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有岛武郎《出生的苦恼》

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发表于 2004-3-22 23:00:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
生まれいずる悩み

有島武郎

       一



 私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。ねじ曲がろうとする自分の心をひっぱたいて、できるだけ伸び伸びしたまっすぐな明るい世界に出て、そこに自分の芸術の宮殿を築き上げようともがいていた。それは私にとってどれほど喜ばしい事だったろう。と同時にどれほど苦しい事だったろう。私の心の奥底には確かに――すべての人の心の奥底にあるのと同様な――火が燃えてはいたけれども、その火を燻(いぶ)らそうとする塵芥(ちりあくた)の堆積(たいせき)はまたひどいものだった。かきのけてもかきのけても容易に火の燃え立って来ないような瞬間には私はみじめだった。私は、机の向こうに開かれた窓から、冬が来て雪にうずもれて行く一面の畑を見渡しながら、滞りがちな筆をしかりつけしかりつけ撙肖饯Δ趣筏皮い俊

 寒い。原稿紙の手ざわりは氷のようだった。

 陽(ひ)はずんずん暮れて行くのだった。灰色からねずみ色に、ねずみ色から墨色にぼかされた大きな紙を目の前にかけて、上から下へと一気に視線を落として行く時に感ずるような速さで、昼の光は夜の闇(やみ)に変わって行こうとしていた。午後になったと思うまもなく、どんどん暮れかかる北海道の冬を知らないものには、日がいち早く蝕(むしば)まれるこの気味悪いさびしさは想像がつくまい。ニセコアンの丘陵の裂け目からまっしぐらにこの高原の畑地を目がけて吹きおろして来る風は、割合に粒の大きい軽(かろ)やかな初冬の雪片をあおり立てあおり立て横ざまに舞い飛ばした。雪片は暮れ残った光の迷子(まいご)のように、ちかちか[#「ちかちか」に傍点]した印象を見る人の目に与えながら、いたずら者らしくさんざん飛び回った元気にも似ず、降りたまった積雪の上に落ちるや否や、寒い薄紫の死を死んでしまう。ただ窓に来てあたる雪片だけがさらさらさらさら[#「さらさらさらさら」に傍点]とささやかに音を立てるばかりで、他のすべてのやつらは残らず唖(おし)だ。快活らしい白い唖の群れの舞踏――それは見る人を涙ぐませる。

 私はさびしさのあまり筆をとめて窓の外をながめてみた。そして君の事を思った。

出生的苦恼

有岛武郎



我把自己的工作当成神圣的职业,一方面鞭笞自己几乎扭曲的灵魂,一方面尽可能来到悠闲、正直、明亮的世界里,在那里痛苦地构筑自己艺术的殿堂。对我来说,这是多么令人喜悦,同时又是多么令人苦恼的事啊。虽然在我的内心深处——诚如在所有人的内心深处一样——燃烧着火焰;但是,由于浊垢实在堆积得太厚,以至于只有滚滚浓烟。在我努力清除这些浊垢依然不容易燃起火焰的瞬间,我是如此悲伤。书桌对面的窗子敞开着,我一边眺望冬天到来时被大雪覆盖的原野,一边手握迟滞的钢笔,在严厉的斥责中艰难地写作。
 天寒地冻,稿纸给人一种冰冷的感觉。
 日头迅速西沉,快得就像悬在眼前的大本稿纸,在我感到从上至下一气浏览下来的时候,已从灰色变成了焦黄色,又从焦黄色染成了墨色,白天眼看就要变成黑夜。刚进入下午,没有多久就到了傍晚,匆匆蚕蚀的岁月留给人的不快和凄凉对不了解北海道冬天的人来说是无法想象的。狂风从尼斯科安丘陵的裂缝向着这片高原田野凌厉刮来,席卷着初冬时节轻飘飘的鹅毛大雪横飞着。雪片就像薄暮中迷途的孩子,一边留给目睹者闪烁的银光一边温顺无力地飘落;刚落到皑皑的积雪上,便死在了寒冷的淡紫色的死海里。只有来到窗口被挡住的雪片发出“沙沙沙”的微弱声音,其它的雪片全是一群哑巴。一群快活的白色哑巴在舞蹈——它让目睹者热泪盈盈。
 我在寂寞之余驻笔凝视窗外,而且想起了你。

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 楼主| 发表于 2004-3-22 23:00:00 | 显示全部楼层




 私が君に始めて会ったのは、私がまだ札幌(さっぽろ)に住んでいるころだった。私の借りた家は札幌の町はずれを流れる豊平川(とよひらがわ)という川の右岸にあった。その家は堤の下の一町歩ほどもある大きなりんご園の中に建ててあった。

 そこにある日の午後君は尋ねて来たのだった。君は少しふきげんそうな、口の重い、癇(かん)で背たけが伸び切らないといったような少年だった。きたない中学校の制服の立て襟(えり)のホックをうるさそう[#「うるさそう」に傍点]にはずしたままにしていた、それが妙な事にはことにはっきり[#「はっきり」に傍点]と私の記憶に残っている。

 君は座につくとぶっきらぼう[#「ぶっきらぼう」に傍点]に自分のかいた絵を見てもらいたいと言い出した。君は片手ではかかえ切れないほど油絵や水彩画を持ちこんで来ていた。君は自分自身を平気で虐(しいた)げる人のように、ふろしき包みの中から乱暴に幾枚かの絵を引き抜いて私の前に置いた。そしてじっ[#「じっ」に傍点]と探るように私の顔を見つめた。明(あか)らさまに言うと、その時私は君をいやに高慢ちきな若者だと思った。そして君のほうには顔も向けないで、よんどころなくさし出された絵を取り上げて見た。

 私は一目見て驚かずにはいられなかった。少しの修練も経てはいないし幼稚な技巧ではあったけれども、その中には不思議に力がこもっていてそれがすぐ私を襲ったからだ。私は画面から目を放してもう一度君を見直さないではいられなくなった。で、そうした。その時、君は不安らしいそのくせ意地っぱりな目つきをして、やはり私を見続けていた。

 「どうでしょう。それなんかはくだらない出来(でき)だけれども」

 そう君はいかにも自分の仕事を軽蔑(けいべつ)するように言った。もう一度明らさまに言うが、私は一方で君の絵に喜ばしい驚きを感じながらも、いかにも思いあがったような君の物腰には一種の反感を覚えて、ちょっと皮肉でも言ってみたくなった。「くだらない出来がこれほどなら、会心の作というのはたいしたものでしょうね」とかなんとか。

 しかし私は幸いにもとっさにそんな言葉で自分を穢(けが)すことをのがれたのだった。それは私の心が美しかったからではない。君の絵がなんといっても君自身に対する私の反感に打ち勝って私に迫っていたからだ。

 君がその時持って来た絵の中で今でも私の心の底にまざまざと残っている一枚がある。それは八号の風景にかかれたもので、軽川(かるがわ)あたりの泥炭地(でいたんち)を写したと覚しい晩秋の風景画だった。荒涼と見渡す限りに連なった地平線の低い葦原(あしはら)を一面におおうた霙雲(みぞれぐも)のすきまから午後の日がかすかに漏れて、それが、草の中からたった二本ひょろひょろ[#「ひょろひょろ」に傍点]と生(お)い伸びた白樺(しらかば)の白い樹皮を力弱く照らしていた。単色を含んで来た筆の穂が不器用に画布にたたきつけられて、そのままけし飛んだような手荒な筆触で、自然の中には決して存在しないと言われる純白の色さえ他の色と練り合わされずに、そのままべとり[#「べとり」に傍点]となすり付けてあったりしたが、それでもじっ[#「じっ」に傍点]と見ていると、そこには作者の鋭敏な色感が存分にうかがわれた。そればかりか、その絵が与える全体の効果にもしっかり[#「しっかり」に傍点]とまとまった気分が行き渡っていた。悒鬱(ゆううつ)――十六七の少年には哺(はぐく)めそうもない重い悒鬱を、見る者はすぐ感ずる事ができた。

 「たいへんいいじゃありませんか」

 絵に対して素直(すなお)になった私の心は、私にこう言わさないではおかなかった。

 それを聞くと君は心持ち顔を赤くした――と私は思った。すぐ次の瞬間に来ると、君はしかし私を疑うような、自分を冷笑(あざわら)うような冷ややかな表情をして、しばらくの間私と絵とを等分に見くらべていたが、ふいと庭のほうへ顔をそむけてしまった。それは人をばかにした仕打ちとも思えば思われない事はなかった。二人は気まずく黙りこくってしまった。私は所在なさに黙ったまま絵をながめつづけていた。

 「そいつはどこん所が悪いんです」

 突然また君の無愛想な声がした。私は今までの妙にちぐはぐ[#「ちぐはぐ」に傍点]になった気分から、ちょっと自分の意見をずばずばと言い出す気にはなれないでいた。しかし改めて君の顔を見ると、言わさないじゃおかないぞといったような真剣さが現われていた。少しでもまに合わせを言おうものなら軽蔑(けいべつ)してやるぞといったような鋭さが見えた。よし、それじゃ存分に言ってやろうと私もとうとうほんとうに腰をすえてかかるようにされていた。

 その時私が口に任せてどんな生意気を言ったかは幸いな事に今はおおかた忘れてしまっている。しかしとにかく悪口としては技巧が非常にあぶなっかしい事、自然の見方が不親切な事、モティヴが耽情的(たんじょうてき)過ぎる事などをならべたに違いない。君は黙ったまままじまじ[#「まじまじ」に傍点]と目を光らせながら、私の言う事を聞いていた。私が言いたい事だけをあけすけ[#「あけすけ」に傍点]に言ってしまうと、君はしばらく黙りつづけていたが、やがて口のすみだけに始めて笑いらしいものを漏らした。それがまた普通の微笑とも皮肉な痙攣(けいれん)とも思いなされた。

 それから二人はまた二十分ほど黙ったままで向かい合ってすわりつづけた。

 「じゃまた持って来ますから見てください。今度はもっといいものをかいて来ます」

 その沈黙のあとで、君が腰を浮かせながら言ったこれだけの言葉はまた僕を驚かせた。まるで別な、初(うぶ)な、素直な子供でもいったような無邪気な明るい声だったから。

 不思議なものは人の心の働きだ。この声一つだった。この声一つが君と私とを堅く結びつけてしまったのだった。私は結局君をいろいろに邪推した事を悔いながらやさしく尋ねた。

 「君は学校はどこです」

 「東京です」

 「東京? それじゃもう始まっているんじゃないか」

 「ええ」

 「なぜ帰らないんです」

 「どうしても落第点しか取れない学科があるんでいやになったんです。‥‥それから少し都合もあって」

 「君は絵をやる気なんですか」

 「やれるでしょうか」

 そう言った時、君はまた前と同様な強情らしい、人に迫るような顔つきになった。

 私もそれに対してなんと答えようもなかった。専門家でもない私が、五六枚の絵を見ただけで、その少年の未来の呙澶颏嗓Δ筏拼蟮à摔鉀Q定的に言い切る事ができよう。少年の思い入ったような態度を見るにつけ、私にはすべてが恐ろしかった。私は黙っていた。

 「僕はそのうち郷里に――郷里は岩内(いわない)です――帰ります。岩内のそばに硫黄(いおう)を掘り出している所があるんです。その景色を僕は夢にまで見ます。その絵を作り上げて送りますから見てください。……絵が好きなんだけれども、下手(へた)だからだめです」

 私の答えないのを見て、君は自分をたしなめるように堅いさびしい調子でこう言った。そして私の目の前に取り出した何枚かの作品をめちゃくちゃにふろしきに包みこんで帰って行ってしまった。

 君を木戸の所まで送り出してから、私はひとりで手広いりんご畑の中を歩きまわった。りんごの枝は熟した果実でたわわになっていた。ある木などは葉がすっかり[#「すっかり」に傍点]散り尽くして、赤々とした果実だけが真裸で累々と日にさらされていた。それは快く空の晴れ渡った小春びよりの一日だった。私の庭下駄(にわげた)に踏まれた落ち葉はかわいた音をたてて微塵(みじん)に押しひしゃがれた。豊満のさびしさというようなものが空気の中にしんみり[#「しんみり」に傍点]と漂っていた。ちょうどそのころは、私も生活のある一つの岐路に立って疑い迷っていた時だった。私は冬を目の前に控えた自然の前に幾度も知らず知らず棒立ちになって、君の事と自分の事とをまぜこぜ[#「まぜこぜ」に傍点]に考えた。

 とにかく君は妙に力強い印象を私に残して、私から姿を消してしまったのだ。

 その後君からは一度か二度問い合わせか何かの手紙が来たきりでぱったり[#「ぱったり」に傍点]消息が途絶えてしまった。岩内から来たという人などに邂(あ)うと、私はよくその港にこういう名前の青年はいないか、その人を知らないかなぞと尋ねてみたが、さらに手がかりは得られなかった。硫黄(いおう)採掘場(さいくつば)の風景画もとうとう私の手もとには届いて来なかった。

 こうして二年三年と月日がたった。そしてどうかした拍子に君の事を思い出すと、私は人生の旅路のさびしさを味わった。一度とにかく顔を合わせて、ある程度まで心を触れ合ったどうしが、いったん別れたが最後、同じこの地球の上に呼吸しながら、未来永劫(えいごう)またと邂逅(めぐりあ)わない……それはなんという不思議な、さびしい、恐ろしい事だ。人とは言うまい、犬とでも、花とでも、塵(ちり)とでもだ。孤独に親しみやすいくせにどこか殉情的で人なつっこい私の心は、どうかした拍子に、このやむを得ない人間の呙颏筏撙袱撙雀肖袱粕瞍ゃd(ゆううつ)に襲われる。君も多くの人の中で私にそんな心持ちを起こさせる一人だった。

 しかも浅はかな私ら人間は猿(さる)と同様に物忘れする。四年五年という歳月は君の記憶を私の心からきれいにぬぐい取ってしまおうとしていたのだ。君はだんだん私の意識の閾(しきい)を踏み越えて、潜在意識の奥底に隠れてしまおうとしていたのだ。

 この短からぬ時間は私の身の上にも私相当の変化をひき起こしていた。私は足かけ八年住み慣れた札幌(さっぽろ)――ごく手短に言っても、そこで私の上にもいろいろな出来事がわき上がった。妻も迎えた。三人の子の父ともなった。長い間の信仰から離れて教会とも縁を切った。それまでやっていた仕事にだんだん失望を感じ始めた。新しい生活の芽が周囲の拒絶をも無(な)みして、そろそろと芽ぐみかけていた。私の目の前の生活の道にはおぼろげながら気味悪い不幸の雲がおおいかかろうとしていた。私は始終私自身の力を信じていいのか疑わねばならぬかの二筋道に迷いぬいた――を去って、私には物足らない都会生活が始まった。そして、目にあまる不幸がつぎつぎに足もとからまくし上がるのを手をこまねいてじっ[#「じっ」に傍点]とながめねばならなかった。心の中に起こったそんな危機の中で、私は捨て身になって、見も知らぬ新しい世界に仱瓿訾故陇蛴鄡xなくされた。それは文学者としての生活だった。私は今度こそは全くひとりで歩かねばならぬと決心の臍(ほぞ)を堅めた。またこの道に踏み込んだ以上は、できてもできなくても人類の意志と取り組む覚悟をしなければならなかった。私は始終自分の力量に疑いを感じ通しながら原稿紙に臨んだ。人々が寝入って後、草も木も寝入って後、ひとり目ざめてしん[#「しん」に傍点]とした夜の寂寞(せきばく)の中に、万年筆のペン先が紙にきしり込む音だけを聞きながら、私は神がかりのように夢中になって筆を撙肖筏皮い胧陇猡ⅳ盲俊K饯沃車欷摔贤鲭懁韦瑜Δ驶辘窑筏幛い啤⒓垽沃肖松蓼斐訾瑜Δ瓤啶筏撙ⅳ护盲皮い毪韦颏悉盲辏郏!袱悉盲辍工税悖荬雀肖袱渴陇猡ⅳ盲俊¥饯螭蕰r気がついてみると、私の目は感激の涙に漂っていた。芸術におぼれたものでなくって、そういう時のエクスタシーをだれが味わい得よう。しかし私の心が痛ましく裂け乱れて、純一な気持ちがどこのすみにも見つけられない時のさびしさはまたなんと喩(たと)えようもない。その時私は全く一塊の物質に過ぎない。私にはなんにも残されない。私は自分の文学者である事を疑ってしまう。文学者が文学者である事を疑うほど、世に空虚なたよりないものがまたとあろうか。そういう時に彼は明らかに生命から見放されてしまっているのだ。こんな瞬間に限っていつでもきまったように私の念頭に浮かぶのは君のあの時の面影だった。自分を信じていいのか悪いのかを決しかねて、たくましい意志と冷刻な批評とが互いに衷(うち)に戦って、思わず知らずすべてのものに向かって敵意を含んだ君のあの面影だった。私は筆を捨てて椅子(いす)から立ち上がり、部屋(へや)の中を歩き回りながら、自分につぶやくように言った。

 「あの少年はどうなったろう。道を踏み迷わないでいてくれ。自分を誇大して取り返しのつかない死出の旅をしないでいてくれ。もし彼に独自の道を切り開いて行く天稟(てんびん)がないのなら、どうか正直な勤勉な凡人として一生を終わってくれ。もうこの苦しみはおれ一人だけでたくさんだ」

 ところが去年の十月――と言えば、川岸の家で偶然君というものを知ってからちょうど十年目だ――のある日雨のしょぼしょぼ[#「しょぼしょぼ」に傍点]と降っている午後に一封の小包が私の手もとに届いた。女中がそれを持って来た時、私は干し魚が送られたと思ったほど部屋の中が生臭くなった。包みの油紙は雨水と泥(どろ)とでひどくよごれていて、差出人の名前がようやくの事で読めるくらいだったが、そこにしるされた姓名を私はだれともはっきり[#「はっきり」に傍点]思い出すことができなかった。ともかくもと思って私はナイフでがんじょうな渋びきの麻糸を切りほごしにかかった。油紙を一皮めくるとその中にまた麻糸で堅く結わえた油紙の包みがあった。それをほごすとまた油紙で包んであった。ちょっと腹の立つほど念の入った包み方で、百合(ゆり)の根をはがすように一枚一枚むいて行くと、ようやく幾枚もの新聞紙の中から、手あかでよごれ切った手製のスケッチ帳が三冊、きりきりと棒のように巻き上げられたのが出て来た。私は小気味悪い魚のにおいを始終気にしながらその手帳を広げて見た。

 それはどれも鉛筆で描かれたスケッチ帳だった。そしてどれにも山と樹木ばかりが描かれてあった。私は一目見ると、それが明らかに北海道の風景である事を知った。のみならず、それは明らかにほんとうの芸術家のみが見うる、そして描きうる深刻な自然の肖像画だった。

 「やっつけたな!」咄嗟(とっさ)に私は少年のままの君の面影を心いっぱいに描きながら下くちびるをかみしめた。そして思わずほほえんだ。白状するが、それがもし小説か戯曲であったら、その時の私の顔には微笑の代わりに苦(にが)い嫉妬(しっと)の色が濃くみなぎっていたかもしれない。

 その晩になって一封の手紙が君から届いて来た。やはり厚い画学紙にすり切れた筆で乱雑にこう走り書きがしてあった。

[#ここから1字下げ]

「北海道ハ秋モ晩(オソ)クナリマシタ。野原ハ、毎日ノヨウニツメタイ風ガ吹イテイマス。

 日ゴロ愛惜シタ樹木ヤ草花ナドガ、イツトハナク落葉シテシマッテイル。秋ハ人ノ心ニイロイロナ事ヲ思ワセマス。

 日ニヨリマストアタリノ山々ガ浮キアガッタカト思ワレルクライ空ガ美シイ時ガアリマス。シカシタイテイハ風トイッショニ雨ガバラバラヤッテ来テ道ヲ悪クシテイルノデス。

 昨日スケッチ帳ヲ三冊送リマシタ。イツカあなたニ絵ヲ見テモライマシテカラ故郷デ貧乏漁夫デアル私ハ、毎日忙シイ仕事ト激シイ労働ニ追ワレテイルノデ、ツイコトシマデ絵ヲカイテミタカッタノデスガ、ツイカケナカッタノデス。

 コトシノ七月カラ始メテ画用紙ヲトジテ画帖(ガジョウ)ヲ作リ、鉛筆デ(モノ)ニ向カッテミマシタ。シカシ労働ニ害サレタ手ハ思ウヨウニ自分ノ感力ヲ現ワス事ガデキナイデ困リマス。

 コンナツマラナイ素描帳ヲ見テクダサイト言ウノハタイヘンツライノデス。シカシ私ハイツワラナイデ始メタ時カラノヲ全部送リマシタ。(中略)

 私ノ町ノ知的素養ノイクブンナリトモアル青年デモ、自分トイウモノニツイテ思イヲメグラス人ハ少ナイヨウデス。青年ノ多クハ小サクサカシクオサマッテイルモノカ、ツマラナク時ヲ無為ニ送ッテイマス。デスガ私ハ私ノ故郷ダカラ好キデス。

 イロイロナモノガ私ノ心ヲオドラセマス。私ノスケッチニ取ルベキトコロノアルモノガアルデショウカ。

 私ハナントナクコンナツマラヌモノヲあなたニ見テモラウノガハズカシイノデス。

 山ハ絵ノ具ヲドッシリ付ケテ、山ガ地上カラ空ヘモレアガッテイルヨウニカイテミタイモノダト思ッテイマス。私ノスケッチデハ私ノ感ジガドウモ出ナイデコマリマス。私ノ山ハ私ガ実際ニ感ジルヨリモアマリ平面ノヨウデス。樹木モドウモ物体感ニトボシク思ワレマス。

 色ヲツケテミタラヨカロウト考エテイマスガ、時間ト金ガナイノデ、コンナモノデ腹イセヲシテイルノデス。

 私ハイロイロナ構図デ頭ガイッパイニナッテイルノデスガ、ナニシロマダカクダケノ腕ガナイヨウデス。オ忙シイあなたニコンナ無遠リョヲカケテタイヘンスマナク思ッテイマス。イツカオヒマガアッタラ御教示ヲ願イマス。

   十月末」

[#ここで字下げ終わり]

 こう思ったままを書きなぐった手紙がどれほど私を動かしたか。君にはちょっと想像がつくまい。自分が文学者であるだけに、私は他人の書いた文字の中にも真実と虚偽とを直感するかなり鋭い能力が発達している。私は君の手紙を読んでいるうちに涙ぐんでしまった。魚臭い油紙と、立派な芸術品であるスケッチ帳と、君の文字との間には一分(ぶ)のすきもなかった。「感力」という君の造語は立派な内容を持つ言葉として私の胸に響いた。「山ハ絵ノ具ヲドッシリ付ケテ、山ガ地上カラ空ヘモレアガッテイルヨウニカイテミタイ」‥‥山が地上から空にもれあがる‥‥それはすばらしい自然への肉迫を表現した言葉だ。言葉の中にしみ渡ったこの力は、軽く対象を見て過ごす微温な心の、まねにも生み出し得ない調子を持った言葉だ。

 「だれも気もつかず注意も払わない地球のすみっこで、尊い一つの魂が母胎を破り出ようとして苦しんでいる」

 私はそう思ったのだ。そう思うとこの地球というものが急により美しいものに感じられたのだ。そう感ずるとなんとなく涙ぐんでしまったのだ。

 そのころ私は北海道行きを計画していたが、雑用に紛れて躊躇(ちゅうちょ)するうちに寒くなりかけたので、もういっそやめようかと思っていたところだった。しかし君のスケッチ帳と手紙とを見ると、ぜひ君に会ってみたくなって、一徹にすぐ旅行の準備にかかった。その日から一週間とたたない十一月の五日には、もう上野駅から青森への直行列車に仱盲皮い胨阶陨恧蛞姢い坤筏俊

 札幌(さっぽろ)での用事を済まして農場に行く前に、私は岩内にあてて君に手紙を出しておいた。農場からはそう遠くもないから、来られるなら来ないか、なるべくならお目にかかりたいからと言って。

 農場に着いた日には君は見えなかった。その翌日は朝から雪が降りだした。私は窓の所へ机を持って行って、原稿紙に向かって呻吟(しんぎん)しながら心待ちに君を待つのだった。そして渋りがちな筆を休ませる間に、今まで書き連ねて来たような過去の回想やら当面の期待やらをつぎつぎに脳裏に浮かばしていたのだった。



第一次见到你还是我住在札幌的时候。那时,我借住的房子坐落在札幌市郊一条名叫丰平川的右岸,它建在堤下一百米左右的大苹果园里。

一天下午,你就是在那里拜访了我。你那时还是一位少年,脸上有几分阴沉,寡言少语,仿佛因为癫痫背微微前倾,邋遢的中学校服衣冠不整地敞开着立领的风纪扣。你的这种奇怪模样特别清晰地留在我的记忆里。
 你刚坐下就冒失地提出想让我看看你画的画。你带来了用一支胳膊都抱不住的油画和水彩画。你好像那种平静奴役自己的人,从包袱里粗暴地抽出几幅画放在我的面前,然后用一种探寻的目光直盯盯地望着我。坦率地说,那时我觉得你是一个非常傲慢的年轻人。我没有打量你,而是无可奈何地拿起你放在我面前的画。
 我一眼就被你的画惊呆了。虽然没有受过任何训练,在技巧上也很幼稚,但是,里面却饱含着神奇的力量,我立刻被吸引住了,不由自主地把目光从画中移开重新开始打量你。哦,对了,你那时虽然神色不安,但固执的目光仍然望着我。
 “画得咋样?虽然都是些拿不出手的东西。”
 你用那种轻视自己工作的口吻说道。原谅我再一次坦率地告诉你,尽管我惊奇地欣赏你的画,但对你那种恃才傲物的行为却抱有反感。我真想挖苦你说:
 “拿不出手的东西都这样了不起了,那么得意之作肯定是大手笔哟。”
 幸好在刹那间我回避了这种玷污自己的话语。那倒不是因为我心地纯洁,而是你的画迫使我战胜了对你本人的反感。
 在你那时带来的画中有一幅至今仍然清楚地印在我的心底。那是八号风景画,画的大约是晚秋中轻川一带的泥炭地。荒凉遍野的连绵草原构成低远的地平线,阳光从午后笼罩的乱积云的云缝中露出一丝光亮,无力地照射着从草丛中伸出的二棵孤零零的白桦树的白色树皮。蘸过单色的画笔笨拙地打在画布上,不加任何修饰地一笔刮开,运笔粗糙,甚至连自然中没有的纯白色也不能同其它的颜色调配得当,就那么囫囵吞枣地涂上去了;然而,只要凝目而视就会充分洞察到那里有作者敏锐的色彩感觉。非但如此,作者还把自己的心情牢牢地浓缩在画中的整体效果里了。从这幅画里,观赏者立刻感受到一种忧郁——作为十六七岁的少年来说不应有的沉重忧郁。
 “很好嘛。”
 出于对画的诚挚之心,我称赞道。
 听了我的评价,我觉得你脸色泛起微红。接着你马上露出冷静的表情,似乎在怀疑我,又似乎在嘲笑自己,在我和画之间反复地比量了半晌,冷不丁把脸背向院子。你的这种轻慢之举大大出乎我的意料,二人在尴尬的气氛中保持着沉默。我出于无奈,默默地打量着你的画。
 “那幅画有什么好的!”
 你突然冷冷地冒出这样一句。我从刚才异样别扭的心情中感到再也没有心思开诚布公地阐述自己的意见了。然而,当我重新看到你的面孔的时候,却是一副我必须谈下去的认真表情,锐利的目光仿佛在说,倘若敷衍的话,哪怕是一点点我也看不起你。好吧,既然如此,那么就好好给你谈一谈吧,我到底并非情愿地决定踏实坐下来发表自己的看法。
 那时,我是如何得意洋洋信口胡说的,幸好现在差不多忘光了。总之,我一定列举过这样的坏话,什么技巧堪忧啦,对大自然的理解缺乏热情啦,创作动机过于纯情啦,等等。你一言不发,直盯盯地望着我,眼放光芒地听着我的评论。当我把自己想讲的话和盘端出来之后,你沉默良久,嘴边终于露出了片刻笑容。从你的笑容里,我不由得又想到,那是真正意义上的微笑呢?还是嘲讽意义上的抽搐?
 后来,二人又面对面坐了二十多分钟,都没有吭声。
 “那么,我还要拿来请你看看,下次我画更好的给你拿来。”
 沉默过后,你站起来丢下的这句话再次让我感到惊讶。因为那完全是另外一种,带着孩子般天真、诚恳的语气,没有掺杂任何杂质的明快声音。
 人的心理活动是很奇怪的。由于你的这声嗓音,正是由于你的这声嗓音把你和我紧紧地联系在一起了。我终于后悔对你的种种错误推断,态度和缓地问道:
 “你在哪里上学?”
 “在东京。”
 “东京?那么说,不是已经开学了吗?”
 “是的。”
 “为什么不返校呢?”
 “因为有我不喜欢的学科,即便下很大工夫也考不及格。……而且还有其它原因。”
 “你是想画画?”
 “我行不行啊?”
 二人交谈的时候,你又露出先前那种气势逼人的神情。
 我对此无法回答。不是专门从事美术的我仅仅看了五六幅画,怎可以胆大妄为地决定这个少年未来的人生命运呢?面对沉思中的少年,我感到诚惶诚恐。我没有发表自己的意见。
 “我最近就要回家去,我的家乡在岩内。岩内附近有个地方挖硫磺,我做梦都在看那里的景色。我要把它画下来送给你看看……我虽然爱画画,但画的不好,算了。”

你见我没有回答,便用一种生硬、失落的语气这样安慰自己。说完,把放在我面前的几幅画胡乱地塞进包袱离开了。

我把你送出木门,顺路又在宽敞的苹果园里转了转。成熟的苹果压弯了树枝,树叶已经落尽,红扑扑的果实完全裸露在外面,累累地沐浴着阳光。这是一个令人心情舒畅、蓝天碧透的凉爽秋日。脚下的庭院木屐踏着的落叶被踩得支离破碎,发出枯燥的声音。落寞的气氛在空气中静静地飘荡着。那时候,我也恰好困惑迷失在生活的十字路口。面对冬天迫在眉睫的大自然,我好几次不知不觉茫然地收住脚步,反复惦量着你和我的事情。

总之,你给我留下了特别深刻的印象之后便从我的视线中销声匿迹了。

后来你曾给我来过一二封问函之类的信件,仅此而已,此后便杳无音信了。我每次遇到从岩内来的人,总要向他们打听岩内港是否有叫这个名字的青年,是否知道有这样一个人,但是得不到任何线索。硫磺采掘场的风景画到底也没有送到我的手中。

这样过去了二三年。其间每当想起你的时候,我便体味一次人生旅途的无奈。好不容易有一面之交,两颗心又发生了某种程度的碰撞,志同道合的人一旦分别,尽管同在这个地球上呼吸,结果却沦为万世不复的永劫中再也不能相会……那是多么不可思议、多么悲哀、多么可怕的事啊。不用说人,就是猫狗、花草、尘埃也会有同感吧。我虽然喜欢孤独,但却有点儿重情,常常思念远方的人,在我的心里往往深切地感受着这种无奈的人生命运并常让我陷在忧郁的深渊里。在众多的能够引起我这种情绪的人群中,你也是其中的一个。

然而浅薄的我们人类和猴子没有分别,不长于记忆。在四五年的岁月里,我差不多把你忘得干干净净。你渐渐踏出我意识的门栏,蛰伏到我潜意识的深处去了。

在这段不短的时间里,我的境遇伴随我发生了相应的变化。札幌,我前后住了八年——简短地说,我在那里的生活发生了种种变故。我娶了妻子,成为三个孩子的父亲,背叛了多年的信仰并与教会脱离了关系。我对以前从事的工作渐渐感到失望,新生活的蓓蕾无视周围的排挤慢慢开始萌芽。既对眼前的生活道路感到迷惘,不幸的阴云又令人沮丧地袭来。我对自己的能力始终迷失在自信和怀疑二股道上——离开迷途,我开始过上自己不甚满意的都市生活,揪心的不幸事件还是接踵而来,我眼巴巴地望着它们束手无策。我的心里危机四起,被迫无奈,我决意孤注一掷,步入前所未有的崭新世界,那就是选择文学这条生活道路。我痛下决心,这次必须完全由我独自走下去。而且,既然步入这条道路,无论成功与否,我必须与人类的意志抗争。我虽然始终怀疑自己的能力,但还是面对着稿纸。当人们熟睡之后,当草木熟睡之后,我独自醒着。在夜深人静的寂寞中,只有钢笔的笔尖在稿纸上吱吱作响。有时我犹如神灵附体,忘我地写作;有时我历历感到亡灵一般的灵魂纷纷拥挤在我的周围,它们焦灼地挣扎着要跃然纸上。这时我才发现我的眼眶里噙满了激动的泪水。虽然说不是陶醉在艺术中,但是有谁能够体会那个时候的痴迷呢!然而,当我的心被痛苦地撕裂成碎片,哪个角落里都找不到一块单纯的心情,那时候的惆怅又能用什么言辞来比拟呢!此时此刻我完全变成了一个空壳,地地道道的空壳。我怀疑自己是一位文学家,世间还有比文学家怀疑自己是文学家更虚无、更缥缈的吗!如果说有的话,那个时候他显然是被生活遗弃了。也就是在这样的瞬间,我的脑海里总要浮起你那个时候的身影。那是这样一副身影,不能决断自信是好是坏,顽强的意志和冷酷的批评相互厮杀,在不知不觉之间对所有东西怀有敌意。我放下笔从椅子上站起来,在房间里一边来回踱着,一边自言自语地嘟噜道:

“那个少年怎么样了呢?希望他不要犹豫自己选择的道路,不要夸大自己以免踏上难以挽回的不归路。假如他没有开创自己独特道路的天赋,那么就设法做一个正直、勤勉的普通人度过一生。这个痛苦让我一个人承担就已经够受的了。”

然而去年十月——也就是说,我在河岸的房子里偶然认识你整整过了十个年头——的某个细雨朦胧的下午,一个小邮包送到了我的手中。女佣人拿来的时候,房间里满是鱼腥味,我还以为咸鱼干寄到了。包裹的油皮纸被雨水和稀泥弄得很脏。好不容易才认清寄件人的名字,我却想不起来是谁了,心想打开来再说。我用小刀费力地切断结实的柿油麻绳,掀开油皮纸,里面又是一层用麻绳捆得结实的油皮纸包,把这层油皮纸包解开后又露出一层油皮纸包。这种小心翼翼的包法着实令人有点儿生气,就像剥百合的茎,一层一层剥下来,终于从几层报纸中露出满是手垢的三册速写本,卷得紧紧的,像一根纸棒。我始终觉得有股令人不快的鱼腥味翻开了画册。

三册都是用铅笔画的速写本,每册都是山和树木。一看就知道是北海道的风景,不仅如此,而且那些深刻的自然肖像画显然是只有真正的艺术家才能捕捉、才能描绘的。

“到底干了这个!”我顿时一边尽情勾勒着你少年时的身影,一边紧闭双唇露出了会心的微笑。坦白地说,假如它们是小说或者是剧本的话,我那时候的脸上恐怕就不是微笑,而是汗颜的强烈嫉妒了。

那天晚上,我收到了你的一封来信。那封信仍然写在厚厚的学画纸上,你用磨秃了的毛笔没有章法地狂草道:

北海道的秋天已经很晚了。田野上每天吹着寒冷的北风。

平时喜爱的树木和花草悄悄掉光了叶子。秋天让人心里产生各种各样的感慨。

天空晴朗的时候,我就想,附近的山今天又露出来了吧。但是,刮风的日子多,雨水也跟着哗哗下起来,路也不好走了。

昨天给你寄了三册速写本,因为老想着什么时候让你看看画。在家乡,我是一个穷苦的渔夫,每天都忙着干活和繁重的劳动,所以只好让你看今年以前的画。不过,我终于不能画画了。

从今年七月开始,我把学画纸订成了速写本,用铅笔对着(东西)试了试,但是被劳动磨糙了的手不能随心所欲地表现自己的感力,没有办法。

说是请你看这些没用的速写本,的确不好意思。但是,我毫不隐瞒地把所有的画全部寄给你。

(中略)

我所在的小镇有些青年虽然也有几分文化素养,但与我交谈,肯动脑筋的人好像不多。大部分青年人爱耍小聪明,安于现状,无所事事地打发时光。但是,因为是我的家乡,我爱她,各种各样的事情都让我心动。在我的速写本上有可取的画吗?我总觉得不好意思让你看这样没有价值的东西。我想郑重地拿起画笔,描绘从地上隆起直指天空那样的大山。用我的速写本怎么也画不出自己的感受,真为难。与我实际感受的山相比,我的山好像太平面化了。树木也觉得缺乏物体感。

我琢磨着要是涂上颜色也许好一些,但是,因为没有时间和钱,只好这样发泄感情。

我的头脑里装满了许许多多的构图,然而好像我还没有这个能力描绘她们。在你百忙当中打搅你,实在不好意思。如果有空的话,请给予指教。
                               十月末

你信笔而书的信让我多么感动啊,你肯定是想象不到的。只因为自己是文学家,我从别人的字里行间感受真实和虚伪的敏锐能力是相当发达的。读着你的来信,我的眼睛里噙满了泪花。散发着鱼腥味的油皮纸、堪称精美艺术品的速写本和你的文字彼此紧密相连,没有一分空隙。“感力”,你所创造的这个词汇包含着丰富的内涵在我的心中回荡。“我想郑重地拿起画笔,描绘从地上隆起直指天空那样的大山”……大山从地上隆起直指天空……那是表现折服于大自然的生动语言。渗透在语言中的这种力量不是那些抱着蜻蜓点水、无关痛痒的心能够模仿出来的。

“在谁也没有留心,谁也没有注意的地球的一个角落,一颗高贵的灵魂正在痛苦地从母胎里破胎而出。”

我这样想着。一想到这里,我顿时感到这颗地球变得更加美好了。有了这样的感受,我不由得泪水盈眶。

那时,我曾计划去北海道,因为杂事缠身有些踌躇,天气也开始寒冷起来,所以正打算索性不去了。然而,看了你的速写本和来信,我决定务必见你一面。我立即着手出发的准备。从那天起一周内,也就是十一月五日,我已经坐在了从上野开往青森的直达列车。

在札幌办完事去农场之前,我向岩内给你发了一封信。我在信中说,因为离农场不是很远,能来的话还是来,我希望尽可能见见面。

到达农场的那一天没有见到你。第二天早晨下起雪花。我把桌子移到窗边,面对稿纸,一边低吟一边焦急地盼望着你。而且在放下迟滞的钢笔停止写作的时候,刚刚串缀的往事回忆以及眼前的期待陆续浮现在我的脑海里。

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发表于 2004-3-22 23:00:00 | 显示全部楼层
我猜想这是赵先生自己亲手翻译的吧.
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 楼主| 发表于 2004-3-22 23:00:00 | 显示全部楼层
有些地方译得不好,请各位改一改。发帖的另一目的是想说,无论好与坏,论坛要有自己的东西。flyingwind 的《父亲》就很好,大力支持,并希望你继续写下去。我不是专门从事日文翻译的,只是业余爱好。如有时间,我们可以交流学习日语,尤其是翻译的心得。
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