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『雪国』について

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发表于 2004-3-17 23:00:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
『雪国』について

 



伊藤 整  



『雪国』は、川端康成においてその頂上に到着した近代日本の抒情小説の古典である。「抒情小説」とこの作品を呼ぶことは、一般的ではないが、私はそういう風に呼びたい。一般的に言えば、これは心理小説であるが、抒情の道をとおって、潔癖さにいたり、心理のきびしさの美をつかむという道。これは日本人が多分もっとも鋭くふみ分けることの出来る文芸の道の一つである。すでに私たちは『枕草子』という、この道の典型を持っている。

『枕草子』にある区別と分析と抒情との微妙な混淆を、どこの国にもとめることができよう。

『雪国』はその道を歩いている。『枕草子』の脈は、私は俳諧に来ていると思う。それは和歌の曲線を不正確として避けた芭蕉、いなそれよりももっと蕪村に近いあたりをとおり、現代の新傾向の俳句の多くにつながる美の精神である。そして突然泉鏡花において散文にほとばしり、それ以後散文精神という仮装をして現われた物語文学に押しのけられ、押しつぶされて消えそうになりながら消えず、文学の疲労と倦怠の隙間ごとに明滅していたが、川端康成において、新しい現代人の中に、虹のように完成して中空にかかった。

 この作品は、特色ある手法としては、現象から省略という手法によって、美の頂上を抽出する、という仕方をする。だから、初歩の読者はそこに特有の難解さを感ずるであろうし、進んだ読者は、自己の人間観の汚れを残酷に突きつけられる。そういう点からは、大変音楽的な美しさと厳しさを持っていると言い得よう。

 この作家の美の把握の微妙さに驚くのは、主人公の島村が、夕暮の汽車の窓に写る葉子の姿と、その硝子越しに移ってゆく風景と遠い灯との重なる場面から始まる。

「窓の鏡に写る娘の輪郭のまわりを絶えず夕景色が動いているので、娘の顔も透明のように感じられた。しかしほんとうに透明かどうかは、顔の裏を流れてやまぬ夕景色が顔の表を通るかのように錯覚されて、見極める時がつかめないのだった。」

「汽車のなかもさほど明るくはないし、ほんとうの鏡のように強くはなかった。反射がなかった。だから、島村は見入っているうちに、鏡のあることをだんだん忘れてしまって、夕景色の流れのなかに娘が浮んでいるように思われて来た。」

「そういう時、彼女の顔のなかにともし火がともったのだった。この鏡の映像は窓の外のともし火を消す強さはなかった。ともし火も映像を消しはしなかった。そうしてともし火は彼女の顔のなかを流れて通るのだった。しかし彼女の顔を光り輝かせるようなことはしなかった。冷たく遠い光であった。小さい瞳のまわりをぽうっと明るくしながら、つまり娘の眼と火とが重なった瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮ぶ、妖しく美しい夜光虫であった。」

 こういう一節を読む人は、これは叙景にすぎない、女の姿の描出にすぎないと思うであろうか。この場面は、島村が愛し合っている駒子を通してやがてこの葉子と知り合い、駒子を越えて葉子に心を惹かれるようになるというこの小説の筋らしいものの伏線とはなっているが、しかしそういう「前提」の意味に止まっているのではない。そういう「筋」を別にしていたる所にあるこの作品の多くの極点の、これは一つなのである。夕暮の田舎の風景の中の一つの灯に重なる女の顔。そこに突然女の存在の美しさのきわまりが実感される。島村は決して情人とか女好きという存在ではなく、美しく鋭いものの感覚的な秤りである。そして、この島村が女と触れ合うところに発する火花。それが、この作品のあらゆる行にせわしなく息づまるように盛られている実体である。

 島村は作者の説明では「自然と自身に対する真面目さも失いがちな」無為徒食の人間で「それを呼び戻すには山がいいと、よく一人で山歩きをする」存在であり、舞踊が好きで、西洋舞踊の本などを翻訳しているというのんきな身の上だ、という簡単なことしか分っていない。しかし、殆んどそれは、どうでもよいことで、作者自身の敏感な細い絃が島村の中に縦横に張りめぐらされている。その絃に触れて真実なものが悉く音を立てるが、無意味なものは悉く空白に過ぎてゆく。だから、駒子のような、悲しいまでに真剣な存在、それよりももっと危険な怖ろしいほど張りつめた生き方しか出来ぬような葉子のような存在のない所では、島村は空白な無に帰してしまう。

「今出て来たばかりの駒子の部屋までが、もうその遠い世界のように思われる」のであり、また「汽車が動くと直ぐ待合室のガラスが光って、駒子の顔はその光のなかにぽっと燃え浮ぶかと見る間に消えてしまったが、それはあの朝雪の鏡の時と同じに真赤な頬であった。またしても島村にとっては、現実というものとの別れ際の色であった」りするのである。

 そして彼は駒子を発見し、葉子を発見する。若し、前に引用したような葉子の把握がなければ、葉子という女は存在しない、ということを考えなければならない。島村がそこにいるが故に、何でもない車中の一女性が、そのありかたの、あのような美しさにおいて生きて来る。葉子が存在しはじめるのである。また「精いっぱいに生きている」駒子は、島村のいる所で、島村の眼と感覚の中ではじめてその事実が現実となる。

 そういう抽象的だと思われるほど、きびしい感受者としての島村が、自分の周囲に独得の世界を作ってゆくさまは、光を持った人が闇の中を歩くようにも見え、また魔法の杖をもって動物を人間にしたり、子供を天使にしたりする人が歩くのにも似ている。そこに、島村のまわりに作られる世界は、現実の描写が、雪や家屋や風俗や虫などでかこまれていながら、ほとんど抽象に近くなっている。人間の中から、激しい思念や、きびしい呼声や、もっとも細かな真心からの願いなどのみを取り、外の無意味な具体性を棄ててしまう。こういうこの作家の仕方で出来た創作の世界は「真実」であるとの印象を深く与えるけれども、ある大きな距たりを、実人生との間に持っている。

 具象性ということに避けがたくある平凡さや愚劣さや退屈さを伴わぬ文学がこういう風にして可能化されている。これは西洋文学に例を求めれば少し無理な比較ではあるが、トルストイ的でなく、フローべル的でなく、プルースト的であり、ドストエフスキー的である。

 そして島村の思念の限界は、美にその存在を賭してはいるが、それは抽出され、燃えあがり、変化する瞬間の美であり、その瞬間が過ぎると空白になるという性質にある。命をかけて生き、命をかけて男を愛している女を理解はするが、目の前にいなければ、その女は忽ち無に帰する。島村はその感覚する「美」の一点においてしか生活していない。生活の継続という汚れと無意味さと退屈と繰りかえしとに彼は耐えられない。そして、いつかその島村の生き方の限界が駒子に理解され、駒子を絶望に陥れる。

「『君はいい子だね。』

『どうして? どこがいいの。』

『いい子だよ。』

『そう? いやな人ね。なにを言ってるの。しっかりして頂戴。』と、駒子はそっぽを向いて島村を揺すぶりながら、切れ切れに叩くように言うと、じっと黙っていた。」

 というような場面となり、また、

「『いい女だよ。』

『おかしなひと。』と、肩がくすぐったそうに顔を隠したが、なんと思ったか、突然むくっと片肘立てて首を上げると、

『それどういう意味? ねえ、なんのこと?』

 島村は驚いて駒子を見た。

『言って頂戴。それで通ってらしたの? あんた私を笑ってたのね。やっぱり笑ってらしたのね。』

 真赤になって島村を睨みつけながら詰問するうちに、駒子の肩は激しい怒りに顫えて来て、すうっと青ざめると、涙をぽろぽろ落した。」

 生きることに切羽つまっている女と、その切羽詰りかたの美しさに触れて戦いている島村の感覚との対立が、次第に悲劇的な結末をこの作品の進行過程に生んで行く。そしてその過程が美の抽出に耐えられない暗さになる前でこの作品は終らねばならぬ呙虺证盲皮い毪韦扦ⅳ搿

(昭和二十二年七月、作家)  

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发表于 2004-3-17 23:00:00 | 显示全部楼层
看到这个帖子觉得好亲切呀,因为我们上学期专门开了一门课来研究《雪国》的翻译,还看了电影。我觉得《雪国》写得的确是很美,如果仔细体味的话,会让人非常感动。不过,它的翻译也实在是很难,尤其是在一些细节上,总是找不到合适的词来表达相应的意思。不知道楼主是否有同感呢?
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发表于 2004-3-17 23:00:00 | 显示全部楼层
哪些 不好翻译的?一点点拿上来。。。慢慢研究
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发表于 2004-3-18 23:00:00 | 显示全部楼层
好文,原来是兔子找来的。看完《雪国》,才觉的不愧为诺贝尔奖的获奖代表作。有种淡淡的美
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发表于 2004-3-18 23:00:00 | 显示全部楼层
这方面的例子太多了,一一列举是肯定不可能的,只举一个简单的例子吧。请问,你们是怎么翻译“悲しいほど美しい声であった”这句话的?
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发表于 2004-3-18 23:00:00 | 显示全部楼层
很早以前看过它的译版,感觉MA MA,所以一直难以体会出:诺贝尔奖的获奖代表作是怎么来的。

有机会的话,一定要好好地拜读原版书。
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 楼主| 发表于 2004-3-18 23:00:00 | 显示全部楼层
汗,在首页不是有的?怎么都不看首页的.......

http://coffeejp.com/Article_Class2.asp?ClassID=1
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发表于 2004-3-18 23:00:00 | 显示全部楼层
那是一种凄美的声音
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发表于 2004-4-24 23:00:00 | 显示全部楼层
同感だ!!!
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