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読売新聞 都内版 地域ニュース TOKYOホームページ
はなしの民俗学《フォークロア》
国学院大教授・野村純一《のむら・じゅんいち》
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)風靡《ふうび》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)画家|黙庵《もくあん》
校正者注:個人名のルビには、みょうじと、なまえの間に・を入れた。
(例)野村純一《のむら・じゅんいち》
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第一回
桃から産まれぬ桃太郎
(読売新聞都内版・平成十二年9月9日掲載)
およそ「桃太郎」の話を知らない人はいない。
まず、川上から大きな桃が「ドンブリコッコ スッコッコ」と流れてくる。
明治・大正期に一世を風靡《ふうび》した巌谷小波《いわやさざなみ》の
「日本昔|噺《ばなし》」の第一巻を飾った「桃太郎」もそうだった。
ただ、それ以前の「桃太郎」は必ずしもこうではなかったようだ。
わけても江戸前の話では、流れてきたのはごく並の大きさの桃だった。
のどかな春の日、川で洗濯をしていた婆さんが目ざとく拾い上げて早速ちょうだいした。
すると、意外や意外、何とその場で立ち所に若返ってしまった。まるで川辺の美女といった風情だ。
おそらくは、仙郷《せんきょう》から流れてきた贈り物として、桃の実の力を説くのだろう。
一方、薪を背負って山から下りてきた爺さんはこれを見てびっくり仰天し、
自分も負けずに残りを口にする。
こちらも効果てきめん、たちまち若者に変身した。
都立中央図書館蔵「桃太郎一代記」には、この場面の挿絵《さしえ》に
「わしもこのやうに わかやきまして これては子もてきそうなものた」
《わしもこのように、わかやぎまして、これでは子もできそうなものだ》と、わざわざ書き添えている。
事実、やがて懐妊した婆さんには、その後めでたくも大きな男の子が誕生した。
江戸っ子「桃太郎」の誕生である。
江東区|白河《しらかわ》一丁目、
今年十二月開通予定の地下鉄大江戸線白河駅近くのマンションの八階に
「桃太郎資料館」を設置した小久保桃江《こくぼ・とうこう》さんは、
一九〇二年七月十日生まれで、九十八歳になる。
岡山県|川上郡備中町東油野《かわかみぐん・びっちゅうちょう・ゆがしゆの》の出身だ。
二十一歳の時に上京して現在に至る。
若いころから「桃太郎」の進取《しんしゅ》、向日性《こうじつせい》に共感して、これを人生訓としてきた。
同時に、現在は、桃太郎関係のコレクターとしても知られている。
秘蔵の「桃太郎|絵巻《えまき》」には、右に紹介した筋書きがものの見事に示されている。
江戸後期の画家|黙庵《もくあん》にもまったく同じ向きの作品がある。
また四国は高松市歴史資料館蔵、旧三井家の絵巻《えまき》もこれと変わらない。
こうしてみると、江戸時代、絵巻に仕立てられた「桃太郎」話は、
いずれも強く、桃の呪力《じゅりょく》、桃の現世利益《げんぜりやく》を訴えていたようだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
国学院大学の野村純一教授(65)(口承文学《こうしょうぶんがく》)に、
東京に伝わる昔話を紹介していただきます。
毎回、きりえ作家、丘光世《おか・こうせい》さん(59)の幻想的な影絵が、ストーリーに彩りを添えます。
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原稿入力:寺澤まり子
校正・掲載:早耳ネット事務局
東京都台東区根岸4-13-25
早耳ネット・音のボランティア・ホームページ http://hayamimi.net/~hayamimi/roudoku/
電子メール:one-one@tctv.ne.jp
代表:早川瑞穂
管理.編集:早川愼一 |