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吾輩は猫である

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发表于 2004-7-1 23:00:00 | 显示全部楼层 |阅读模式
                                       吾輩は猫である




      吾輩は猫である。名前はまだ無い。
      どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕まえて煮て食うという話である。しかしその同時は何という考えもなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ち着いて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始めであろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出会わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうも咽ぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。
      この書生の掌の裏でしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で哕灓肥激幛俊瑑Pくのか自分だけが働くのか分からないが無暗に眼が廻る。胸が悪くなる。到底助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分からない。
      ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった兄弟が1匹も見えぬ。肝心の母親さえ姿を隠してしまった。その上今までの所とは違って無暗に明るい。眼を明るいていられぬくらいだ。はてな何でも容子がおかしいと、のそのそ這い出して見ると非常に痛い。吾輩は藁の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。
      ようやくの思いで笹原を這い出すと向こうに大きな池がある。わがはいは池の前に座ってどう坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別も出ない。しばらくして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いた。ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減って来た。泣きたくても声が出ない。仕様がない、何でもよいから食い物のある所まで歩こうと決心をしてそろりそろりと池を左に廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這って行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。ここへ這入ったら、どうにかなると思って竹垣の崩れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍に餓死したかも知れんのである。一樹の陰とはよく云ったものだ。この垣根の穴は今日に至るまで吾輩が隣家の三毛を訪問する時の通路になっている。さて邸へは忍び込んだもののこれから先どうして善い川からない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予が出来なくなった。仕様がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。今から考えるとその時はすでに家の内に這入っておったのだ。ここで吾輩は彼の書生以外の人間を再び見るべき機会に遭遇したのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり首筋をつかんで表へ抛り出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって撙蛱欷巳韦护皮い俊¥筏筏窑猡袱い韦群い韦摔悉嗓Δ筏皮馕衣隼搐蟆N彷叅显伽婴丹螭蜗钉蛞姢铺ㄋ剡@い上がった。すると間もなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されては這い上がり、這い上がっては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。その時におさんと云う者はつくづくいやになった。この間おさんの秋刀魚を偸んでこの返報をしてやってから、やっと胸の痞が下がりた。吾輩が最後につまみ出されようとした時に、この家の主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿なしの小猫がいくら出しても出してもお台所へ上がって来て困りますという。主人は鼻お下のっ蚰恧辘胜槲彷叅晤啢颏筏肖椁鳏幛皮盲郡ⅳ浃皮饯螭胜槟冥刂盲い皮浃欷趣い盲郡蓼薨陇剡@入ってしまった。主人はあまり口を聞かぬ人と見えた、下女は惜しいそうに吾輩を台所へ抛り出した。かくして吾輩はついにこの家を自分の住家と極める事にしたのである。
      吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合わせる事がない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、彼はよく昼寝をしている事がある。時々読みかけてある本の上に涎をたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活潑な徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食った後でタカジャスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実に楽なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来る度に何とかかんとか不平を鳴らしている。

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发表于 2004-7-1 23:00:00 | 显示全部楼层
ほほ~夏目漱石様の作品~ちょっと理解しにくいかなぁ~
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 楼主| 发表于 2004-7-9 23:00:00 | 显示全部楼层
     吾輩がこの家へ住み込んだ同時は、主人以外のものには甚だ不人情であった。どこへいっても跳ねつけられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されなかったかは、今日に至るまで名前さえつけてくれないのでも分かる。吾輩が仕様がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた主人の傍にいる事をつとめた。朝主人が新聞を読むときは必ず彼の膝の上に仱搿1摔缜蓼颏工毪趣媳丐氦饯伪持肖藖る。これはあなが主人が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのである。その後いろいろ経験の上、朝は飯櫃の上、夜は炬燵の上、天気のよい昼は天側たる椽側へ寝る事とした。しかし一番心持の好いのは夜に入ってここのうちの子供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事である。この子供というのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へ入って一間へ寝る。吾輩はいつでも彼等の中間に己を容るべき余地を見出してどうにか、こうにか割り込むのであるが、邜欁庸─我蝗摔郡蛐绚蓼工钺岽髩浃适陇摔胜搿W庸─
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发表于 2004-7-9 23:00:00 | 显示全部楼层
???
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发表于 2004-7-9 23:00:00 | 显示全部楼层
青空那里很全的.可以去那!
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发表于 2004-7-12 23:00:00 | 显示全部楼层
そうね~~~~~

[こころ]もすばらしいね!!
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发表于 2004-7-15 23:00:00 | 显示全部楼层
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发表于 2004-7-15 23:00:00 | 显示全部楼层
当时的语法跟现在大有点不同.
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发表于 2004-7-26 15:18:13 | 显示全部楼层
この文章テーマの意味は俺が猫か???教えてくれよ!お願い
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 楼主| 发表于 2004-7-30 17:30:33 | 显示全部楼层
我是猫
   咱家是猫。名字嘛......还没有。
   哪里出生?压根就搞不清!只恍惚记得好像在一个阴湿的地衣咪咪叫。在那儿,咱家第一次看见了人。而后来听说,他是一名寄人篱下的穷学生,属于人类中最残暴的一伙。相传这名学生常常逮住我们炖肉吃。不过当时,咱家还不懂事。倒也没觉得怎么可怕。只是被他嗖的一下子高高举起,总觉得有点六神无主。咱家在学生的手心稍微稳住神儿,瞧了一眼学生的脸,这大约便是咱家平生第一次和所谓的“人”打个照面了。当时觉得这家伙可真是个怪物,其印象至今也还记忆犹新。单说那张脸,本应用毫毛来妆点,却油光崭亮,活像个茶壶。其后咱家碰上的猫不算少,但是,像他这么不周正的脸,一次也未曾见过。况且,脸心儿鼓得太高,还不时地从一对黑窟窿里咕哮咕嘟地喷出烟来。太呛得慌,可真折服了。如今总算明白:原来这是人在吸烟哩。
   咱家在这名学生的掌心暂且舒适地趴着。可是,不大工夫,咱家竟以异常的快速旋转起来,弄不清是学生在动,还是咱家自己在动,反正迷糊得要命,直恶心。心想:这下子可完蛋喽!又咕咚一声,咱家被摔得两眼直冒金花。只记得这些。至于后事如何,怎么也想不起来了。
   蓦地定睛一看,学生不在,众多的猫哥们也一个不见,连咱家的命根子——妈妈也不知去向。并且,这儿和咱家过去呆过的地方不同,贼拉拉地亮,几乎不敢睁眼睛。哎哟哟,一切都那么稀奇古怪。咱家试着慢慢往外爬,浑身疼得厉害,原来咱家被一下子从稻草堆上摔到竹林里了。
   好不容易爬出竹林,一睢,对面有个大池塘。咱家蹲在池畔,思量着如何是好,却想不出个好主意。忽然想起:“若是再哭一鼻子,那名学生会不会再来迎接?”于是,咱家咪咪地叫几声试试看,却没有一个人来。转眼间,寒风呼呼地掠过池面,眼看日落西山。肚子饿极了,哭都哭不出声来。没办法,只要能吃,什么都行,咱家决心到有食物的地方走走。咱家神不知鬼不晓地绕到池塘的右侧。实在太艰苦。咬牙坚持,硬是往上爬。真是大喜,不知不觉已爬到有人烟的地方。心想,若是爬进去,总会有点办法的。于是,咱家从篱笆墙的窟窿穿过,窜到一户人家的院内。缘份这东西,真是不可思议。假如不是这道篱笆墙出了个洞,说不定咱家早已饿死在路旁了。常言说得好:“前世修来的福”嘛!这墙根上的破洞,至今仍是咱家拜访邻家小妹的交通要道。且说,咱家虽然钻进了院内,却不知下一步该怎么办才好。眨眼工夫,天黑了。肚子饿,身上冷,又下起雨来,情况十万火急。没办法,只得朝着亮堂些,暖和些的地方走去。走啊,走啊......今天回想起来,当时咱家已经钻进那户人家的宅子里了。在这儿,咱家又有机会与学生以外的人们谋面。首先碰上的是女仆。这位,比刚才见到的那名学生更蛮横。一见面就突然掐住咱家的脖子,将咱家摔出门外。咳,这下子没命喽!两眼一闭,一命交天吧!然而,饥寒交迫,万般难耐;乘女仆不备,溜进厨房。不大工夫,咱家又被摔出去。摔出去,就再爬进来;爬进来,又被摔出去。记得周而复始,大约四五个回合。当时咱家恨透了这个Y头。前几天偷了她的秋刀鱼,报了仇,才算出了这口闷气。当咱家最后一次眼看就要被她摔出手时,。“何事吵嚷?”这家主人边说边走前来。女仆倒提着咱家冲着主人说:“这只野猫崽子,三番五次摔它出去,可它还是爬进厨房,烦死啦!”主人捋着鼻下那两撇黑胡,将咱家这副尊容端详了一会儿说:“那就把它收留下吧!”说罢,回房去了。主人似乎是个言谈不多的人,女仆气哼哼地将咱家扔进厨房。于是,咱家便决定以主人之家为己家了。
   主人很少和咱家见上一面。职业嘛,据说是教师。他一从学校回来,就一头钻进书房里,几年从不跨出门槛一步。家人都认为他是了不起的读书郎。他自己也装得很像刻苦读书的样儿。然而实际上,他并不像家人称道的那么好学。咱家常常蹑手蹑脚溜进他的书房偷偷瞧看,才知道他很贪睡午觉,不时地往刚刚翻过的书面上流口水。他由于害胃病,皮肤有点发黄,呈现出死挺挺的缺乏弹性的病态。可他偏偏又是个饕餮客,撑饱肚子就吃胃肠消化药,吃完药就翻书,读两三页就打盹儿,口水流到书本上,这便是他夜夜雷同的课程表。
   咱家说是猫,却也经常思考问题。
   当教师的真够逍遥自在。咱家若生而为人,非当教师不可。如此昏睡便是工作,猫也干得来的。尽管如此,若叫主人说,似乎再也没有比教师更辛苦的了。每当朋友来访,他总要怨天尤人地牢骚一通。
   咱家在此刚刚落脚时,除了主人,都非常讨厌咱家。他们不论去哪儿,总是把咱家一脚踢开,不予理睬。他们是何等地不把咱家放在眼里!只要想想他们至今连个名字都不 起,便可见一斑了。万般无奈,咱家只好尽量争取陪伴在收留我的主人身旁。清晨主人读时,定要趴在他的后背。这倒不是由于咱家对主人格外钟情,而是因为没人理睬,迫不得已嘛!其后几经阅历,咱家决定早晨睡在饭桶盖上,夜里睡在暖炉上,晴朗的中午睡在檐廊中。不过,最开心的是夜里钻进这家孩子们的被窝里,和他们一同入梦。所谓“孩子们”,一个五岁,一个三岁。到了夜晚,他们俩就住在一个屋,睡在一个铺。咱家总是在他们俩之间找个容身之地,千方百计地挤进去。若是倒霉,碰醒一人孩子,就要惹下一场大祸。两个孩子,尤其那个小的,体性最坏,哪怕是深更半夜,也高声号叫:“猫来啦,猫来啦!”于是,患神经性消化不良的主人一定会被吵醒,从隔壁跑来。真的,前几天他还用格尺狠狠地抽了咱家一顿屁股板子哪!
   咱家和人类同居越观察越不得不断定:他们都是些任性的家伙。尤其和他们同床共枕的孩提之辈,更是岂有此理!他们一高兴,就将咱家倒提起来,或是将布袋套在咱家的头上,时而抛出,时而塞进灶膛。而且,咱家若是稍一还手,他们就全家出动,四处追击,进行迫害。
   就拿最近来说吧,只要咱家在床席上一磨爪,主人的老婆便大发雷霆,从此,轻易不准进屋。即使咱家在厨房那间只铺地板的屋子里冻得浑身发抖,他们也全然无动于衷。咱家十分尊敬斜对过的白猫大嫂。她每次见面都说:“再也没有比人类更通情达理的喽!“白嫂不久前生了四个白玉似的猫崽儿。听说就在第三天,那家寄居的学生竟把猫崽儿拎到房后的池塘。一古脑儿扔进池水之中。白嫂流着泪一五一十地倾诉,然后说:“我们猫族为了捍卫亲子之爱,过上美满的家庭生活,非对人类宣战不可。把他们统统消灭掉!“这番话句句在理。还有邻家杂毛哥说:“人类不懂什么叫所有权。”它越说越气愤。本来,在我们猫类中,不管是干鱼头还是锱鱼肚脐,一向是最先发现者享有取而食之的权力。然而,人类却似乎毫无这种观念。我们发现的美味,定要遭到他们的掠夺。他们仗着胳膊粗,力气大,把该由我们享用的食物大模大样地抢走,脸儿不红不白的。白嫂住在一个军人家里,杂毛哥的主人是个律师。正因为我住在教师家,关于这事,比起他俩还算个乐天派。只要一天天马马虎虎地打发日子就行。人类再怎么有能耐,也不会永远那么红火。唉!还是耐着性子等待猫天下的到来为上策吧!
   既然是任情而思,那就讲讲我家主人任情而动的惨败故事吧。
   原来,我家主人没有一点比别人高明的地方,但他却凡事都爱插手。例如写俳句往《杜鹃》投稿啦,写新诗寄给《明星》啦,写错乱不堪的英语文章啦;有时醉心于弓箭,学唱谣曲,有时还吱吱嘎嘎地拉小提琴。然而遗憾的是,样样都稀松平常。偏偏他一干起这些事来,尽管害胃病,却也格外着迷,竟然在茅房里唱谣曲,因而邻里们给他起了个绰号——“茅房先生”。可他潢不介意,一向我行我素,依然反复吟到:“吾乃平家将宗盛是也。“人们几乎笑出声来,说:”瞧呀,原来是宗盛将军驾到!“
   这位主人不知打的什么主意,咱家定居一个月后,正是他发薪水那天,他擒着大包,慌慌张张地回到家来。你猜他买了些什么?水彩画具,毛笔和图画纸,似乎至今日起,放弃了谣曲和俳句,决心要学绘画了。果然从第二天起,他好长时间都在书房里不睡觉,只顾画画。然而,看他画出的那些玩艺儿,谁也鉴别不出究竟画的是些什么。说不定他本人也觉得画得太不成样子,因此有一天,一位搞什么美学的朋友来访,只听他有过下述一番谈吐:
  “我怎么也画不好。看别人作画,好像没什么了不起,可是自己一动笔,才痛感此道甚难哪!”
   这便是主人的感慨。的确,此话不假。
   主人的朋友透过金边眼镜瞧他的脸说:“是呀,不可能一开始就画得好嘛。首先,不可能单凭坐在屋子里空想就能够画出画来,从前意大利画家安德利亚曾说:‘欲作画者,莫过于描绘大自然。天有星辰,地有露华;飞者为禽,奔者为兽;池塘金鱼,枯木寒鸦。大自然乃一巨幅画册也。’怎么样?假如你也想画出像样的画来,画点写生画如何?”
   “咦?安德利亚说过这样的话?我还一点都不知道哩!不错,说得对,的确如此!”
   主人佩服得五体投地。而他朋友的金边眼镜里,却流露出嘲弄的微笑。
   翌日,咱家照例去檐廊美美地睡个午觉。不料,主人却破例踱出书房,在咱家身后不知干什么,没完没了。咱家蓦然醒了。为了查清主人在搞什么名堂,眼睛张开一分宽的细缝。嗬!原来他一丝不苟地采纳了安德利亚的建议。见他这般模样,咱家不禁失声大笑。他被朋友奚落一番之后,竟然拿咱家开刀,画起咱家来了。咱家已经睡足,要打呵欠,忍也忍不住。不过,姑念难得主人潜心于握笔挥毫,怎能忍心动身?于是,强忍住呵欠,一动不动。眼下他刚刚画出咱家的轮廓,正给面部着色。坦率地说,身为一只猫,咱家并非仪表非凡,不论脊背,毛楂还是脸型,绝不敢奢望压倒群猫。然而,长相再怎么丑陋,也想不至于像主人笔下的那副德性。
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