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曖昧語は日本語における特別な表現方法であり、曖昧さと謙虚さを完璧に表すものだと考えられる。民族性や文化面での影響で、日本語表現は「曖昧」であるということがよく言われる。つまり、物事をはっきり言わないで、高度な婉曲表現が発達している言語だと言える。
日本語語学研究者の石黒修氏の研究によると、一種の外国語を習い始めから、其の言語の達人にいたるまでには、各語学の特徴により、かかる時間も違うと指摘する。詳しく言えば、イタリア語、ドイツ語、英語、それぞれ2年、3年と5年かかるとのこと。しかも、日本語の場合は、少なくとも8年はかかる。[ 張建芳、鄭兵 『曖昧语对日语听力理解的影响』 考試週刊 ]これは、日本人がこよなく曖昧語を好むのが、日本語学習を難しくする原因の一つと考えられる。
次の方々も日本語の曖昧さについて、論じている。ポルトガル宣教師のルイス・フロイス氏は『日欧文化比較』にて、『ヨーロッパでは言葉の趣旨が明瞭であることを求め、曖昧な言葉を避ける。日本では曖昧な言葉が一番優れた言葉で、最も重んぜられている。』と指摘する。それに、日本の元ノーベル文学賞受賞者である川端康成は『美しい日本の私』をテーマに発表し、その中で、『国家と人間をともに引き裂くほど強く鋭いこの曖昧さは日本と日本人の上に、多様な形で表面化しています。』とも語った。
その理由とは、言語を使う人々の民族性、国民性、考え方などに起因するところが大きいと思われる。本論は、日常会話の類と言外の意味の類二つの部分に分けて、論じることにする。 |
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