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人生

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发表于 2004-1-30 23:00:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
        わたしは一本の長い階段をもうける。一年三百六十五日経つと、いちだん上にのぼる階段である。その階段の六十八段目のいちばん上のところにわたしが腰を降ろしている。そして、妻、ふたりの息子、二人の娘、その配偶者、そしてまごたちというように、ながい階段のところどころに、去年(昭和四十八年) 生まれた幼児二人が、ころがらないように紐でむすびつけられている。どちらも男の子である。まだ嬰児ふたりが際だってはつらつとしている。これから何十段でも階段をのぼっていくエネルギーを、そのちいさい体に詰め込み、いかなることでも実現できる可能性を身内にたくわえている。まだ人生のいかなる以外、いかなる欲望ももっていない。人を羨むことも、ひとを憎むことも、歓心をかうことも知らない。栄誉の、金も、むかんけいである。ときどき笑うが、神様がわらうことの練習をさせているとしかおもわれない。ただ無心に笑うだけである。


     人間はみな、この嬰児から出発している。そんなおもいがつきあげてくる。このふたりの嬰児が、わたしの腰かけているところまでのぼるのは、たいへんである。嬰児のいるにだんめのところから上を仰ぐと、気の遠くなるようなとおさであろうとおもう。さんじゅうだんめから四十だんめあたりにかけてばらまかれている息子や娘たちは、いつか青春時代をぬけて、壮年期にはいろうとしている。とうぜん、わたしなどのしらないそれぞれの人生の哀歓を経験しているこてあろうとおもう。わたしはざんねんながら、そこへはいっていってやることはできない。いかなる問題があろうと、それぞれ自分たひで処理してゆくほかはない。父親がくるしんたようにくるしまなければならないし、父親がかなしんたようにかなしまなければならないであろうとおもう。そういう自分であるき、自分で処理していかねばならぬものが、人生というものであろうからである。



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 楼主| 发表于 2004-1-30 23:00:00 | 显示全部楼层
    井上 靖(1907~1991) 、小説家。北海道の生まれ。京都帝国大学文学部哲学科卒。昭和11年、大阪毎日新聞社に入社。その後、昭和26年まで約15年間、記者生活をおくった。学生時代に『サンデー毎日』の懸賞小説に『初恋物語』などが入選し、昭和11年、『流転』で千葉亀雄賞を受賞。戦後になって多くの選説をかきはじめ、昭和26年、毎日新聞社を退職し、以後作家として幅ひろく活躍。代表作はほかに、現代小説として、『猟銃』、『ある偽作家の生涯』、『氷壁』、『射程』などがあり、歴史小説に『風林火山』、『淀どの記』、また、中国大陸や西域を題材にしたものに『天平のいらか』、『ろうらん』、『とんこう』などがある。



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 楼主| 发表于 2004-1-30 23:00:00 | 显示全部楼层



   将人生比作一条漫长的台阶,真是太恰当无比了。当我们从诞生的那一刻起,就无时无


   刻不在攀登这漫长的阶梯,虽然这攀登令人感到疲乏,厌倦乃至绝望,但这里却又充满了无数刺激与惊喜,同时也升起了无数次希望。而这疲乏,厌倦,绝望与刺激,惊喜以及希望的反复交替轮转也就构成了我们的各自人生。然而,勿庸置疑,这人生却必须要靠我们每个人自己去体验乃至完成。正像井上靖所说的那样:“必须让他们像其父亲所经历得痛苦那样去经历痛苦,像父亲所经历的悲伤一样去体验悲伤。因为这种必须自己来体验,自己来处理的事情就是所谓的人生。”

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 楼主| 发表于 2004-1-30 23:00:00 | 显示全部楼层
         我设计了一条长长的台阶。这是一条经过一年三百六十五天便升一级的台阶。我坐在这台阶的第六十八磴的最上端。接下来便是妻子,两个儿子,两个女儿,及其配偶以及孙子们,这些人则分散排列在这长长的台阶的各个地方。从最下边数的第二个台阶上,为了不让其掉下去用带子绑着两个去年(昭和四十八年)出生的婴儿。两人都是男孩。他们目前还不会爬也不会讲话。然而,尽管如此,这两个婴儿却十分显眼,充满了勃勃生机。他们那小小的体内装满了从今而后要攀登几十磴台阶的能量,同时也蕴含着不论任何事情都可使其变为现实的可能行。他们还没收到世俗人生的任何污染,只是处于本能,寻找妈妈,要奶吃,除此之外没有任何欲望。他们既不知道羡慕人,又不晓得憎恨谁,同时也不会讨人欢心,与名誉和金钱更是毫无关系。他们时而笑一笑,但这笑就让人觉得好象是神灵在让他们练习笑似的,只是天真无邪的笑着。


    人类都是从这婴儿期长大的。我突然浮现起这样的想法。这两个婴儿要攀到我现在坐的地方,的却不容易。我想,从婴儿所处的第二磴往上看的话,那距离一定是无限遥远的吧。而分散在第三十磴至四十磴之间的儿子和女儿们,不知何时已度过了青春起,正要步入壮年。当然,他们各自也一定经历了我所难以知晓的人生的悲哀喜乐。遗憾的是,我无法去体味他们的这些。无论有什么问题,都只有靠他们自己去解决。我想,必须让他们像其父亲所经历的痛苦那样经历痛苦,向父亲所经历的悲伤一样去体验悲伤。因为这种必须有自己来体验,自己来处理的事情就是所谓的人生吧。

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发表于 2004-2-11 23:00:00 | 显示全部楼层
人生のみちは何ですか

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发表于 2004-2-12 23:00:00 | 显示全部楼层
いいアドバイスです。けど、それを日本語専用カフェと連動してそこに書き込んだらどう?
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 楼主| 发表于 2004-2-12 23:00:00 | 显示全部楼层
只是转贴小説家井上 靖的作品而已~~~~
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