ暑くるしい、旅の法衣(ころも)の袖(そで)をかかげて、表紙を附(つ)けた折本になってるのを引張(ひっぱ)り出した。
 飛騨(ひだ)から信州へ越(こ)える深山(みやま)の間道で、ちょうど立休らおうという一本の樹立(こだち)も無い、右も左も山ばかりじゃ、手を伸(の)ばすと達(とど)きそうな峰(みね)があると、その峰へ峰が仱辍o(いただき)が被(かぶ)さって、飛ぶ鳥も見えず、雲の形も見えぬ。
 道と空との間にただ一人我ばかり、およそ正午(しょうご)と覚しい極熱(ごくねつ)の太陽の色も白いほどに冴(さ)え返った光線を、深々と戴(いただ)いた一重(ひとえ)の檜笠(ひのきがさ)に凌(しの)いで、こう図面を見た。」
 旅僧(たびそう)はそういって、握拳(にぎりこぶし)を両方枕(まくら)に仱弧ⅳ饯欷穷~を支えながら俯向(うつむ)いた。
 道連(みちづれ)になった上人(しょうにん)は、名古屋からこの越前敦賀(えちぜんつるが)の旅晃荩à悉郡搐洌─死搐啤⒔瘠筏空恧司亭い繒rまで、私(わたし)が知ってる限り余り仰向(あおむ)けになったことのない、つまり傲然(ごうぜん)として物を見ない質(たち)の人物である。
 一体東海道掛川(かけがわ)の宿(しゅく)から同じ汽車に仱杲Mんだと覚えている、腰掛(こしかけ)の隅(すみ)に頭(こうべ)を垂れて、死灰(しかい)のごとく控(ひか)えたから別段目にも留まらなかった。
 尾張(おわり)の停車場(ステイション)で他(ほか)の伣M員は言合(いいあわ)せたように、残らず下りたので、函(はこ)の中にはただ上人と私と二人になった。
 この汽車は新橋を昨夜九時半に発(た)って、今夕(こんせき)敦賀に入ろうという、名古屋では正午(ひる)だったから、飯に一折の鮨(すし)を買った。旅僧も私と同じくその鮨を求めたのであるが、蓋(ふた)を開けると、ばらばらと海苔(のり)が懸(かか)った、五目飯(ちらし)の下等なので。
(やあ、人参(にんじん)と干瓢(かんぴょう)ばかりだ。)と粗忽(そそ)ッかしく絶叫(ぜっきょう)した。私の顔を見て旅僧は耐(こら)え兼ねたものと見える、くっくっと笑い出した、もとより二人ばかりなり、知己(ちかづき)にはそれからなったのだが、聞けばこれから越前へ行って、派は違(ちが)うが永平寺(えいへいじ)に訪ねるものがある、但(ただ)し敦賀に一泊(ぱく)とのこと。
 若狭(わかさ)へ帰省する私もおなじ処(ところ)で泊(とま)らねばならないのであるから、そこで同行の約束(やくそく)が出来た。
 かれは高野山(こうやさん)に籍(せき)を置くものだといった、年配四十五六、柔和(にゅうわ)ななんらの奇(き)も見えぬ、懐(なつか)しい、おとなしやかな風采(とりなり)で、羅紗(らしゃ)の角袖(かくそで)の外套(がいとう)を着て、白のふらんねるの襟巻(えりまき)をしめ、土耳古形(トルコがた)の帽(ぼう)を冠(かぶ)り、毛糸の手袋(てぶくろ)を嵌(は)め、白足袋(しろたび)に日和下駄(ひよりげた)で、一見、僧侶(そうりょ)よりは世の中の宗匠(そうしょう)というものに、それよりもむしろ俗か。
(お泊りはどちらじゃな、)といって聞かれたから、私は一人旅の旅宿のつまらなさを、しみじみ歎息(たんそく)した、第一盆(ぼん)を持って女中が坐睡(いねむり)をする、番頭が空世辞(そらせじ)をいう、廊下(ろうか)を歩行(ある)くとじろじろ目をつける、何より最も耐(た)え難(がた)いのは晩飯の支度(したく)が済むと、たちまち灯(あかり)を行燈(あんどん)に換(か)えて、薄暗(うすぐら)い処でお休みなさいと命令されるが、私は夜が更(ふ)けるまで寐(ね)ることが出来ないから、その間の心持といったらない、殊(こと)にこの頃(ごろ)は夜は長し、東京を出る時から一晩の泊(とまり)が気になってならないくらい、差支(さしつか)えがなくば御僧(おんそう)とご一所(いっしょ)に。 
 快く頷(うなず)いて、北陸地方を行脚(あんぎゃ)の節はいつでも杖(つえ)を休める香取屋(かとりや)というのがある、旧(もと)は一軒(けん)の旅店(りょてん)であったが、一人女(ひとりむすめ)の評判なのがなくなってからは看板を外(はず)した、けれども昔(むかし)から懇意(こんい)な者は断らず泊めて、老人(としより)夫婦が内端(うちわ)に世話をしてくれる、宜(よろ)しくばそれへ、その代(かわり)といいかけて、折を下に置いて、
(ご馳走(ちそう)は人参と干瓢ばかりじゃ。)
 とからからと笑った、慎(つつし)み深そうな打見(うちみ)よりは気の軽い。

     二

 岐阜(ぎふ)ではまだ蒼空(あおぞら)が見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原(まいばら)、長浜(ながはま)は薄曇(うすぐもり)、幽(かすか)に日が射(さ)して、寒さが身に染みると思ったが、柳(やな)ヶ瀬(せ)では雨、汽車の窓が暗くなるに従うて、白いものがちらちら交(まじ)って来た。
(雪ですよ。)
(さようじゃな。)といったばかりで別に気に留めず、仰(あお)いで空を見ようともしない、この時に限らず、賤(しず)ヶ岳(たけ)が、といって、古戦場を指した時も、琵琶湖(びわこ)の風景を語った時も、旅僧はただ頷いたばかりである。
 敦賀で悚毛(おぞけ)の立つほど煩(わずら)わしいのは宿引(やどひき)の悪弊(あくへい)で、その日も期したるごとく、汽車を下(おり)ると停車場(ステイション)の出口から町端(まちはな)へかけて招きの提灯(ちょうちん)、印傘(しるしがさ)の堤(つつみ)を築き、潜抜(くぐりぬ)ける隙(すき)もあらなく旅人を取囲んで、手(て)ン手(で)に喧(かまびす)しく己(おの)が家号(やごう)を呼立(よびた)てる、中にも烈(はげ)しいのは、素早(すばや)く手荷物を引手繰(ひったく)って、へい難有(ありがと)う様(さま)で、を喰(くら)わす、頭痛持は血が上るほど耐(こら)え切れないのが、例の下を向いて悠々(ゆうゆう)と小取廻(ことりまわ)しに通抜(とおりぬ)ける旅僧は、誰(たれ)も袖を曳(ひ)かなかったから、幸いその後に跟(つ)いて町へ入って、ほっという息を吐(つ)いた。
 雪は小止(おやみ)なく、今は雨も交らず乾いた軽いのがさらさらと面(おもて)を打ち、宵(よい)ながら門(かど)を鎖(とざ)した敦賀の通(とおり)はひっそりして一条二条縦横(たてよこ)に、辻(つじ)の角は広々と、白く積った中を、道の程(ほど)八町ばかりで、とある軒下(のきした)に辿(たど)り着いたのが名指(なざし)の香取屋。
 床(とこ)にも座敷(ざしき)にも飾(かざ)りといっては無いが、柱立(はしらだち)の見事な、畳(たたみ)の堅(かた)い、炉(ろ)の大いなる、自在鍵(じざいかぎ)の鯉(こい)は鱗(うろこ)が黄金造(こがねづくり)であるかと思わるる艶(つや)を持った、素(す)ばらしい竈(へッつい)を二ツ並(なら)べて一斗飯(いっとめし)は焚(た)けそうな目覚(めざま)しい釜(かま)の懸(かか)った古家(ふるいえ)で。
 亭主は法然天窓(ほうねんあたま)、木綿の筒袖(つつそで)の中へ両手の先を竦(すく)まして、火悖à窑肖粒─吻挨扦馐证虺訾丹獭ⅳ踏Δ趣筏坑H仁(おやじ)、女房(にょうぼう)の方は愛嬌(あいきょう)のある、ちょっと世辞のいい婆(ばあ)さん、件(くだん)の人参と干瓢の話を旅僧が打出すと、にこにこ笑いながら、縮緬雑魚(ちりめんざこ)と、鰈(かれい)の干物(ひもの)と、とろろ昆布(こんぶ)の味噌汁(みそしる)とで膳(ぜん)を出した、物の言振取成(いいぶりとりなし)なんど、いかにも、上人(しょうにん)とは別懇(べっこん)の間と見えて、連(つれ)の私の居心(いごころ)のいいといったらない。
 やがて二階に寝床(ねどこ)を拵(こしら)えてくれた、天井(てんじょう)は低いが、梁(うつばり)は丸太で二抱(ふたかかえ)もあろう、屋の棟(むね)から斜(ななめ)に渡(わた)って座敷の果(はて)の廂(ひさし)の処では天窓(あたま)に支(つか)えそうになっている、巌仯à螭袱绀Γ─饰菰欤à浃扭辏ⅳ长欷胜檠Yの山から雪崩(なだれ)が来てもびくともせぬ。
 特に炬燵(こたつ)が出来ていたから私はそのまま嬉(うれ)しく入った。寝床はもう一組おなじ炬燵に敷(し)いてあったが、旅僧はこれには来(きた)らず、横に枕を並べて、火の気のない臥床(ねどこ)に寝た。
 寝る時、上人は帯を解かぬ、もちろん衣服も脱(ぬ)がぬ、着たまま円(まる)くなって俯向形(うつむきなり)に腰からすっぽりと入って、肩(かた)に夜具(やぐ)の袖(そで)を掛(か)けると手を突(つ)いて畏(かしこま)った、その様子(ようす)は我々と反対で、顔に枕をするのである。
 ほどなく寂然(ひっそり)として寐(ね)に就きそうだから、汽車の中でもくれぐれいったのはここのこと、私は夜が更けるまで寐ることが出来ない、あわれと思ってもうしばらくつきあって、そして諸国を行脚なすった内のおもしろい談(はなし)をといって打解(うちと)けて幼(おさな)らしくねだった。
 すると上人は頷いて、私(わし)は中年から仰向けに枕に就かぬのが癖(くせ)で、寝るにもこのままではあるけれども目はまだなかなか冴えている、急に寐就かれないのはお前様とおんなじであろう。出家(しゅっけ)のいうことでも、教(おしえ)だの、戒(いましめ)だの、説法とばかりは限らぬ、若いの、聞かっしゃい、と言って語り出した。後で聞くと宗門名誉(しゅうもんめいよ)の説教師で、六明寺(りくみんじ)の宗朝(しゅうちょう)という大和尚(だいおしょう)であったそうな。

     三

「今にもう一人ここへ来て寝るそうじゃが、お前様と同国じゃの、若狭の者で塗物(ぬりもの)の旅商人(たびあきんど)。いやこの男なぞは若いが感心に実体(じってい)な好(よ)い男。
 私(わたし)が今話の序開(じょびらき)をしたその飛騨の山越(やまごえ)をやった時の、麓(ふもと)の茶屋で一緒(いっしょ)になった富山(とやま)の売薬という奴(やつ)あ、けたいの悪い、ねじねじした厭(いや)な壮佼(わかいもの)で。
 まずこれから峠(とうげ)に掛(かか)ろうという日の、朝早く、もっとも先(せん)の泊(とまり)はものの三時ぐらいには発(た)って来たので、涼しい内に六里ばかり、その茶屋までのしたのじゃが朝晴でじりじり暑いわ。
 慾張(よくばり)抜いて大急ぎで歩いたから咽(のど)が渇(かわ)いてしようがあるまい、早速(さっそく)茶を飲もうと思うたが、まだ湯が沸(わ)いておらぬという。
 どうしてその時分じゃからというて、めったに人通(ひとどおり)のない山道、朝顔の咲(さ)いてる内に煙が立つ道理もなし。
 床几(しょうぎ)の前には冷たそうな小流(こながれ)があったから手桶(ておけ)の水を汲(く)もうとしてちょいと気がついた。
 それというのが、時節柄(じせつがら)暑さのため、恐(おそろ)しい悪い病が流行(はや)って、先に通った辻などという村は、から一面に石灰(いしばい)だらけじゃあるまいか。 
(もし、姉(ねえ)さん。)といって茶店の女に、
(この水はこりゃ井戸(いど)のでござりますか。)と、きまりも悪し、もじもじ聞くとの。
(いんね、川のでございます。)という、はて面妖(めんよう)なと思った。
(山したの方には大分流行病(はやりやまい)がございますが、この水は何(なに)から、辻の方から流れて来るのではありませんか。)
(そうでねえ。)と女は何気(なにげ)なく答えた、まず嬉(うれ)しやと思うと、お聞きなさいよ。
 ここに居て、さっきから休んでござったのが、右の売薬じゃ。このまた万金丹(まんきんたん)の下廻(したまわり)と来た日には、ご存じの通り、千筋(せんすじ)の単衣(ひとえ)に小倉(こくら)の帯、当節は時計を挟(はさ)んでいます、脚絆(きゃはん)、股引(ももひき)、これはもちろん、草鞋(わらじ)がけ、千草木綿(ちぐさもめん)の風呂敷包(ふろしきづつみ)の角(かど)ばったのを首に結(ゆわ)えて、桐油合羽(とうゆがっぱ)を小さく畳(たた)んでこいつを真田紐(さなだひも)で右の包につけるか、小弁慶(こべんけい)の木綿の蝙蝠傘(こうもりがさ)を一本、おきまりだね。ちょいと見ると、いやどれもこれも克明(こくめい)で分別のありそうな顔をして。
 これが泊(とまり)に着くと、大形の浴衣(ゆかた)に変って、帯広解(おびひろげ)で焼酎(しょうちゅう)をちびりちびり遣(や)りながら、旅晃荩à悉郡搐洌─闻韦栅趣盲肯ィà窑叮─孛劊à工停─蛏悉菠瑜Δ趣い叄à浃椋─袱恪
(これや、法界坊(ほうかいぼう)。)
 なんて、天窓(あたま)から嘗(な)めていら。
(異(おつ)なことをいうようだが何かね、世の中の女が出来ねえと相場がきまって、すっぺら坊主になってやっぱり生命(いのち)は欲しいのかね、不思議じゃあねえか、争われねえもんだ、姉さん見ねえ、あれでまだ未練のある内がいいじゃあねえか、)といって顔を見合せて二人でからからと笑った。
 年紀(とし)は若し、お前様(まえさん)、私(わし)は真赤(まっか)になった、手に汲んだ川の水を飲みかねて猶予(ためら)っているとね。
 ポンと煙管(きせる)を払(はた)いて、
(何、遠慮(えんりょ)をしねえで浴びるほどやんなせえ、生命(いのち)が危くなりゃ、薬を遣(や)らあ、そのために私(わし)がついてるんだぜ、なあ姉さん。おい、それだっても無銭(ただ)じゃあいけねえよ、憚(はばか)りながら神方(しんぽう)万金丹、一貼(じょう)三百だ、欲しくば買いな、まだ坊主に報捨(ほうしゃ)をするような罪は造らねえ、それともどうだお前いうことを肯(き)くか。)といって茶店の女の背中を叩(たた)いた。
 私(わし)はそうそうに遁出(にげだ)した。
 いや、膝だの、女の背中だのといって、いけ年(とし)を仕(つかまつ)った和尚が業体(ぎょうてい)で恐入(おそれい)るが、話が、話じゃからそこはよろしく。」

     四
 
「私(わし)も腹立紛(はらたちまぎ)れじゃ、無暗(むやみ)と急いで、それからどんどん山の裾(すそ)を田圃道(たんぼみち)へかかる。
 半町ばかり行くと、路(みち)がこう急に高くなって、上(のぼ)りが一カ処、横からよく見えた、弓形(ゆみなり)でまるで土で勅使橋(ちょくしばし)がかかってるような。上を見ながら、これへ足を踏懸(ふみか)けた時、以前の薬売(くすりうり)がすたすたやって来て追着(おいつ)いたが。
 別に言葉も交(かわ)さず、またものをいったからというて、返事をする気はこっちにもない。どこまでも人を凌(しの)いだ仕打(しうち)な薬売は流眄(しりめ)にかけて故(わざ)とらしゅう私(わし)を通越(とおりこ)して、すたすた前へ出て、ぬっと小山のような路の突先(とっさき)へ蝙蝠傘を差して立ったが、そのまま向うへ下りて見えなくなる。
 その後から爪先上(つまさきあが)り、やがてまた太鼓(たいこ)の胴(どう)のような路の上へ体が仱盲俊ⅳ饯欷胜辘摔蓼肯拢à溃─辘袱恪
 売薬は先へ下りたが立停(たちどま)ってしきりに四辺(あたり)を(みまわ)している様子、執念(しゅうねん)深く何か巧(たく)んだかと、快からず続いたが、さてよく見ると仔細(しさい)があるわい。
 路はここで二条(ふたすじ)になって、一条(いちじょう)はこれからすぐに坂になって上(のぼ)りも急なり、草も両方から生茂(おいしげ)ったのが、路傍(みちばた)のその角(かど)の処にある、それこそ四抱(よかかえ)、そうさな、五抱(いつかかえ)もあろうという一本の檜(ひのき)の、背後(うしろ)へ蜿(うね)って切出したような大巌(おおいわ)が二ツ三ツ四ツと並んで、上の方へ層(かさ)なってその背後へ通じているが、私(わし)が見当をつけて、心組(こころぐ)んだのはこっちではないので、やっぱり今まで歩いて来たその幅(はば)の広いなだらかな方が正(まさ)しく本道、あと二里足らず行けば山になって、それからが峠になるはず。
 と見ると、どうしたことかさ、今いうその檜じゃが、そこらに何(なんに)もない路を横断(よこぎ)って見果(みはて)のつかぬ田圃の中空(なかぞら)へ虹(にじ)のように突出ている、見事な。根方(ねがた)の処(ところ)の土が壊(くず)れて大鰻(おおうなぎ)を捏(こ)ねたような根が幾筋ともなく露(あらわ)れた、その根から一筋の水がさっと落ちて、地の上へ流れるのが、取って進もうとする道の真中に流出(ながれだ)してあたりは一面。
 田圃が湖にならぬが不思議で、どうどうと瀬(せ)になって、前途(ゆくて)に一叢(ひとむら)の藪(やぶ)が見える、それを境にしておよそ二町ばかりの間まるで川じゃ。礫(こいし)はばらばら、飛石のようにひょいひょいと大跨(おおまた)で伝えそうにずっと見ごたえのあるのが、それでも人の手で並べたに違(ちが)いはない。
 もっとも衣服(きもの)を脱いで渡るほどの大事なのではないが、本街道にはちと難儀(なんぎ)過ぎて、なかなか馬などが歩行(ある)かれる訳(わけ)のものではないので。
 売薬もこれで迷ったのであろうと思う内、切放(きりはな)れよく向(むき)を変えて右の坂をすたすたと上りはじめた。見る間(ま)に檜を後(うしろ)に潜(くぐ)り抜けると、私(わし)が体の上あたりへ出て下を向き、
(おいおい、松本(まつもと)へ出る路はこっちだよ、)といって無造作(むぞうさ)にまた五六歩。
 岩の頭へ半身を伋訾筏啤
(茫然(ぼんやり)してると、木精(こだま)が攫(さら)うぜ、昼間だって容赦(ようしゃ)はねえよ。)と嘲(あざけ)るがごとく言い棄(す)てたが、やがて岩の陰(かげ)に入って高い処の草に隠(かく)れた。
 しばらくすると見上げるほどな辺(あたり)へ蝙蝠傘の先が出たが、木の枝(えだ)とすれすれになって茂(しげみ)の中に見えなくなった。
(どッこいしょ、)と暢気(のんき)なかけ声で、その流の石の上を飛々(とびとび)に伝って来たのは、茣蓙(ござ)の尻当(しりあて)をした、何にもつけない天秤棒(てんびんぼう)を片手で担いだ百姓(ひゃくしょう)じゃ。」

     五

「さっきの茶店(ちゃみせ)からここへ来るまで、売薬の外は誰(だれ)にも逢(あ)わなんだことは申上げるまでもない。
 今別れ際(ぎわ)に声を懸けられたので、先方(むこう)は道中の商売人と見ただけに、まさかと思っても気迷(きまよい)がするので、今朝(けさ)も立ちぎわによく見て来た、前にも申す、その図面をな、ここでも開けて見ようとしていたところ。
(ちょいと伺(うかが)いとう存じますが、)
(これは何でござりまする、)と山国の人などは殊(こと)に出家と見ると丁寧(ていねい)にいってくれる。
(いえ、お伺い申しますまでもございませんが、道はやっぱりこれを素直(まっすぐ)に参るのでございましょうな。)
(松本へ行かっしゃる? ああああ本道じゃ、何ね、この間の梅雨(つゆ)に水が出て、とてつもない川さ出来たでがすよ。)
(まだずっとどこまでもこの水でございましょうか。)
(何のお前様、見たばかりじゃ、訳はござりませぬ、水になったのは向うのあの藪までで、後はやっぱりこれと同一(おなじ)道筋で山までは荷車が並んで通るでがす。藪のあるのは旧(もと)大きいお邸(やしき)の医者様の跡でな、ここいらはこれでも一ツの村でがした、十三年前の大水の時、から一面に野良(のら)になりましたよ、人死(ひとじに)もいけえこと。ご坊様歩行(ぼうさまある)きながらお念仏でも唱えてやってくれさっしゃい。)と問わぬことまで深切(しんせつ)に話します。それでよく仔細(しさい)が解(わか)って確(たしか)になりはなったけれども、現に一人踏迷(ふみまよ)った者がある。
(こちらの道はこりゃどこへ行くので、)といって売薬の入った左手(ゆんで)の坂を尋(たず)ねて見た。
(はい、これは五十年ばかり前までは人が歩行(ある)いた旧道でがす。やっぱり信州へ出まする、先は一つで七里ばかり総体近うござりますが、いや今時(いまどき)往来の出来るのじゃあござりませぬ。去年もご坊様、親子連(づれ)の巡礼(じゅんれい)が間違えて入ったというで、はれ大変な、乞食(こじき)を見たような者じゃというて、人命に代りはねえ、追(おっ)かけて助けべえと、巡査様(おまわりさま)が三人、村の者が十二人、一組になってこれから押登って、やっと連れて戻(もど)ったくらいでがす。ご坊様も血気に逸(はや)って近道をしてはなりましねえぞ、草臥(くたび)れて野宿をしてからがここを行かっしゃるよりはましでござるに。はい、気を付けて行かっしゃれ。)
 ここで百姓に別れてその川の石の上を行こうとしたがふと猶予(ためら)ったのは売薬の身の上で。
 まさかに聞いたほどでもあるまいが、それが本当ならば見殺(みごろし)じゃ、どの道私は出家(しゅっけ)の体、日が暮(く)れるまでに宿へ着いて屋根の下に寝るには及(およ)ばぬ、追着(おッつ)いて引戻してやろう。罷違(まかりちご)うて旧道を皆歩行(ある)いても怪(け)しゅうはあるまい、こういう時候じゃ、狼(おおかみ)の旬(しゅん)でもなく、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の汐(しお)さきでもない、ままよ、と思うて、見送ると早(は)や深切な百姓の姿も見えぬ。
(よし。)
 思切(おもいき)って坂道を取って懸(かか)った、侠気(おとこぎ)があったのではござらぬ、血気に逸(はや)ったではもとよりない、今申したようではずっともう悟(さと)ったようじゃが、いやなかなかの臆病者(おくびょうもの)、川の水を飲むのさえ気が怯(ひ)けたほど生命(いのち)が大事で、なぜまたと謂(い)わっしゃるか。
 ただ挨拶(あいさつ)をしたばかりの男なら、私は実のところ、打棄(うっちゃ)っておいたに違いはないが、快からぬ人と思ったから、そのままで見棄てるのが、故(わざ)とするようで、気が責めてならなんだから、」
 と宗朝はやはり俯向(うつむ)けに床(とこ)に入ったまま合掌(がっしょう)していった。
「それでは口でいう念仏にも済まぬと思うてさ。」

     六

「さて、聞かっしゃい、私(わし)はそれから檜(ひのき)の裏を抜けた、岩の下から岩の上へ出た、樹(き)の中を潜(くぐ)って草深い径(こみち)をどこまでも、どこまでも。
 するといつの間にか今上った山は過ぎてまた一ツ山が近(ちかづ)いて来た、この辺(あたり)しばらくの間は野が広々として、さっき通った本街道よりもっと幅の広い、なだらかな一筋道。
 心持(こころもち)西と、東と、真中(まんなか)に山を一ツ置いて二条(ふたすじ)並んだ路のような、いかさまこれならば槍(やり)を立てても行列が通ったであろう。
 この広(ひろ)ッ場(ぱ)でも目の及ぶ限り芥子粒(けしつぶ)ほどの大(おおき)さの売薬の姿も見ないで、時々焼けるような空を小さな虫が飛び歩行(ある)いた。
 歩行(ある)くにはこの方が心細い、あたりがぱッとしていると便(たより)がないよ。もちろん飛騨越(ひだごえ)と銘(めい)を打った日には、七里に一軒十里に五軒という相場、そこで粟(あわ)の飯にありつけば都合も上(じょう)の方ということになっております。それを覚悟(かくご)のことで、足は相応に達者、いや屈(くっ)せずに進んだ進んだ。すると、だんだんまた山が両方から逼(せま)って来て、肩に支(つか)えそうな狭いとこになった、すぐに上(のぼり)。
 さあ、これからが名代(なだい)の天生(あもう)峠と心得たから、こっちもその気になって、何しろ暑いので、喘(あえ)ぎながらまず草鞋(わらじ)の紐(ひも)を緊直(しめなお)した。
 ちょうどこの上口(のぼりぐち)の辺に美濃(みの)の蓮大寺(れんだいじ)の本堂の床下(ゆかした)まで吹抜(ふきぬ)けの風穴(かざあな)があるということを年経(とした)ってから聞きましたが、なかなかそこどころの沙汰(さた)ではない、一生懸命(いっしょうけんめい)、景色(けしき)も奇跡(きせき)もあるものかい、お天気さえ晴れたか曇ったか訳が解らず、目(ま)じろぎもしないですたすたと捏(こ)ねて上(のぼ)る。
 とお前様お聞かせ申す話は、これからじゃが、最初に申す通り路がいかにも悪い、まるで人が通いそうでない上に、恐しいのは、蛇(へび)で。両方の叢(くさむら)に尾と頭とを突込んで、のたりと橋を渡しているではあるまいか。
 私(わし)は真先(まっさき)に出会(でっくわ)した時は笠(かさ)を被(かぶ)って竹杖(たけづえ)を突いたまま、はッと息を引いて膝(ひざ)を折って坐(すわ)ったて。
 いやもう生得大嫌(しょうとくだいきらい)、嫌(きらい)というより恐怖(こわ)いのでな。
 その時はまず人助けにずるずると尾を引いて、向うで鎌首(かまくび)を上げたと思うと草をさらさらと渡った。
 ようよう起上(おきあが)って道の五六町も行くと、またおなじように、胴中(どうなか)を乾かして尾も首も見えぬのが、ぬたり!
 あッというて飛退(とびの)いたが、それも隠れた。三度目に出会ったのが、いや急には動かず、しかも胴体の太さ、たとい這出(はいだ)したところでぬらぬらとやられてはおよそ五分間ぐらい尾を出すまでに間(ま)があろうと思う長虫と見えたので、やむことをえず私(わし)は跨(また)ぎ越した、とたんに下腹(したっぱら)が突張(つッぱ)ってぞッと身の毛、毛穴が残らず鱗(うろこ)に変って、顔の色もその蛇のようになったろうと目を塞(ふさ)いだくらい。
 絞(しぼ)るような冷汗(ひやあせ)になる気味の悪さ、足が竦(すく)んだというて立っていられる数(すう)ではないからびくびくしながら路を急ぐとまたしても居たよ。
 しかも今度のは半分に引切(ひっき)ってある胴から尾ばかりの虫じゃ、切口が蒼(あおみ)を帯びてそれでこう黄色な汁(しる)が流れてぴくぴくと動いたわ。
 我を忘れてばらばらとあとへ遁帰(にげかえ)ったが、気が付けば例のがまだ居るであろう、たとい殺されるまでも二度とはあれを跨(また)ぐ気はせぬ。ああさっきのお百姓がものの間違(まちがい)でも故道(ふるみち)には蛇がこうといってくれたら、地獄(じごく)へ落ちても来なかったにと照りつけられて、涙(なみだ)が流れた、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、今でもぞっとする。」と額に手を。

     七

「果(はてし)が無いから肝(きも)を据(す)えた、もとより引返す分ではない。旧(もと)の処(ところ)にはやっぱり丈足(じょうた)らずの骸(むくろ)がある、遠くへ避(さ)けて草の中へ駈(か)け抜けたが、今にもあとの半分が絡(まと)いつきそうで耐(たま)らぬから気臆(きおくれ)がして足が筋張(すじば)ると石に躓(つまず)いて転んだ、その時膝節(ひざぶし)を痛めましたものと見える。
 それからがくがくして歩行(ある)くのが少し難渋(なんじゅう)になったけれども、ここで倒(たお)れては温気(うんき)で蒸殺(むしころ)されるばかりじゃと、我身で我身を激(はげ)まして首筋を取って引立てるようにして峠の方へ。
 何しろ路傍(みちばた)の草いきれが恐(おそろ)しい、大鳥の卵見たようなものなんぞ足許(あしもと)にごろごろしている茂り塩梅(あんばい)。
 また二里ばかり大蛇(おろち)の蜿(うね)るような坂を、山懐(やまぶところ)に突当(つきあた)って岩角を曲って、木の根を繞(めぐ)って参ったがここのことで余りの道じゃったから、参郑à丹螭埭Γ┍静郡谓}図面を開いて見ました。
 何やっぱり道はおんなじで聞いたにも見たのにも変(かわり)はない、旧道はこちらに相違はないから心遣(こころや)りにも何にもならず、もとより歴(れっき)とした図面というて、描(か)いてある道はただ栗(くり)の毬(いが)の上へ赤い筋が引張ってあるばかり。
 難儀(なんぎ)さも、蛇も、毛虫も、鳥の卵も、草いきれも、記してあるはずはないのじゃから、さっぱりと畳(たた)んで懐(ふところ)に入れて、うむとこの乳の下へ念仏を唱え込んで立直ったはよいが、息も引かぬ内(うち)に情無(なさけな)い長虫が路を切った。
 そこでもう所詮叶(しょせんかな)わぬと思ったなり、これはこの山の霊(れい)であろうと考えて、杖を棄(す)てて膝を曲げ、じりじりする地(つち)に両手をついて、
(栅藴gみませぬがお通しなすって下さりまし、なるたけお午睡(ひるね)の邪魔(じゃま)になりませぬようにそっと通行いたしまする。
 ご覧(らん)の通り杖も棄てました。)と我折(がお)れしみじみと頼んで額を上げるとざっという凄(すさま)じい音で。
 心持(こころもち)よほどの大蛇と思った、三尺、四尺、五尺四方、一丈余、だんだんと草の動くのが広がって、傍(かたえ)の渓(たに)へ一文字にさっと靡(なび)いた、果(はて)は峰(みね)も山も一斉に揺(ゆら)いだ、恐毛(おぞげ)を震(ふる)って立竦(たちすく)むと涼しさが身に染みて、気が付くと山颪(やまおろし)よ。
 この折から聞えはじめたのはどっという山彦(こだま)に伝わる響(ひびき)、ちょうど山の奥に風が渦巻(うづま)いてそこから吹起(ふきおこ)る穴があいたように感じられる。
 何しろ山霊感応あったか、蛇は見えなくなり暑さも凌(しの)ぎよくなったので、気も勇(いさ)み足も捗取(はかど)ったが、ほどなく急に風が冷たくなった理由を会得(えとく)することが出来た。
 というのは目の前に大森林があらわれたので。
 世の譬(たとえ)にも天生(あもう)峠は蒼空(あおぞら)に雨が降るという、人の話にも神代(かみよ)から杣(そま)が手を入れぬ森があると聞いたのに、今までは余り樹がなさ過ぎた。
 今度は蛇のかわりに蟹(かに)が歩きそうで草鞋(わらじ)が冷えた。しばらくすると暗くなった、杉、松、槪àà韦─葎I々(ところどころ)見分けが出来るばかりに遠い処から幽(かすか)に日の光の射(さ)すあたりでは、土の色が皆ぁV肖摔瞎饩
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发表于 2004-10-29 18:40:47 | 显示全部楼层
支持一下先,

可惜以我目前的日语水平看这个很费劲。
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 楼主| 发表于 2004-10-29 19:11:32 | 显示全部楼层
有看过《板桥十三娘子》故事的恐怕看这篇小说不会陌生
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发表于 2004-11-1 10:15:31 | 显示全部楼层
支持一下!
<中日新闻>在连载,每天必看!
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发表于 2004-11-13 13:50:41 | 显示全部楼层
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发表于 2004-11-14 11:09:14 | 显示全部楼层
天啊,太多了,现保存下来,上完古筝课回来看
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