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寒梅颂
2012-2-17
今年が没後100年の石川啄木に、梅を詠んだ、どこかおかしくて淋(さび)しい一首がある。〈ひと晩に咲かせてみむと、/梅の鉢を火に焙(あぶ)りしが、/咲かざりしかな。〉。3行書きだが、改行と読点をとばして読むと三十一文字(みそひともじ)のリズムになる。
今年去世100周年的石川啄木有首吟诵梅花的诗,给人一种异样孤寂的感觉。诗是这样写的:“愿梅一夜开/花盆放火旁/花苞却依然”。诗句分三行,不过去掉分行标点去读的话就成了31个音节的短和歌。
実際に試したのか空想かはおいて、にじむ屈折は、思うにまかせぬ人生の投影だろう。しかし梅は、せっかちをしなくても寒さの中へきりりと開く。桜や桃が春の花なら、梅は春を呼ぶ花だ。
胡且不论诗人是真的尝试了还只是想象而已,诗中流露出的曲折感,应该是诗人不如意人生的投影吧。其实梅花用不着心急,它自己会在严寒中奋力开放。如果说樱花桃花是春天的花,那梅花就是把春天带来的花。
中国、宋の陸游(りくゆう)は梅を愛した詩人だった。「落梅」という詩でこう言っている。桃や李(すもも)がよい季節を選んで咲くのは、それでかまわない。だが氷と雪がきびしく張りつめる大地に、力いっぱい春を甦(よみがえ)らせようとしているのは誰か。梅ではないか――(『陸游』岩波書店)。花の姿に「凜(りん)」の一字が似合うゆえんだろう。
中国宋朝的诗人陆游是个爱梅之人。他有一首名为《落梅》的诗大意是这样的:桃花李花都选在好的季节开放,这无可厚非。然而是谁在冰雪覆盖的大地上,用尽全力试图将春天唤醒的呢?那不是梅花吗?……(《陆游》岩波书店)。这大概也是人们觉得梅花跟“凛”这个字很相配的原因。
その梅が、今年はどこも遅い。気象庁によれば東京の開花は平年より15日も遅かった。立春を過ぎれば「余寒」と言うが、酷寒の風にふるえる日が続く。北国のつぼみは降雪の下で身を固くしていよう。
今年全国各地梅花开放的时间都推迟了。据气象厅报道,东京的开花时间比起往年足足要晚15天。虽然过了立春就称“余寒”了,但近来严寒天气不断,北国的花苞似乎都在大雪中把身子缩紧了。
思えば2月は不思議な月で、光は春なのに冬がきわまる。没後70年、与謝野晶子の詩「二月の街」はうたう。〈春よ春、/街に来てゐる春よ春、/横顔さへもなぜ見せぬ。/春よ春、/うす衣(ぎぬ)すらもはおらずに/二月の肌を惜むのか……〉。
想想二月真是个奇特的月份。光线已经是春天的了,但气温却是正处在隆冬。今年已经是去世70周年的诗人与谢野晶子一首《二月的小城》是这样写的:“春天啊春天/来到小城的春天/为何连你的影子也看不见。/春天啊春天/为何你连件薄衣衫都不换/你是爱惜二月的肌肤吗?……”。
寒気が流れ込み、週末はきびしく冷え込むという。だが、寒さの底で何かが兆している。ぴしり――と氷の割れる音に、耳を澄ます春よ早く来い。
寒流来袭,据报道本周末的天气将会非常寒冷。 然而,处于寒冷的谷底同时也就是某种预兆。那让我们侧耳倾听冰块细微的崩裂响声的春天啊,快快到来吧。 |
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